序章(南の空へ)

卒業の日の空は青く澄み渡っていたのに、今日は強い雨が降っていた。王族の指揮官養成の最高機関『王将学校』を史上初めて最短の3年で卒業した姫は、どしゃぶりの雨の中、車に乗せられて宮殿に向かっていた。延々と並ぶ大通りの街灯が彼女の暗い表情をぼんやりと映し出す。

王将学校を卒業した王族達が進む道は大きく分けて3つあった。

一つ目は、王都直属の艦隊や軍の司令官になること。王族の中で最もエリートコースであり、いきなりなることは出来ない。この役職に就くには、島の司令官を経験する必要があった。

その島の司令官のことを、この国では『鎮守宮(ちんじゅのみや)』と呼ぶ。この『鎮守宮』になるのが二つ目の道だ。この『蒼の国』は大小100個以上の島が点在している島嶼国(とうしょこく)であり、一つ一つの島に軍が置かれ、島長を頂点とする民政が行われ、人々が暮らしている。その軍の頂点に立つのが鎮守宮であった。

最後の一つはその鎮守宮の下に入って指揮をとる人になること。特定の能力に秀でた者が鎮守宮の下に入って辣腕をふるう。ただしこれは宮家の中でも位の高くない家柄の者や、姫宮がなることが多かった。既に民間では男女平等の世の中が実現して70年以上が経過しているのに、王族内では未だに古風な男尊女卑の空気が色濃く残っている。王族の姫は宮家同士の繋がりの駒になることが多い。貴族層が消滅してから100年以上が経つというのに、王族だけはいまだに特殊な世界を持っていた。

姫は、3つ目の役職になろうと思っていた。彼女の生まれはこの国でも有数の資金力と権力を有する望宮家(のぞむのみやけ)の姫だったが、彼女には尊敬する兄宮がいるのだ。卒業したら兄の下につくという約束は既に3年前にしていたし、姫もまた兄の下で働きたいと思っていた。それに加えて、彼女は王族きってのエースパイロットなのだ。

「守宮(もりのみや)様、到着致しました。」

「御苦労。」

『守宮』とその姫は呼ばれている。この名高い望宮家の第三王女は、自分が何故急に宮殿に呼び出されたのかを知っている。彼女は既にこの理由で二回宮殿に呼び出されているのだ。


王将学校は、王族の文官、つまり政治家を養成する『王官学校』と並んで王族最高峰の教育機関である。年間数人しか入学出来ず、卒業するのも3、4人だ。しかし昨年度中に数人の鎮守宮が急逝し、定年になる王族も合わせると鎮守宮の数が足りなくなってしまっていた。

「メル様、お待ちしておりました。」

宮殿に入るとアブエロがメルを待っていた。「メル」は守宮の本名であるが、自分の名前を通称の「守宮」ではなく「メル」と呼ぶのは、親兄弟を除いてはアブエロと親友のテアだけである。アブエロはメルの母方の祖父であり、同時に傅役(もりやく)でもあった。メルは生まれて間もなく母を亡くしたため、アブエロに育てられたのである。

「じい、早かったな。蒼候(そうこう)殿下は?」

「間もなく、会議を終えてこちらに来られるかと。」

「そうか。では先に蒼の間で待とう。」

蒼の間は『蒼候』の応接間である。鎮守宮達が一堂に会することも多く、部屋はかなりの広さがあった。メルとアブエロはこの非常に広い応接間の中で二人でポツンと待っていた。

「やはり鎮守宮になれそうな人は見つからないか。」

「今年定年の鎮守宮様方は、みな静かな余生を送りたいようですな…。」

「そうか…。」

沈黙が流れた。兄・護宮(まもるのみや)との約束は守りたい。しかし、それ以上に『蒼候』の命令が重いものである事をメルは知っている。

蒼候はこの国の王族の事実上の最高権力者の地位にある者の名前である。この宮廷にいる全ての文官の頂点に立ち、形式上の軍のトップである連合候(れんごうこう)も歴代蒼候の傀儡でしかなかった。

「護宮様も『構わぬ』と仰っていたではありませんか。」

「しかし…。」

ガチャリ。話を遮るように向かいの扉が開いた。ヨボヨボの老人が杖をついて入ってくる。アブエロとの年齢差は1歳だけだが、アブエロの方がよっぽど矍鑠(かくしゃく)としている。彼がアブエロに勝っている部分があるとするなら、それはフサフサの頭だけだった。

「お待ちしておりました。蒼候殿下。」

「すまんすまん。会議が長引きおってのう。」

通称・賢宮(かしこのみや)と呼ばれるこの蒼候は、現帝王の叔父にあたる人物である。温厚な平和主義者として、現帝王が即位して間もなく蒼候に就任し、以後ずっとその地位に君臨している。穏健とはいえ彼の一言によって気に食わない内閣が倒壊したこともあったし、司法が膝を屈して彼の思う通りの判決を出すこともあった。この国では蒼候の力は強いのだ。しかし、その強さによってこの国の平和が保たれていることもまた事実である。

