第9話 1日目...9
「なんだあのサイコ女は!」
部屋に入るなり亮司がベッドに拳を打ち付けた。衝撃で部屋全体がわずかに震える。
燃え滾る亮司の頭にナビゲーターが油を注ぐ。『バァァァァァァァァッカじゃないですか???? あのまま隠れてればよかったんですよ』
「それだって可能性の話だろ……気まぐれに撃たれてたらそこで終わってたじゃねえか。くそ、隙があるように見えたんだ……あの女、罠を張ってやがった」
あの反応の速さと的確さ、どうにも怪しいと感じ、わざと背中を向けて無防備を装ったのだ。
『で、まんまと引っかかったと。マジで命があったのはラッキーですよ。ミスターがたまたま変態に好かれる顔をしていたおかげです。二回目はありません。絶対。断言できます』
それについては自分自身が一番よく分かっている。自分の無能、無謀、無力さに体中が締め付けられるような思いだった。歯噛みをして額を壁に強く押し付ける。
『さっさと切り替えてくださいよ。得意なんでしょ?』
「分かってる、くそ」
亮司は上半身から意図的に力をぬいて軽く飛びながら肩をほぐす。走る前のいつものストレッチ。自分が飲み捨てた空のペットボトルが目についた。喉がからからだったことを思い出す。
すぐに飛び出て左奥以外の部屋のドアを片っ端から開けた。チームメイトたちの残した支給品をかき集める。意外にも水も食料も十分な量が残っており、明日の昼くらいまでなら空腹や渇きとは無縁でいられそうだった。
「結構あるな。こっちとしちゃ助かるが」亮司はペットボトルに口をつけて中身を一気に飲み干した。
『命のかかった勝負の直前なわけですし、普通は貴方みたいに完食できないんですよ』
「誉め言葉として受け取っておく」
自分の部屋に戻ろうとしたところで階段を上ってきたニコルと出くわす。上機嫌な顔には手で拭ったような赤い一筋がある。亮司は言葉をぐっと飲みこみ、持っていた携帯食料品の半分を投げて渡した。
亮司は言った。「あんたの分だ」
ニコルはゴーグルを上げてほほ笑んだ。「そうじゃないかと思ってたんだけど、リョージくんは優しいねー」
「違う。俺とあんたは……ほとんど脅迫だったが、曲がりなりにもいまはチームを組んでる。だから対等じゃなきゃならない」
「なんか変なこだわり持ってるんだね。私と同じだ」
ニコルがアイスブルーの瞳が入ったプラスチックケースを見せびらかすように振った。亮司は目を伏せて強く首を振る。
「絶対に違う。俺は人間の一部を切り取って悦に浸るような吐き気をもよおす趣味はしてない」
まるで聞き分けのない子供をあやすようにニコルが苦笑する。どうして自分がそんな目を向けられなければならないのか──むかっ腹が立つ。
「そう? 抑えが効かない。それをやらなければ居ても立ってもいられない。そういうのを我慢できないって意味では一緒だと思うなあ」
「違う」
ニコルが両手を後ろで組んで亮司のまわりを一周する。
「ねえ、リョージくんはなんでこのゲームに参加したの? 私はねー、殺人罪で捕まったんだけど、このゲームで勝てば賞金の代わりに刑期を短縮してくれるって言われて参加したんだ。はい、私の事情は言ったから次はリョージくんの番ね。チームメイトは対等であるべきなんでしょ?」
「知るか。自分から勝手に話しといて何言ってんだこのキチガイ」
ニコルがこちらに銃口を向ける。とっさのことで亮司はうろたえるしかできなかった。
「えー、聞きたいなあ。ちなみに今の話とはまったく関係ないんだけど、チームメンバー同士の攻撃はある程度軽減されても、それでもまったく減らないわけじゃないの、知ってた?」
後のないこの状況で頭のネジが飛んだ相手に対して強気に出るのは危険すぎる──今日だけの我慢。亮司は頭皮の欠片が飛ぶほど乱暴に頭を掻きむしった。
******
「店長、鍵です」
深夜2時を回った頃。ようやく嬢の送迎を終えた亮司が店奥の個室のドアを開けると、中で直立していた店長が背筋をびくりと震わせた。
「馬鹿野郎! ノックをしろ!」
「すいません」
頭を下げて車の鍵を壁のキーフックにかける。珍しいことに、部屋にはもうひとりいた。
目鼻立ちの通った中年男。姿勢がよく、こんな時間だというのに着ているスーツには糊が効いている。店長の慌てている理由──皺だらけのベストを身に着け、艶の抜けきったみすぼらしい金髪の店長と見比べれば、男の役者の違いは明らかだった。冷や汗を流す店長と、椅子に座って足を組んでいるスーツの男。彼らの佇まいはそのまま二人の力関係を現している。
「うちで雇うには随分若いんじゃないか?」
スーツの男が言った。亮司はなにかまずいことになる前にさっさと消えようとしたが、ノブに手をかける前に呼び止められる。
「きみ、年齢は?」
「19です」
亮司が答えると、スーツの男はそうかと頷いた。
「どうしてここで働こうと思ったんだ?」
「オーナー、こいつは、その──」
「黙っていろ」
質問を遮ろうとする店長を一蹴してスーツの男──店のオーナーが椅子から立ち上がった。思っていたより上背がある。182cmの亮司とほとんど同じ位置に目線があった。
「昼にアルバイトをするより給料がいいので」
オーナーは有無を言わせない迫力を発している。平常の状態ならびくついて後ずさっていたかもしれないが、亮司はいま、半ば自棄になっていた。
