第十五章(予兆)
王都・蒼都に大勝利のニュースが届いたのは、翌早朝のことだった。朝早いというのに、王都民が王宮前に押し寄せて勝利を祝った。多くの人々が、ラディの遺影やメルの写真、あるいは蒼の国の旗を掲げて国歌を歌っている。その様子を自室の部屋の窓からこっそりと見つめるテアの表情は曇っていた。王国が守られたというのに、メルが無事だったというのに素直に喜べない。彼女を取り巻く状況がそれを許さなかった。王宮は大きな問題に直面していたのである。
統宮暗殺後、望宮陸軍の攻撃を恐れた統宮派の上級文官達は、続々と王都を脱出していた。次に権力を握るのは望宮だー。誰もがそう思っていた。しかし、その望宮が一向に動かない。統宮の死から4日経っても何の音沙汰もなかった。
大戦果を報じるネットニュースの片隅に、重大なニュースが載っている事をテアは見逃さなかった。
『望宮殿下、統宮殿下暗殺疑惑を否定、政権獲得にも消極的』
確かに自分は雲宮追討隊の攻撃を指示したが、それは彼らが国民に危害を加えていたからだ。このような疑惑を持たれた以上、自分は次期権力者に相応しくない。誰か他の王族がこれからの蒼の国を引っ張るべきだー。そう望宮は記事で語っていた。
冗談じゃない、とテアは怒った。今、政権を樹立する力を持っているのは、宮廷の中央政界には望宮しかいないのだ。帝王はまだ幼く、直宮派は殆どが処断されてリーダーは不在、議会は解散中であり選挙までまだ二週間もある。この戦争状態の中で二週間も権力の空白を作るわけにはいかなかった。何か、良い手はないのか…。テアはスマホを手に取った。最南島は、ちょうど日付が変わる頃である。
大戦果を挙げた最南島で、各艦隊の兵士達は祝宴を挙げていた。喜ぶ兵士達とは対照的に、最南鎮守府は物資の問題に直面していた。燃料、弾薬、食料は戦いの連続、そして想定以上の援軍で激減していたのである。最南島だけでこれをカバーする事は不可能だった。一刻も早く次期政権が戦時体制を整えなければ、戦線は崩壊の危機に晒されることになる。
蒼黒戦争が始まって以来、メルは王族命令書を書く事が増えた。黒の国の襲来は想定のペースを遥かに超えており、法律に則っていては対策が後手に回ってしまう。この超法規的措置をメルは普段あまり良く思っていなかったが、この時ばかりは多用するしかなかった。
王族命令書は専用の高級紙に墨書き、直筆でなければならない。偽物が出回らないようにするためであるが、長文になる時は大変でかなりの時間を要した。終盤で書き損じると、かなりの精神的ダメージがある。
「…あっ、」
メルが珍しく二回連続で書き損じたのは、大勝利に沸く最南島が日付をまたごうとしている頃だった。ラディ亡き後、現場の軍のトップ(連合侯)と島の執政のトップ(鎮守宮)を兼任せざるを得なくなったメルの仕事は2倍に膨れあがった。この日書いた王族命令書は15通。まだ10枚以上書かねばならないのに、戦闘の疲労と睡魔が彼女に襲いかかっていた。大好きな紅茶ではなくコーヒーを用意するメルを見て、ノノウは思わず声をかけた。
「これ以上はお身体に障ります。明日になされるべきです。」
「何、まだいける…し、しまった!」
コーヒーが真っ白な王族命令書に溢(こぼ)れる。人工島にそっくりな模様を見て、ノノウはデジャヴを感じた。
「無理をなされてはダメです。後始末は私がやっておきますから。」
「すまない…。」
貴重な紙を3枚も無駄にしガックリと肩を落とす姿は、とても敵艦4艦を一人で大破させたエースパイロットには見えなかった。トボトボと部屋を出ていこうとするメルを、待ってましたと言わんばかりにアブエロが声をかけた。
