tearー化物になった私ー
真白みかづき
プロローグ その眩しいフードの先に優しさを見る
昔、一斉を風靡した役者がいた。
カメレオン、という名は最早相応しくないほど様々な役に染まり続ける。
誰も、その役者の本性や素の表情は知らなかった。
人々はその役者を「カメレオン」ではなく「ホワイト」と呼んだ。どんな色を混ぜても新しいものを作り上げる姿は、まさにホワイト役者であった。
舞台経験も豊富なのだが、舞台を観劇した人たちは皆口を揃えて顔は覚えていない、という。芝居が素晴らしいのもあるのだが、思い出せないほどに平凡な顔立ちなのだろうか。
そんな平凡顔の天才は、急に姿を消した。
殺されたのか?
誰にも告げずに高飛びしたのか?
様々な憶測が飛び交う。
その中で一人だけ、事情を全て把握しているかのような雰囲気を醸し出しながら、ワイドショーでこう言い放ったのだ。
「あいつは、人を何人も殺したんだ。」
もちろん、その人物はSNS上でひどい目に遭い、最終的には殺された。いい気味だと誰もが笑い、犯人の捜索すらされなかったという。ただ、ホワイトのファン誰もが口を揃えて「私達が殺した」とネット上で呟く奇妙な事件が発生したことは記憶に新しい。
…………そんな薄気味悪いニュースを未だに蒸し返しているマスメディアとは、いったい何と形容すべきなのだろうか。「独自に検証します」という文言は既に聞き飽きた。ナイフで一突きではなかったその死体をCG画像で作り出して、いったい何が楽しいのだろうか。私には、到底理解できない思考回路なのであろう。
ホワイトについて人を何人も殺したと言い放ったジャーナリストが話題となっていた時期、私のそばには必ず血の繋がらない少年がいた。
翔ちゃん、おいしい?
翔ちゃん、次はどこに行きたい?
翔ちゃん、食べたいものはある?
翔ちゃん、やりたい事はある?
翔ちゃん、外の世界は楽しい?
私の目を、優しさで射抜く少年はいつだって微笑んでいた。遠くからは不審者に見えてしまうような全身真っ黒な服装に深く被った帽子。テーマパークに足を運ぶと、必ずと言っていいほど複数の通報が寄せられたと警察に囲まれた。
「ごめんね、翔ちゃん」謝るその表情はいつも少しだけ沈んでいた。
お兄ちゃん、通報される事に疲れたなら、翔子の家にいたらいいよ。無理に翔子の事、外に連れ出さなくて、いい。もう翔子、外の世界沢山知ったからいいの。
翔ちゃん……俺は大丈夫だから、そんなに心配しないで。翔ちゃんのやりたい事を言ったらいいんだよ。
翔子、お兄ちゃんがくれた本、家で読みたい。テレビ、もっと見たい。だから、家にいようよ。
小さく微笑んだ彼の表情は、今までのどの笑顔よりも輝いていて、初めて心の底から笑っているのだろうなと子供ながらに思った。
この言葉を境に
ぴんぽーん。
がちゃ。
おはよう、翔ちゃん。
おはよう、お兄ちゃん。
こんな会話を繰り返して各々がやりたい事を部屋の中でやる、そんな日々へシフトした。
こんな記憶に、書き換える事に専念していたのはいつからだろう。
「あの人」と出会ってからの日々は、そんな優しい記憶などではなかった。
小児病棟の待合室に必ずいる、黒いフードを顔を全て覆い隠すように深くかぶった若い男性。覗き込まなければ、彼の顔は全く見えない。しかし顔を見られることをひどく怖がっているようにも見えた。誰も彼に話しかけない。その不気味さに、誰もが戸惑い、恐れているようだった。または、話しかけたら呪われるなんて都市伝説のような噂が流れていたのかもしれない。
「あの……。」
勇気を出して話しかけた私に対する返事はない。
「あの……!」
自分が出せる精一杯の大声を出す。その瞬間、彼の肩がびくっと震えた。しかし目を見ようとはしてくれない。声を出そうともしてくれない。