「どうだ、最南鎮守宮(さいなんちんじゅのみや)の件、受ける気になってくれたか?」

「…。」

最南鎮守宮。それはこの国で一番南の島、『最南島(さいなんとう)』の鎮守宮になることを意味していた。

「やはり、気が乗らないか…」

「はい。」

気まずい空気が流れた。賢宮は軽くため息をついた。

「ならば、護宮に最南鎮守宮に戻ってもらうしかない。手続きを進めることにしよう。」

「それはなりません!」

メルは賢宮を睨みつけた。睨みつけるといっても、その表情は哀願しているに近かったが。

「ならば…受け入れてくれるか?」

「…。」

メルは悔しさで手を握りしめた。


メルが最南鎮守宮の任官を承認したのには訳がある。彼女の兄、護宮ラディは第六艦隊の司令官、つまり王族きってのエリート武官なのだ。そのラディを最南鎮守宮にするというのは事実上の降格人事である。この約束は、兄の昇進を邪魔してまで守るものではないのだ。メルはそう自分の胸に言い聞かせた。


「…そうか、それは仕方ないな。」

「申し訳ありません。」

「気にすることはない。確かにお前が来れないのは残念だが、気遣ってくれる妹を持って、兄としては嬉しい限りだよ。」

「兄上…」

「短期間での『建軍』は困難を極めるだろう。困ったらすぐに連絡してくれ。出来るだけの事はするから。」

メルは返す言葉を失った。3年前にどうしようもない状況に追い込まれて兄を頼り、今また何も出来ずお世話になっている。そんな自分が情けなかった。しかし、今は下を向いている暇はない。最南鎮守宮に就任するまでの僅かな時間に『建軍』を済ませなければならないのだ。


『建軍』。それは初めて鎮守宮となるものが直面する大きな壁であった。王将学校を卒業した者は大抵知名度が高く、多くの繋がりを持っている。それらを活用して兵を募り、自分の軍を作り上げる、それが建軍である。大抵半年程かかるこの作業を、メルは引き継ぎの関係上僅か2週間で仕上げなければならなかった。

「建軍試験の用意は出来ているか?」

「はい。既に用意は進めていましたので。」

アブエロは用意周到な男だ。色々な可能性を考えて、常に先を用意しておく。それに加えて、年下の者の意見も有意義だと感じれば聞くだけに留まらず、教えを請うこともあった。メルの祖父にして、彼女が最も信頼する重臣であった。

試験は一週間後に開催される運びとなった。早速ネット上や兵学校、マスコミに試験の通知を行う。メルもアブエロも赴任するまでにまともな『軍』を組織出来るとはハナから思っていなかった。二人が心配した点は『この短期間で果たして人が集まるか』であった。フリゲート艦3艦と乗員だけ先任から貰い受ける事になっているが、メルは更にイージス艦2、駆逐艦1、潜水艦2、補給艦1の合計6艦の乗組員合計1400名を募集したいと言った。出来るだけ早く最低限の艦隊を作りたかったのである。メルは最短で学校を卒業したため『周りとの繋がり』という点では弱い。一般枠はともかくとして、戦いに専門的な兵学校出身者の定員を満たすのはかなり厳しい。そこで、メルは在学中の者も受験可能とする事にした。

「後はメル様の知名度に賭けるしかありませんな。」

メルの知名度はかなり高い。定期的に開催される軍主催の航空ショー『王族航空ショー』では、『空神』の異名を持つもう一人のエースパイロットである空宮(そらのみや)と共に空軍の二枚看板になっている。加えて親友に煌宮(テア)という王族のアイドルを持っているため、メディア露出はかなり多かった。そんなテアとグッズ収益のトップを争うほど、彼女は人気がある。そんな彼女の『建軍』のニュースは瞬く間に全国に広がった。

メルはラディの軍に速やかに加わるため、彼から退役した空母「紫雲(しうん)」を貰い受けるとこれを改装して、王将学校時代の指揮実習の時にその指揮の優秀さに惚れて集まってきた者たちに艦の運用を学ばせ、自らが艦の指揮をとって行動出来るように仕上げた。彼らがメルの唯一の正規軍である。今回の建軍試験ではこの「紫雲」を守る巡洋艦、駆逐艦、そして潜水艦の乗組員を募る事にした。

兵学校出身者の筆記試験は自分で考える、とメルは決めていた。兵たるもの、自分が思う最低限の知識は持っておいて欲しい。そう思って作っていたが、最後の方は100点を取られないようにとついつい難問を並べてしまった。

「最後が難しすぎるからな、合格ラインはかなり低くなるぞ。」

「こんな所にも性格が出るものですな。」

アブエロにも苦笑されてしまった。メルは根っからの負けず嫌いである。その負けず嫌いが彼女をここまでの人物に仕上げたと言えるかもしれない。


建軍試験は予定通り、順調に行われた。メルはその間ラディから軍の一部を貰い受けたり、先任の最南鎮守宮と引き継ぎを協議したりと忙殺されていたので、残念ながら試験を見る事は出来なかった。アブエロならうまくやってくれるだろう。主だった者と話すのは鎮守宮になってからでも遅くはない。メルはそう思うことにした。

