5. 言語学習3:文法解読
ぬるま湯を手ですくって、指の間から垂れる滴りの音を静かに聴きながら石鹸を流した。大きなたらいにお湯を張っただけの簡易的なお風呂では体を洗うのにもコツがいる。シャワーがないから、石鹸の泡をまず大だらいのお湯(泡混じり)であらかた流し、それから普通のサイズのたらいに分けておいたお湯で綺麗に流す。色々と試した結果、頭をシャンプーして流すのは一人ではとても大変だったので、お風呂を用意してもらったらまず二人して順番に服を着たまま頭だけ洗い、相手に水差しでお湯をかけてもらって流すようにしている。ちなみにシャンプーなどはなく、石鹸を代わりに使っているので髪がバサバサになってしまう。言葉が通じるようになったら、適当な材料を揃えて手作りコンディショナーでも作ってみようか、なんてことを思いついたのはもう随分前だ。うまくいったらたくさん作って屋敷の人たちにもあげたり、あるいはレシピごと渡して商品化すれば(伝があればだが)世話になっていることへの恩返しになるかもしれない。
一度だけ、高校の頃の友人の旦那が自然派で、それが天然素材手作りコンディショナーを作ると言い出して、その講師として招かれ一緒に作ったことがある。天然素材の尊さを熱心に語るその旦那を笑顔で肯定し、
「ただ、売り物は色々といい香りもつけてくれてるんですよねー。あれがなかなか手作りだと再現できない。まあ、女性の方が男性よりも髪の毛は強いから、大丈夫なんですよね」
と、妻まで巻き込むなよとそれとなく釘を刺した。科学的な思考を持っていない人間の語る科学的知識はよくオカルトがかっているし、また同じ理由で科学的知識を科学的に説明したとしてもなかなか通じない。天然素材にこだわることには確かに利点もあるし、害もなさそうだったからそれ以上は何も言わなかった。帰りに駅まで送ってくれた友人から「本っ当にありがとう、助かったわ」とお礼を言われ、駅前の酒屋で彼女のオススメの蔵の生原酒、その四合瓶を土産に持たされた。なんだか懐かしい思い出だ。もしもここでまたコンディショナーを手作りするのだとしたら、材料の他にpH指示薬も準備せねばなるまい。そのためにはアントシアニンを豊富に含む植物と、酸性溶液と塩基性溶液、アルコールもだ。今のところ蒸留酒は飲んでいないが、あるだろうか。アルコールを自分で用意するとなると、蒸留装置も作らねばならない。それらを全て自分の手でやるとなるとたかがコンディショナー作りが大仕事だが、それでも今現在の言語研究よりかは性に合っている。
小さなたらいにとってあったぬるま湯で体を流し、絞ったタオルで体を拭きながら大だらいの外へ出て、バスタオルで体を拭く。ちょうど良い気温なのでこのような簡易式の沐浴でも全く問題ないのだが、欲を言えばあったかいお風呂に入りたい、湯船に浸かりたい。お風呂の頻度も五日に二回だけだ。それでも街の技術水準を考えれば高頻度な方だと言えるのかもしれないが。お手洗いの回収の間隔といい、この世界のこの国の様式では五日間を一週間としているのかもしれない。ともかく、日本で毎日風呂に入っていた身からすれば、耐えられないことはないが、やはり毎日お湯を浴びたい。材料と工具があれば、太陽光を利用した自動の給湯設備を作りたいが。パネルに流路を設置して水を流し、太陽光に当てればいいのだ。断熱材は木の板でいいにしても、大きなガラスはものすごい高価かもしれないし、流路に細長い金属パイプが必要で、水を流すためのポンプは、同じく太陽光を利用して低温度差スターリングエンジンでも作るのだろうか。あまり現実的ではないなとフッと息が漏れた。
三週間もすればここの衣服にも慣れてくる。特に手間取ることもなくぱっぱと服を着込んで、呼び鈴を引いて使用人を呼び、風呂を片付けてもらった(風呂に入るのは自然と少女が先で彼が後というふうになっていた)。使用人に何かしてもらう度に日本語でありがとうとお礼を述べているのだが、そろそろ彼らもそれが感謝の言葉であることに気がついたようで、彼がそう声をかけるとぺこりと一礼するようになった。時々は二言三言返してくるのだが、毎回違ったふうに聞こえるので、どういたしましてとかそういう慣用表現ではないのかもしれない。
言葉は、ほとんど分かっていない。文字の表す音を教えてもらった時も、他に簡単な単語を身ぶり手振りでなんとか教えてもらえないものかと試しもしたのだが、途中で来客があってそちらに執事を取られてしまった。基本的にこの屋敷の使用人達は皆いつも忙しく働いている。窓からはよく町人風の客やもうちょっと立派な身なりをした客が庭を横切るのが見えるし、何かの折に執事を呼び出すとインク跡が指先についていたりもする。冷蔵庫がなければ食材を買いに行く頻度も高いのだし、水を汲むのだって一仕事で、洗濯機も掃除機もないのだ。ランプも毎日磨かれている。もともと主人がメグ一人だったのなら、余分な使用人を雇っているということもないのかもしれない。一日中タクミ達につきっきりで言語学習の相手をできる者はいないし、身一つで転がり込んできたタクミ達は謝礼を用意することもできない。今のところ分かっている単語は、
エイ、エヤ=はい、
ニー=いいえ、
メアドレーア=おはよう、
ペアツァブ=こんにちは、
セッチャン=お手洗い、
シーズ=紙、
バス=水。
たったそれだけで、綴りもわからない。残念ながらそれらの単語は単語カードの中には見つけられなかった、あるいはあったのかもしれないが、似たような発音を表しているであろう単語カードが本当にそれだという確信が得られなかった。
