ティータイムのあとに
のーロイド
第1話 懐かしいビスケット
「お待ちどうサマでした」
カタカタと(いや、実際にカタカタいっていたわけじゃないが)メイド型A I が運んできたのは、思った通り見覚えのあるものだった。
湯気の立った紅茶に牛乳、そしてビスケット。
この国でこれをビスケットだと言われることはあまりないだろう。普通のビスケットよりはかなり大きめでぶ厚い焼き菓子だ。
赤いのと白っぽいのと2種類のジャムがクリームと一緒に添えられている。オレはこのビスケットに見覚えがあった。
もう、じきに定年の心配をしなけりゃならないほどくたびれた顔が紅茶のカップにゆらゆらと映っている。
こんな歳になってもまだこんな気持ちが残っていたことに自分でも驚いている。
この小高い丘に続くゆるい登り道の入り口は、もう何十年ものあいだ高い柵と物々しい鎖とで塞がれていたのに、今日久しぶりに前を通ったら可愛らしい木の看板があるではないか!
「丘の上のティールーム水晶亭 」あまりに普通のその看板と、「美味しいビスケットあります」の文字に誘われて丘を登って来てしまったのだ。そしてこのビスケットだ。
気持ちを静めて紅茶をひと啜り。
それからわざとゆっくりとビスケットの一つを割ってみる。慌てちゃいかん。慌ててこのなんとも不確かではかない思いが消えてしまってはいかん。慌てちゃいかん……。
しかしビスケットは舌の上でころがり、このくたびれたじじいに一気に悪ガキ時代を蘇らせた。
* * *
その頃、この海辺の街の小高い丘を見上げると、こんもりとした森に隠れるように重厚な石造りの洋館の一部分が見えていた。
悪ガキ仲間のトシやオムとは西洋の城なんじゃないかとか、なにかの秘密基地なんじゃないかと噂し合ったもんだ。
まあ、その館の持ち主は世界的に有名なロボット工学の浦島博士だということは、日曜の子供新聞に特集されてからは、この街のモンなら誰でも知ることになったんだけどね。
そしたら今度はその浦島博士の館と敷地内には、見たこともないようなロボット達がうようよいるに違いないって、トシやオムが騒ぎ出した。
もしかしたらロボット軍団があるんじゃないかとか、いろんな動物がいてそれが全部ロボットなんじゃないかとか。
あの丘から降りてきた野良猫がロボットだったとか。嘘か本当か分からないような話をほかのヤツらも話すようになっていった。
当時は浦島研究所から世界初の多機能メイドロボット『ミツコ』が発売されたばかりの頃だから、悪ガキ仲間で本物のA I ロボットを見たことがあるヤツなんててんでいなかったんだよなあ。
そんな騒ぎも当然の成り行きというところだろう。
それで ついにオレ達は確かめに行くことになったんだ。
決行のその日、オレはそれどころじゃなかった。
それどころじゃないほど大変だった。なんでそんなに大変だったかといえば、前の晩に親父が会社の金を横領した疑いで逮捕されたからだった。
オレの親父はといえばとても良い人のように見えた。
いつも大きな声でイバったみたいに話すトシの親父や、ものすごく太っていていつもオデコのあぶら汗を拭っているオムの親父なら悪いことをしましたと言われても、ああそうなのか。と納得できたかもしれない。
だがオレの親父はいかにも気が弱そうで自信なさそうで、悪ガキ仲間とオレを眺めながらいつも嬉しそうにうすぼんやりと笑っているような親父だったんだよ。
オレは昨夜母ちゃんが泣きながら心配していたこと--うちの暮らしはどうなるのか。とか親父はいつ帰ってくるのか。とかも不安だったけれど、トシやオムやほかのみんなになんて言ったらいいのかと考えて考えて……それはもう大変だったんだ。
何かがはっきりするまでは誰にも言うなって母ちゃんからは言われていたけれど、人の良さそうな顔をして悪いことをしていた親父のことを黙っているのはみんなを騙しているような気がして、それこそとてつもなく悪いことのように思えたんだ。
