(4)
『明日暑くなりそう~。いつから夏服にする?』
他愛のないメッセージ。しかしそんなメッセージをだれかに送るのは、高校二年生にして初めてのことだった。
送る相手は鴻一郎。「催眠アプリ」によって「昔と同じようなおしゃべりをする仲」になった相手である。
わたしは鴻一郎からのメッセージが返ってくるのを待ちながら、クラスメイトだけで構成されたグループトークができるルームを覗く。みんなも明日から気温が上がって行くとの予報に、夏服をいつ着だすか、そんな他愛のないトークに興じている。
もちろん、わたしはここで発言したことは一度もない。既読スルーとか、それに起因するイジメだとかに、わたしはまったく関係がなかった。
なぜならわたしは空気だから。クラスカーストの最底辺のさらに下に位置する存在。それがわたし。
けれども……今のわたしには「催眠アプリ」がある。これを使えば、このグループトークにだって自然に入っていけるようになれる……かもしれない。
いや、なる! なりたい!
わたしは、キラキラした青春を送りたいんだ!
人生において一度きりの高校生活。青春。モラトリアム。そういうものを同年代の友人たちとすごして、思い出を作りたかった。
このまま、カラッポな自分でいるのは嫌だったし、怖かった。
ロクなコミュニケーションを取れないままでいると、社会に出ることすら叶わないような気がして、とても怖かった。
でも、今のわたしには「催眠アプリ」がある。これを使って友達を作って行けば、いずれは普通にコミュニケーションを取ることができる「真人間」になれる……そんな気がする。
そう、これはわたしのため。エゴむき出しの欲望の塊。でも、どこかでわたしは一歩進まなければならないとも思っていた。
「催眠アプリ」なんて
わたしは変わるんだ。変わりたいんだ。友人とワイワイと遊びたい。キラキラした青春を送りたい。
それは今まで意識しないようにしていた、わたしの中にある切実な願い。
普通だったら、叶うことなく終わるはずだった願い。
けれども今、その「願い」は叶うところにあった。手を伸ばせば触れられる距離にあった。
それならもう、やるっきゃない。
行動に移すしかない。
失敗が怖い、とか言っている場合じゃない。
わたしはトークアプリの中でワイワイと会話を交わすクラスメイトたちのテキストを見ながら、明日からの計画を立てて行った。
翌日、鴻一郎の家の前を通り過ぎようとしたところ、ちょうど彼は玄関扉から出てくるところだった。
「あ、おはよう」
「オ、オハヨウゴザイマス」
ごく普通にあいさつをしてくる鴻一郎に、わたしはもごもごと口を動かして、どうにかこうにか返事をすることに成功する。
朝のあいさつなんて、家族以外とは滅多にしないので、とっさに言葉が出てこなかったのだ。
もちろん学校に行ってもあいさつなんてしてもらえないし、自分からもしない。だって一〇〇パーセント返ってこないのは予想がつくし、そんな想像だけで心が折れそうになるからだ。
「いっしょに行く?」
「ヘアっ?!」
「いや、せっかくだしいっしょに行くのはどうかなって」
「え、あ、ハイハイ、そ、ソウデスネ。うん。いいとオモイマス」
しゃべり慣れてないわたしは、長文になるとどうしてもカタコトじみたセリフになってしまうのだった。日本で生まれてずっと日本で暮らしてほぼ日本語しかしゃべったことがないというのに……。
しかし「催眠アプリ」が効いているのかいないのか、はてまた鴻一郎が心優しい人間だからなのか、彼はわたしの不審者ムーブなど気にはせず、「じゃあ行こうか」と朝にお似合いのさわやかな笑顔を向けてくる。
わたしはそれだけでちょっと恋に落ちそうになった。なぜなら喪女だから。人生において一度もモテた経験のない女だから。加えて異性と話すことなんてほぼなかった。一番話す異性の相手ってお父さんだし、次点で学校の先生ということで、わたしの心情は察して欲しい。
