恋愛っていうのは……男の人と女の人が、抱き合ってキスすることでしょ?
青葉ナオ
第1話
恋愛ってなんだろう? 恋人ってなんだろう? 人を愛するってなんだろう?
さっきからわたしは、ずっとそんなことを考えている。そのきっかけは、今から数時間前のことだった。
「ごちそうさまでした!」
わたしは両手を合わせて挨拶をする。
「こらっ、
向かいの席に座っているお母さんが、わたしを注意した。
「でも、もうお腹いっぱいなんだも~ん!」
本当はもう少し食べられる。もしも大好物のイチゴのショートケーキが出てきたら、きっと五ピースくらい食べちゃうと思う。でもピーマンは食べたくない。わたしはピーマンが大嫌いだ。あんなものを好きな人がいるってことが信じられない。噛みしめれば噛みしめるほど苦い味が湧き出してきて、顔が勝手にギュ~~ってなる。だからわたしは、今日の献立であるピーマンの肉詰めの、お肉の部分だけを食べた。目の前のお皿には、中身がくり抜かれたピーマン達が転がっている。
「ごちそうさまでした!」
もう一度大きな声でごちそうさまの挨拶をすると、わたしは勢いよく立ち上がった。さっさとこのまま、お皿ごとピーマンを台所に持ってってしまおうと思ったのだけど……
「ピーマン食べない子は、テレビつけちゃダメだからね!」
「……」
思わぬお母さんの反撃に、わたしは無言で立ち尽くす。壁にかけられた時計に目を向けると、二つの針は七時四十五分を示していた。もう少しで、わたしが毎週見ている音楽番組が始まってしまう。これを見逃すと週明け、学校で友達の話題についていけなくなってしまう為、大変だ。
「お母さん、ピーマンとテレビは関係無いでしょ!」
「ダ~メ! ピーマン食べ終わるまで、テレビの電源は入れさせませんからね!」
わたしは精一杯抗議してみたけれど、効果は無かったみたいだ。お母さんは、リモコンを手元に引き寄せる。
「そんなぁ……お母さんのケチ!」
そうは言ったものの、あと十五分もしないうちに番組は始まる。このまま、お母さんと言い争いを続けていたら、あっという間に時間は過ぎてしまうだろう。
仕方なく、わたしは覚悟を決めて目の前のピーマンに視線を向けた。ギュッと目をつぶり、鼻をつまみながら、恐る恐る、その緑色の物体を口に運んだ。
ゲー、苦い。
例え鼻をつまんでいても、ピーマンの苦味はそれを飛び越えて襲ってくる。本当は今すぐにでも吐き出したいくらいだ。でも、そんなことしたらテレビが見られない。だからわたしは、ろくに噛まずに、お茶でピーマンを必死に流し込む。
お茶をお代わりすること三回……。
「ご、ごちそうさまでした……」
テレビを見たい一心で頑張ったお陰で、わたしは何とかお皿の上のピーマンを食べきることが出来た。本当に大変だったけれど……。
「よく出来ました。でも次からは、お肉と一緒に食べるのよ? ピーマンだけで食べるより、そっちの方がずっと美味しいんだから」
「そんなことより、お母さん、リモコン!」
わたしはお母さんからリモコンを取り返すと、慌てて電源をつけて、八番のボタンを押す。けれどやっているのは、全然違う番組だった。
あれっ? チャンネル間違えたかな……?
そう思って、何回か八番を押してみたけれど画面は変わらない。
「お母さ~ん、テレビがおかしくなったよ!」
そんなわたしの言葉を聞いて、お母さんは新聞のテレビ番組表をじっと見つめる。
「あら? 今日は、お休みみたいね?」
わたしはがっくりと項垂れた。
「頑張ってピーマン食べたのに……」
あ~あ、こんなことなら急いでピーマン食べなくてもよかったなぁ……。
その後テレビのチャンネルを何度か切り替えてみたけれど、他に面白そうな番組はやってなかった。すっかり不貞腐れたわたしは、トボトボと元気のない足取りで自分の部屋へ向かう。そんな時、お母さんがわたしに声をかけた。
「ねえ香織。この後、九時から去年大ヒットした映画をテレビで放送するみたいよ? お母さんと一緒に見ない?」
そう言って、お母さんはニッコリと微笑んだ。
「本当?」
「ええ。ちょっと時間は遅いけれど、明日はお休みだし、頑張ってピーマン食べたから、今日だけは夜ふかししても許してあげる」
お母さんの言葉にわたしは目を輝かせる。映画の内容はよく知らないけれど、「夜ふかし」という単語にすごく気を引かれた。普段はどんなに遅くても、十時には眠るように言われているからだ。
頑張ってピーマン食べて良かった!
いつの間にか、わたしの足取りはすっかり軽くなっていた。
九時になり、映画が始まる。お風呂に入って、パジャマに着替えたわたしは、床にクッションを敷いてお母さんと隣同士でテレビの前に陣取った。
映画を見ていたら、あっという間に時間が過ぎた。というのも実は、十時を過ぎた辺りで、わたしは少しだけ眠ってしまったのだ。次に目を覚ました時には、主人公とヒロインが抱き合っていた。
「蛍、俺は君を愛している」
「ええ、雄一君。私もよ……」
画面の中の二人はキスをする。そこで映画は終わり、BGMと共に、スタッフロールが流れ始める。
わたしの両隣から拍手が聞こえてきた。
「とっても素晴らしい恋愛映画だったわ……。二人が結ばれてよかった!」
「飛行機で一回見たから、今回見るのは二回目だけど、何回見てもいい映画だね。なんだか君と出会った頃を思い出すよ……」
「ちょっと! 恥ずかしいこと言わないでよ、あなた!」
お母さんと、いつの間にか帰ってきたお父さんが映画の感想を言い合っている。何だかすごく感動している様子だ。
一方のわたしは絶賛混乱中。わたしが見ていたときは、雄一と蛍はただの友達だったはず。どうしていつの間にか、抱き合ってキスまでしているの?
