檸檬

夢美瑠瑠

檸檬


掌編小説・『レモン』


檸檬(レモン)は、16歳の女の子だった。

檸檬という字は難しいが、物心つく頃には、それがあの、黄色くて爽やかな、香り高い果実のことだというのを檸檬は知って、自然とレモンが好きになった。好きで、いつもレモンをかじっているので、やがて成熟していくにつれ、抜けるように白い美肌の美少女に成長した。

そうして全身に漂っている馨しいレモンの芳香で、周囲の男性だのを魅了せずにおかない、そういうこの世に二つとない、「レモンの妖精」みたいな祝福された存在になった。

 もともと白皙で肌の綺麗な家系なのだが、レモンのビタミンCだのが、磨きをかけて、肌がこう、いつも青い蛍光を放っているような、そうして艶々と輝いているような、誰しもが目を瞠る、そういう固有の美質が、檸檬には備わっていったのだった。

 肌だけではなくて、顔立ちもちょっとエキゾチックで綺麗なのだが、あまりにも美しい肌が、檸檬をおのずと特別な存在となして、「いったいこの人は誰?」と、

出会う人がちょっと戸惑ってしまうような、ちょうどダイヤや真珠のような玲瓏な貴金属が、生命を吹き込まれて美少女となったとでもいうような、特別な印象を与えたのだ…


 檸檬は、どちらかというと孤独が好きなタイプで、だから小説とか詩とか文学にはよく親しんでいた。

「檸檬」がモチーフの文学、例えば梶井基次郎の「檸檬」も、愛読書だった。種々雑多な書籍を積み上げた書肆の店先で、鮮烈なイエローの光を放つ檸檬を、書籍の山の上に乗せる、それでパッと全体の統一が取れて、美しい構図が出来上がる…

