第7話 打ち明け話①
特に目的もなく、体の赴くままに旅をしているという二人は目の前の山を越えることに必死なようだった。師匠の家の前を通り過ぎ、一つ山を越えたところで日が落ちた。そこで、その日は野宿をして体を休めることにした。私が用心棒を始めて早数日が経過していた。パチパチと枝が爆ぜる音を聞きながら、焚き火の向こうに座る女を見ていた。どこか虚ろな目をしており、そのアイスブルーの瞳に何が映っているのか皆目見当もつかない。しかし、薬屋の男に危険が差し迫っていることに気づくと、その瞳は刃のように鋭く光った。共に旅をして気がついたのだが、その女は話せぬ上にこの国言葉を理解していないようだった。
「ベル、少し歌ってくれないか」
木の実のスープを食べ、一服していた女は薬屋の一言に頷くと、瞳を閉じた。やがて聞こえてきた調べに身体中がゾクッとするほど震えた。鳥肌。身震い。貴族時代には当たり前にように嗜んでいた音楽でも経験しなかったそれに私は非常に驚いた。薬屋の方を見ると、彼はうっとりした表情で彼女の歌声に聴き入っていた。彼女が歌い終えた後、私は自然に拍手をしていた。その女は照れ臭そうにお辞儀をした。初めて見たその女の笑顔は美しかった。
「こんなに魂を揺さぶられるほどの歌は初めて気がついた。どうして、これで金を稼ごうと思わない?」
私が薬屋に問いかけると、「できぬ事情があるのです」と顔に影を落として言った。
「それは皇帝に顔が割れているのと関係があるのか?」
女の眼光が鋭くなった。薬屋は一瞬顔を硬らせたものの、すぐに柔和な笑みを浮かべた。
「ご冗談を。僕と皇帝陛下と、どんな繋がりがあるというのでしょう」
「そうなのか。俺はてっきりお前は第一皇子で、皇位継承関係で命辛々宮廷から逃げてきたのかと思ったぞ」
あまりにも図星だったのか、先ほどは余裕を浮かべていた笑みもすっかり青ざめていた。
「貴方は追手か何かですか?」
「それで、はいそうですと答える愚者はこの世におらんだろう。あるいは、本物の愚者ならそう答えるかもしれんが」
「では、追手なのですね」
「いいや、断じて違う」
私は薬屋から再び焚き火へと視線を戻した。
「お前は本当に第一皇子なんだな?」
薬屋は何も言わなかった。
「レオンハルト、そうだろう?」
「はあ、嘘をついても無理そうですし、白状しますよ。そうです、僕は第一皇子です。貴方こそどなたなんですか?」
「俺は……レオ。かつては子爵の跡取り息子だった」
「え。まさか、学院で有名だったあの?」
「有名人だったのか、俺」
「女が常に貴方のことを噂しておりましたよ。でも、卒業と同時に行方不明になり、亡くなったとお聞きしておりました。確か、葬儀も行われたはずです」
「そうか……両親を悲しませてしまったなあ」
私は卒業式の日を思い出しながら、しみじみと思った。
「まあ、こんな感じで世間のことを俺は全く知らないわけ。三年も山に篭って、外に出る時は戦の時ぐらい、ってな生活を続けてたせいだな。だから、お前さんが宮廷を追い出されたのを言い当てたのもただの勘」
「遽には信じ難いですが、ぼんやりとした僕の記憶の中の貴方と現在の貴方、雰囲気は全く違いますが、顔の造形は一緒のように思います。信じることにしましょう」
「ありがとう」
そこで一度沈黙が訪れた。お互い聞きたいことはたくさんあるが、何から始めるべきかわからない。そんな雰囲気だった。
「何も聞かないんだな、なぜ俺が卒業式後に姿をくらませたのか」
「聞きたくても聞けなかったんです。貴方はよくわかってるくせに」
「ははは、それもそうだ」
私はひと笑いした後、急に真面目な顔をした。
「俺は皇帝を討ち、母親を取り戻すために三年間を費やしてきた。まだ童と言われても仕方がないくらい幼いが、それでも、あのまま貴族として生きているようではどうにも埒が明かないと思った。だから、何もかもを捨てて修行しようと考えた。それで、両親にも何も告げず、消えたんだ」
「そうでしたか」
「俺は皇帝を心底恨んでいる。お前さんはどうなんだ?皇帝に人生を左右されて、悔しくないのか?」
レオンハルトは俯き、唇を噛み締めながら言った。
「悔しいですよ、本当に悔しい……でも、僕にはどうすることもできない。力が、勇気が、ないんです。宮廷から逃げ出す時に、最後の足掻きで皇帝のお気に入りだった奴隷を連れ去るのが精一杯で……」
土に涙を落とす皇子を見ていると、なぜだか不意に弟だという実感が湧いた。思わず、彼の頭を撫でていた。
「よくがんばった、その歳で。お前さんは今も戦ってるんだよ、皇帝と」
レオンハルトは慟哭した。恐らくずっと泣いていなかったのだろう。女はびくりと肩を震わせたが、彼女の頬にも一筋の涙が伝っていた。
十分涙を流したレオンハルトは、濁声になりながら私に尋ねた。
「あの……僕たちが最初に会った時に、貴方は僕に、貴方の弟に僕が似てるって仰ってましたよね?あれはどういう意味ですか?」
「なんで今それが気になるんだよ」
私は変な奴と笑いながら、レオンハルトを小突いた。
「いえ、何だか、先程貴方に頭を撫でられた時、兄に撫でられるような感覚になったというか……何を言ってるんだろう?僕が長男なのに」
混乱したように焦るレオンハルトに、私はにっこりと微笑んでいった。
「本当のことだ。お前さんは俺の正真正銘、腹違いの弟さ」
「え……は?」
「聞こえなかったのか?」
「いえ、聞こえているから理解できないのです」
「まさか、皇帝の私生児……」
「ちげえよ。誰があんなクソ野郎の息子だ。皇妃の方だ。皇妃の最初の子どもなんだよ、俺は。事情は非常に複雑なんだが……簡潔に言うと、元々皇帝の許嫁だった俺の母親は別の下級貴族と駆け落ちし、俺を産んだ。しかし、諦めきれなかった皇帝は下級貴族を殺して、俺の母親を自分のものにしたってわけ。俺は親父が殺害された日にたまたま家にいなかったから生き残った。まさか、皇帝は俺が生き残ってるなんて思っちゃいねえだろうな。……ということは、俺、二回も死んでるのか」
私は一人で納得して頷いた。
「そういうわけで、俺は俺の人生を滅茶苦茶にした皇帝を討ち、皇妃なんてやらされている母親を取り返す。それが今の目標だ」
明るく言い切ると、反対にレオンハルトは顔を暗くした。
「どうした?」
「え?あ……いえ……」
顎先に手を当てて考え込んでいたレオンハルトだったが、やがて今日に至るまでの経緯をぽつりぽつりと話し出した。
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