「宮様、お覚悟を!何故私に一言もおっしゃらずに戦場に、」
「じい、私は寝るぞ。今日は疲れた。」
「まだ話は始まってもいませんぞ!お待ちなされい!」
急に早足で部屋を出ていったメルをアブエロはバタバタと追いかけた。
(あれは相当怒っているな…。)
ノノウはメルが置いていったコーヒーを一口飲むと王族命令書の後片付けを始めた。勿体ない、と思いながら3通の命令書をシュレッダーにかける。聞き慣れないメロディが流れているのに気づいたのは、シュレッダーが全てを切り刻み終わった時だった。誰のスマホだと思いながら机に戻ると自分のスマホである。ノノウは2日前の事を思い出した。テアが問題解決のお礼に自分の未発表の楽曲を送ってくれたのである。
『良かったら、着信音にしてね!』
とメールには添えてあった。王族の『良かったら』はノノウにとっては命令と同じである。その幻の一曲が着信音として世界で初めて流れていた。しかも、かけてきたのは曲を歌っている『本人』ではないか。慌ててノノウは電話に出た。『もしもし』の声が震える。
「もしもし、ノノウちゃん?ちょっと聞きたいことがあるんだけど?」
「…私に、ですか?」
「メルでもいいんだけど、流石の彼女も疲れて寝ているでしょう?」
離れていても行動が把握出来ているのは凄いな、とノノウは感心した。そして同時に自分に言い聞かせた。
(私も、守宮様の動きを読めるようにならないと…。)
メルに嘘をつかれた時、ノノウは感情のままに彼女を責めた。しかし、本当の『名参謀』なら彼女の行動を読んで、それに連動した作戦を展開出来たのではないのか。
「ノノウちゃん!聞いてる?」
自責の念に駆られるノノウを、テアの声が現実に引き戻した。
「すみません、何でしょうか?」
「一緒に考えて欲しいの。この国のとても大事な話よ。」
テアの真剣な声に、ノノウは思わず見られてもいない姿勢を正した。
王宮は統宮の死から僅か4日で、行き詰まりを見せ始めていた。上級文官は一人もいなくなり、誰も政治を主導出来ない。皇后・輝宮ルフレが頼みとする実家の統宮家の後継者争いは遂に武力衝突に発展し、王都は夜も銃声が轟いていた。鎮圧しようにも、軍や警察に出動を命令できる有力者が王宮内には一人もいない。
「ルーちゃんが停戦命令を出しても統宮家の争いが終わらないの。このままでは、王宮の権威は失墜するわ。まずは王都の平和を取り戻すこと。それから、できるだけ早く次の蒼侯を決めて宮廷の運営を安定させなければならないわ。」
統宮あっての皇后命令だった事を、この件は如実に表していた。第二・第三艦隊が皇后命令に従ったのは、単純にメルと戦いたくなかったからである。
「一つ、手があります。」
ノノウは一呼吸おいて続けた。
「囚われている直宮派を皇后命令によって解放するのです。」
「何ですって!?」
テアの声が裏返った。
「皇后命令で復帰した直宮派の人達は、新しい『直宮』の下に集まります。」
「二宮様…。私の夫ね。」
『直宮派』は伝統的に帝王の弟の下で派閥を形成した。先々帝・楽帝の弟賢宮、先帝・成帝の弟雲宮がその代表例である。そして現帝王・白帝の弟は、テアの夫である二宮しかいない。
「ですが二宮様はまだ幼い。直宮派が本当に頼りにする人物は別にいます。連合侯・守宮様の親友で、王家の名代を務められている…。」
「…。」
名前を言わなくても、誰のことかは明らかだった。
「その人の力で、かつて議会が認めた『3日後に蒼侯選挙を行う』という命令を無効にします。つまり、『統宮様は蒼侯ではなかった』ことにするのです。蒼侯選挙は、前蒼侯の死の30日後に行うのが慣例になっています。賢宮様の死から今日で26日。あと4日で新しい蒼侯を迎える事が出来ます。」