クラスタリングを始めてからすでに七日間が経っていて、これまでに二回クラスタの代表を更新した。一回目の更新の後、二回目のオブジェクトの分割では元のクラスタから別のクラスタに移ったものが100以上はあったが、もう一度代表を更新して、今日の昼過ぎにやっと終わった三回目の分割ではクラスタを変えたオブジェクトの数は23だけだった。そこで彼は、クラスタが十分に収束していると見なしてもいいかどうかを少女に相談した。相談したと言っても、1200枚全体から比べれば23は十分に小さいこと、あと数回代表の更新と再分割を繰り返しても23が零になるとは期待できないのではないかということ、一回の再分割に二日間もかかるが得られるものがその時間に見合わないのではないかということなど、彼が思うところを説明して少女はそれに頷いただけだった。少女から反対意見が出ないことも、結論が同じであることもわかっていて、それでもきちんと相談という体をとったのは、彼からすれば少女は共同研究者だったからだ。それに、特に現在はただひたすらに計算の繰り返しで、そういう抽象的な作業を意味も意義も不明瞭なままに続けるのは辛いだろう。
それで、同意が得られたので、そのあとは夕方になるまでずっとクラスタが本当に綺麗に分けられているかの検証を行った。ランダムに単語カードを選んで、そのカードと同じクラスタに含まれる他のカードとの距離が別のクラスタに含まれるカードとの距離よりも小さいかどうかを確かめたのだ。クラスタが収束しているかどうかと、その各クラスタに含まれるオブジェクトがお互いに似たもの同士になっているかどうかは同じことではない。少女が不思議そうな顔をして、「細かいんですね」と言うから、彼も苦笑いをして、「そういうもんですよ」と答えた。疑わしきものもそうでないものも全て疑うのが科学だ。何度も何度もその計算を繰り返して、少なくとも95%以上が同じクラスタのオブジェクトにより近いということがわかり、それならばクラスタリングに成功したといえると思って、彼はほっと胸を撫で下ろしたのだった。
いよいよ明日からは品詞の推測、文法の解析を始める。やっとだ。三週間ぶっ続けで働いていて、そろそろ休みたいところなのだが、そうしたとしても他にやることがないという、まるで研修中に趣味を捨てろと教え込まれて、その通りにした日本の会社員のような状態だ。昼には散歩の時間を取っているし、日が暮れたら仕事を切り上げることにしているので、ひどく疲れているということもない。風呂が片付けられる気配を聞いて出てきた少女と少し話をして(一人が風呂に入っている時、もう一人は当然ながら寝室に引っ込んでいる)、おやすみを言ってそれぞれの寝室に入った。朝は五時前に起きるので、夜も10時前にはベッドに入るのだ。
正直なところ、彼はクラスタリングの後のことはあまり考えていなかった。決してなんとかなるだろうと思っていたわけではなく、またどうすればいいのかと思い悩んでいたわけでもなく、ただどうしようと考えることもできなかったのだ。これまでの作業は言語そのものを対象にしていたとは言い難い。有限個の要素の列において一定間隔以下で現れる要素の部分集合の探し方だとか、クラスタリングだとか。しかしこれからは言語そのものを対象にせざるを得ない。ところが、彼には言語学の見識はない。大学までの国語や古文、漢文、英語、第二外国語(彼はドイツ語を選択した)の授業を思い返しても、それぞれの語彙や文法を習いはしても、世界中のあらゆる言語に関して、例えば高頻度で現れる文法構造にはどんなものがあるだとか、そういったことはやっていない。とっかかりが掴めておらず、忙しさにかまけて目をそらしていたのだ。
「とりあえず、これからどうするか、考えましょうか。一番最初の目的は、多分名詞とか動詞とかを同定して、主語述語目的語がどの順番になるかを推定して、えー、それから疑問形を知りたい。今あるクラスタは、完全に品詞ごとに分かれてはいないにしろ、各クラスタ内では一種類の品詞が多数を占めてると想定します。数が少ないのが三つあるけど、短単語リストとかぶるやつがあったらそれ接置詞とかかな?後は、データとにらめっこです」
データとにらめっこというのは彼が大学院時代に指導教員から教えられたフレーズだ。実際の実験で得られるデータというのは一意的な解釈が得られるほど綺麗なものではないし、綺麗ではないからこそ思わぬところに何か新しいもののヒントが隠されていたりもするのだ。発見されて説明が付された後では至極当然に思えることが、気がつく前は意外とわからなかったりもする。慎重に条件検討され、様々な対照を置かれた実験でそうなのだから、数冊の本を解析しただけの自然言語のデータであればなおさらだ。それで、数の少ない三つのクラスタのうち二つが短単語リストに載っているものを多く含むということを突き止めた後は、各クラスタを整理してみたり、短めの文を適当に選び出してクラスタがどの順番で並んでいるのかを確かめたりした。
そうこうしているうちに、ある一つのクラスタに含まれる”ラス”と"ラサ"、”ルス”という単語が見つかった(それらの綴りに音の近い英語のアルファベットを当てると、それぞれ"las", "lasa", "leus"になる)。どれも短単語リストに含まれていて、そして同じクラスタに含まれる多くの単語について、その片方または両方が前に隣接していた。また、そのクラスタに含まれる単語の多くが文頭に現れた。パッと思い当たるのは助動詞か指示詞だ。文頭に現れること、そして多くの文でそのクラスタに含まれる単語が複数回現れることから、それらは「この」や「それら」に相当する指示詞であり、そのクラスタは指示詞と名詞が多く含まれているのではないかと推測される。改めて探してみたら、”ルサ (leusa)”という単語が別のクラスタに見つかった。これもまた短単語リストに含まれており、それら二つのクラスタは互いによく似ていて(オブジェクトの間の距離がクラスタ間で近く)、前の三つとルサを合わせてその四つは両クラスタに含まれるオブジェクトの前に隣接していた。
