第一章『星の涙が降り注ぐ街』 その3

 さんくさい露天商の、空にまつわる言葉は信頼できる。天候や天体に関して、ナナさんが言ったことに間違いはないのだ。ともすれば宇宙人なのかもしれない。

 ──だから、今夜は丘を登ろうと思った。

 この街で星を見るなら、郊外にある《ななかわ公園》の小高い丘から見上げるのがいちばんいい。だけど、そのことを知っている人間は、あんまり多くないのだと僕は思う。

 登るのが少しだけ大変で、夜になるとほとんど人影もない。小学生の頃からあししげく通い詰めていたからこそ、慣れた道のりとして楽に歩ける。

 ここには不定期に散歩に来る。それは決まって夜の時間だ。

 僕はそれが自分の役割だと信じていた。だから高校二年になった今も、多くは無駄足になる頂上までの道を歩く。

 幼き日に汗を流した冒険の旅路も、高校生の僕には散歩道。疲れなくなった代わりに、いっしょに冒険をしてくれる友人もいなくなっている。

 頂上に着く頃には、夜の九時を少し回っていた。

 大した高さではないが、ちょっとした見晴らし台になっており、街の全景が三六〇度見渡せる。案内板と、いくつかの小さなベンチ、そして円状に広場を囲う侵入防止の柵。

 僕は、そのすぐ前で立ち止まった。小学生の頃はまだ鎖につながっていた《柵の向こうに入らないでください》の看板が、今は柵の向こう側に落ちている。

 小学生の足でも簡単に越えられる低いチェーン。それがぐるっと輪を作る。

 これを越えた先は崖になっているが、仮に落ちたところで、運がよければもしない高さだ。すぐ下にある道に転がり出るだけ。

 なにせ小学生の頃、自分の体で証明した事実だ。あの頃はよく擦り傷を作っていた。

 ──夜になったらここまで来て、丘から遠くを望むんだ。そうすると、昼間に見えないふたつの《海》が、どこまでもれいに、宝箱を開けたみたいに広がっているからね──。

 なんてふうに教えてくれたやつがいたと、僕は思い出す。いや、忘れたことなどない。

 きっと夜空を見上げれば、遠く宇宙の彼方かなたから、ここにいるよとしらせるみたいな、まばゆい星の海がある。そのひとつひとつがきっと、誰かの大事な宝物なのだと思う。

 来月には七夕だ。天の川を渡る、織姫とひこぼしにも会えるだろうか。

 だけど僕は星を見ず、ここから見られるもうひとつの、人工の海に視線を落とした。

 丘から望む黒い街。目にうるさい外灯や、夜に誘う居酒屋の看板、そして行き交う車のライト……自然ではなく人間が作り出した海のほうが、見ている分には心地よく思う。

 空を見るのは嫌いだった。

 いつだって、綺麗な夜空は苦い思い出の味ばかり想起させる。

 そのくせ、今日もこうして丘に来る。

「……今夜も無駄足か」

 小さくつぶやく。やっぱり誰にも会えなかった。

 誰かを探してここへ来る。それが誰かもわからなければ、今日も誰にも会わなかった。

 けれど、その誰かもわからない誰かを、僕はいつでも探している。

 別に、ロマンティックな出会いを待っているわけではない。無理に修飾的な表現をしているわけでもない。顔も知らない誰かを探している、というのは客観的な事実だ。

 ──願ってはならないことを願う誰かを、止めるために僕はいる。

 だからこそ。

「そうでもないですよ。星、とても……れいですから」

 突如として聞こえたそんな声に、僕は驚きを隠せなかった。

 とつに背後を振り向く。まず単純に、人がいたことそのものにびっくりした。

「あ、えと。すみません……驚かせちゃいましたか?」

 少女の声音だった。それが妙に、低い位置から耳に届く。

「ああ……いや、別に」

「星、見にきたんですよね? あの……よければ、ごいっしょしませんか」

 公園の丘の、見晴らし台に備えられた小さなベンチ。その上ではなくなぜか横、つまり地面にキャンプ用の小さなシートを敷いて、ひとりの少女がちょこんと座り込んでいる。

 両手で包むみたいに持ったステンレス製のマグカップからは、温かそうな湯気が立っていた。この季節にホット飲料を用意してくるとは、なかなか意表を突くものだ。