「つまり、金が必要だということかな?」オーナーが言った。
「はい」
「どうして? そんな面構えになるまで働いているんだ、のっぴきならない事情に違いない」最初に目にしたときは仁王像かと思ったよとオーナーが笑った。
「説明しなければいけないんですか?」
「すいません! こいつ、疲れてるんです!」
声を張り上げる店長にオーナーが一瞥をくれる。それだけで普段は居丈高が服を着たような男が空気の抜けた風船のようにみるみるしぼんでいった。少しだけ二人にしてくれとのオーナーの要請に従い、肩を縮こまらせて部屋を出ていく。ここまでくれば、さすがの亮司もこのオーナーを名乗る人物が堅気ではないことが分かった。
「私が個人的に聞きたい。もしかすると耳寄りな話ができるかもしれない」
その言葉を信じたわけではなかったが、亮司は学生の身分でありながら昼夜を問わずアルバイトに明け暮れる理由を説明した。「父親が脳溢血で倒れたんです。それの治療費と入院費を稼がなければならないのと、父の経営している工場が不渡りを出しそうだとかなんとかで、それの工面のためです」
工場の部分でオーナーが苦笑した。「それは君が支払う謂れがあるのかい? こう言ってはなんだが、君の父親の才覚の問題だろうに」
「そうですね」亮司は頷いた。「でも、父は真面目な人間です。このままじゃあまりにも報われない」
「父親思いなんだな」
亮司は首を横に振った。「そうじゃありません」
「詳しい話を聞きたいな」
オーナーが食いつく。表情には興味本位や野次馬根性だけではない何かがあった。
「俺の知ってる父は、朝から晩までいつも働いていて、アルコールが入ったときにすら愚痴を言うことはありませんでした。母はそれとは正反対にいつも暮らしぶりに対して不満を垂れてばかりで、そのくせ自分からは何も前向きなことをしようとせず、結局は工場の従業員のひとりにそそのかされて金を持ち逃げしました」
「不倫か」
「多分、そうだと思います。父はそれに対しても一言もありませんでした。そんな父にも、いや、だからこそ問題はあったんでしょうけど……だからって馬鹿を見て当然だとは思わない」
その後、父は前以上に仕事にのめりこむようになったが、無くなった金を取り返すには至らなかった。取引先が離れ、従業員が離れ、無理が祟ってついには病院のベッドの上だ。このまま父が失意のうちに死んでしまうのは、体が震えるほど我慢がならない。この沸きあがる怒りをどうしても受け流すことができない。
「気に食わないんだな? 自分の目にした現実が。分かる──とは言わないでおこう。正直者が報われるべきだという考えに毒されすぎているように思えるが、私個人としては嫌いじゃない」
オーナーがスーツの内ポケットから封筒を取り出した。
「これはね、とあるゲームへの参加の誓約書だ」
「はあ……ゲームですか」
「気のない顔をしているな? なんとこのゲームには賞金が出る。最低でも一億相当。もしかすると、その2倍、3倍が手に入ってもおかしくない」
自分の耳にした言葉を理解するに時間を要し、亮司はややあってぐらついた。
「ただし、負ければ死ぬ。これは比喩ではなく、そのままの意味だ。参加希望者を集めろと言われたんだが、その条件のせいでなかなか見つからなくて困っていたんだよ。どうする? 急で悪いがこの場で返答が欲しい、期限が近くてね。少しでも迷いがあるようなら──」
「やります」
オーナーが薄く笑って正気の度合いを測るように亮司の双眸を覗き込んだ。「言うまでもないだろうが、後からやっぱり止めます、なんてことはできない」
「やります」
「そうか」
これ以上は失礼にあたるな、とオーナーが封筒の中身を店長の執務用デスクの上に広げた。上から下までびっしりと書かれた文字を、疲労で朦朧とする頭でなんとか読み終える。〝日本円にして30億の賞金を勝利者で山分けとする〟。〝賞金は、それと価値を同じくする別のもので受け取ることもできる〟。確かに、オーナーが言ったとおりのことが書かれている。
一番下には参加者用の署名欄。オーナーが蓋の開いた朱肉を滑らせる。亮司は自分の名前を記入し、その末尾に拇印を押した。
オーナーが誓約書をつまみ上げる。「成立だ。さっそくで悪いが、今から出発してもらう」
「いま、すぐですか?」亮司は自分の格好を見下ろした。ブラウスにネクタイと、その上に着用した黒いベスト。すべて店の借りものだ。
「言ってもらえれば動きやすい服を用意しよう。これは必要な措置なんだ。なにせ人死にが出るゲームであるわけだからな。秘密は絶対に漏らすわけにはいかない。君は遺言も、遺書も残せない。今更後悔しても遅いぞ」
足元から悪寒がせりあがってくる。もう引き返せないところまで踏み込んだ感覚。亮司は力を振り絞って踏みとどまった。
「勝ちます」
「いい返事だ。帰ってきたらぜひ話を聞かせてくれ」
*******
いきさつを話し終わった頃には戦闘時間が終了し、インターバルに入っていた。VRゴーグルを持ち上げたニコルが藍色の瞳を丸くしながら感想を言った。
「リョージくんってちょっとアレなんだね」
「あんたにだけは言われたくないね」
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