第三章『取り返しのつかない過去』 その3

「しっかしお熱いねえ、おふたりさん。今日も見せつけてくれちゃって」

 昇降口で上靴に履き替え、教室に入ったところで、近寄ってきたとおが言った。

「今朝もまたふたりで登校とは畏れ入る。ところで昨日は休日だったな?」

「ああ。日曜日だからな。僕の家には両親がいたよ。ゆっくり疲れをいやしてほしいね」

 これが事実上の朝の挨拶だというのだから、我ながら斬新なことだと思う。

 机にかばんを置き、席に座る。いつも通り窓枠に腰を下ろしたとおは、今日も笑っていた。

「そろそろ付き合ってるって認めちゃったほうが、いっそ楽なんじゃねえの?」

「答えは変わらず『そんな事実はない』だが……そう見えるか?」

 僕の問いに、遠野はごくあっさりうなずく。

「誰が見てもそうだろ。これは俺が特別、勘繰ってるってわけじゃねえよ。一般論だ」

「そうか。……そりゃそうだよな。ごとなら僕だってそう思う」

 いっしょに帰るより、いっしょに来るほうが、なんとなく親密度が高そうだ。

「お前にしちゃ珍しいな。基本、他人とは距離取りたがるタイプだろ。面倒臭いし」

 遠野は明らかにつけ加えなくていいひと言をつけ加えていたが、反論はできなかった。

 この学校の中で、僕はあまり好意的でない目立ち方をするほうである。僕といっしょにいるだけで、巻き込まれてしまっては申し訳ない。

 しかしその一方でとうのように、わかっていてなお接触してくるやつにまでは、どうこう言わなくていい──言うべきではないとも思っていた。そこはもう灯火の自由意志だ。

「あいつ、クラスでちゃんとくやってんのかね……」

 小さくつぶやいた僕に向け、遠野はからからと笑う。

「それは今さら、お前が気にするようなことじゃないだろな」

「……遠野のくせに正論を言うな」

「お前のほうこそ、俺に揚げ足を取られる程度のことを言うなよ。なあふゆつき先生」

 遠野はこれで、誰かに皮肉を言うことを生きにしているような性格の悪さがある。

 それは大半が精神的、というか性格的な弱点を突くような言葉だが、ときどきこうして誰にでも通じるような正論を吐く。正直、それがいちばん応える気がした。

「ま、いいことなんじゃねえのって思うけどな、俺は。一度きりの青春ってヤツだ」

「何言ってんだ、お前……」

 何よりひとつの皮肉に固執しないところが厄介な男だった。

 反撃の余地を遠野は残さない。繰り返すが、なぜ僕はこいつと友達なのだろう……。

 と、そこで。

「しかし、小学校の頃から仲いいとは思ってたけどよ。アレか? 初恋を成就させたってヤツなのかね、これは。ふたはらちゃんもがんばったもんだよ。感動するね」

 遠野は言った。

 僕は答える。

「だからそんなんじゃねえっつの……ていうか、別にそんな仲よくもなかっただろ」

「は? いやいや、あれだけいっしょにいてそれはねえだろ」

 とおは驚いたような顔をした。

 なんだ? 何か奇妙な違和感がある。

「僕、そんなにあいつと仲よかったように見えたか?」

「どういう質問だ、そりゃ? はたから見てて、悪かったようには思わんだろ、普通によ。嫌いな人間と、わざわざいっしょに過ごすやついるか? しかも小学生で」

「いや、……そりゃそうだが」

「まあ懐かしい話ではあるけどよ。そう恥ずかしがることもねえだろ、別に」

 遠野は言う。やはり何かがおかしい。

 目を細める僕。そして遠野は、決定的なことを口にした。

「覚えてるぜ。

「──、あ?」

 僕ととうが、同じクラス?

 それは、あり得ない。だってそもそも学年が違う。

 けれど遠野は、まるでそれが当然の認識であるかのように言葉を続ける。

「たまに巻き込まれたもんだよ。まあ──」

 さすがに、僕もそこで割って入った。

「待て待て待て。遠野、なんか勘違いしてるだろ」

「勘違い……? ってのは、なんの話だ?」

「小学校の頃の話だ。そもそも僕らは、当時はほとんど会ってなかったぞ」

「……それ、そんなに否定するような話か? 態度はともかく、事実は事実として認めるってのがふゆつき先生だろうに。俺から見たら親友同士くらいには映ったね」

 だとするなら、それは灯火の話ではない。

 だから勘違いしていると言ったのだ。

「それは姉のほうだろ。ふたはらりゆうのほうだ。学年違うんだからわかるだろ……」

「……あ?」

「この学校にいるのは双原灯火だ。流希の妹のほう」

 遠野も、また妙な勘違いをしたものである。

 そう思って訂正した僕に、けれど遠野はげんそうに眉をひそめて。

「……。いや、お前のほうこそ何言ってんだよ。姉と妹の違いくらい、わかってる」

「──……はあ?」

 会話がまるでみ合っていない。

 ここまで説明しても、遠野は僕のほうがおかしいと思っている。

 そして言った。

 ──このところふゆつきおりと共に行動していたのは、ふたはらりゆうのほうである、と。

「い、いや……だから違うっつの。お前こそ何言ってんだよ」

「……なんだろうな。俺には、お前が冗談を言ってるようには見えないんだよな」

 もちろん冗談は言っていないのだから、当然だ。

 だがそんなふうに思うくらい、とおにとって、僕の言葉は冗談じみているらしい。

「……第一、学年がそもそも違うだろ」

「そうだな……だから俺も、そう言ってるんだが」

「…………」

 困惑だけが僕にあった。困惑が、僕だけにあった──だろうか。

 意味がわからない。僕のほうこそ、遠野が冗談を言っているようには見えないのだから。

 そして僕は、遠野がわかりづらい冗談を言い張り続けるやつではないと知っている。

「……お前、それ本気で言ってんのか?」

 僕の問いに遠野はうなずく。

「そりゃそうだろ。双原流希……俺だって覚えてる。。どうやったらそれを勘違いできるんだ」

「────────」

 遠野は、あくまで《彼女》が双原とうではなく、双原流希であると主張している。

 妹ではなく、姉のほうだと確信している。

 それだけではない。その上で、と遠野は言っていた。僕の認識とは完全に異なっている。

「……うそ、だろ?」

「お前に嘘を言っているつもりは、俺にはねえな」

 淡々とした口調と、普段の半笑いが消えた表情でわかる。

 遠野は本気で言っている。おかしいのは僕で、遠野のほうが正常なのだと。

「でも……一年の間、流希がこの学校にいたなんて、僕は知らない……」

「……冬月」僕の名を呼ぶ遠野の表情は、どこか沈鬱ですらあった。「いいか? お前が言っていることは。もしかしたらお前は知らなかったのかもしれないが、俺はそれを知ってる。中学のときに聞いたからだ。──だから、断言できる」

 ほとんど諭すような口調だった。

 いや、あわれんでいると言い換えてもいい。

 僕のほうが、狂っているから──もはや僕自身ですら、そうかもしれないと思い始めている。それほどまでに、僕はおかしなことを言っているのだろうか。わからない。

 だから、それを知っているという遠野にたずねる。

「あり得ない、ってのは……なんでだ?」

 とおは小さく、けれど端的に答えた。

「──ふたはらとうは中学生のとき、交通事故で死んだからだ」


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試し読みは以上です。


続きは2020年1月24日(金)発売

『今はまだ「幼馴染の妹」ですけど。 せんぱい、ひとつお願いがあります』

でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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