 少女は肩にブランケットをかけた体育座りで、ふわりと柔らかな笑みを見せる。

「ホットココアです。水筒に入れて持ってきたんですけど、よければシェアしますよ?」

 まだ六月。梅雨とはいえ、決して寒い時期ではない。事実、今日だって晴れていた。

 にもかかわらず、少女はなぜか寒そうだ。装いの季節感がズレている。一瞬、冬に命を落とした女の子の幽霊か? なんてことを想像してしまったくらい、やけに現実感がない。

 思わず目を細めた僕に、少女はえへへとほおく。

「わたし結構、寒がりでして。あ、シート半分いいですよ。ささ、どぞどぞ、お兄さん」

 座ったままのそのそと右側に動く少女。狭いシートを分けてくれるとは懐が広い。

 まるで天体観測をしに来たような構えだが、見たところそれらしい装備はない。せめて望遠鏡くらいは欲しいところだが……まあ星を見るだけならいらないか。

「これも何かの縁でしょうし! えへへ、まさかこんなところでお会いできるなんて」

 ぽんぽんシートを片手でたたいて、へにゃりと少女は相好を崩す。

 なんだか気の抜けてくる笑み。そこに、僕は見知った面影をいだしていた。

「……りゆう、か……? いや──」

 思わず口にしたのは、おさなみだった少女の名前。言ってから、ああ確かに似ているな、と遅れて僕は納得する。けれど、そんなはずはなかった。

 肩のブランケットからのぞくのは、僕が通っているのと同じ高校の制服。僕も同じ制服姿だから、少女は同じ高校だと知った上で声をかけてきたのだろう。

 幼馴染みが同じ高校にいて、丸一年以上も気づかないなんて、さすがにあり得ない。

「やっぱり! だと思ったんです。お久し振りですね。ちなみにりゆうじゃないですよ?」

 ほのかな湯気の向こうに、別の輪郭を捉えた。

 なるほど、道理で面影があるわけだ。

「思い出した。……確か、妹の」

「はい! ふたはらとう……流希お姉ちゃんの妹です」

 懐かしい姿と名前に、思わず目を細める。

 まさか、こんなところで再会するとは思っていなかった。

「ご無沙汰ですね、ふゆつきくん。なんて、さすがにもうそんなふうには呼べませんか。冬月先輩、とお呼びするべきです?」

「……好きにしてくれていいけど。そっか、久し振りだな」

 彼女は、僕がまだ小学生だった頃の同級生──の、ひとつ下の妹だった。

 姉とは中学で別れてしまったのだが、どうやら妹のほうは同じ高校に来たらしい。よく姉の流希の後ろに隠れて、恥ずかしがっていた姿を思い出した。

 流希と疎遠になり、連絡を取らなくなってから、もう数年がっている。小学生の頃はとても仲がよかったが、まさか妹のほうまでまだ僕を覚えているとは。

 ──このとき僕は、自分がずっと探していた誰かが、この少女なのだと直感していた。

「たまに流希の家で会ってたくらいなのに。よく僕のことがわかったな」

「わかりますよ。お姉ちゃんと冬月先輩、すっごく仲よかったですし。わたしもときどき遊んでもらったの、懐かしいですけど覚えてます……あんまり印象にないですかね?」

「いや、覚えてはいる。同じ高校だったとは知らなかったけど。ああ、入学おめでとう」

「もう二か月経っちゃってますけどね。はい、ありがとうございます!」

 ──だとしたら、僕が学校でどう呼ばれているかも、もう知っているだろうに。

 よくこんなひと気のない場所で、無警戒に声をかける気になったものだ。

「説教するわけじゃないが、こんな時間にひとりで出歩いちゃ危なくないか? よければ家まで送っていくけど」

 それを言った。

 華の女子高生がひとり、こんな夜中に丘の上まで来る理由とは、果たして何か。

「あはは。悪くはないですけど、それはそれで別の危険があるのではー? 冬月先輩って結構、女の子に手を出すのが早いタイプです?」

 マグカップを脇に置いて、灯火は両肩を腕で抱く。なかなか失礼な反応だった。

 いや、まあ冗談のつもりなのだろうけど。それはわかっている。

「ははーん、さては意外とやり手なんですね? ですがその手にだまされる灯火ちゃんじゃありませんよ! わたしを落としたければ、まずはきちんとデートをしてからですっ!」