「これ、これ、thatとかtheseとかですよね?」
少女は興奮して何度も何度もその四枚のカードを見比べているし、彼も興奮している。興奮しているから、努めて慎重に構える。
「そうかもしれない、から、確かめましょう。ん、まずはー、そういう指示語っぽい単語が他に無いか探してみましょう。この言語に指示語が何種類あるかはわからないけど。指示語だから、名詞を修飾するのと、代名詞としても使えるって、この特徴を持ってると期待できて、で、使用頻度も高いだろうから短単語リストに含まれてると思っていいかな」
指示詞的な特徴(限定詞、代名詞としての用法)を持つ単語が他に見つからなければこれらが指示詞である尤度は高いし、他にもっと指示詞らしい単語が見つかればそれに越したことはない。指示詞を持たない言語というのもあるかもしれないが、あったとしても相当希有な事例だろう。そして、短単語リストをくまなく調べた結果、ラス、ラサ、ルス、ルサの四つが最も指示詞らしい特徴を持つということがわかった。語尾の変化は「これ」、「この」のような変化や単数形、複数形の変化のようにも見えるので、それらが指示詞であるという推測を補強するものだ。
それらが指示詞であるとすると、次いでいくつかのことがわかる。まずは文法に関して、主語または目的語が文頭に来るだろうということだ。そしておそらく主語が文頭に来る、と思う。それから、名詞のクラスタがわかる。指示詞を含むクラスタは形容詞のクラスタということも考えられるが、大体の文にその二つのクラスタのいずれかの単語が含まれることから、やはり名詞のクラスタであると期待される。主語も目的語も含まない文というのはそんなにないだろう。その名詞のクラスタに含まれる単語が大体の文で前の方に固まっていることから、基本の語順は主語、目的語、述語のSOV型なのではないかと期待される。一番目と二番目以降にある名詞の間の短単語が動詞で文末に来る単語は形容詞や副詞やその他という可能性もあるが、そうだとすると動詞の種類がやたら少なく見えるので、やはりSOV型ではなかろうか。ついでに、冠詞はどうやらなさそうで、代わりに指示詞の使用頻度が高いようだった。
一気に視界が開けた。三週間にもわたる作業が報われた。特に彼にとっては、本当にこの方法で言語を解読できるのだろうかという不安があったので、小躍りするほどの成果だった。実際彼は立ち上がってガッツポーズをし、くるくる歩き回って、それに触発された少女も立ち上がり、満面の笑みでハイファイブした。いえーい、ぱちん。指示詞、この指示詞は、特にまだ慣れていない外国語を使おうという際にはものすごく重要だ。
「大学の授業で聞いた話なんですけどね、これ、ある物理学の教授がポスドクの頃、あ、ポスドクってのは大学院を出た若手研究者が定職を見つけられるまでの間あちこちの研究室を渡り歩く、住所不定者っていうか、渡世人時代のことなんだけどね、そのポスドクの頃、ドイツで二年間研究してたんだけど、その間に使ったドイツ語がdasとbitteとdankeだけだったって。 英語でthatとpleaseとthank youね。お店に行って、欲しいもの指差して、das, bitteって言うと店員さんがそれを包んでくれて、お金渡しておつりもらって、dankeって言えばそれでお買い物できるから、そしたら飢え死にしたりはしないから。外国で生きるための必要最低限の語彙がその三つなんだって。ん?ああ、研究室では英語通じるでしょ」
ついでに言えば挨拶もできた方がいい。日本のスーパーマーケットやコンビニではカウンターで一言も発さずにお買い物もできるが、欧米圏などでは店員と客が挨拶を交わすことが取引開始の宣言であったりもする。多分その物理の教授もguten tagぐらいは言っていただろう。Halloでも通じるだろうが。
少女はポスドクの説明の方を面白がっていたが、しかし渡世人というのはあながち誇張表現ではない。
「大学院の時、研究室に一人ポスドクがいたんだけどね、PD、あー、えっと、日本学術振興会ってところが提供してる、特別研究員ってのがあるんだけどね、それだったんだけど、お給料はその学振、あ、日本学術振興会の略称ね、学振から出るんだけど、奨学金みたいなものでね、特別研究員は別に学振に雇用されてるわけじゃなくて、で、もちろん大学に雇われてるわけでもなくて、テクニカリには個人事業主って身分なんだって言ってたよ。本当に、所属はどこ大学何研究室って名乗るんだけど、一時の宿を借りてるだけなの」
学振も大学も雇用しているわけではないから、何の保障も与えられない。新しい研究室に移る時にはまずその研究室の親分さんの前で仁義を切る、つまり、自分は今までどこの研究室を渡り歩いてどのような研究をしてきたかをプレゼンする。それで研究の腕を見込んでもらえれば、晴れてその研究室に迎え入れられる。まさに渡世人で無頼者だ。雇用でないから当然終身的な身分ではなく、ないどころか、支給期間はたったの三年間。しかも、その学振のPDというのは決してポスドクの中でも悪条件というわけではなく、むしろPhD学生からポスドクというコースを進む日本の若手研究者が一番に望むものなのだ。順当に課程をこなしても博士号を取るのは27歳で、つまり新人研究者はすでにアラサーであり、年収2-400万ぐらいで、数年先の身分は定まっていない。ポスドク身分の不安定さは日本だけではなく世界的にも問題になっているらしい。閑話休題。