結局、オレはなにも言えないままに、トシとオムと丘の上を目指した。
長い長い登り道の先にある高い塀と門を身軽なオレが一番に乗り越えることになった。オレは塀を越えて鬱蒼とした茂みの中に降り立った。
さあ! 茂みを抜ければそこには見たこともないほどのロボット軍団かロボット動物園が展開しているはずだった。
内側から門が開けられなかったら、まずトシを手伝って塀を登らせ、次いで二人でオムを登らせるという作戦だ。
だがオレが門に手をかけた途端、カランカランと古風な警報装置の音が辺りに響きわたった。
呆れたことに、トシとオムは門の前で「きゃっ」と叫んだかと思うと、さっき登ってきた道を転がるように降っていってしまった。
一人取り残されたオレは、親父のことを告白できなかったな……なんてことを少し後悔していた。それでもせっかく来たのだからと思い切って建物の方へ茂みを抜けてみたんだ。
「あらあ、勇敢なんですね」
なんというか……。
それは今まで見たこともないくらいの美しい女の人だった。
暗い茂みから陽だまりへ出たからなのか、その女の人の白い服のせいなのか、今でもその時のことを思い出そうとすると、眩しい光に目がくらんでしまうみたいにその輪郭線さえぼやけて不確かになってしまうんだ。
とにかく、その衝撃を言いあらわそうとしても陳腐なことになってしまうだろう。その女の人を見た印象は50年近くたった今でもそんな風に白くてふわふわしたものになってしまっている。
かすかな機械音がして、少し遅れて乳母車を押しながら世界初の多機能メイドロボット『ミツコ』の本物が近づいてきた。
ロボット軍団どころかたった一体だったけど。本物だった。
オレはきっとまばたきもしないでみつめてたんだろう。
それどころか身体の動きだって止まっていたにちがいない。
「その勇敢さに敬意を表して……」
『ミツコ』のさらに後ろから電動車椅子で近寄ってきたその老人もおだやかに笑っていた
「……一緒にお茶をどうかな」
このおじいさんは知ってる。
新聞の写真よりもものすごく年を取っているけど。浦島博士その人だった。
「サブリナ、勇敢な彼に暖かいお茶とビスケットを差し上げましょうね」
美しい人の、美しい声だった。
さて、 サブリナと呼ばれている『ミツコ』が用意してくれたお茶をオレは白髪頭の浦島博士とその美しい女の人と一緒に楽しんだはずなんだが……悔しいことにその楽しい時間は正直ほとんど記憶がないんだ。
オレはどんな顔をしてどんな会話をしたんだろう。
学校のこと? 悪ガキ仲間のトシとオムに置き去りにされたことでも話したろうか。それとも、気になっていた親父のことだろうか。
唯一覚えているのがこのちょっと変わったビスケットだった。ジャムをつけてオレは5、6枚は食べたんじゃないかな。
あと覚えているのは、お礼を言って館を立ち去る時には、ひたすらオシッコを我慢していたことばかりなんだ。
情けないほどバカみたいだけども、オシッコがパンパンにお腹を圧迫してあんなに苦しかったのに、どうしてもトイレを貸してくださいとは言えなかったんだね。
なにが勇敢だよな。
苦笑しながらオレは懐かしいビスケットのかけらを噛みしめた。
* * *
「茂木刑事! お久しぶりです」
オレを現実に引き戻したのはこの地区でケアマネジャーをしているワコちゃんだった。
「珍しいですねぇ。まさかの甘党なんですか?」
ワコちゃんの仕事はずいぶん忙しいと聞いていたが、のんびりした笑顔で話しかけてくる。
「ワコちゃんこそ優雅だね。休憩かい?」
「そうなの。ここが出来てから、お気に入りなんです。忙しい合間をぬってここでお茶するのが楽しみで」
目を細めてコーヒーを啜る姿は父親似だなとなんだかトシの顔が浮かんできておかしかった。
「ここはいつ頃からあるの?」
すっかり常連然としているワコちゃんに聞いてみた。