試験は筆記中心の兵学校試験と実技中心の一般試験に分かれている。兵学校出身者は舵取りやレーダー管制、武器管制員や航空管制員といった専門的な役割を担う。一般試験は誰でも受けることが出来るが、一芸に秀でている必要があった。例えば、料理が上手い者は調理員に、栄養管理士は食料管理を担当し、視力に秀でた人は小型船舶などの見張り、艦が炎上した際に消火作業を行うための消防士など募集枠はかなり細分化されている。

試験は実施2日前に応募を締め切ったのだが、驚いた事に志願者は2500名近くに上った。総人口30億といえど、僅か5日でこれほどの人数が集まるとはメルもアブエロも思ってはいなかった。

結局受験者は2300名ほどとなった。1.1倍を切る試験もあったが、どの役職も受験者が定員を割らなかった事に、試験総監督になったアブエロはホッとした。中でも激戦だったのは各艦の上官枠である。蒼の国は最近高齢化が進んでいて、年金の未払いは珍しい話ではなくなっていた。この国の一般的な軍人の定年は65であるが、兵学校から徴募するしかない新任の鎮守宮に限って65歳以上の上官の任官が認められた。自然、新しい働き口を求めた老兵達がこの上官枠に殺到したのである。


メルが軍艦の発注作業を終えて望宮邸(自宅)に戻って来たのは日を跨ごうとしているころだった。夕食を食べながらアブエロの報告を聞きつつ、気になっていた筆記試験の点数欄に目を通す。

「…最後に最も激戦となった上官枠ですが、出来るだけ統率に秀でた者を採用しました。」

「分かった。アブエロの眼を信じよう。」

次の瞬間、スプーンを動かしていたメルの手がピタリと止まった。

「満点がいる!」

他に8割を満たした者がいない中で、この『100%』の数字は異様に目立った。しかも、驚いた事に年齢が守宮よりも1つ下の女子で、未だ兵学校に在学中の者である。挙げ句の果てに、その兵学校はお世辞にも『名門』とは言えない平凡な学校ではないか。しかし、もっと驚いたのはその人物が試験に落ちている事であった。

「何故落ちた!?」

「その者は、残念ながら実技試験が最低点を下回りました。」

「なんだと…。」

これ程の逸材を実技試験の結果だけで、みすみす逃すのか?メルは思わず口走っていた。

「後で王族命令書を書くから、この者を合格発表日に私の部屋に召し出せ。」

「ハッ?」

アブエロが驚くのも無理はなかった。この王族の強権である『王族命令書』を守宮が発動するのは、これが初めてなのである。

「何か…運命的なものを感じるのだ。」

最初に芽生えた感情は『悔しさ』だった。テストの終盤の問題はかなり難しかったはずだし、特に最後の問題はメルが自分の教養の高さを見せつけるために作った難問だった。3桁の数字はまるでメルの傲慢さを嘲笑しているかのように感じられた。しかし、それを上回る衝動的な感情が、彼女に王族命令書を書かせたのである。


最南島へ出発するの日、王都の空は晴れわたっていた。現地も晴天で、まるで守宮様の門出を祝うようだと各局のニュースで報じられている。王族きってのエースパイロットとだけあって、その姿を一目見ようと王都最大の飛行場・イルストル空軍基地には沢山の人が集まった。

彼女の人気の高さは宮殿の中でも殊更で、特別に王宮主催の記念式典が行われる事になっていた。王国の帝王・成帝(せいてい)の名代として花束を渡しに来たのは、成帝の第二皇子の妃にあたる煌宮(テア)だった。彼女はメルの親友であり切っても切れない深い関係にあるのだが、その話をするのはまだ先の事になる。

花束を渡した後、テアは慣例の握手ではなく抱擁を求めた。求めに応じてテアを抱きしめたメルの耳元で、テアは写真を撮り続けるマスコミに配慮して顔に笑顔を貼り付けたまま囁いた。

(行けなかったね、卒業旅行…。)

この2週間の間、メルは建軍の仕事に忙殺されて、旅行の計画どころか会うことすら出来なかった。お互いずっと楽しみにしていたのに。建軍の仕事に追われながら、メルはいつも心のどこかでこの事を気にしていた。

(向こうに着いたらまた電話する…)

(いいの。謝って欲しいなんて思ってないから。)

グイッと突き放すようにメルから離れる。

「健やかに、任務を全うされよ。」

「はい。」

『身を粉にして』、『懸命に』、『尽力して』…様々な形式的な単語の中から『健やかに』を選んでくれたテアに、メルは心の底から感謝していた。


紫雲がゆっくりと港を離れる。メルは艦のメンバーで手の空いている者を全員右舷に並ばせ、敬礼させた。『登舷礼(とうげんれい)』と呼ばれるこの儀式は、見送りに来た人々への謝礼であり、古代からの習わしである。メルは敬礼の態勢のまま、段々と小さくなっていく群衆の中にいるテアの姿を探した。

(テア…)

ざわめくメルの心を表すかのように、大きな波が紫雲に当たって、飛沫が一層蒼く煌めいた。

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