指示詞が見つかったのだから、次は疑問詞を、「何」や"what"に相当するものを見つけたい。適当なものを指差しながら「ラス、何?」と聞いて、「ラス(またはラサ、レス、レサのいずれか) ほにゃらら チョメチョメ」と返ってきたら当たりだ。さらに別のものを指差しながら「ラス、何?」と聞いて、「ラス ぺけぺけ チョメチョメ」と返ってきたら、ほにゃららとぺけぺけがそれぞれのものを表す名詞で、チョメチョメが「~です」、「~と呼ばれています」などに相当する動詞か何かだと推測できる。疑問符のついた文に高頻度で含まれる単語で名詞または名詞に隣接するものを探せば疑問詞を同定できるのではないかと期待される。指示詞の発見と検証でもう夕方になってしまったから、続きは明日だ。今晩のご飯はさぞ美味いだろう。
しばらく黙々と作業していた少女が動詞のクラスタを見つけたかもしれないと言い出した。そのクラスタに含まれる単語には文の後ろ側か文末に来るものが多いこと、さらには、単語間で似た綴りを持つものが多いこと、接尾辞と思われる部分が規則的に見えることがその理由だという。少女の差し出した数枚のカードを見てみると、なるほどその通りだった。語尾の変化は動詞の活用形を連想させる。早速そのクラスタを調べてみれば同様の語尾変化をする単語が大量に見つかり、捜査を全てのクラスタにまで広げたら、他に二つのクラスタが同様の語尾変化をする単語を多く含んでいた。また、そのような単語の多くが文末に現れていた。
一応他に規則的な接尾辞、接頭辞がないかも調べてみたが、一番規則的かつ大量なのは少女が最初に見つけたものだった。他に見つかった接尾辞、接頭辞の類は名詞と思われる単語にくっつくものもあり、形容詞化、副詞化をするものや、意味を変化させるものかもしれない。しからば最初のものを動詞と考えて良いのではないだろうか。少女も少しづつ彼の神経質なまでの検証のやり方に慣れてきて、なぜそのような回りくどい確認をする必要があるのか、どのような意義があるのかをいちいち説明せずとも了解するようになっていた。そしてそのことに彼は内心で少なからず驚いていたし感心もしていた。少女はまだ彼の言に従っているだけだが、それを自分でできるようになればもう立派な科学者だ。
さて、動詞のクラスタが同定され、語尾が変化することがわかったので、次はその語尾の変化を、つまり活用を詳しく調べたい、が、そう簡単にはいかない気がする。活用といっても言語によって様々で、時制や人称、態で変化するものや、日本語のように後に続く語に合わせて変化するものもある。英語のように現在形、その三人称単数、過去形、現在進行形、完了形だけだったらそこまで難しくはなかったろう。けれど、この言語の活用形はパッと見ただけでも八種類以上はありそうだ。例えば”ココノ (kokono)”という単語、その活用形と思われるもので”ココノック (kokonozk)”、”ココノト (kokonot)”、”ココノサ (kokonosa)”、”ココノックト (kokonozket)”、”ココノックサ (kokonozksa)”、”ココネウックサ (kokoneuzksa)”が見つかっている。これだけならば共通する語尾変化としては”~ト”と”~サ”があって、ココノ、ココノック、ココネウックはそれぞれ似た綴りの別の単語のようにも見えるが、他にも”メリー (merry)”という単語が同じく”メリック”、”メレウ”、”メレウック”、”メリサ”、”メレウックト”、”メレウト”などの語尾変化をしていたり、探せば似た例がどんどん出てくる。網羅的に調べてみると、多くの動詞の語幹は末尾がa, o, yに相当する母音または子音で (a, o, y, 子音のいずれかで終わる単語の語幹の末尾がその他のものに変化することはなく)、接尾辞には~ト (-t, -et)、~ナ (-na)、~サ (-sa)、~エウ (-eu; 語幹の末尾が母音の場合には置き換わる)、~ック (-zk, -ezk) があるらしかった。このうちで~ナと~サは一つの単語に現れることはなかったので、同値のものと思われる。また~トと~サ(~ナ)が同時に現れることもなく、よって動詞の活用は全部で12種類、語幹+(無または~エウ)+(無または~ック)+(無または~トまたは~サ) の組み合わせだと予想される。接尾辞が同時に三つも、と思わなくもないが、日本語やドイツ語も接尾辞を組み合わせているようなところがあるので、ありえないとも思わない。
まずは、人称による変化があるかもしれないと思って、主語であろう文頭の名詞と活用形のいずれかに関係があるかを調べた。ネガティブだった。主語がラス、ラサ、レス、レサまたはそれに続く名詞、他の代名詞と思われる頻出の名詞、出現頻度の低い固有名詞のいずれであろうとも動詞の活用形に偏りはなかった。もしかしたら名詞に性別があったりするのかもしれないが、その場合には活用形が指示詞に依存しなくなるかもしれないが、手計算による限られた量の解析からでは判別できなかった。