「話しかけたら普通答えるものなんじゃ……?」
声は出さないし、顔も見せないが、ただおどおどしている様子は目に見えている。私が話しかけたせいなのだろうか。
「あの~!」
顔が見えないほどにうつむいていたその人は、少しだけ、きっと今頭に浮かべたよりももっと少しだけ顔を上げた。相も変わらず黙ったままではあるが。
「私、小児病棟にいるの。お兄さんはなんでここにいつもいるの?」
沈黙。
「みんな、お兄さんのこと不安そうに見てるんだ。でも、きっと話しかけたいんだよ、みんな。だからいまお話してるの。」
私には、彼が不安そう、の一言にひどく落ち込んだように見えた。ただ、同時に違うと感じているようだ。あれは不安だから見ているんじゃない、怖がっているのだと。
「さっきまで、何見てたの?」
息をはっと吸う声が漏れた。私が話しかける前、彼は何枚も白い紙が重なった、資料のようなものを真剣に見ていた。目の良さを利用して、その資料をちらっと見てしまっていたことは内緒だ。ただ難しい漢字が並んでいて解読不能ではあったが。
「お兄さんは、正義の味方なの?」
一瞬の沈黙のあと、思いっきり首をぶんぶん振る。そのせいでフードが取れてしまった。恥ずかしさからなのか、すぐにフードを被り直し、またさっきのポーズに戻った。
「じゃあ、悪役なの?」
首すら振らなくなった。この時点で、私は少し怖くなってしまった。しかし、沈黙を破ってやっと話し始めたのである。
「……悪役だったら、僕はどうなるの?」
驚きの答えだった。そのせいで笑ってしまったではないか。
私の笑い声だけが響く。病院内では静かに!と普通怒られるところなのだろうが、この男のせいで誰も私に注意しようとはしない。なんてありがたい存在なのだろうと思ったのは、この男には内緒だ。
「どうもこうもないよ。何もするつもりはない。ただ、」
「……ただ?」
「悪役だと答えられると、距離を置きたくなるものでね。」
彼は少しびくっとした。が、また落ち込んだ姿勢に戻った。
「なぜその姿に戻る。」
「……え、い、いやこれが一番落ち着くし……。」
「しかし私の答えのあとでその姿に戻られると、悪役であることを認めているように私の目にはうつるのだが。」
「……へっ!そんなものなの?」
「そういうものだろうよ。普通はね。」
「……普通は?」
「ああ、普通は、だ。しかしだな、」
「?」
「私にとってはむしろ滑稽で興味深い事象だから、今回だけは許そう。」
それに、私もこの男に慣れてきた。
子供らしくない喋り方だと注意されそうだが、私にとってはこの喋り方が一番楽だ。人との付き合いに慣れると、必然と楽なこの喋り方になってしまう。どこで覚えたのかって?たまたまつけたテレビでやっていたドラマで、だよ。一言も今まで喋ろうとしなかった私がしゃべり方を覚えたきっかけとなったドラマだ。……はて、タイトルは何であろうか。
「……興味深い事象、か。誰かの興味になれるのは、少しだけ嬉しいよ。」
「きっと、今外でひそひそと話している輩たちの興味の的でもあると思うのだが。」
「……その興味と、君が言う興味は、違うよ。……僕にとっては、君の興味の方が嬉しい。」
面白い事をいうやつだと思った。今までこんなにも惹かれる人物に出会った事はない。いや、まあ人物に出会ったことすらこの病院に来るまでなかったのだが。人間とは、これほどまでに面白いものなのだろうか。
「……君は、どうしてここにいるの?……何か、重い病気、なの?」
「……喋り方について聞かずに、そこに触れるとは、やっぱり面白いな君は。最高だ。……いいだろう、話してあげよう。少し長くなるのだが、君なら聞いてくれそうだから安心して話そう。」
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