第二章『後輩のいる日常』 その3

おりくんせんぱいとカラオケって、なんというか結びつきゼロですよね……」

 これは選択を誤ったかもしれませんね。

 受付で手渡されたドリンクバー用のグラスとカップに、それぞれ緑茶とホットココアを入れて運ぶ。とうに扉を開けてもらって、狭い個室のテーブルに置いた。

「いや、普通すぎて逆に超意外ですよ。女の子をカラオケに連れていく程度のしようは、さすがの伊織くんせんぱいにもあったんですねー」

けん売ってる? その程度で甲斐性も何もないでしょ……」

「いやいやいや、昨日からの自分のイメージ考えてみてくださいよ。ぜんっぜん似合ってないじゃないですか! 昔ならともかく、今の伊織くんせんぱいには!」

「…………」まあ反論はできない気もするが。

 部屋を取る前に言ってほしかった。先輩らしく全額出してやろうという気分が、すでに目減りし始めている。二時間後、退出時の残量が気になるところ。

 通学かばんをソファの上にポンと置いて、なぜだか楽しそうに灯火は言う。

「『デートに誘ったのはお前だろ。だったらお前が行くところを決めればいい』みたいなこと、正直絶対言うと思ってましたからね、わたし」

「そうか。今日は楽しかったな」

「ああ帰ろうとしないで! 冗談です! 架空の思い出を作らないでくださいっ!!」

 立ち上がろうとしたところで、制服の裾を灯火に思いっきりつかまれる。

 ほとんどすがりつくみたいな勢いで、僕は再びソファに引きずり降ろされた。そんなに楽しみにしてるなら、最初からそう言えばいいのに……。

「……別に、僕の機嫌を取れとは言わないけど。もう少しくらい考えてからしやべったほうがいいと思うぞ、お前。なんだ今の。そのものでいったい何がしたかったんだ」

「クオリティは悪くなかったと正直思ってます」

「論点はそこじゃない」

「だ、だってっ」ホットココアのカップを取るとう。「おりくんせんぱい、なんやかんや言って嫌がるだろうと思ってたので……こう、意外だったというか。どこ行けばせんぱい乗ってくれるかなー、とか。わたし、いろいろ考えてはいたんですけど……」