次に、時制の変化ならばあるだろうと思って、時制の変化があれば時制の一致もあるだろうと思って、読点で連なる文で共通して使われているものを探した。ポジティブだった。他の活用形と比べて~ックという活用形がより多くの文でそのようにまとまって現れた。本、章、節によっても~ック形が使われるかどうかには偏りがあるようだった。時制以外でそのようにまとまって現れる活用形はあるだろうか。能動態、受動態も未然形や連体形、連用形も、仮定や命令、願望を表すようなものでも、とりあえず思いつく限りの動詞の活用を思い浮かべてみても、それらしきものは見当たらない。それとも、そうであればいいという願望が思考を邪魔しているのだろうか。とりあえず~ック形を時制の活用形としよう。この~ックと同じ位置を占める接尾辞は他になかったから、この言語の時制は現在形と過去形の二種類ということだろうか。そしてこれを確かめる方法はあるだろうか。
ついでに、人称による変化があるかを調べていた時にいくつかの代名詞らしき単語を見つけられたのも収穫だった。"セリエ (selye)"、"ナナヤ (nanaya)"、"ナナヤエ (nanayae)"の三つだ。ナナヤとナナヤエはは綴りが似ているから、性別や単数形複数形の違うものとか、格、あるいは尊称を表しているのかもしれない。セリエの方には何か変化形がないかと探索してみると、果たして"セリエア (selyea)"と"セリエブ (selyeb)"の二つが見つかった。どちらも他の名詞と同じ位置にあるように見える、ということはやはり代名詞でセリエの変化形だろうか。語尾に"-a"がつくのはラスからラサへの変化と同じようにも見える。ナナヤも語尾がアだから、もしや"ナナイ (nanay)"という単語があるかもしれないと思って探索して見たが、残念ながら見つけられなかった。
改めて名詞を調べてみると語尾が-a、-ae、それに"~ブ (-b)"のものが多く見つかり、さらにそれらについて調べてみると、その語尾が取れたような単語を見つけることができた。語尾がアで終わるものについて、セリエ、セリエアのように語尾のアの有無の変形に見えるものとナナヤ、ナナヤエのように語尾のエの有無の変形に見えるものがあったが、語幹だけのもの、アが付いたもの、そこにさらにエが付いたものというのは見つからなかったから、-aと-aeは同値の変形なのかもしれない。さらにさらに、その過程でそれらの単語の語尾にさらに"~マ (-nma)"がつく単語が見つかった。まとめると、名詞の変形には語幹+(無または-aまたは~ブ)+(無または~マ) の六種類だろうということだ。これらは単数形、複数形の変化や格変化を表しているのだろうか。いずれにしろ、動詞の活用形のように種類が多くなくて良かった。これならば調べるのもそれほど難しくはないのではないだろうか。
先日に続き、今日もまた大きな前進だ。何かが見つかると芋づる式に他のものまでどんどん出てくる。見つかった各品詞の特徴も、わかった後では至極当然のもののように思えるが、言語学者がいたらもっとスラスラわかったのだろうか。いや、クラスタリングをしていなければ検証もできなかったか。他の品詞や単語についても同じようにその一般的な特徴を考えて、と思ったのだが。指示詞がわかり名詞がわかり動詞がわかり代名詞がわかり、しかし一方で疑問詞がわからない、見つからない。
カタカナのレのような疑問符(まだそれが疑問符だと確かめられてはいないのだが)のついている文に高頻度で含まれる単語ならば、"アレ (ale)"というのを簡単に見つけることができた。この単語は疑問符のついた文にはものすごく高い頻度で現れて、かつ疑問符のついていない文に現れることはとても稀だった。そして、文中での位置は文頭に来ることもあれば、二番目に来ることも、動詞の前に隣接することもあり、あまり規則的でないように見えたし、アレが含まれるクラスタの他の単語はパッと見た限りではそれほどアレに似ているようにも思えなかった。アレ単体で見ても「何」や”what”と似ているようには思えない。さらに悩ましいのは、アレ以外に疑問文に高頻度で含まれている単語を見つけることができないことだ。もちろんアレと同じ頻度で疑問文に含まれる単語など期待していないし、けれどその10分の1の頻度で現れる単語すら見当たらないのだ。
考えてみれば、一つの疑問文に現れるだろうと期待されるのはいくつもある疑問詞のうちの一つだけだ。それでももし疑問詞が10種類しかなければ、少なくともそのうちの一つは疑問詞を含む疑問文の10分の1以上で現れるはずなのだ。ところが、疑問詞を含む疑問文がどの程度あるかもわからない。そもそも、もしも疑問詞が格変化やその他の変形をするとしたら、もっとたくさんの種類があったら、そのために各疑問詞の疑問文中での出現頻度がもっと低くなってしまっていたら。短単語リストを作った時と同じように疑問詞の候補のリストを作るというのも可能かもしれないが、しかしどれくらい時間がかかるだろうか。疑問詞を見つけるのは難しくないだろうと安易に期待していたが、実際にやってみればこのざまだ。
ちまちま作業していた彼がやおら立ち上がって部屋の中をグルグル歩き回り始めたので、少女も作業の手を止めて、どうかしたのかと視線で問いかけてきた。彼は「あー」と答えながらもやはり言おうかどうか迷い、頬に手を当てて少しばかり考えて、自分がこのように立ち上がって歩き回ったのは少女に問いかけてもらいたかったからでだろうと自分に言い聞かせた。
「あー、今ですね、代名詞と、動詞と、名詞が同定できて、その活用形と格変化もどんなのがあるかを私たちは知っていますよね(我ながら奇妙な言葉遣いだと思った)。それで、このまま同じ作業を続けて他の品詞、特に疑問詞や助動詞の類ですかね、そういうの調べたり、動詞の自動詞他動詞とか、前置詞の類とかを調べるか、それとも今わかっていることについて、ラスとかレスの実際の意味とか、動詞の活用とか名詞の格変化とかを調べる、調べるためにバートルさんたちとまた喋ってみる、その具体的な方法を検討する。うん。その二つ、の、どうするかを考えてもいいと思うんだけど」