「そんなつもりはないが……ていうか、お前こそそんなキャラだったか?」

 覚えている印象では、もう少し大人しい子だったように思う。

 こういうバカなことを言うのは、どちらかと言えば彼女の姉のほうだった。

「さすがに、小学生の頃の印象で語られても困っちゃいますよー。もう高一ですよ?」

「……なるほど。実際、シチュエーションもシチュエーションだしな……」

「ここ、いい景色ですよね。星がとってもれいで……」

 ひと気のない暗闇だ、という意味合いで言ったのだが、彼女は違う受け取り方をした。

 ──僕は星など見ていない。

 見ようとせずとも視界に入るが、できれば意識したくない。

 ここへ来た理由は、星を見たかったからではない。

 星の綺麗な日のほうが、探している誰かを見つける可能性が高いと思っただけだ。

 誰かもわからない誰かを、中学の卒業以来、手がかりもなく探し続けてきた。さすがに丘の上まで来ることはあまりないが、一年も続ければほとんど習性になっている。

 そして今日、僕は高校に入ってから初めて、この丘で人を見つけた。

 それも、古いおさなみの妹を。

 自分の探していた誰かが、彼女ではなければいいのに。それは心からの本心だったが、なぜか確信がある。いずれにせよ、僕は願いを星に祈ることだけはしない。

「あー……ふたはら、」

とう、でいいですよ。後輩ですし、お姉ちゃんと混ざっちゃうので」

「……じゃあ、灯火。ちょっと失礼するよ」

 灯火が敷いたシートの半分を僕は借りた。後輩の少女は、やけにうれしそうに笑う。

「どうぞどうぞ! すごいですねー、こんな綺麗なところで男の子に会うなんて。まるで恋愛小説の冒頭みたいです。なんだかロマンチックですね。恋の始まり、かもですよ?」

 妙な口数の多さから、灯火の緊張が感じられた。

 僕は答えず、代わりに問いを投げかける。

「……りゆうは、その……元気か?」

 ほとんど初対面みたいな先輩を前に、よどみなくしやべっていた灯火の舌が動きを止めた。

 ずず、と音がする。ほう、とこぼれた小さな息は、確かにどこか寒そうだ。

「ふう……さむさむー」しばらくあってから灯火は答えた。「お姉ちゃんは元気ですよ? 元気いっぱいな、華のJKですとも」

「そうか。……なら、よかった」

「てか、なんで疎遠になっちゃうんですか、まったくもー! 昔はお姉ちゃん、いっつもおりくんが伊織くんがー、ってふゆつきさんの話ばっかしてたんですからね! もうわたしが羨ましいくらいでしたよ! 今度会ったらまた、お姉ちゃんと仲よくしてくださいね」

 僕はそれに答えず、代わりに灯火の胸元に下がるペンダントを見ていた。

 それはもともととうの姉、りゆうが持っていたものだ。

「こんな時間に、ひとりでこんなとこに来たって知ったら、お姉ちゃん怒りますかね?」

 はふー、と息をつきながら灯火が言う。

「……僕にかれてもな」

「ええー、いいじゃないですか。お姉ちゃんの大親友、だったんですよね?」

 否定しても肯定しても、誰かに責められそうだと思った。だから問いに答えた。

「まあ、……流希なら心配はしても、怒りはしなそうだと思う」

「奇遇ですね。わたしもそう思います」

 変な口癖ですよね、と笑う灯火。昔を思い出して、僕は言った。

「《お天道様が見てない夜こそ、悪事を働くチャンスだぜ》」

「あっはは! さっすが、よくごぞんで。お姉ちゃんもムチャクチャ言うもんです」

 灯火は、夜空から目を離さないままに言った。

 懐かしい思い出だ。ふたはら流希は、そういう奇妙なエネルギーを持つ少女だった。いつも明るい笑顔を絶やさず、思いつきに周囲を巻き込んでは笑顔を増やした。流希の言葉には妙な説得力があり、結局は彼女といっしょにいれば、最後には笑える──そんな少女。

