象飼いたい飼うぞ

月 一三五

芸能家族

『"If I were a bird, I would fly to you."この文を誰か日本語訳してみてくれ。』

あぁ。眠たい。週の最終日、最後の授業は英語。これが終われば二日間の終日だ。大半の生徒が居眠り学習をしている中、一番前の席のメガネ君が指名を受け、人差し指でメガネのズレを正し発言する。

『"もしも私が鳥だったら、あなたのもとへと飛んでいくのに。"だと思います。』

その通りだと言って授業を進めるメガネ先生。なんだこの例文は。実用性がまるでないよ。例文の後半部分をシャーペンで塗りつぶし、新たに文を書き加える。


"If I were a bird, everyone would be surprised."


これでよし。そんなくだらないことを考えていたらチャイムが鳴った。


『ここに写ってるの蓮玖の双子のお姉ちゃんだよな。』

清掃中、幼馴染みの栗田陸(くりたりく)は教室隅の掲示板に貼られたポスターを指差して話しかけてきた。たしかにそこに写っているのは俺の双子の姉だ。

『姉妹ユニットならぬ"双子ユニット"だもんなー。歌が上手いだけじゃなくて超絶美女だからなぁ。なあ、今度サイン貰っといてくれよ。』

姉にサインを頼むなんて御免だ。何故なら僕は双子の姉と親しくないからだ。二人とも確かに容姿端麗と評されているだけあって、綺麗だし可愛い。肩の下まで降りた黒髪はさらさらで目はキラキラし、その上鼻も高い。長女の藍蘭(あいら)は礼儀正しいと言われているが、家では干物女もいいところで、常にソファーで寝転んでいる。次女の菊乃(きくの)は人当たりがいいと言われているが、実際は言葉遣いも荒く、口を開けば僕に対して暴言しか吐かないのだ。陸にはまた今度貰っておいてあげるとだけ伝えた。陸の歓喜の叫びと同時に清掃終了のチャイムが鳴り響いた。


帰りの電車、天井に吊るされている広告に目をやると、

"今話題の双子の中学生モデル!

姉の楠秦惟梅(くすはたゆめ)ちゃんと

妹の竹那(たけな)ちゃん!"

と書いてある。驚くことにこの二人も僕の家族で、双子の妹だ。ため息をついてSNSに、"家に帰っても居づらいから、帰りたくないです。"と呟いて、渋々と最寄駅で下車した。


僕が家で居場所がない理由は明白だ。双子の姉二人と、双子の妹それぞれが有名人であるのに対し、僕はただの高校生。楠秦家唯一の凡人なのだ。父親は植物研究者で、母親は芸能事務所を経営している。母親は双子を産みやすい体質らしく、藍蘭と菊乃が生まれた後、双子の出産を期待した。そして生まれたのが単子である僕だったのだ。それ故に母は僕のことが嫌いで、名前だって回文となるように父が適当につけたらしい。


家の前に立ち、憂鬱な心持ちの中玄関の扉を開けた。ただいまと呟きながら靴を脱いでいると、脱衣所から三女の惟梅がバスタオル姿で出てきた。

『うわ。最悪。こっち見ないでよ。気持ち悪い。』

『ご、ごめん....。』

いつも通りの会話なのだが、今日はやけに汚い言葉を使った気がした。なにか怒っているのだろうか。スリッパを履いて、階段を上ったところで脱衣所から声がした。

『お兄ちゃーん、リビングに畳んであるバスタオルがあるから取ってー。』

このおったりとした口調と声はもう一人の妹だ。渋々と方向転換し、リビングに畳んであったバスタオルを手に取って脱衣所の扉を開けた。そこには竹那が全裸で佇んでいた。

『ちょっと...。少しは隠しなよ。ファンはともかく、僕竹ちゃんの彼氏に怒られちゃうよ。』

『お兄ちゃんならいーし。彼氏関係ないでしょ。まー、ありがと。』

脱衣所を出たところで惟梅と鉢合わせてしまった。

『えー。マジでキモいんですけどー。妹の裸見るとかありえないわー。』

いつになく機嫌が悪い気がする。言い訳したところで、僕の言い分など聞いてくれないのはわかっているので、はいはいとだけ応えて自室へ向かう。


自室で僕は明日提出の課題に手をつけた。もちろん僕の成績は人並み。

(あぁ。やっぱヘッドフォンをつけると落ち着くなあ。)

