第8話 浦島のカメ、安全

 安西、初木に少しは男気があるところを見せようと、バンジージャンプができる所へ、初木を連れてきていた。

 しかし、いざ跳躍場所に立つと、安西、膝が笑って全く飛べず。遊園地の遊具のようなものではなく、橋の上から谷底にダイブするガチで怖いやつにまた調子に乗ってしてしまったがために、恐怖のあまり全く飛べず。


 初木、そんな安西の様子を見ると、わざわざ来たのに飛ばずに帰るのもなんだなと思い、彼の応援を始めた。


「いい安西、清水の舞台から実際に飛び降りた人の数は、江戸時代だけでも234人にのぼるそうよ。あなたも負けている場合ではないわ」


「そんなに!? いや、そんなメンタル超人たちと一緒にされても! 勇者の代名詞じゃん清水ダイブ」


 煽り耐性を見せる安西に対し、今度は初木、安心させる手に出る。


「大丈夫よ安西。ノーベル文学賞に輝いた高名な作家へミングウェイは、第一次世界大戦で砲弾を受けても、自動車に轢かれても二度の飛行機墜落事故に遭っても一命を取りとめていたのよ」


「超人じゃねえか! いや、そんな超人と一緒にされても! ここから落ちたら俺は死ぬよ!」


「大丈夫よ安西。舩坂 弘という軍人さんは、米軍の銃火の中に数時間放置され軍医がさじを投げても、腹を撃たれた後に首を撃たれて軍医に戦死と判断されても『傷が治りやすい体質であった』と言って数日でピンピンしていたのよ」


「いやだから超人じゃねえか! どんだけタフガイだよ! 同列には語れないって」


「タフガイでいえば、私の中で熱いのは、浦島太郎に出てくるカメね」

「浦島のカメ? なんかそんなイメージないけど」


「文献によると、浦島を乗せた浜辺から竜宮城までの距離は3300キロ。あのカメはその距離を、浦島を背に乗せた状態で十日も泳いで泳破しているのよ」


「タフだなあのカメ!」


「それも、十日で3300キロとなると、単純計算で時速約14キロ。イアン・ソープら金メダル級の選手の泳力が時速7、8キロなのよ。あのカメは浦島を背に乗せた状態でその倍もの爆速で3300キロもの距離を泳破しているのよ。休憩を挟んでいたとしても、とすると時速の方はさらに跳ね上がることになるわ」


「子供にいじめられてたのが不自然なほどメチャクチャパワフルじゃねえかカメ! いじめられ痛め付けられた後でそれかぁ……俺も負けてられねえ――とはならないけどね」


 NOばかり口にする安西に少々焦れる初木。それを察する安西だったが、しかし脚が震えるものは震える。


「そもそも、こんなバンジーの設備なんて本当に安全なのか? もはやそこも心配……」


「安西、安全安全と過敏になっていては生きていけないわよ。アメリカの食品安全ルールでは、ピーナツバター100gあたり虫の断片50個までなら入っていても『問題なし』とされているくらいだもの」


「問題でしかねえじゃねえか! 調味料か! 食べちゃったら気分がグレイくらいじゃ済まないよ! ショック死もありうるよ! もうサバイバルだよ! そのちょっとした絶望は長い目で見ても極上のスパイスとはならねえよ!」


「加えて、香港では不倫した夫を殴り殺していいという法律があるのよ」


「は!? 法律って身の安全を守るためにあるんじゃないの!?」


「けれど、凶器を使うとダメらしいわ」


「なんで!? 危険だから!? じゃあもう安全って一体なんなの!?」


 混乱しか覚えない。もう全ての物事が疑わしいよ。と沈む安西。


「なんかもう、このロープが俺の重さに耐えられないような強迫観念が生まれてきた……」


「大丈夫よ安西。科学誌ナショナルジオグラフィックによると、地球上の人間の総重量とアリの総重量は、全く同じらしいわよ」


「ウソだろ!?」


「人間の重量なんてその程度のものなのよ安西。だから大丈夫よ」


「なんかそれ聞いたらいけそうな気がしてきた……」


 もう一押しだ。初木、ここでさらに煽りを入れる。


「そうよ安西。男が一度口に出したことを翻す様は残念よ。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、という名文を遺した福沢諭吉先生が、自分の娘が身分の低い恋人を連れてくるや『釣り合いが取れない!』と激怒して別れさせていたように」


「いや、それは娘を想うがあまりだから。可愛いやつだから。でもよしわかった! 男安西、行きます!」


 それを聞いて背を押され、いや、なにより安西、初木に期待の目で見られると弱い。

 覚悟を決めて谷底へとダイブした。


 その様子を見た初木、珍しくきゃっきゃと手を叩いて喜んでいた。


 涙目で悲鳴を上げながら落ちていき、後にトラウマとなりかけたらしいが、最後には喜んでもらえてよかった安西なのであった。

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