「そんな…。」
テアは一瞬、言葉が詰まった。
「それじゃ、まるでルーちゃんを騙しているみたいじゃない。」
「そうでもしなければ王都の平和を短期間で取り戻す事はできません。人を貶め、欺き、葬り去るのが政治の世界です。煌宮様には、その覚悟がありますか?」
軽い気持ちで政治の世界に入るなー。そうノノウは警告しているに違いない。しかし、メルが命をかけて国を守っているのに何もしない訳にはいかなかった。
「分かったわ。私の覚悟、見せてあげる。」
テアが皇后を説得し、直宮派が皇后命令によって釈放されたのはその日の夕方のことだった。釈放された人々は元の職務に戻り、混乱していた王宮も翌日にはようやく落ち着きを取り戻し始めた。そんな中、一人の老人がテアの下を訪れた。
「煌宮様、お久しぶりでございます…。」
「スボンギさん、よくご無事で…。」
スボンギは前蒼侯・賢宮の執事で、直宮派を陰でまとめていた人物である。引退していた所を統宮によって囚われていた。
「全ては煌宮様のおかげです。ありがとうございます。」
スボンギが深々と頭を下げる。
「いえ、私ではなく皇后陛下のお力ですから…。」
「なんの。我々直宮派の間では『煌宮様、遂に立つ。』と話題になっておりますぞ。」
テアの尽力によって直宮派が解放されたことは王宮では周知の事実になっていた。
「今回の件で直宮派は皆、煌宮様に恩義を感じております。貴方様の一声で、直宮派のほとんどが付いてきますぞ。」
「一つ聞かせて下さい。直宮派(あなたたち)は、王宮をどうしたいのですか?」
「全ては、煌宮様の仰せのままに…。」
「私は王家の名代ではありますが、同時に希宮家の人間でもあります。」
スボンギの顔が少し曇る。テアは続けた。
「この100年、直宮派と希宮派は互いに争い続けてきました。今、新たな敵国を前にして、我々は団結しなければなりません。私も命を狙われた身ですから、直宮派が統宮様から受けた仕打ちは十分に分かっています。それでも尚、あなたたちは希宮派と手を携えることは出来ますか?」
「統宮に家族を殺された人も多い。簡単にはいかんでしょうな。しかし、彼らにとって望宮様は仇を討ってくれた人です。同じ希宮家の一族でも、彼らと手を携えたい人は多いはずです。」
統宮暗殺の黒幕は、望宮かメルであるというのが王都での定説だった。どちらにせよ望宮家の人間であるため、直宮派の望宮家への印象は概ね好意的である。
「今、最も急がねばならないのは新蒼侯の擁立です。その為に、ある法案を無効化せねばなりません。私についてくる意思があるのなら、まずはこの件に取りかかって欲しいのです。」
テアはノノウから授かった作戦を話し始めた。スボンギの反応は悪くはない。統宮の実績を消すために力になりたいと言ってくれた。反統宮という立ち位置なら直宮派と望宮勢力はまとまってくれるのではないか。テアは手応えを感じていた。
第二艦隊の人的被害の全容が明らかになってきたのは、翌日の昼頃の事だった。死者1200以上、負傷者2000という数字は蒼黒戦争の中では突出した数字であり、最南島の病院は軒並み野戦病院のような様相を呈していた。
「第二艦隊を正面に置いた私のミスだ…。人命を軍の足並みの引き換えにしてしまった。兄上なら、もっと上手くやっていただろうに…。」
「メル様のせいではありません。わしがもっと裏で根回しをしておけば…。」
「いえ、私が総参謀を断らなければ良かったのです。他の王族の方と話す事を恐れて、多くの人が犠牲に…。」
司令宮室にいた3人は皆、自分を責めた。後悔する3人を現実に引き戻したのは、それぞれのスマホの着信音だった。驚きの情報が、3人から後悔の念を吹き飛ばした。