しばらくすると、僕の肩に何かが触れた。ヘッドフォンを外して、振り返るとそこには竹那の姿があった。

『あ。ごめん。今邪魔じゃない?さっきはごめんね。竹が誤解といておくから。気にしないで。』

『大丈夫だよ。ありがとね。竹ちゃん。』

そう言って僕は竹那の頭を撫でた。竹那は我が家で唯一優しい人間だ。こんな何の取り柄もない兄にすら優しくしてくれる。モデルをやっているくらいだから、もちろん可愛らしく、僕の心の癒しでもある。姉三人の強気な性格とは似ても似つかず、内気で言うなればモジモジ系の女の子だ。僕は竹那が大好きであるのだが、シスコンと言うと姉二人と惟梅を含むことになる故、竹コンと言っておこう。

『お兄ちゃん...。あのね、彼..』

そう言いかけたところで惟梅が扉を開け、何か言いたげな表情を浮かべつつ、無言で竹那の手を引いて部屋から出て行った。


『なんだって!?蓮玖が竹那の裸を見た!?本当にお前ってやつは...。どうしようもない奴だな。』

夕飯の最中、惟梅の告げ口により僕は無実の罪をかぶせられ、父親から罵られる。藍蘭と菊乃、父母そして惟梅から冷たい視線を浴びる。

『ごめん...なさい...。』

僕は口答えなんてしたことはない。そんな権限はそもそも存在しない。僕の家でのヒエラルキーはおそらくサクラ(ペットで飼っている猫)の下であろう。気分が沈む僕を他所に、今日も我が家は賑やかに食卓を囲む。我が家は余程のことがない限り七人全員で食事を取る決まりとなっている。

『あ、あの....。お兄ちゃんは....。』

『どうしたの竹ちゃん。もう少しはっきり喋りなさい。』

『 ....。ううん。なにもない。』

母が強い口調で竹那を黙らせた。そうして一瞬にして微妙な空気に豹変した中その日のディナーは終わりを迎えた。


夕食後自室に戻って数分後、コンコンとノックの音が聞こえ、竹那が僕の部屋に入ってきた。

『さっきはごめんね。竹、上手に喋れなくて。』

『竹ちゃんが気にすることじゃないから。ありがとう。竹ちゃんは本当に優しいね。』

互いに見つめ笑い合ったところで、部屋の扉が開いた。

『竹ちゃんこんなところにいたの。お風呂竹ちゃんの番だよ。蓮玖は最後な。』

(んなこと言われなくてもわかってるわ。)

入浴の順番は長年決まっていて、長女次女三女四女、その後大人二人そして僕だ。優先順位でサクラに勝った!(サクラは頻繁にお風呂には入らない。入る時は僕の前なのだが。)そんな当然事項を捨て台詞のように口にした菊乃は竹那の手を取って部屋から連れ出した。





昼休憩開始のチャイムが校内に鳴り響き、机を動かす生徒や屋上へ移動する生徒で賑やかになる。勿論僕は自分の椅子から腰が上がることはない。幼馴染みの二人が、数少ない僕の友達が僕の机に来てくれるからだ。