彼は一旦そこで言葉を区切ったのだが、少女は特に何かを返すこともなく彼の言葉の続きを待っている。少女は自分が意見を求められているのだとは思っていなかったし、また彼の弱気な態度に戸惑っていたというのもあるのだろう。
「文法とかについてもっとたくさん調べるのは、そういう前知識があったほうがいざバートルさんたちから直接言葉を習おうというときに学習がスムーズになるっていう利点があります、よね。でも、テキストだけから言葉を調べるのは簡単じゃないし、時間もかかるし、例えば疑問詞を見つけたらって言ってたけど、ちょっと難しそうっていうか。で、今わかっているものについてバートルさんたちに聞いてみることの利点は、この先他の品詞について調べるにしても動詞の活用形名詞の格変化をわかってる方が効率がずっと良くなるだろうってのと、ちょっとでも語彙が得られれば彼らとももっとコミュニケーション取れるようになるかもしれないって。ただし、まだ疑問詞もわかってないのだし、今の状態でバートルさんたちに言葉を教えてくれって頼んでもどれくらい上手くいくかもわかりません。彼らもいつも忙しそうにしてますし、どれくらい時間取ってもらえるかもわからんですしね」
今彼がテキストの解析から一旦この世界の人たちとの会話に切り替えようかと言い出したのは、疑問詞が簡単に見つからなさそうだから、先行き見えぬまま作業を続けるのに疲れたからだ。しかしそもそも、テキストの解析から始めようとしたのは言葉の通じない相手と喋るのに気後れしたからだった。要は、どちらも彼としてはあまりやりたくないのだ。
しばらく黙って聞いていた少女も、彼がダラダラと喋っているのが別段何かの説明などではないということにようやく気がついた。
「えーっと、それで、もしバートルさんと話してみるとしたら、どうする、どういう風に話すんですか?」
「どう、しよっか。ノープラン。一番簡単なのは、人称代名詞とかかな。セリエとかナナヤがそれっぽいんだよね。それと数詞かな。今日、昨日、何日前ってのが言えれば動詞の時制もわかるかもしれない。カレンダー作って、お風呂とか食事のメニュー絵で描けば今日昨日がわかるかな」
「それだったら、物を食べてる絵とか、立ってるのとか歩いてるのとか座ってるのとか、そういう絵を描いて見せれば動詞とかもわかるかもですね」
「あ、うん、そだね。人称がわかってれば簡単な動作の動詞だったらすぐに確かめられるかな」
それからしばらく話し合った結果、翌日に執事を呼んで会話を試してみて、その途中でまた執事が仕事で離脱してしまったらその時はテキスト解析の続きをすればいいということになった。優先順位としてはまず指示詞と人称代名詞の確認、次いで基本的な動詞。特に寝ると食べるの単語がわかれば、その次にカレンダーを見せて動詞の時制を確かめることができるかもしれない。その日の残りの時間は手紙用の紙を取り出して絵を描いたりと翌日の準備に当てた。
執事との会話は思っていたよりもすんなりと進んだ。タクミが自分を指差して「セリエ?」と聞いてみれば、執事は少し驚いたような表情をして、
「ニー。セリエセリエタイエリエエヤト。ミミエリエセリエタイセリエエヤト。セリエ、エリエ。ミミ、エリエ、セリエ」
と言った。一文中での単語の区切りはわからなかったが、セリエと加えてもう一つ”エリエ”という単語が繰り返されているようだ。
「セ、セリエセリエ、タイ、エリエ?」
最初のフレーズを真似してみようとすれば、執事は今度は単語を区切るようにもう一度ゆっくりと繰り返してくれた。
「セリエ、セリエタイ、エリエ、エヤト。エリエ、セリエ、タイ、セリエ、エヤト」
やはり、セリエとエリエという単語が出てきて、二文の間でその位置を交換している。これ見たことある。りんたろう版メトロポリスのけんいちとティマのやり取り、僕は君、君は僕、だ。はじめに自分を指差して「セリエ?」と聞いて「ニー」と言われたから、セリエがあなたでエリエが私だろうか。しからば"セリエ タイ”というのは、あなたにとって、という意味かもしれない。”エヤト”というのは文末にあることと語尾がトであることから動詞で、文脈からしてbe動詞的なものではないかと思われる。
そこで改めて自分を指差して、
「エリエ、エリエ、タイ、エリエ、エヤト。エリエ、タクミ、エヤト」
と言えば、執事は笑顔で「エー、タタヒ!」と言いながら頷いたから、どうやら正解らしい。次に、「セリエ、バートル、エヤト」と言ってみたところ、
「エイ、エリエマミヤマエバートルエヤト」
と返ってきた。エリエに続いてマミヤマエと聞こえたが、最初のマはエリエの格変化、エリエマだとすれば、~マは所有格で、”ミヤマエ”が名前で、私の名前はバートルです、という意味かもしれない。「ミヤマエ?」と首を傾げながら聞いてみたら、
「エイ、ミヤマ。ラスミヤマエウタイカカエバミラミツケリタエヨトハラアイネウトトエヤト。アノ、エリエマミヤマエバートル、セリエマミヤマエタクミ、(少女の方を指して)ミミナナヤマミヤマエスズエヤサ」
と返ってきた。ゆっくりと喋ってくれていても長くなると聞き取れないが、最後の方で「ナナヤマ ミヤマエ スズ エヤサ」と言っていた。すると、ナナヤは彼女を指す三人称かもしれない。エヤトからエヤサに活用形が変化しているが、どのような違いがあるのかわからない。