「…………」

 若干の罪悪感が湧いてくる僕であった。

 なるほど。道理で、放課のチャイムが鳴ると同時に即LINEが届いたわけだ。

『それじゃあ伊織くんせんぱい、校門のとこで待ち合わせしましょう!』

 文字数を考えると、授業中から打っていた疑惑すらある。伊織くんせんぱいとしても、授業はちゃんと聞いてほしいんだけど、後輩には。

 まあ、待ち合わせること自体は構わない。元からそういう約束だ。

 問題は、僕が準備を済ませ、校門に向かったときに起きる。

 先に待っていた灯火は開口一番、ニヤニヤとからかうような笑みを見せて。

「──では、せんぱい。エスコート、お任せしまーすっ!」

「僕が、行き先を決めるのか」

「とーぜんっ! いいですか? これはデートなんですよ、伊織くんせんぱい。ちゃんと男の子が考えてくれてこそ、デートとして成立するってものなんです。でしょう!?」

「じゃ、駅近のカラオケにでも行ってみるか」

「ほうほう、なるほ──どぅえへっ!? せんぱいが即答っ!?」

 灯火は本気で驚いて目を円くしていた。

 それはそれで釈然としないが、不意を打てたなら狙い通りだ。

 どうせそんなことだろう、と僕は思っていた。

 ともあれ。

「それで僕に行き先を決めさせたのか?」

「うっ……だってせんぱい、どこなら楽しいのかわかりませんしっ。ならわたしが決めるより、いっそせんぱいが行きたいとこ決めるほうがいいかなって思ったので……」

 それで出た台詞せりふが『エスコート、お任せしまーすっ!』だというなら、なんというか、灯火も大概、不器用だった。

 うー、となんだか恥ずかしそうにうめいてから、ココアをすする灯火。

「……僕は灯火がこういうとこ好きかなって思って、カラオケにしたんだけど」

 雑にとおに言われたから、というだけで雑に選んだわけじゃない。僕はきちんと、女子高生ならカラオケとか好きだろ知らんけど、と思って選んでいる。じゃあ雑だわ……。

 いや、だって、わからないし。どこに行けばとうは楽しんでくれるものか。

「…………」

 と。なぜか灯火は、きょとんと目を円くしてこちらを見ていた。

「……何その顔?」

 たずねた僕に、灯火はわたわた手を振って。

「あ、いえ! なんでも……ない、ですけど……」

「なんでもない態度じゃなかったでしょ今」

「……いやその。まさか、わたしのために選んでくれてたとは思わず……、えへへ」

 ちょっとうれしそうにはにかまれてしまうと、僕としても言葉がない。

 こっちが気恥ずかしくなってくる。なんだろうな。変に小悪魔ぶらないでいたほうが、絶対かわいいと思うんだけどな、灯火は。

 いや、下手にかわいくなられるよりはいいのかもしれない。ほだされないように。

「まあでも、それでカラオケってセレクトはちょっと的を外してますが。普段来ないので」

「うん、そういうとこ。安心するわ。ありがとう灯火」

「なぜお礼!?」

 ところどころ残念であってくれるところに、かなあ……。

「ていうか考えてみれば、灯火のために選ぶとは思ってなかったって発言の時点で、結構失礼だったよな……デートって前提なら、こっちもちょっとくらい気は遣うよ」

「いやいやいや! だって、わたしが教室行くだけであんなに嫌そうにしてたのにっ! 言っときますけどわたしめっちゃ心弱いんですからね! あれかなり傷つきますよっ!!」

「時と場合ってものがあるでしょ。教室で目立つのが嫌なんだよ、僕は。確実に反感しか買わないってわかりきってんだから。ったく、本当に巻き込まれても知らんからな……」

「ぐ……」なぜか灯火はうめいた。「ま、またそーやって! わたしを悪評に巻き込まないためにあえてー、みたいなデレ方してくる! そういうのズルいと思うんですけどっ!」

 灯火は映画版のジャイアンとか好きそうだなあ、と思った。

 チョロすぎるでしょ。いじるのは下手なのに弄りはあるやつだな。

「安心しろよ。理由の九割は単純に面倒臭いってほうで合ってるから」

「あーならよかったー、とはならねえ──っ! それとこれとは話が違いますっ!!」

「お前、なかなか面倒臭いよな……」

 こいつはいったい、なんのために僕をデートに誘ったのかという話だ。

 何か目的があるんじゃなかったのか。これじゃ本当に遊びにきたようにしか見えない。

 いや。別に、それならそれで構わないというか、むしろそのほうがいいのだが。

「さて……カラオケなんて何年振りかな。最後に来たのは中二くらい、か?」

 僕はつぶやいた。となると、もう三年近く来ていないことになる。

 いっしょに行くような友人がいないし、ひとりで行こうと思うほどでもない。

「……お姉ちゃんといっしょに来たりとかは、しなかったんですか?」

 と、こくりと首をかしげたとうに、そう問われる。僕はうなずいて、

「いやまあ、小学生だったし。中学は別れちゃったから、友達とカラオケとか行くようになった頃には……って感じだな。つっても、よく歌ってたことは覚えてるけど」

 ──ヘイ、おりくん! 今日もいっしょに遊ぼうぜっ!