『蓮くん今日もチョコチップメロンパン!?昨日もそれ食べてたよね!?』

そう言ってお弁当を食べるのはもう一人の幼馴染みの小池景子(こいけけいこ)だ。景子も陸も"お母さんが作った弁当"を食べている。僕は今まで一度も作ってもらった覚えはない。遠足の日ですら福澤諭吉が印刷された紙切れを一枚渡され、これで何か好きなもの買って行きなさいと言われるのだ。言うまでもないが、お弁当を作って欲しいなんて思ったことなんてない。僕にとってはこれが普通なのだから。

『あ、そうだ!蓮玖にこれ渡そうと思ってたんだった!』

そう言って陸は鞄からA4サイズ紙を引っこ抜いた。

そこには見るからに高級そうな旅館の写真が載っている。一体一泊するのに何人諭吉さんが必要なのだろうか。

『これ俺の母さんが知り合いからもらったらしくて、この日って藍蘭ちゃんと菊乃ちゃんの誕生日だろ?一家族のみ有効って書いてあるから七人でも大丈夫だと思うから、行っておいでよ!』

有無を言わせず無料宿泊券を手渡してきた。僕が家族旅行を提案できるはずもないのに。一般的に考えればこんな儲け話はないし、陸はあたかも善行をしたかのように笑みを浮かべ、景子は羨望の眼差しを向けてくる。

『ここの旅館温泉が有名だよね!すごーい!いいなー!』

『あ、ありがとう...。』

(これ.....。どうすればいいんだろう。)



昨日よりはるかに沈んか心持ちで玄関を開けて自室へ向かう。階段へ上がったところで藍蘭と鉢合わせた。

『.....ただいま。』

『あー、うん。何持ってるの?』

ずっとこの無料宿泊券のことを考えていたから、握りしめたまま帰ってきてしまった。なんでもないと逃げるように自室に飛び込んだ。

『あーおかえり。お兄ちゃん。』

『なんで竹ちゃんが僕の部屋にいるんだ。』

『漫画読みたいなーと思って。』

寝っ転がりながら漫画を読んでいる竹那。こんな露出した姿を写真に収めてSNSに投稿したら炎上するだろう。白の半袖に薄桃色のホットパンツ姿の妹はまさに美少女で見惚れてしまう。

『何持ってるの?』

『これ友達から貰ったんだけど、竹那からみんなに提案してくれない?僕からだと誰も聞いてくれないし。毎年お姉ちゃんの誕生日はみんなで出かけるでしょ。』

僕以外の誰かが提案すれば、大抵は耳を傾けるのが我が家だ。(仮にサクラが喋ったとしても。)末っ子の竹那の提案であれば、十中八九実行されるだろう。

『わかった。今日の晩ご飯の時に言ってみるね。』

少し嬉しそうな竹那を見て、僕も善行をした気分に浸った。


いただきますの掛け声と共に今日も我が家の食卓は賑やかだ。(僕以外は)サクラでさえ美味しそうに夕食を楽しんでいる。

『あ、あの....。』

『どうした竹ちゃん!珍しいな竹ちゃんが一番に話し始めるなんて!』

『こ、これ。友達から貰ったんだけど...。藍姉と菊姉の誕生日の日。今年はみんなでこれに行きたい。せっかく貰ったのに行かないなんて勿体無いし.....。どうかな。』

この時僕やサクラ含め全員が思った。

(おぉ。竹ちゃん今すげえ文量喋ったぞ...!?)

今にも泣きそうな竹那を見て、藍蘭と菊乃が慌てて対応した。

『も、もちろんいいよ!ね、菊乃!』

『うん!行こう行こう!いいよね?パパ、ママ。』

父母共に竹那の言動に驚きを隠せない様子ではあったが、ひとまず二人の承諾を得ることができたようだ。こうして一泊二日の姉二人の誕生を祝う目的で、毎年恒例の家族旅行が決定した。


オレンジロードを抜けて国道一号線とぶつかる交差点を過ぎ、高速道路に乗った。サクラは家でお留守番だが、久々に七人での旅行だ。姉、妹の誕生日はこうして家族旅行に出かけるのだが、当然の如く僕の誕生日には家族旅行はもちろん、自宅で誕生パーティーすら催されない。(今後、サクラの誕生日に旅行に行こうとか言い出さないよね!?)

