Gluttony

白藤 桜空

第1話

 天使と悪魔。

 古来より善と悪の象徴とされてきた。

 天使は人を救い導き、清く正しく善なるもの。悪魔は人を惑わし堕落させ、醜く恐ろしく悪なるもの。

 天使は悪魔を滅ぼそうとし、悪魔は天使に対抗する。敵対関係は変わることなく、決して混じり合うこともなく、今も人間を守り奪う争いを続けていた。それが存在意義だから。


 でも、本当にそれだけの存在なのだろうか。人間を人間たらしめるらが、ただその機能を果たすだけで満足できるのか?


 ––––それこそ、神のみぞ知るのだろうか。







 閑静な住宅街で、それはひときわ大きく目立っていた。近隣の住人で知らずにいることは不可能なそれは、沢山の生死と向き合い寄り添い続けてきた。

 大学府属の総合病院。老若男女全てに分け隔てなく高度な医療を施す施設には常に大勢の人々が動めいていた。人ならざる存在が簡単に混ざれる程に。


 巨大な病院の上空でパタパタと羽音がする。白い一対の羽の持ち主は探し物をするように施設内をぐるぐると廻っていた。すると何か気付いたようだ。終末医療病棟へ近付いていく。


「微弱ですが……の気配がしますわね。」




 そう呟きながら、羽の生えた美しい少女が病棟に入って行く。少女は未発達で中性的な、柔らかそうな細身の身体を、たっぷりとした真っ白なワンピースに似た服で包んでいる。光り輝くような金髪はゆるく波打ちながら地面すれすれの長さがある。頭の上には光の輪が浮かび、その姿はまさに「天使」だった。

 はたから見ると綺麗な反面奇抜な格好の少女だったが、周囲の人々が気にする様子はなく、少女も人々には目もくれずに険しい顔で周囲を見回しながら病棟内を一周する。


「……どこに行っても微かにしか気配を感じない。この弱さは下級かしら。弱すぎると辿りづらくて困ったものですわ。」


 諦めの滲んだ声を溢しながら、少女は最後に中庭へ出る。

 するとベンチに一人の女看護師が座っていた。休憩中なのかコーヒー缶を飲みながら空を眺めている。風が彼女の漆黒の髪を乱す。ボブヘアの毛先が女の浮世離れした美しい顔を際立たせている。


 どこにでもある景色なはずなのに、彼女がそこにいるだけで絵画の場面のような美しさを放つ。蠱惑的なその美貌は、通常なら振り返らずにはいられないだろうに、中庭にいる誰もがまるで彼女がそこにいないように振る舞う。「使姿



「見つけましたわ……。」


 少女が生唾を飲み込む。気配を消して素早く女看護師に近付き、後ろから声をかける。


「何を、しているんですか?」

「……待っていたのよ。使が嗅ぎつけるのを。」

「あら。貴女程弱い如きが、随分と余裕があるのですね。」

「弱い?」


 悪魔と呼ばれた看護師がニヤリと口元を歪める。

 よく見ると女の足元の影の頭部には、ないはずのが生えていた。


「影に落ちる角すら隠せない下級悪魔なんて、弱い以外言いようがありませんわ。大人しく消されなさい。」



 そう言うと天使はどこからか銀細工の短剣を出現させ、女の首元目がけて振るう。

 天使が持つ武器には滅魔の力が込められている。そして持ち主の天使より格下の悪魔は触れるだけで消し飛ぶ。武器を扱う技量など関係なく、それが天使の武器である聖剣という存在。


 ……そのはずなのに天使が振るった短剣は悪魔を消すことはなかった。それどころか悪魔は刃を素手でわし掴んでいる。にやけた表情のままで。


「ッ…!?なんで……?!」

「ふふ。いきなりひどいじゃない。せっかく声をかけてくれたのに、もう始めちゃうの?」


(掴まれた聖剣がびくともしないッ!悪魔なら触れれば焼け爛れるくらいはしますわ。なのにということは……!)


