夢千夜

@Q-R1

第一夜

くだらない夢を見た。

俺が物書きとして成功して、世界中で自分の書いた物語が読まれる、そんな夢物語を。

あれから10年が経つ。今もそんな夢を見続けている。


最近、アルコールの量が増えた。

飲んでいるうちは、夢を追いかける自分と、今の自分を比べなくて済むから。

霞みがかったこの世界なら、未だ迷子のように右往左往する自分を、直視しないで済むから。

布団から出ることもせず、枕元の原稿用紙は紙飛行機、未完成の鶴、手裏剣なんかに形を変え、部屋の中を埋め尽くして行った。それでも嫌気が差すと、時々家を飛び出し、近所の公園に行く。

大した金はないから、コンビニで買った安いのちびちび飲んだ。

ベンチに腰掛けて、ふと、空を見上げると、雲ひとつない晴天だった。その深すぎる青に、体が吸い込まれていく感覚。

五分程そうして空を見ていると、飛行機が青い空に一本線を残して、何処かに消えた。

不意に、かつての若々しい情熱が全身を包んだ。

今なら、書ける気がする。根拠のない漠然とした気持ちだったが、同時に強い確信があった。

風を切り、肩で息をしながら転がるようにして家に帰り、原稿に向かう。

書きたい事は山ほどあった。でも、そのどれもが俺の頭の中ではすぐ灰になって風が吹き、跡形もなく消えてしまった。

しかし今日の俺は違う。

思い浮かべた情景は、いつまでも色鮮やかで、消えずに俺の頭に焼き付いた。

ペンが脳髄についていかない。こんな感覚まだ若かった頃ですら味わったことがなかった。

それから2日間、俺は一睡もせず書き続けた。途中から記憶は曖昧で、

目が覚めると、見知らぬ天井があった。


完全に治るまで大体1、2週間ですね。

はい、病院に来てください。抜糸するので。

それじゃあお大事に。

後、それから、お酒。

できるだけ控えてくださいね。肝臓大分弱ってましたよ。


病院から出ると外は灰色の曇天で、太陽はどこにも見当たらなかった。

あの日、俺は公園のベンチで寝ていたところを、どこかのガキが投げたボールをちょうど頭にくらい、病院に運ばれたらしい。医者から聞いた話だが、そのガキは近くの高校のエースで、三針縫う程度で済んだのは不幸中の幸いだったらしい。わざわざ学校の教師まで謝りに来たから、俺は面倒臭くてずっと狸寝入りを決め込んでいた。


ガキの親が来て、今回のことは御内密に、と置いて行った万札を握り、俺は駅前の居酒屋に入った。

火がつくと、浴びるようにのんで、帰路に着いた。

外に出ると雲はすっかり消えて、闇夜にひとつ、大きな満月。

不思議と、絶望はなかった。

夢に見たことが、夢の中の事だったに過ぎない。それほどの驚きもなく、喪失感も無かった

それなのにどうしてだろう、月は霞んで見えた。




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