最南島南部中央病院にメルが着いてすぐに、遺体となった強宮が救急車で運ばれて来た。メルは隣で項垂れる幹部を怒鳴りつけた。
「誰だ!誰が強宮殿を撃った!?」
「恐れながら…撃ったのは、強宮様自身です。」
「何だと…。」
「これが見つかった遺書です。」
多くの戦死者を出し、遺族に申し訳がたたない。自らの死をもって1000人の英霊にお詫びしたいと手紙には書かれていた。
「バカめ…。」
メルは声を絞り出した。
「何故護衛艦が自らを犠牲にして旗艦を守ったのか、その全てを無駄にしたのだぞ…。」
確かに、第二艦隊は大きな打撃を受けた。しかし、司令宮が生きていれば立て直しが出来る。強宮はその機会を自ら絶ってしまったのである。第三艦隊の司令宮・誓宮は傀儡に過ぎず、現場で指揮をとれる王族は事実上メルだけになってしまった。幹部が無言の強宮と共に霊安室へと向かっていく。メルはその様子をただ見送るしかなかった。呆然と立ちつくすメルに、院長が恐る恐る話かけた。
「黒の国の捕虜が到着しました。」
ノノウは黒の国の大破した空母が曳航されて来たとの連絡を受けて、急いて最南港に向かった。人工島にある敵船舶は、マトキス隊と頑強に抵抗する敵部隊との戦闘が終わっておらず、未だに曳航できていない。従って、これが初めて詳細に調査される敵艦であった。何故あれほど潜水艦の攻撃を受けても沈まなかったのか、ノノウはその理由を知りたかった。
STSB(最南鎮守府運輸安全委員会 、Southern tip Transportation Safety Board)の施設では、運び込まれた空母の浸水区画の排水作業が行われていた。蒼の国のものより一回り以上大きな艦体が特殊な装置で持ち上げられ、船底の潜水艦が空けた穴まで露わになっている。右舷に空いた3つの穴からは勢いよく水が吹き出していた。最上階から見るとボロボロになった飛行甲板の形がよく見えた。蒼の国の新鋭艦が使うアングルド・デッキではなく、直線式である。これなら離発着の効率はこちらが上だろう。更なる情報を求め双眼鏡を覗くノノウに、STSBの職員が声をかけた。
「まもなく排水作業が終わります。甲板に降りてみますか?」
「良いんですか?」
「えぇ。まだ死体が散乱していますがね。」
数々の戦いを経験してきたノノウだが、実際に遺体を見るのは初めてである。約120年前に起きた南洋戦争の遺体収集作業の凄惨な手記を思い出し、ノノウはブルッと震えた。しかし、敵艦の中を見たいという知識の欲求が恐れを上回った。
(装備だけはしっかりしていこう…。)
腐乱臭の話を思い出し、ノノウは思わず尋ねた。
「防護服はありますか?」
アブエロは、兵士達が宿泊するリゾートホテルに来ていた。最南島で最大級の5万人が収容できるホテルも第一・第二・第三・第六艦隊の兵士で満員になった。エキストラ・ベッドを使っても収まらず、やむなく母艦で宿泊する兵士も出てきていた。
アブエロを呼び出した人物はリゾートホテルの最上階、かつてラディとイスカが宿泊していた部屋の隣で泊まっている人だった。
「アブエロさん、お待ちしていました。」
「お久しぶりですな、ジェンコ殿。」
ジェンコは空宮付きの老女で、事実上の『守宮付き』であるアブエロとも親交があった。
「しかし、驚きましたぞ。空宮様が、まさか…。」
「アブエロさん、声が大きい。」
ジェンコが口に人差し指をあてる。盗聴を恐れているらしい。アブエロが黙り込むと、そっと体温計のようなものを懐から取り出した。『判定』『終了』と書かれた文字の隣にはどちらもくっきりと線が出ている。
「空宮様は…なんと?」