用意しておいた絵を見せて確認したところ、やはりエリエとセリエは私とあなたで間違いなかった。前面の人が遠方にいる長髪の女性を指差している絵でその前面の人にリンクしている吹き出しにナナヤと書き込んだところ、それも正解だったらしく執事は頷いた。次いで同じく前面の人が遠方にいる口髭を生やした男性を指差している絵を見せて首を傾げたところ、執事はその吹き出しにもナナヤと書き込んだ。どうやらこの言語では三人称で性別を区別しないらしい。花の絵を見せたら「キエル」、手に持った花をもう片方の手で指差している絵を見せたら「ラス キエル」、遠方にある花を指差している絵を見せたら「レス キエル」と教えてくれたから、ラスが「これ」でレスが「あれ」だということだろう。
数詞は簡単にわかった。一から順に、ピン、タオ、サー、コウ、ザ、イノ、ショウ、メテ、ワ、キオ、キオピン、キオタオ…、20はタオキオというふうに十進法が使われていた。カレンダーを使っての会話を色々と試していたら、執事が今日を表す箇所を指差して「ラスドミエトオミ」と言い、次いで昨日を表す箇所を指差して「ラスドミエタリツケ」と言った。
「タリツケエピンドミフェイトオミフタエヤト」
ギリギリ聞き取れる長さで、タクミたちがその言葉を繰り返そうとしたら、執事もまたゆっくり言葉を区切って繰り返してくれた。
「タリツケ、ピンドミ、フェイ、トオミ、フタ、エヤト」
ついでにタリツケと言いながらカレンダーの昨日の箇所を指して、トオミと言いながら今日の箇所を指していたから、それぞれ昨日と今日を表す言葉で、しからば先の文は「昨日、ひとつドミ、フェイ、今日フタ、です」であり、さらに前にカレンダーをさしながらラスドミと言っていたので、ドミは「日」で、フェイとフタに文脈に合わせて適当なものを当てはめるとすれば、「昨日、一日、前、今日から、です」すなわち「昨日は今日から一日前です」になるのではないだろうか。試しに二日前を指して、
「ラス、ドミ、タオ、ドミ、フェイ、トオミ、フタ、エヤト?」
と聞いてみたところ、正解らしかった。
動詞を調べるのも難しくなかった。寝るは”ラ”、食べるは”ヘミ”、風呂に入るは”クラガリコエテイ”で、執事は風呂の衝立の方を指差して「クラガ」と言い、手桶で体にお湯をかけるような仕草をしながら「コエテイ」と言ったから、クラガが名詞、コエテイが動詞、そして”リ”は接置詞の類なのだろう。時制についても、やはり~ックは過去形らしかった。
「エリエ、タリツケ、クラガ、リ、コエテイックト」
と言ってみれば、
「エヤ。タリツケ、デュ。セリエブタリツケデュクラガリコエテイックサ」
と返ってきた。タリツケの後に”デュ”を付けろと訂正されたのだろうか。これも接置詞の類であるならば、このデュとリ、タイ、フタは日本語の助詞と同じく後置詞なのかもしれない。
結果論的に言えば、執事と会話を持ったのは正解だった。新しくわかったこともあるし、何より少なからず会話が通じたことで執事も彼らの言語学習により協力的になったようだった。昼食後に執事が何冊かの絵本を持ってきて、「ラサエリエマレトリアアユアド」と言って渡してくれた。「ラサ エリエマ」と言っていたから、執事の私物なのだろうか。絵本はテキストの量こそ少ないが、しかし絵から内容を推測することができた。ある一冊の絵本では子ウサギが野原で様々な動物に出会い、その最後に親ウサギの元にたどり着くのだが、子ウサギが他の動物に会うたびに、
「アレ ダーヴァ カカ エリエマ マア シト ト マタサ?」
と相手に尋ね、聞かれた動物は
「ニヤ。ニオ マタ ナト。セリエ アレ (毎回違う単語いくつか) カックサ?」
と答えていた。子ウサギは親の居場所を尋ね、相手は知らないと答えているのではないだろうか。最後に親ウサギと出会ったところで子ウサギが「マア リ トメラト!」と言っているから、”マア”が母親あるいは父親だろう。”マタ”が「知っている」という動詞で、”ニオ マタ ナト”はその否定形だろうか。主語が省略されているようにも見えて、もしかしたらハイコンテクスト言語なのかもしれない。ニオに関してテキストを調べてみたら、”主語 ニオ (目的語) 動詞 ナト(またはナサまたはナナ)”という構文があるようだった。
子ウサギが「ネーデルシェ。ララカ!」と言って、相手も「ララカ」と返して別れていたから、ララカが別れの挨拶で、ネーデルシェは謝辞かもしれない。プレゼントを渡している絵を描いて、受け取った側にリンクした吹き出しにネーデルシェと書き込んだものを執事に見せて確かめられた。
語彙や文法に関する知見が得られればその分だけ学習も容易になった。「人」を表す単語は”エバ (eba)”で、その複数形は”エバエ (ebae)”だった。同様にラサはラスの複数形だ。そして、”エバブ (ebab)”もまたエバの複数形らしかった。複数の人が描かれた絵を指して執事はそう言っていた。ただし、”ラサ エバエ”で、”ラス エバブ”。しばらく頭を悩ませて、この言語には複数形が複数種あるのではと思い至った。日本語にだって「人々」や「人達」など複数形を表す言い回しがいく通りかある。”ラス エバブ”ということは、語尾-bの変形は複数のものをまとめて一つというような捉え方なのかもしれない。「呼ぶ」は”アイノ”で、「呼ばれる」は”アイネウ”、すなわち-euの活用形は受動態を表していた。テキストに低頻度で混じる漢字のような複雑な形の文字は飾り文字のようなもので、数千種類あるというがそれぞれ簡単な形の文字と対応しており、一般の人たちも書けはしないが文脈から推測して読むことができるらしい。