そういう唯美的なイメージの短編だが、レモンという果実の不思議で清涼な特別の存在感、それが文学的な感興として昇華されている、そういう感想を抱いた。

 高村光太郎の「レモン哀歌」も愛誦していた。

「そんなにもあなたはレモンを待っていた・・・あなたの手の中のひとつのレモンを、あなたの健康な歯ががりりと噛んだ。トパアズ色の香気が立つ」

「花を飾った写真の片隅に、涼しく光るレモンを今日も置こう」

そういうくだりには詩人のレモンに対する好感が感じられて、自分が好意を持たれているような気がした。

 さだまさしの「檸檬」は多分梶井基次郎の「檸檬」へのオマージュだろう、そう見当がついた。

 そうした文学との接触は、檸檬の端整な眼差しの翳を深くしていった。


… …

 あまり誰も見たことがないほどに純白で美しい肌の少女・檸檬には、

思春期になると当然のようにたくさんの男が纏(まと)わりついた。

「あなたのように美しい人には逢ったことがありません。

交際してほしい」

「うちはこの町で一番の資産家です。ぜひ結婚を前提に付き合ってください」

そういうラブレターもしょっちゅう届いた。

 だいたいは黙殺していたが、ある日にちょっと毛色の違うラブレターが届いた。

こうあったのだ。

「前略 初冬の候 檸檬さんに置かれましてはお変わりないことと存じ上げます。

私は本多文雄といって、あなたの高校の二学年上で…

…芥川龍之介は、求婚の恋文にただ「僕は文ちゃんが好きです。ただそれだけです。

それでよければ来てください」そう綴りました。

 自分に絶対の自信があるから、レトリックを弄する必要もなくて、なんらの畏れも、衒いも、葛藤もなかったのです。

 僕にはそれほどの自信はありません。

 自分の愚かさや、醜さに絶望していて、自分の灰色の世界を根本から変革してくれる、奇跡のような愛らしい天使の降臨?そうしたものを希(こいねが)っているのです。

 貴方を一目見たときに、「この人こそその天使だ!」

 僕は確信しました。

… …(云々)」

こういう調子でえんえんと30枚ほどの恋文が綴られていて、最後には「〇月×日、午後2時に○○公園の銀杏の下のベンチでお待ちしています。いつまででも待っています」

と、あった。

(いったいどんな人なんだろう・・・)檸檬は、興味を惹かれて、お気に入りの手袋をはめて、マフラーを巻いて、ダッフルコートを着て、指定日時にベンチへと行ってみた。

 はっはっと白い息をついているその姿は、さながらに雪の妖精、白い天使、そういう趣だった。

…古ぼけたベンチには件の男がいた。

 詰襟姿の男は、黒ぶちの眼鏡をかけていて、文庫本を読みながら、長身の背筋をピンと伸ばして座っていて、銀杏の枯葉にたくさん降りかかられていた。


 「あの・・・本多さんですか?」

 右手にひとつレモンを持っている檸檬は、 クリスタルの鈴を転がすような、愛らしい声で尋ねた。

 「檸檬です。ラブレターを読んで・・・なんか感動したんで来ました。お隣に座ってよろしいですか?」

 こっちを向いた本多文雄はちょっと眉をあげて、神経質そうに頬をぴくぴくさせながら、それでも割と人懐っこい笑顔になって、「どうぞ」と、手招く動作をした。

 「僕は小説を読んだり書いたりするのが趣味で・・・図書館の文学全集とかは

全部読破しています。ネットの新人賞とかでも佳作に入選したりするんです。

檸檬さんは文学とかお好きですか?」

 一通り挨拶が済んだ後で、ニキビが華やかな、思春期の本多は訊いてきた。

 「ええ。私もよく小説とか読む方ですよ。どちらかというと文章がきれいな作家が好きで…谷崎とか、志賀直哉とか…アナクロっぽいけどなんか典雅な?端正な文体で語彙の豊富な作家が好きです。あなたはどういう小説を読むの?」

 「僕は濫読ですね。谷崎や三島も好きですが、日本の古典とか中国の四大奇書とかも愛読しています。柳斎志異とか日本霊異記…遠野物語、河合隼雄、ユング、サルトル…百花繚乱ですね。かなりマニアックで話についてこれる人は滅多にいません」

 「…ふうん。見かけもそうだけどすごい文学青年なんですね。私を文学作品のヒロインに例えると誰になるかしら?」

 檸檬は、携えてきたレモンを一口かじってからそう尋ねた。

 「そうだなあ…「細雪」の雪子さん。「谷間の百合」のアンリエット。

 「紅楼夢」の黛玉。だけどもっとユニークだし、美しいですね。

 従来の作家ごときのイマジネーションではあなたのような人は生み出せません。

 空前絶後で唯一無二の、究極的な天使という…僕の目にはそう映ります」

 「ウフフ。まあ、素敵に褒めていただいてありがとう。つまらない女だけど、

貴方のような、文学辞典みたいな人にそういってもらえるのは本当に光栄です。

 私から見たらあなたは、そう…ロマンチックすぎる「ジュリアンソレル」って感じかしらね?」

…二人はあれこれと文学談議に花を咲かせて、時を忘れた。

 焼き芋屋が通りかかったのでふかした焼き芋を買って、二人で食べた。

 終始冷静で、意志の強そうな表情を崩さない文雄は、頃はよし、と、意を決したように告白を始めた。

 「檸檬さん、僕の人生の筋書きの中の最初で最後の恋人、になってもらえませんか?勿論先のことは分からないけど…今の処あなたの奇跡のような美しさと知性に相応しい男は僕以外にあり得ない、そういう気がするんです。うぬぼれというより、

客観的にあらゆる状況証拠や検証できる現実への認識を公平に吟味した場合、そういう結論が出るというのが僕の見解です」

 言い回しの難解さに、檸檬は目を白黒させたが、この男のことは嫌いではなかった。寧ろ、こんな独特で魅力に満ちた個性には出会ったことがなくて、一目ぼれしていた。

 「よろこんで…運命の出会いって、きっとこういう感じかしら…」


…こうして二人の愛の物語の第一章が幕を開けた。

これからの展開…それは神のみぞ知る、ことだった。



<終>

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檸檬 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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