「心当たりはあるようです。最南島(ここ)に着いた日の夜だと。」
確かに、あの日の会食では二人ともメルに負けまいとかなりの量の酒を飲んでいた。ラディにとっては痛恨のミスだったのだろうが、今となっては彼の唯一の忘れ形見になるかもしれない。
「このことは…望宮様には?」
望宮の正室の緋宮と長男のラヌイが望宮に極秘裏に捕らえられたという情報をアブエロは掴んでいる。もし王子なら、状況次第では望宮家の後継者になる可能性があった。
「まだです。空宮様の容態が極めて不安定で、最悪流れるかもしれません。」
雲宮とその正室が処刑されていたというニュースが最南島に届いたのは昨日のことだった。愛する人を亡くし、そして両親まで失ったイスカの精神的ダメージは計り知れないものがあった。
「安定すれば、いずれは公表せねばなりますまい。その時はわしに教えて下され。守宮様を通して、必ずや望宮様に存在を認知させてみせます。」
「お待ち下さい。」
ジェンコは頭を振った。
「守宮様だけには知らせるな、と。」
「何故?」
「『ただでさえ自分の戦線離脱でメルには迷惑をかけている。先輩としてこれ以上後輩に迷惑はかけられない。』そう仰っていました。」
「なんと…」
メルが聞いたら『迷惑などと遠慮する間柄ではない』と怒るだろう。しかし、今のイスカには優しさすらストレスになるのかもしれなかった。今は胸の内に留めておこう、そうアブエロは考えていた。
黒の国と蒼の国の人間が出会うのは、歴史上初めてのことだった。捕えた兵士の数はおよそ500人。艦が拿捕される際も最後まで銃で抵抗したために多数の兵が戦死し、捕虜となった殆どの兵士が負傷していた。敵と味方の艦隊の規模はほぼ同じであったから、兵の数も5万前後はいただろう。捕虜500という数字は、4万を超える戦死者が出たことを暗示していた。
何故これほど敵は攻撃の意思が強いのだろう?これは上層部だけでなく、蒼の国の兵士の殆どが思っていた。指揮官を失ってもなお屍を乗り越えて抵抗してくる黒の国の兵士達は不気味だった。その理由を明らかにしたい。メルはそう思って意思表示機に座った。
黒の国の兵士は、蒼の国の人と全く変わらない『人』だった。ただ、蒼の国の誰よりも表情がギラギラしている。それがメルの抱いた最初の印象だった。腕を撃たれたらしく、右腕に白い包帯がグルグルと巻かれている。付き添いの最南陸上警備隊の隊員が無理やり意思表示機に座らせた。兵士は恐れる様子もなく、真っ直ぐにメルを睨みつけた。
(私の声が聞こえるか?)
ピクリと兵士の表情が動く。ほんの僅かだがその中に動揺の色があることをメルは見逃さなかった。どうやら、黒の国にはこのような装置が無いようだ。
(私はメル。皆からは守宮と呼ばれている。この装置はな、自分が伝えたいと思ったことを相手に伝えられる。試しに、何か伝えてみよ。)
(…。)
男は何も伝えてこない。敵国の人間に、簡単には気を許さないだろう。メルは口元に少し笑みを浮かべ、話を続けた。
(この国に来た理由はなんだ?何故こんなにがむしゃらに攻め込んでくる?)
(…。)
(既に、お前たちの国の戦闘機は調査済みだ。我が国の航空機はお前達の2倍以上は飛べる。捕虜達を故郷に連れ帰る事も可能だ。お前も故郷に帰りたいだろう?どうだ、帰ったらこれ以上無益な戦闘を止めるように国の偉い人に伝えてくれないか。)
航空機の話はブラフだった。敵戦闘機の部品は大部分が集まっていたが、まだ詳細なデータは調査中である。
(帰る場所など…ない。)
これが、兵士の話した最初の言葉だった。
(攻撃が失敗したのだ。今頃女王陛下が、我々兵士達の家族を皆殺しにしているだろう。)
(皆殺し?)