それでもやはりわからないものも多かった。執事も積極的に協力してくれるようになったとはいえ、忙しいのは相変わらずで頻繁に席を外した。テキストの解析と執事との会話でなんとか疑問詞を見つけようと頑張ってみたが、しばらくしてからわかったことだが、この言語では疑問詞の使用頻度はやたら低いらしかった。アレは否定形を作るニオ~ナと同じ助動詞のようなもので疑問形を作るもの、”ダーヴァ”は「場所」、”カカ~ト”は入れ子の構文を作る関係代名詞のようなもの、マアは「母親」、”シ”は「居る」、そして子ウサギのセリフを直訳すれば「私のお母さんのいる場所を知っている?」だった。執事は本棚から辞書を取り出してくれたが、しかしそれは現代のものほど体系的な記述がなされているわけではなかったので、文法解析に関しては役に立たなかった(語彙の獲得はものすごく捗ったが)。動詞の~トと~サ(ナ)の活用形の意味がわかったのも随分経ってからだ。
しかし、会話をする分には大して問題はなかった。その言語がハイコンテクストだったというのもあろうが、人対人の会話であれば多少文法が間違っていても通じないことはなかった。執事や使用人がペラペラ喋ると聞き取れなくなるが、いくつか拾えた単語をもとに内容を推測して聞き返せば確かめることもできる。簡単な要望を伝えられるようになったし、食事時には料理について聞いてみたりもするようになった。屋敷の外も見てみたくなって、それで使用人に食材の買い出しについて行ってもいいかと聞いたら、多少驚かれながらも快く了承され、執事までついてきて市場や店を案内された。小綺麗な酒屋らしき店ではそれなりに良さそうなボトルを買ったらしかったが、もしかしたら普段は行かないところをわざわざ廻ってくれたのかもしれない。服が必要ならば後日改めて服屋に案内しようかとまで言われた。
言葉がある程度わかってきて、語彙が増えてきて、代名詞や助詞が大体わかって、改めて自分たちは運が良かったのだと思った、というのは、短単語リストの作成もクラスタリングもうまくいったのは運が良かったからだろう。あれっぽっちの計算量で意味ある結果が得られたのはただの偶然ではないだろうか。例えば、パソコンを使って同じアルゴリズムで、もしくはもうちょっとマシなアルゴリズムで適当な言語を対象に同様の解析をしたとして、それが成功するのはどのくらいの割合だろうか。解析をしているときはただ必死だったが、振り返ってみれば、なんだか自分自身に呆れてしまった。
風呂を片付けてもらった後で、タクミとスズは客間のソファーに座ってくつろぎながらその日の成果について喋っていた。この世界に迷い込んでからすでに39日目だ。ある程度簡単な会話ができるようになってきたので、改めて諸々の作法、テーブルマナーやお手洗いの使い方、お風呂の使い方、歯磨きや洗顔、服装などについて尋ねてみたのだが、彼らのこれまでの立ち振る舞いでそれほど問題ないらしかった。この規模の屋敷の主人連中ともなれば沐浴を使用人に手伝わせるのが一般的だと言われたが、二人で相談した結果現行のままで良いということになった。ついでに、ここの文化では髪を石鹸で洗うのは貴族でも月に一度程度で、普段はせいぜい水洗いで済ませているということだった。
新しい語彙の獲得についも順調だ。はじめのうちこそ辞書である単語を調べるためには、その解説を読むためには、その文章の単語を辞書で調べなければならないというわけで苦労もしたが、それも単語カード、すなわち彼らお手製の和訳辞書の更新が進むごとに簡単になってきた。
「この言葉調べるの、始めた頃は何にもわからなくて、文字見ても目がチカチカするだけだったけど、わかるようになると楽しいですよね」
少女は嬉しそうにそう言ったのだが、対して彼の方は曖昧な笑みで「んー、そう?まあ、そうね」と返すきりだ。その表情はどこか嫌味ったらしくすらあった。
「あー、ほら、僕はあれだ、ゲームをクリアしちゃった感というか。難しいパズルもさ、解き方わかっちゃって、簡単になっちゃったら、みたいな」
そこで彼は一旦言葉を区切って虚空を見上げた。昔の彼も、多分学部二年生くらいまではそうだった。
「スズはさ、学校のテストとかで良い点取れたら嬉しくて、悪かったら悔しかったりするでしょ。それがね、もしかしたらいつかそうじゃなくなるかもしれない」
問題が課題があらかじめ決められたものが与えられてそれを解けるかどうか試されるのだとしたら、正答を得られて喜ぶのは当たり前のことだ。けれど、行き着くところまで至ることができれば、問題は与えられるものではなく自ら与えるものになる。その時、解ける問題というのはつまり問題ではなくなる。そして、「答えがわかる=楽しい」ではなくなる。
「簡単に解ける問題がってのは、あれだ、ゲームやりこんでるとさ、そのうち鬼畜難度のやつやりたくなるような、そういうの」
実のところこれも学生時代の指導教員の受け売りだったりする。研究はテストじゃない、簡単に答えが得られるようなものは研究対象にはならない、諸君らに必要なのは価値観の転換だと言われた。さすがは准教授と感心したところに、「つまり、研究者ってのは廃ゲーマーみたいなもんだな」と続けられたから色々と台無しだった。先輩が「先生、フロムファンなんだ」と耳打ちしてくれた。
「そっか、タクミさん、これゲーム感覚でやってたんだ」
ちょっとの間考え込んでいた少女が顔をパッと上げて言った。
「うん。というか、そう思わないとやってらんない」
「そっか、でも、そっか、なんか、すごいな」
そう呟く少女は本当に感心しているようで、彼の方こそまた驚かされてしまった。
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