「貴女の弱さでは私にかすり傷もつけられないわよ。そうね、社会見学と思って、良かったら話相手にならない?」


 聖なる武器に触れて平気なのは仲間である天使か、悪魔を付き従えられる力を持つ超上グランド級悪魔しかいない。平凡な下級天使である少女は、到底叶わない相手を目の当たりにして震えだす。目的は分からないが罠に嵌められたと気付き冷や汗を額に浮かべる。

 少女は急ぎ上級天使に連絡しようと念を送ろうとするが、パチンと弾かれる。

 気付けば目の前の悪魔がベンチから立って振り向いていた。巨大な二対のこうもり羽を羽ばたかせ、外界を遮断する結界を展開している。隠されていた圧倒的なオーラが放たれ、天使の息が詰まる。


「ふふ。こんなペーパーナイフ、話すだけなら必要ないわよね。」


 そう言うと女は掴んだままだった短剣を片手で粉々にする。超上グランド級天使にしか作れない聖剣は下級天使にとってなくしてはならない武器。それが壊されてしまえば、天使はもはや自力で悪魔を倒せない、ただの非力な存在に成り果てる。


「あ……ああ……。」


 唯一の抵抗手段を目の前で壊された少女は涙目になりながらも、それを零すことなく話しかける。


「……私は……ハァ、何をすれば、ッよろしいのでしょうか?」


 息も絶え絶えに問いかけると、ふっとオーラが弱まる。女の背中からは羽が消えていた。


「うふふふ。物分かりのいい子は好きよ。まだ若そうだものね、頭が凝り固まってなくて素直ね。ほら、もう弱めたから、動けるでしょう?ここ座って話しましょうか。あ、でも天界うえにいる奴ら、私嫌いなのよねぇ。なるべく相手したくないのよ、だから、ね?」


 と話しながら悪魔が手のひらの粉状の聖剣を振りまき、ベンチを指し示す。

 油断させてから連絡しようとしているのを見透かされていた少女は、何もかも諦めて大人しくベンチに回り込み腰掛ける。

 女はその様子を確かめると、ベンチの隣にある自販機で飲み物を買い、少女に差し出す。


「はい、私だけ飲んでるのもなんだからあげるわ。適当に貴女こういうの好きそうってだけで選んだけど……天使も本来はあまり飲まないんだっけ。好みとかないかしら。」

「え?ええ、まあ。必要ありませんもの……。」

「ま、とりあえず飲んでみて?」


 少女がびくびくしながら受け取ると、女が横に座りベンチに置いてあった飲みかけのコーヒー缶に口をつける。

 少女は人間のような言動をする女に戸惑いながら、受け取ったものに目を向ける。ピンク色のそれは一見すると飲み口がないように見えた。隣の女を覗き見ると同じ形状のものなのに穴が空き、そこから中のものを飲んでいるようだった。

 よく見ると上部に円が描かれている。そこを開ければいいのかと気付いた少女は穴に指を突っ込む。


「?!?!」

「ん?どうし、ってあぁ……貴女開け方知らなかったのね……。人間より力が強いとこういう時不便ねぇ。プルトップの使い方知ってると思った私も悪いけど……なんとかしてあげるから手、離してごらん?」



 少女は何が起きたのか理解しきれていなかった。手の中のものは当初の筒状の形を保てておらず、ひしゃげ、ピンク色の液体を滴らせていた。硬い物質のようだったからと少し力を込めて穴を押そうとしただけなのに、なぜ目の前のものは潰れてしまったのか。

 原因も対処も分からなかったので、女に言われたように恐る恐る手を離す。



 ぐちゃぐちゃの缶はそのまま落ち……ることはなく、手を離したのにくうを浮いている。そのまま缶が光に包まれると、瞬きする間に元通りになる。それを女悪魔は手に取り、優しい声で語りかけてくる。


「中身全部は戻しきれないけど……ほらこうやって、この、プルトップっていうのを指に引っ掛けて手前に引くと……。」


 カシュッ


 小気味いい音を立てて缶に穴が開く。その形は女を盗み見た時のものと全く同じだった。



「あと濡れた手と服は自力で乾かせるでしょう?さすがに天使にすんのは疲れんのよね。結界で時間緩めてるけど、この後まだ仕事残ってるし。」


 事もなげに言っているが物体を巻き戻すのも結界で時間を操るのも、かなりの魔力を使う。それを人間に擬態したまま行える彼女は、伝説レジェンド級なのでは……


「おーい。早く汚れ取らないとやりづらくなるわよ?」


 顔の前で手がひらひらと動く。眼前でより一層見せつけられた力量差に思考が停止していたらしい。慌てて汚れを浄化すると再度飲み物が差し出される。


「やっぱり天使の服は便利ねぇ。少し魔力込めただけで綺麗になるなんて羨ましい限り。悪魔私らは汚れてる方がいい、なんてのが常識だけど、あれ昔っから嫌いなのよね。」




 そう言いながら微笑みかけてくる彼女を、悪魔だと知らなければ天使のようだと、少女は感じた。

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