 なんて、よく連れ回されたことを覚えている。僕から誘うことも多かったけれど。

「どっちかっつーと外を飛び回ってることのほうが多かったな、僕とりゆうは」

「へえ。──そですか」

 ほんの一瞬。灯火の声音が、一段冷えたのを僕は感じた。

 朝に押しかけてきたときとは違う。その前日の夜、ななかわ公園の丘で出会ったときのような──あるいはもっと以前、まだ小学生の頃を思い起こさせるような。そんな雰囲気。

 なんとなく、乾いた暗さを思わせる。

 そちらが──かつての灯火が、彼女の本来であるのなら──やはり僕と再会してからのキャラクターは本当ではないのだと思う。事実、どこか作り物めいている。

 いや、それはそれとして、素の表情らしきものも割とぽろぽろこぼれてはいるのだが。

「……まあ、せっかく来たんだ。なんでも好きに歌ってくれ」

 結局、どうすべきか迷った挙句に、僕はそう流した。

 すると灯火は目を細めて。

「いや、なんですかその投げっぷりは。エスコートしてくれる約束では?」

「……え? いや、だから連れてきただろ」

「そんだけ!? えっ、それで終わりですか? まじですか」

 大仰に遺憾の意を示されてしまう。

 そ、そんなにおかしなこと言ったかな……。

「連れてきてポイはさすがにひどいと思うんですけど。その辺どうですか、せんぱいは?」

「いや。でもだな、灯火」

「なんですか。わたしは結構、期待に胸を膨らませていますよ」

「カラオケでエスコートしろって言われてもだ。いったい何をすればいいんだよ」

「だから、それを考えるのがエスコートってものでしょう? かわいい小悪魔系後輩を、精いっぱい楽しませてあげようという気概が見たいわけですよ、わたしは」

 小悪魔気取りはもう諦めてほしかったが、しかし確かに言う通りでもある。

 デートを受けたのは僕だ。なら、少なくとも灯火を最低限、満足させる義務が発生することになる。それができないなら断るべきで、受けた以上は努力すべきだ。当然。

 しかし、カラオケの経験自体が少ない僕に、果たして何ができるものやら。

 僕は辺りを見渡して、何か使えるものがないかを探した。

 と、ちょうどディスプレイが置かれている台の下に、起死回生のアイテムを発見する。

 これだ。これしかない、というか思いつかない。

 僕は立ち上がると、とうに向けて言った。

「よし、灯火。まずは一曲入れろ。僕が全力で盛り上げてやる。任せろ」

「え。な、なんなんですか、その急な気合いは……?」

「いいから、ほら早く。こうしてる間にも時間は過ぎていくんだ、もったいないぞ」

「はあ……じゃあ、まあ、お先に失礼しますが」

 灯火は不審そうに首をかしげながらも、機械を操作して一曲、予約を入れる。

 どうやら、どっかのグループのアイドルソングらしい。僕は詳しくなかったが、運よく聞き覚えはあった。少しでも知っている曲なら、まだやりやすかろう。

 流れる前奏。その隙に、さきほど見つけたアイテムを自分の手に装備する。

「あの、おりくんせんぱい? いったい何を────…………は?」

 こちらに気づいた灯火が、目を真ん丸にして絶句した。

 いや、それはそれで失礼な気がするが。おろおろしながら、灯火が問う。

「えと、あの……いや何してんですか、伊織くんせんぱい?」

「見ての通り。僕はタンバリンを構えている」

「僕はタンバリンを構えている」

 なぜか復唱する灯火。

 え、いや、おかしくないよな? だって部屋に置いてあるんだし。

 そうこうしているうちに歌詞が表示され始めた。

「ほら、始まったぞ。歌え歌え!」

「え? あの……ええっ!?」

 タンバリンなんて触るのすら初めてだが、振って鳴らすくらいは僕でもできるだろう。

 狼狽うろたえた様子の灯火。しかし、曲の歌詞が始まってしまった以上、慌てながらマイクを構えて歌い出すしかなかった。

「えと──『どうして あなたは 冷たいの♪』──」

 僕はタンバリンを鳴らした。

「しゃん」

「──ごぶはっ!?」

「灯火!?」

 なぜか自分の額をマイクに直撃させる灯火。

 ごぉん、と音が響き渡った。

「……おい。何してんだ、とう?」

「いやそれこっちの台詞せりふなんですけどぉ!?」

 マイク越しに叫ぶ灯火。

 なぜだ。解せない。僕は何も間違っていないはずだ。

「なんで急にタンバリン!?」

「いや。急にも何も、最初に言っただろ? 任せろって」

「何を!?」

「僕が全力で盛り上げてやるって」

「ぼくがぜんりょくでもりあげてやる」

「ゆえのタンバリンだ」

「ゆえのたんばりん」

「合いの手を入れるってヤツだよ」

「あいのてを」

「なんだよ。違うのか?」

「いやちがうというか」

「ああ。それとも、あれか?」

「あれって」

「もしかして──マラカスのほうがよかったか?」

「……………………………………………………………………………………ぶっふぇっ!」