(女王陛下より賜った大事な艦と戦闘機が海に消えたのだ。当然だろう?)
一瞬、言っている事が理解出来なかった。黒の国では、人の命より艦や戦闘機の方が大事なのだろうか。メルは思わず本音で尋ねた。
(それほど大事な艦なら、無理に攻め込まずに撤退すれば良いではないか。何故ここまで攻めに拘るのだ?)
(撤退…?)
兵士は急に笑い出した。
(世界最強の我が軍が撤退など出来るものか!目の前の敵部隊を蹂躙せずに撤退すれば、部隊は皆殺しにされる。前に帰って来た兵士は、見せしめに火炙りにされたものだ。)
最南島沖航空戦で取り逃した敵機のパイロットだろう。敵がまるで刺し違えるような攻撃を仕掛けて来たのは、撤退しても殺されるからだったのだ。
(そこまでして…そこまでして、お前達は何を望む?)
兵士は不敵な笑みを浮かべた。
(世界統一…。この惑星(ほし)をミューザ女王陛下のものにするまで、我々は戦い続ける…。)
(…。)
この戦争を終結させる手立てを、メルはずっと考えてきた。敵の重要人物を捕らえて交渉のパイプを持ち、出来る限り早く講和へと持ち込む。兵士の話はその考えを根底から覆した。兵士は家族が殺されるというのに淡々と話し続けた。おそらく洗脳されているのだろう。洗脳されていなければ、女王ミューザに恨みを抱くはずである。もし、全ての兵士が洗脳されているのだとしたら…。メルの頭の中に、最悪のシナリオが浮かんだ。黒の国の完全なる殲滅。まだ海中には敵潜が蔓延(はびこ)っているだろうし、敵の本土に上陸すれば苛烈な抵抗を受ける事は想像に難くなかった。次期政権がそれを選択した瞬間、今までとは比べ物にならないくらいの屍を築き上げることになる。兵士達を死地に送り込む勇気が自分にあるのか…?警報を鳴らし始めた第六感を振り払うかのように、メルは意思表示機から立ち上がった。
海戦の勝敗がはっきりしてからも、黒の国の抵抗は激しかった。敵の最後の戦闘機は第二艦隊に突っ込み護衛艦を大破させ、兵士たちは戦闘不能となった艦の甲板から機関銃で護衛艦を銃撃した。やむなく紫雲から旧型(41型)のミューナが出撃し、各艦に機銃掃射して敵を沈黙させたのである。ノノウが降り立った空母の甲板も例外ではなく、甲板には多数の弾痕が刻まれ、戦死した兵たちの遺体が転がっていた。
「これが…戦場…。」
参謀とは言え、中身は16歳の少女である。防毒マスクをしているせいか幸い臭いはなかったものの、大量殺人の現場のような景色はノノウの足を竦(すく)ませた。恐る恐る踏み出した足に、不気味な感触が走る。
「ひゃあっ!」
それは紛れもなく人の手だった。ただ、手首から先がない。
「あぁ、これは」
随行している初老の隊員は、様々な航空機事故を調査しているだけあって落ち着いていた。
「爆発に巻き込まれて身体が粉々になったのでしょう。あれを見て下さい。」
隊員が指差した先に、大きな穴が空いている。
「ここにミサイルが命中したのでしょう。あそこに転がっているのは敵機の尾翼の一部ですな。」
ノノウは慎重に近づくと甲板にできた大きな穴を覗き込んだ。黒焦げになった戦闘機らしき鉄塊が転がっている。隊員がほう、とため息をついた。
「格納庫かもしれませんな。よくこんなピンポイントに命中させられたものだ。」
これは、ミューナの命中精度の高さを如実に示していた。数百キロ離れた場所から敵艦を正確に仕留める。今まで机上の理論だったものが、実戦で裏付けられたのである。これだけのダメージを負いながらよく沈没しなかったものだとノノウは感心した。機動性に優れる分耐久力のない蒼の国の護衛艦なら轟沈しているに違いない。一体中身はどうなっているのだろうと思った瞬間、隊員の無線が鳴った。