『見て見て!富士山だよ!菊姉見て!』

移りゆく景色にテンションが高い惟梅と、ライブでもしてきたのかと問いたくなるほどぐったりしている藍蘭と菊乃。この車はただの一家族が乗車している車ではなく、ここまでくるとロケバスである。今年も乗せてもらえて良かった...。というのも過去に何度か僕と父親だけタクシーで移動したという驚愕の旅行が存在したのだ。家族旅行であるのに、二手に分かれて現地集合。レンタカーを借りれば?なんで提案は僕にはする勇気も無い。(まぁどんな方法で目的地に向かおうと、僕が喋ることなんて無いのだが。)


しばらく時間が経って、姉二人は眠ってしまったようだ。セカンドシートでその二人に挟まれた惟梅は窮屈そうにしている。

『ねぇ、ママ。なんでせっかくの旅行なのに二人寝ちゃったの?昨日仕事でもあったの?』

『昨日は二人で歌の特番の撮影があったのよ。』

なんと。僕の予想は的中した。些細な喜びに浸っていると、頬が緩んでしまっていたのか、間髪入れずに母が口を開いた。

『蓮玖。何笑ってるの。お姉ちゃん二人はこんなに立派なのにあなたは何をしているんだか。まさか隣の竹ちゃんに変な嬢を抱いてないだろうね。』

ふと横に目を竹那がすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。今日も相変わらず無防備な格好。可愛すぎる。一つ大きなため息をついて自分が使っていた膝掛けをそっと竹那に被せた。


『やっと着いたねーー。』

そう言って藍蘭と菊乃は伸びをした。二人とも立派な胸部をお持ちだ。そんなことを口にしたら恐らく僕は家の庭に埋められるだろう。(掘り起こしてくれよサクラ。)

『お兄ちゃん手繋ごー。』

竹那は欠伸をしたのか指で目を擦っている。ファンからするとこれはサービスショットに値するだろう。

『いやいやどうして手繋ぐ必要があるの?竹ちゃん。』

最近なぜか竹那が僕に甘えてくる。いつもなら惟梅から離れようともしないのに。そう言えば最近喋っているところを見てないな。

『竹ちゃんが繋ぎたいって言ってるんだから繋いでやりなよ。あんたなんかと手繋いでくれる女子なんてこの世に竹ちゃんとサクラだけなんだから。』

菊乃さん。サクラを女子って言っちゃいます?女の子とかメスとかなら理解できるんですけどね。渋々と手を繋ぐのも申し訳ないので、自然に竹那の手を握った。とても小さい手で妹でなければ恋に落ちていただろう。

『竹ちゃんのファンに見られたら、僕は殺されちゃうね。』

そう呟いた僕の言葉が聞こえてなかったのか、竹那の表情はぽかんとしたままだった。不意に惟梅から視線を感じた気がしたが、僕の気のせいだったようだ。寝ぼけた竹那が転ばないようにしっかりと掴んで旅館へ歩き出した。


それから旅館周辺の紅葉を楽しみ、温泉にも入った。父親と二人で入る風呂は気まづかった。

『お前は今の生活が幸せか?』

あまり父親と話す機会もないのだが、珍しく父親から話しかけてきた。

『そりゃ、普通に生きてるんだから普通に幸せだよ。こんな裕福な生活をしてて自分は不幸だなんて言ったら、バチが当たるよ。』

何か言いたような気がしたが、そうかと言って脱衣所へ向かった。父親に負けじと浸かっていたのか少しのぼせてしまった。会話が少なかったせいで周りから見たら僕と父親の関係は、親子のそれに見えず親戚のように映っただろう。