 灯火がむせた。

「あ、は……、ひっ、な、何それ……っ、あは、あはははっ、ふっ、あはははははっ!!」

 室内に流れるポップな音楽より、大きく響く笑い声。

 これは、さては盛り上げることに成功したか──とはさすがに僕も思えない。

「……そんなに笑うほど変なことを言ったのか、僕は」

「だっ、だってっ、そ──ひ、だめ、しやべれなっ、あ、おなか、おなかいたい……っ。せ、せんぱっ……タンバリン、も、似合わな、すぎっ……あははははははっ!」

「いや……さすがに僕だって、タンバリンくらいは鳴らせるぞ」

 しゃん、ともう一度、タンバリンを振る。

 ──灯火はもはや笑うを通り越して呼吸困難に陥った。

「あっ、や──やめ、だめ、鳴らさなっ、あっ、ひひへへっ──も、もぉむりっ! もうやめてくださ、あはははははははは、ひっ、あはははははははははははっ!」

「…………」

 なんとなくイラっときたので、僕はもう一度、タンバリンをしゃんと鳴らした。

「あ──っ!! も、や────────ひ、あ──、っ────────にゃやっ!!」

 とうは完全にソファへ顔をうずめ、自分のかばんをバンバンバンバンたたいている。

「灯火」

「ひ、ま、待って、やめっ、待ってくださっ、むりっ! これいじょ、わら、やあ……っ」

「…………お前が叩いてるのはタンバリンじゃないぞ」

「──! っ、────!! ──、────、────────っ、ぁ────!」

いてえ痛え、やめろ、叩くな、叩くな僕を。こっちも違う」

「~~~~~~~~っ!!」

ったい! わかった、わかったから。黙る、黙るからもう、なんだお前、力強っ!」

 目尻に涙をたたえた灯火は、もう顔を真っ赤にして僕を叩きまくった。

 ベシベシベシベシ打撃を浴びながら、灯火の復活まで待つ僕。これ客観視したくない。

「も、ほんとっ、さいあくですから……っ! なんで笑わすんですかあっ!」

 しばらく待っていると、なんとか呼吸の仕方を思い出した灯火が、僕に言った。

 いや、別にそんなの想定してないんだよなあ。僕はただ場を盛り上げたい一心でさあ。

「笑わせるつもりなかったんですけど……」

「じゃあどんなつもりでいきなりタンバリン持ったんですかっ!」

「いや、だから、お前がエスコートしろっつーから」

「それで、タ、タンバリンって……ほんと、どんな発想ですか。意味不明ですよ、もぉ」

 涙を拭いながら、呼吸をなんとか落ち着けて言うとう

 僕も、部屋にあった備品を使っただけでここまで言われる理由が意味不明だ。

「そこまで言うか? 使うから置いてあるんじゃないのかよ……」

「や、それはそうですけど、状況とかあるじゃないですか。しかもせんぱい、ま、真顔で構えるんですもん。も、めっちゃ無! 無表情! あんなの笑うに決まっ……、くふっ」

「まだ笑い足りないってか……」

「全部せんぱいのせいなんですけどおっ!? ……ほんとに、あんなのきようですよ」

「…………」

 はー、と深呼吸して、鼓動を落ち着けていく灯火の姿。

 息を吸って、それから大きく吐き出して。後半はほとんどためいきだった。

おりくんせんぱいって結構、ぽんこつなとこありますよねー」

「……まあ、別にいいけど。なんでも」

「いや不服そうにする権利とかありませんから。あんなの誰だって笑いますから、絶対。てか、いいじゃないですか、ウケは取れたんですし。本当、最高のモノボケでしたよ」

「偉そうに。つーか本来の使い方しかしてねえよ。正しいタンバリンの用途だっただろ」

「……、くふっ。すみません、まだちょっと残ってるので、今せんぱいに格好つけられると耐えらんないです────ぷふっ」

「お前、調子に乗るなよ」

「きゃーっ!」

 何を言われてもうれしそうな灯火だった。

 これで機嫌が取れたなら、もうそれでいいと思っておこう。

「はー、面白かったっ! さて! 伊織くんせんぱいこんしんのボケに免じて、これで許してあげることにしますね。まあ、思ってたのとはだいぶ違いますけどー」

「あ、そ。そりゃどうも」

「いやいや、だからって終わった顔しないでくださいよ、もう! ちゃんと自分で言った通り、タンバリンで盛り上げてもらいますからねっ!」

「えぇ? あんだけ笑っといて……」

「だから、それだけ面白かったってことです。真顔タンバリン行きましょう!」

「んなこと言われてやるわけねえだろ──あ、おい!」

「曲は続いてますし! 二番から再開しましょうよ、せんぱい! ささ、いっしょに盛り上がっていきましょーっ!」

「……はあ」

 どれほど溜息をこぼそうと、灯火が止まったりはしない。

 勉強料だと思って、甘んじて支払うほかないだろう。

 ──そうして僕らは約二時間、ふたりで盛り上がるのだった。

「しゃん」

「ぶっはやっぱ無理これっ!」

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