「オープンして半年くらいかしら。
実はこちらのオーナーとは仕事で知り合ったの。介護ヘルパーや家政婦A I の派遣をなさっていて、ここのコ達はとても評判がいいんですよ」
そう言われてあらためてオレは店内を見渡してみた。
2体のメイド型A I が嬉しそうに立ち働いている。へんな表現だが本当に嬉しそうに見えた。
評判が良いのはなんとなく納得できた。最近は介護ヘルパーはずいぶんとA I になってきているが、自律型A I は育て方で品質に差が出ることがわかってきている。
「このティールームはA I のコたちも感じがいいから人気になっていて常連客も多いみたいですよ」
ワコちゃんにそう言われてみれば、常連客らしい老人たちや主婦たちが思い思いに過ごしている。
ここは荘厳な旧浦島邸に付け足しみたいに飛び出している離れのサンルームのようで、白っぽいナチュラルなしつらえは優しい感じで居心地の良い空間になっているのだろう。
奥のカウンターにはレトロな陶器製の大きな湯沸かしがある。
いったいいつの時代のどんな地方の骨董品なのだという大げさなその湯沸かしは、しかしおそらく内蔵されたハイテク技術でお湯の温度にもこだわりのコーヒーメーカーになるのだろう。
実用品というよりも美術品のようにも見えるその湯沸かしから白い湯気が立ち上るさまはこの場の時間の流れをゆっくりに感じさせているようだ。
実際時代は目まぐるしく変化していて、オレたちが冒険したあの時代こそまるで夢のようじゃないか。
あの冒険の後、オレは大騒ぎしてみんなに夢のティータイムのことを言ったんだろうか。あるいはもう一度そこへ行こうとしたのだろうか。
とにかくそんなことは全然記憶にないけれど、ある日、その丘の上の屋敷と周りの森が火事になってこの思い出は唐突に終わる。
夜の街に騒々しくサイレンがこだましてライトが点滅して、おびただしい煙と炎が空まで立ち昇っているのが見えた。
あの晩、きっと街中の人々が丘を見上げていたんだと思う。お祭りの夜みたいな騒めきの中、オレはあの美しい女の人が不意に現れるのではないかと眼を凝らしていた。
浦島博士は死んだようだと大人達は噂していたが、あの女の人と赤ちゃんのことは誰もなんにも話していないようだった。
もっともちっぽけな悪ガキなんかにはわからないことが多過ぎた。
そういえば、親父への疑いが晴れて家へ帰ってきたのもあの火事の頃だった。
親父は悪いヤツではなかったんだ。むしろ人に利用されたり罪を着せられたりする側だった。
オレは親父のことがちょっと誇らしかったのを覚えている。
焼け跡はほどなく元のこんもりした森に戻って、焼け残った石造りの建物は木々に隠れて見えなくなった。
丘へ続く登り道は厳重に塀や鎖でふさがれてしまったけれど、それでもあの登り口にさしかかるとオレは胸がざわついていた。
それは時が流れてもずっと続いていた。
こんなに……もう50年近くも経ったのに。
「サブリナ、私の知り合いのとっても頼りになるおじさまを紹介したいから、オーナーをよんできてくれない?」
ワコちゃんがカウンターの奥に話しかけると
「ハイ」短い返事と微かな機械音が聞こえた。
「茂木刑事、紹介させてくださいね。なにかの時には力になってあげてほしいんです」
「え? ああ、いいけれど……」
「とても一生懸命な人なのよ。佳奈ちゃんは」
ほどなく微かな機械音がカウンター奥から聞こえてきた。それと同時に人の気配がした。
「佳奈ちゃん、県警の刑事さんの茂木のおじさまです。私の父の友人なんですよ……」
ワコちゃんに紹介されて、うつむいたままゆっくり立ち上がったオレだったが、
「刑事さん?」その人は嬉しそうに付け加えた。
「あらあ、勇敢なんですね」
それは懐かしい声だったんだ。
(第1話 懐かしいビスケット 了)
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