第三章『日常イベント大量発生中』その1

 木曜日は、早めに家に帰った。

 訂正──

 浮いた時間だ。灯火を放置してしまったから、せっかくだからいっしょに、小織にでも会いに行こうと思ったのだが、放課後になるとなぜか捕まらなかったのだ。

 朝、電話で少し話したあとのメッセージを、無視しまくったのが悪かったのか。

『なんで通話切るんですかっ!』『無視ですかっ!』『せんぱーい?』『とりあえず、学校向かいますね?』『あの。なんか嫌な予感がするんですけどー』『ちょっとぉ!』『返事が欲しいんですけどっ!』『(怒りの表情のスタンプ連打)』『(着信)』『(着信)』以下略。

 とまあ、そんな感じ。さすがの僕も悪い気がしてくる。

 朝の忙しさで返事の暇がなかったのだ。学校に着いて天ヶ瀬と別れたあと、こちらからメッセージは送ってみたのだが。

『すまん、学校着いた』『ちょっと天ヶ瀬といろいろあって忙しくてな』『用件は済んだ』

 既読こそついたものの、それ以外に灯火からリアクションはなかった。

 意趣返しか、それとも愛想を尽かされたか。姿も見かけないし、単に灯火も忙しかっただけ、なんてオチな気はするけれど。問題があれば、与那城が何かしら言うだろうし。

 ちなみに天ヶ瀬も、この日はあれ以上、僕に近づいてくることはなかった。

 その意味では、久々に平穏な日常が戻ってきたと言えそうだ。

 別段、しいて平穏を求めているわけではないけれど。目的を考えれば、むしろ積極的に非日常に巻き込まれたいとすら言える。とはいえ、気を休める時間は必要だろう。

 学校に着くなり引いた目で見られたり、視線の合ったクラスメイトが気まずそうに目を逸らしたり、噂好きの下級生が「あの人が例の……」と囁き合っているのを聞いたり。

 そういういつも通りの日常が戻ってきて、何よりである。

 ……僕の日常、ロクでもないな……。目立っちゃって逆に申し訳ない気分。

 まあ、そんな感じで、久々に気を休められたということである。灯火の件から休みなく十日以上(別に駄洒落ではない)、星の涙の精神干渉に巻き込まれてきたことを思えば、確かに気を休められる時間がなかった気はする。

「またなんやら、物好きにも面倒なことしてるみたいだな?」

「お前の軽口すら懐かしい気分になる辺り、思ったより重症だった気がするよ──遠野」

 なんて会話を昼休み、遠野と交わしたりもした。

 実際、わずかな期間だが、遠野は僕のことを完全に記憶から消し去っていたのだ。

 友人かどうかも曖昧な友人──とはいえ、忘れられるのはやはりつらく、こうして認識されているだけで安堵があった。ああ、こんな感情、こいつに抱きたくなかったな……。

「お前アレか、実は後輩にはモテるタイプだったのか? 羨ましいぜ、ムカつくけど」

 相変わらずのへらへらした様子で、そんなことを宣う遠野。

 喧しい、と一刀両断にしようとしたところで、ふと僕は思い出す。

 そういえば遠野には、訊いておきたいことがあった。

「なあ遠野。お前、あいつ──天ヶ瀬と知り合いなんだよな?」

「ん? ああ、まあ一応な。なんだ、本人から聞いたか?」

「お前から聞いたんだよ。言ってたろ、ちょっと前に。『まなつちゃんとデート』とか」

「あー……あっはは、そいや確かに言ったわ。よく覚えてんなあ、お前」

「────」

 一瞬。

 ほんの一瞬だけ、遠野の表情が《失敗した》と悔やむように歪んだ──気が、した。

 けれど本当に一瞬だけ。気のせいだったかもしれないと思うほど素早く、次の瞬間にはいつもの軽薄な笑みを浮かべて、遠野はひらひらと手を振った。

「ま、心配すんな。生憎とまなつには、もうとっくにフラれたとこだよ」

「そんな心配はしてねえ」言って、それから首を振り。「いや、じゃなくてだ。その……天ヶ瀬に何か聞いてないか? ちょっとあいつのことが聞きたいんだが──」

「あー、パスパス。やめろよ、んなこと訊くの。そりゃデリカシーがねえってもんだぜ、冬月先生? フラれた女の話を、嬉々として喋る男がいると思うか」

「……まあ、無理にとは言えないが」

「聞きたきゃお前、玲夏に聞けよ。あいつも俺と同じで、まなつとは顔馴染みだぜ」

 意外な名前が出てきて、僕は思わず目を丸くする。

「与那城が……?」

「あれ、言ったことなかったか? 中学んとき通ってた進学塾がいっしょなんだよ、俺と玲夏。んで、一学年下のクラスにまなつもいたって話だ。ま、さして交流はなかったが」

「あ……ああ。そういう繋がりだったのか……」

 なるほど、と僕は得心した。

 中学生の頃に、遠野と与那城が同じ塾に通っていたことは知っている。そこに天ヶ瀬もいたという話なら、ちょっと繋がりが見えた感じだ。

 問題があるとすれば、僕自身はその塾に行ったこともないということくらいである。

 流宮は、決して小さくはない街だ。

 だが十年以上も暮らしていれば、それなりにすれ違うこともあるのだろうが……。

 ──果たして僕は、いったいどこで天ヶ瀬と知り合ったのだろう。

 肝心な部分が見えてこない。もやもやするのは、それが理由なのだと思う。

「…………」

 僕の洗脳が解けた現状、実際的な問題はないと言えばない、のだが。

 それとも、僕の知らないところで、星の涙は現実への干渉を進めているのだろうか。

「ま、玲夏がお前に素直に話すかは知らんけどな」

 軽く肩を竦めて、遠野はそう嘯いた。

 なるほど、さてはこいつ、僕が与那城と仲直りしたことを知らないな?

 今の与那城ならば、僕が頼めば力になってくれる……はず、だ……と、思う。たぶん。

 ……そんなに自信はないけれど。

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