「この二人は恋人になったの?」
頭にはてなマークを浮かべながら、わたしは尋ねる。
「あら香織、起きたのね。そうよ、二人は大恋愛して、いくつもの困難を乗り越えて、ついに結ばれたの!」
お母さんは興奮気味に答えた。
けれどわたしには、よく分からない。何で友達だったはずの二人が、たったの一時間足らずで恋人どうしになったのか。
「香織には、恋愛映画は少し難しかったかな?」
不思議そうな顔をしていたわたしを見て、お父さんはそんなことを言う。
「む、難しくなんてないし……。それくらい、わたしだって分かるもん! 恋愛っていうのは……男の人と女の人が、抱き合ってキスすることでしょ?」
何だかお子様扱いされたような気がして、ちょっぴり意地を張る。わたしは、もう六年生なのだ。小学校では既に最上級学年。もうお子様扱いされる年齢ではない。
もちろん恋愛がどんなものなのかだって、分かっている……はずだ。映画の内容がよく分からなかったのは、途中で寝ちゃったから……と自分に言い聞かせる。けれど、お父さんとお母さんの反応はイマイチだった。
「う~ん……間違っている訳ではないけど、ちょっと違うかなぁ」
「そうね、やっぱり香織には少し難しかったわね……」
二人とも、そろってそんなことを言う。けれど、わたしは全然納得がいかなかった。
「何が違うの? じゃあ、お父さんとお母さんはキスしたり、抱き合ったりしたこと無いの? 恋愛したから結婚したんでしょ?」
そんなわたしの言葉に、二人は顔を真っ赤にさせる。
「か、香織、もう夜遅いし寝ようか!」
「そ、そうね! もう十一時過ぎよ!」
「ちょっと! お父さんもお母さんも、ごまかさないでよ!」
そんな訴えも虚しく、わたしは半ば強制的に自分の部屋へと連れられてしまった。
「もう! 二人とも肝心なことは何も教えてくれないんだから……」
結局、恋愛が何なのか教えてもらうことは出来なかった。
わたしの考えの何が間違ってるの? だって映画でも二人は抱き合って、キスしてたでしょ?
心の中でブーブーと文句を言いながら、わたしはベッドに横になる。けれど恋愛のことについて気になりすぎて、ついさっきまで眠かったはずなのに、なかなか眠れない。
恋愛ってなんだろう? 恋人ってなんだろう? 人を愛するってなんだろう?
頭の中で色々な考えを巡らせてみるけれど、答えは見つからなかった。
「そうだ!」
ふと、一つのアイデアを思いつく。
わたしはベッドから出ると、勉強机のライトをつけた。そして国語辞典を棚から取り出す。
「何か分からないことがあったら、国語辞典を引きなさい」
それはお父さんの口癖だ。とは言っても、普段は引くのが面倒だから、あまり使う機会はないのだけれど……。
今日は珍しく、辞典を引く面倒さよりも、「恋愛」という言葉の意味を知りたいという好奇心が上回った。
二人とも意地悪して教えてくれないなら、自分で調べちゃうもんね!
勢いよく辞典を机に置く。
「えっ~と、ら、り、る、れ……」
使い慣れていないせいで、「恋愛」という単語を探すのに、なかなか時間がかかる。
「あっ、あった!」
三分くらい国語辞典と格闘した後、ようやくわたしは目的の単語を見つけた。
「え~っと、どれどれ?」
わたしは国語辞典の細かい文字を指でなぞる。
恋愛:特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと 『新明解国語辞典』(第七版)
「……全然わからない」
学校の教科書よりも書いてあることがずっと難しい上に、文字が小さすぎて読む気が失せる。けれど、これからもお子様扱いされるのは嫌だったので、わたしは頑張って何度も読み直した。
「う~ん、抱き合ったりキスしたりすることだけが恋愛ではない……のかな?」
繰り返し読んだお陰で、先程までのわたしの考えは、少し間違っていることが分かった気がする。けれどそれ以上のことは、その後、何十回読んでも分からなかった。
「二人だけの世界を分かち合いたい……かぁ……」
わたしには、その考えが理解できなかった。二人よりも三人。三人よりも四人いたほうが楽しいに決まってる。それなのに、二人だけの方が良いっていうのは、どういうことなのか。いくら考えても分からないものは分からなかった。段々、目がシバシバしてくる。
「あ~、何だか細かい文字をずっと読んでいたら眠くなってきちゃった!」
もう時刻は十二時を過ぎていて、普段ならとっくに熟睡している時間だ。こんな夜中に小難しいことをしていたら、眠くなるのは当然だろう。
「もういいや……とりあえず今日は寝よ……」
一応、辞典を開いた記録として、ページの上の方にピンク色の付箋をペタリと貼る。それから大きなあくびを一つして、わたしはお気に入りのペンギンのぬいぐるみを抱きしめながら横になった。
「おやすみなさい、ペンちゃん」
今度は目を閉じたら、すぐに夢の世界へと行くことが出来た。
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