 灯火は右手のマグカップを置いた。

 その手が次に、自然と胸元のペンダントを握り締めていた。

 僕は静かにたずねる。

「で、灯火は何しにここへ?」

「星を見にきたんです」

「……星を、か」

 灯火は小さく笑った。

っちゃい頃、お姉ちゃんはよく、友達とここに出かけてたって聞いてたんで。不思議ですよね、下の街からじゃ星なんてぜんぜん見えないのに、ここは違う。ここまで登ってくると──こんなにれいに見えるんですね。わたし、今まで知りませんでした」

 言葉の通り、都市部に程近いこの街で天体観測ができるのは、このななかわ公園の丘以外になかった。街を覆う汚れたフィルターが、この丘の部分だけ破れているみたいに、満天の星を見ることができる。

 だから僕はこの場所が好きだったし、だから同じ理由で今は嫌いだ。

ふゆつき先輩にも会えましたしね。すごい偶然……わたし、うれしくなっちゃいました」

「……来月には七夕だしな。星を見るにはいい季節だろうよ、実際」

 僕はもう悟っていた。

 どうして灯火が、こんな時間に、こんな場所まで来たのかということを。

「灯火。お前、星に願いがあるんじゃないのか?」

 字面だけなら、それこそロマンティックな問いだろう。

 右隣のとうは肩をすくめて、握り締めていたペンダントを首から外す。

「知ってるんですね、ふゆつき先輩も……あの都市伝説のこと」

「なら、……やっぱりそれは《星の涙》か」

「あはは。やっぱり冬月先輩にはわかるんですね。

 果たして今日、僕らがここで会ったのは偶然なのか。

 そうであるほうがいっそ、救いがあった。

「ありゃ怪しい露天商の作り話だぞ。安物のアクセサリーに、適当なカバーストーリーをつけてさばいてる、悪徳商人がいるだけだ。まさか本気にしてるわけじゃないだろ?」

「夢のないこと言いますね……そりゃあ、わたしだって本気にはしてませんけど」

 灯火の手の中にある、しずくのような形をした透明の石。

 少しだけ加工してあって、首につけられるよう革製のひもが取りつけられていた。

「でも。でも、もし本当に……お願いしたいことがあるんです」

「──やめておけ」

 僕の言葉の鋭さが予想外だったのだろう、灯火ははじかれたように顔を上げた。

 彼女の知る冬月おりは、いつも元気に笑っている──きっと、そんな少年だったのだと思う。もしかすると、この都市伝説の話を彼女にしたのも、僕だったかもしれない。

「そんな話が本当なわけないだろう。高校生にもなってすがるもんじゃない。七年前も七年前に石が落ちてきたっつってたぞ。その時点でめちゃくちゃだ」

「そ、そこまで言わなくても……なんで、そんな急に、怒ったみたいに……」

「言うよ。そんな話を信じて夜間はいかいなんて危ないからな。今、僕に話しかけたのもそうだが、もうちょっとまともに警戒しろ。りゆうに……お前の姉にも申し訳が立たん」

「別に冬月先輩の責任じゃないでしょう」

「そりゃそうだが、こうして見つけちまった以上はな。つーかそれ、どこで手に入れた?」

「──お姉ちゃんがくれたんです」

 僕は思わず押し黙った。

 その可能性は考えていなかったからだ。僕は、流希が星の涙を手放すとは本気で考えていなかった。あいつが持っている分だけは使われることがないと信じ込んでいたのだ。

 だが灯火の持つものが、流希の持っていたものならば。

 これが本当に──であるのなら。

「あいつが、……星の涙を手放したのか?」

「えーと……まあ、特別な理由があってもらったとでも言いますか。でもこれの話は昔よく聞きましたよ。友達と、この丘に拾いに行って見つけた、って……先輩、その友達って」