『排水作業が完了しました。』
「了解。ノノウ殿、参りましょう。」
船内に入るためのドアは、全て高熱で歪んでいて開かなかった。隊員は鞄から縄ばしごを取り出すと、ミサイルが開けた穴にはしごを下ろした。
「ここから入りましょう。覚悟はできていますか?」
ノノウはコクリと頷くと、縄ばしごに手をかけた。
真っ暗な船内に、ポチャン、ポチャンと水が滴り落ちる音が響いていた。排水作業が終わったとはいえまだ床には若干水が残っていて、歩くたびに音を立てる。唯一の頼りであるヘッドライトは時折黒焦げの死体を照らし出した。ノノウは何回か立ち止まって船内を見渡したが、ほとんどの構造物が溶けて原型をとどめていなかった。
(これは相当な高温になったのね…。)
通路にはいくつもの鉄塊が転がっていた。全て戦闘機であるなら、大量の誘爆を起こしたことは想像に難くない。燃料タンクまで引火していたのなら、他の部屋でもかなりの人が船内で焼け死んだことだろう。ドアは全て熱で歪んで開かなかった。
「行き止まりですね。下だけでも見て見たかったのですが…。」
船底には潜水艦が魚雷を命中させたはずである。なぜ魚雷を受けても沈まなかったのか、その答えがこの下にあるはずだった。
「ノノウ殿、待ってください。あれは、」
隊員のヘッドライトが鉄塊のそばにある死体を照らした。何かに挟まれているようである。
「これは…」
死体を挟んでいたのは、地下扉だった。ノノウは鞄からバールを取り出してこじ開けようとしたが、ピクリとも動かない。死体と扉が熱で癒着していたのである。
「代わりましょう。」
とはいえ、これはノノウに力がないから開かないだけだった。隊員がバールに力を入れると、軋音を響かせながら地下扉は開き始めた。挟まれていた死体が下に落ちる。ノノウが下を覗き込むと、先ほどの死体が小さく見えた。
垂直に取り付けられたはしごはかなりの長さがあった。このタイプのはしごは腕に負担がかかるので、ノノウは嫌いだった。彼女のひ弱な腕が悲鳴を上げ始めた頃、ようやく床にたどり着く。ヘッドライトが床を照らした瞬間、ノノウは思わず悲鳴をあげた。はしごの周りにたくさんの死体が転がっていたのである。先ほどと違って黒焦げではない。どの死体も恐怖の表情を貼り付けたまま息絶えていた。
「塩素ガスですな…。」
隊員の腰についている警報装置がけたたましく鳴っている。防毒マスクが思わぬところで役に立った。浸水や魚雷攻撃で蓄電池などが損傷すると、猛毒の塩素ガスが発生する事がある。兵士達は塩素ガスから逃れてなんとかここまでたどり着くも、力尽きたのだろう。先ほどの甲板とは違い熱の影響は受けておらず、構造物はほとんどそのままの状態で残っていた。タービン室や空調機械室、補助動力室…文字は読めないがそれだと分かるものがいくつもある。中でも戦闘機の部品倉庫は大発見だった。敵戦闘機の全貌を明らかに出来るだけの材料が揃っていたのである。しかし、肝心の潜水艦が空けた穴がどこにもなかった。
(おかしい…確かにこの高さにあったはずなのに…。)
首をかしげるノノウの後ろで、隊員がまた地下扉を見つけた。船底に通じているのだろう。先ほどとは違い、今度は簡単に開いた。はしごを降りる時になる音がやけに甲高く響く。
「水密区画ですね。」
損傷が生じても隔壁によって被害を最小限に止め、艦の浮力を保つ役割を担うのが水密区画である。二人はいくつもの隔壁ドアを開けて右舷を目指した。しばらく行くと、足首まで水に浸かった。どうやらこの区画は浸水したらしい。よく見ると、右舷に行くドアが歪んでいた。
「見つけました!これは魚雷の痕です。」
ノノウはまたバールを取り出してこじ開けようとしたが、ドアはびくともしなかった。