子供四人で卓球大会が始まった。もちろん僕以外の四人。五人になるとトーナメントがめんどくさいですから。(総当たりにして僕が参戦するなんてことは当然ない。)僕は四試合の審判を務めさせていただく。あっという間に決着がつき、藍蘭が優勝し意外なことに最下位は惟梅だった。よほど悔しかったのか惟梅は菊乃に勝負を挑んでいた。僕の役目(審判)は終了したのでジュースでも買って部屋に戻ろうとした時、珍しい人から突然声をかけられた。

『ママがなんであんたのこと嫌いなのか教えてあげる。着いてきて。』

『ちょっと藍姉。そんなの言われなくても分かってるよ。何を今更。』

『蓮玖はまだ完全に分かってない。いいから着いてきなさい。』

何がなんだかさっぱりわからない。母親が僕のこと嫌いな理由なんて明白だ。五人の子供の中で僕だけが落ちこぼれ、凡人だからだ。それ以外の理由なんて存在するはずがない。流されるままに藍蘭と二人きりで部屋に戻ると、夫婦水入らずで酒を酌み交わしていた。

『あんたはここで聞いてなさい。』

玄関で座らされ、藍蘭だけが部屋に入る。襖の隙間から真っ白な布団が引いてあるのが見えた。

『ねえママ。せっかくの家族旅行なんだし、たまには蓮玖と喋ったら?』

『あんたまでどうしたのよ。前にも言ったでしょ。私はあの子のことは嫌いなの。』

普通の子供であれば、母親に嫌いと言われれば少なからず精神的なダメージになるのだろうが、僕の場合は特に何も感じない。

『まだ蓮玖が生まれた日のこと許せないんだ。もう一度話してくれない?私忘れちゃった。』

僕が生まれた日になにかあったのだろうか。とくに変わったエピソードも無かったはずというか、聞いたことがない。父親は随分と酒を飲んだらしく眠ってしまっている。

『あれは暑い夏の日。妊娠が分かって、あんたたちに弟と妹ができるって言ったら、すごく喜んだわよね。私まで子供みたいに喜んでしまったわ。』

弟はつまりはもちろん僕だ。妹?なんのことだ?脳内がうまく整理されていない。

『藍蘭と菊乃が生まれてその次。私にとって人生二度目の出産。それも双子だったのよ。蓮玖ともう一人は女の子だったわ。』

『その女の子はどうなったの。』

『二人同時に生まれたけど、女の子の方は息をしてなくて、そのまま亡くなったわ。蓮玖だけが生き残った。だから蓮玖の誕生日は私の娘の命日でもあるのよ。蓮玖を見ると薄らとした記憶でもあの子の顔が頭をよぎるの。』

『でも、蓮玖に罪はないじゃない。蓮玖がその子を殺したわけじゃあるまいし。』

『そんなことはわかってる!あなたたちにわかるの?初めての自分の子が双子で、その次の子も双子で。将来どんなキラキラした人生を歩むんだろうって。私がどれだけ楽しみにしていたのか。』

もはや僕の頭の中は真っ白だった。僕に双子の妹がいた?そして今僕だけが生きている事実。いてもたってもいられず、気がつくと僕は襖を開けていた。

『蓮玖...。聞いていたの...?今の話..。』

『ごめん。全部聞いてた。』

『あなたにはずっと隠しておくつもりだった。知られたのなら隠す必要もないわね。でもこれを機に私は何も変わらないから。』

『僕、双子の妹の分まで生きるよ。』

『勝手にしなさい。姉妹に比べてなんの才能もないあなたみたいな平凡な人間になんて期待することなんて何もない。出来損ないのあんたが亡くなった妹の分まで生きるだなんて軽々しく言うんじゃないよ。』

全て的を射た発言だった。僕は姉妹に比して驚くほど普通で、他人に誇れるようなものは何一つ持ち合わせていない。それでも。僕が言えることは..