「──仮にあの都市伝説が本物だとして、だ」

 話を遮るように僕は言った。たぶん嫌われるだろうことを、少しだけ悲しく思う。

「何を願う気か知らないけどな、奇跡には対価がいるんだ」

「……わかってますよ、そんなこと」

「わかってねえよ。──わかってたら、こんなもんにはすがらない」

 そんなこと、僕が偉そうに言えた義理もないのだが。

 それでも言わなければならない。

「悪いことは言わねえから、やめておけよ。アクセサリーが欲しいなら、普通に店で買えばいいだろ。なんなら僕がプレゼントしてやってもいい。説教したついでにな」

「…………」

 隣にいる僕を、彼女が見つめた。げんそうな様子を隠そうともしない。

 いきなり説教されて戸惑っているというより、なぜ僕がそうまでして何も願わせまいとしているのかを探っている。いわばそんな目に見えた。

 ……少し失敗した。ちょっとかたくなに否定しすぎた気がする。

 願いがかなう魔法の石──なんて話、普通ならまず信じない。にもかかわらず、僕はそれを強く否定しすぎた。まして僕ととうは久々に再会したばかりなのだ。こんな状況で否定を重ねては、それこそ灯火に確信させかねない。


 ──使


 この場所なら持ち主が現れるかもしれないと、ただそれだけの理由で一年間、丘の上に通い続けてきた。けれどその理由は、誰かが願いを叶えようとするのを手伝うためでは、絶対にない。──使

 僕は、星の涙で願いを叶えようとする、全ての人間を邪魔しようとしている。

「いや……まあ、なんだ」

 どうも気がはやりすぎた。その自覚がある。

 この一年、そのためだけに過ごしてきたせいだ。そのくせ、いざ見つけたらどうするかということを考えていなかった。ああ、本当に僕は間が抜けている。

「……懐かしいしな。姉の昔の友達からの忠告だと思って、話半分に聞いてくれ」

 結果、そんな毒にも薬にもならないようなしを口にしてしまう。

 無理に止めるよりマシだと思いたいが、いずれにせよい方法ではなかっただろう。

「……そうだ。これ、やるよ。怪しい露天商の店で、後輩の女の子から買った品だ」

「な、なんですか、それ……?」

「いいから。それで──もう夜中にこんなとこ来るなよ。危ないから」

 言い切って、僕は半ば強引に星の涙のイミテーションを渡す。

 偽物のほうが、本物よりよほどそれらしいものだ。装飾にするなら向いている。

「で、どうする? 僕はもう帰るが、本当に送っていこうか? 家までとは言わんでも、せめて公園の外までは」

「……結構です」

「あ、そ」

 とううつむいたままこちらを見なかった。こうなっては僕のほうが、いるかもわからない不審者より怖いかもしれない。こんなんだから、氷点下などと言われるのだろう。

「じゃあな。……また」

 と、告げて僕は立ち上がった。

 再会するための言葉をつけ足した理由は、果たしてなんだろう。自分でもわからない。たぶん、本当に諦めたかどうかを確認したいから。そんなところだろう。

 僕はそのまま歩き出す。おさなみの妹に、嫌われてしまったのはやるせないところだ。それでも言わないという選択肢はなかったのだから、仕方がないと強がっておく。

 最後に。

 歩き始めた僕の背中で、小さな声が聞こえた気がした。

「それでも、本当に奇跡にでもすがらないとかなわない望みがあるなら、いったいどうすればいいんですか……」

 僕は答えない。その権利も義務もなく、そもそも僕に向けられた言葉ではない。

 ──それに、僕にだってその答えはわからなかった。

 言えることがあるとすれば、たぶんひとつだけ。

 諦めろ、という言葉以外になかった。


 去り際に瞬く星。うつとうしいほどの輝きが、空から僕らを見下ろしている。

 僕は丘を下ってから、再び頂上のほうを見上げてみた。星が視界に入ってしまうことを考慮しても、それでも見たいものがあったのだろう。それが何かは、わからなかったが。

 もちろん、ここから頂上の広場を見ることなんてできない。

 けれど、きっと錯覚ではあるけれど。そちらで何かが、小さくきらめいたように見えた。そんな気がした。たとえるなら、星が涙を流すような──か細いひと筋の光が。


 だが氷点下の心には、灯火は一切、響かない。

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