「ノノウ殿、ここも私が。」
隊員が慢心の力を込めてバールを引っ張ると、なんとか人が通れるだけの隙間ができた。注意して通り抜けると次の区画は大きく損傷しており、右舷にできた大きな穴からは外が見えていた。
「なるほど…。」
おそらく、上にもこのような区画があるのだろう。ノノウは大艦巨砲時代の戦艦を思い出した。たくさんの水雷防護縦壁で浸水を防ぐことにより、魚雷での沈没を防ぐ。これほどの規模であれば数本の魚雷などものともしないだろう。100年前にはよく見られた構造だったが、今では機動力の重視と費用対効果の悪さから、このような構造を持つ蒼の国の艦は存在しない。もし全ての敵艦がこのような構造を持っているのなら、敵の資源・資金力・生産力は相当なものである。確かにこの戦いで蒼の国は完勝した。しかし、敵はこの損害を補うだけの生産力を持っているのではないか。最南島の燃料、弾薬、食料は戦いの連続で激減しており、このまま何度も敵が押し寄せてくれば資源の枯渇で戦線が崩壊するのは間違いない。これを防ぐには早急な戦時体制の政権を樹立し、速やかに最南島に物資を供給する他なかった。次期政権が戦時下の生産体制を構築し、輸送を行うには相当な権力と財力を有していなければならない。今の中央政界でこの二つを持っている人物は望宮しかいなかった。幸いなことに、事実上の直宮派のトップになったテアはそのことを分かっている。そしておそらく、望宮もそれは分かっているはずなのだ。分かっていながらなぜ動かないのか、一体何を待っているのか…。ノノウは望宮にとって邪魔になる人間を思い浮かべた。すると、ノノウの頭の中に一つのシナリオが浮かんだ。
(まさか…。)
予想通りであれば、数日以内に王都で政変が起こる。そして望宮は蒼候選挙が始まるまでには決着をつけるはずだ。ノノウはブンブンと首をふった。自分の考えすぎだ、慎重な望宮様がそんな大胆なことをするはずがないー。必死にそう思おうとした。
直宮派が復権した翌日、宮廷では統宮の蒼候位の取り消しと、賢宮死後30日となる3日後に蒼候選挙が行われる法案が可決された。民間議会である庶民院とは違い、影で王族の実力者が操る宮廷は動きがはやい。
(まさか自分がこのような立場になるとは…)
このような強権を使うことをテアは普段からあまり良く思っていなかった。しかし今は王国の存亡がかかっている。戦時体制を構築してメルを助けるため、テアは相当な覚悟を持って臨んでいた。
「各鎮守府への通達が完了しました。通達した全ての鎮守府が、速やかに物資を送るとのことです。」
スボンギを始め直宮派の幹部たちは、テアの指示で物資集めに奔走していた。かつて賢宮が一大勢力を形成していただけあって、今でもかなりの数の鎮守府が直宮派に属している。最南島に送る物資の用紙を見てテアは驚いた。思っていたよりも、はるかに多い物資が記載されていたのである。これはノノウも予想できなかっただろう。二人が驚く様子を想像して、テアは微笑んだ。これで当分の間は凌げるはずだ。ただ、戦争が長期化するのであれば生産体制の確立は必須であった。
「ご苦労様でした。紅茶でも飲んでいきますか?」
そう言って紅茶の葉を取りにいこうとした時、緊急事態を告げるサイレンが王宮に鳴り響いた。警護の兵士が慌てて駆け込んでくる。
「ご無事でございますか!?」
「無事よ。一体何があったの?」
兵士の顔は青ざめていた。息絶え絶えの彼の口から発せられた言葉は、驚くべきものだった。
「て、帝王陛下と皇后陛下が拉致されました!」
「そ、そんな…!」
王国を揺るがす大事件が始まろうとしていた。
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