『お兄ちゃんは出来損ないなんかじゃない!お兄ちゃんはすっごく優しくて家族のことをいつも想ってくれてるんだから!』

襖の前に目に涙を浮かべた竹那の姿があった。卓球をしているはずなのに。

『竹ちゃんまで...。どうしたのよあなたたち...。』

『蓮玖と双子の妹が生まれてたらママは、どうしてた?きっと自分の事務所で活躍させたでしょう。私たちみたいに。別に私は今の自分が好き。仕事は楽しいしママには感謝してる。でもね、私も菊乃や惟梅ちゃんや竹ちゃんや蓮玖も、もちろん死んじゃった妹だって、ママの仕事道具じゃないんだよ。』

『そんなこと....わかってる...わよ。.....』

数秒の沈黙の後勇気を出したかのように母親が再び口を開いた。

『蓮玖。ごめんなさいね。あなたはあなたらしく好きなようにしなさい。でも私は期待はしていないし、口出しも何もしないわ。』

長女として藍蘭が。末っ子として竹那が思っていることを口にした今、僕も長年溜め込んできた思いを口にすべきだ。こんな居づらい家族。環境。立場。全て。大きく息を吸って言うんだ。楠秦蓮玖!!!


『お母さん育ててくれてありがとう。僕は誰かのためとかじゃなく、この家族の一員として必要とされる存在になれるよう頑張るよ。』


そう言った僕はもちろん、母親の目からも涙が流れ落ちた。藍蘭と竹那はそんな僕たちを見守ってくれていたと思う。これは紛れもない僕の本心だ。



一泊二日の家族旅行の夜は僕にとって忘れられない夜となった。その日は布団に包まり天井を見つめながら夜を明かした。



『ねぇー。そういえば昨日の夜、藍蘭と竹ちゃんと蓮玖どこ行ってたのー。私ずっと惟梅と卓球やってたのにー。』

旅館を出て駐車場へ向かっている中、不満そうに喋り出した菊乃の手には荷物がない。その代わりに惟梅が二人分の荷物を持っている。結局惟梅は菊乃には勝てなかったようで、罰ゲームで荷物持ちをさせられてるってところかな。

なんでもないと言ってニヤけている藍蘭に近づいて、僕は昨日はありがとうとだけ伝えた。

『あんまり近づかないで。男性との交流は事務所NGなので。』

おいおいそれって弟でも適応されるのか?昨日は少しだけ家族の絆が芽生えたかと思ったのに、僕の勘違いだったようだ。

『きっと、この芸能家族が成り立ってるのは、お兄ちゃんが普通な人間として、普通の考えを持って、普通に家族のことを考えてるからだと思うよ。だからお兄ちゃんはこの家族にもう十分必要な存在だと思うよ。』

頬を赤くしながらニコニコと、周りには聞こえない声量でしゃべりかけてきた竹那に、それは褒めてるのか?と問いたくなったが、あまりの可愛さにそんなことはどうでも良くなってしまった。ここでまた不意に視線を感じた。惟梅がこっちを睨んでいた...気がした。気のせいかもしれない。竹那はこんなにも自分の考えを言えるようになったのか。心の底から褒めてあげたい心持ちではあったが、頭を撫でるだけにしておいた。随分嬉しそうな顔をしてくれた。そんな僕と竹那の光景を見て母が少しだけ笑ってくれたように感じた。


僕がこの家族の一員となるにはまだまだ時間がかかりそうだ。僕の人生における目標は、他人に必要とされる人間になることだ。特に家族から必要とされる存在になれる日が来たならば、今までの人生も価値のあった人生と呼べるものであろう。そうなれば僕は幸せだと思うし、その日に死んだって微塵の悔いもないだろう。

僕も変わらなければいけない。何かしら日常の中で"変化"を求めなくては。ド派手なことじゃなく、些細な変化を。


そうだ。象でも飼ってみようか。なんてね。


_fin_

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象飼いたい飼うぞ 月 一三五 @Himi_ko

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