そういうわけで不審者じみた言動になりつつも、わたしはどうにか鴻一郎について行くべく足を動かすことに成功した。
学校に着いて、教室に入る。それまでの鴻一郎との会話は弾んだとは言い難い。なぜならわたしが口下手すぎるから。だいたい鴻一郎の言葉に「うん」とか「そうなんだー」とか返すので精一杯だった。
けれども鴻一郎は気分を害した様子もなく、教室に入ると「じゃあ」と言って自分の席に向かって行った。
わたしも自分の席へ座って、しばらく鴻一郎を横目で観察する。
鴻一郎は普通に隣の席に座っていた男子にあいさつされて、返していた。わたしよりずっとクラスになじめているようだ。おばさんから聞く限りじゃ「友達のいないボッチ」という感じだったのに……。
観察していてわかったのは、鴻一郎はボッチと言っても「一匹狼」タイプのボッチのようである、ということだ。
つまりわたしのように仕方なくボッチをしているのではなく、好きでボッチでいるタイプのようなのだ、彼は。
実際に振る舞いはひとりでいることに気負いもなく、ごく自然。周囲の空気も「あいつボッチでカワイソ~」というような感じじゃない。「あいつは一匹狼だからな」みたいな感じにわたしの目には映った。
対するわたしはもちろん「あいつボッチでカワイソ~」枠である。言うまでもないことだろうが。
しかし、しかし。わたしの手には「催眠アプリ」というものがある。これをうまいこと使えば脱ボッチは可能なハズだ。キラキラした青春を送ることは不可能ではないはずだ。
わたしはその仮定を証明すべく、スマートフォンを取り出すと「催眠アプリ」を立ち上げた。
ターゲットはいわゆるオタク女子グループ。クラスカーストでは底辺に位置する存在である。
わたしの最終的な目標は、クラスメイト全員と仲良くなることだ。しかし物事には順序がある。いきなりリア充女子グループに催眠をかけて仲良くなったとしても、今のわたしではロクにおしゃべりを楽しむことなんてできないだろう。それくらい、わたしのコミュニケーション能力は地をのたくっているのだ。
だからまずはオタクであるわたしと、興味のある話題を共有しやすいオタク女子グループを狙うことにした。
オタク女子グループのメンバーは全員が漫画研究会に所属する、典型的な漫画・アニメ系のオタクである。
そんなオタク女子グループのメンバーからは一度話しかけられたことがある。新学期に入りクラス替えがあってから、そう間が空いていない時期のことだった。
わたしから漂うオタクオーラを彼女らは察知したのだろう。文庫本に熱中するフリをしてひたすら時間が過ぎるのを待っていたわたしに、「それなんの本?」と気安げに話しかけてきてくれたのだ。
しかしそのときわたしが読んでいたのはマイナージャンルの中のメジャー作家、というような説明するのにちょっと困るような作者の小説だった。しかも生理的嫌悪をかき立てるホラーが非常にうまい作家の、最新作だった。
当然、作品名を言っても彼女らにはよくわからなかったのだろう。「へー」で終了。作品名を言ったわたしも、あとで調べられて嗜癖を疑われたらどうしようとひとり冷や汗をかくハメになったのだった。
もともとホラーが好きなのでその作家のことは大ファンなのだが、しかし内容が内容なのでどうしても他人にはさらけ出しづらいのだ……。
わたしはそんな幸福な接触とは言い難い過去を思い出しつつ、アプリを操作する。
オタク女子グループは教室前部の窓際のあたりに固まって、今日も楽しそうにオタトークに励んでいるようだった。
うらやましい。率直に言って、うらやましい。
わたしだって自分が好きな作品について、気負いもなく会話したかった。
会話するだけならインターネットに場を求めることもできるだろう。けれどもわたしはネット上でもコミュ障気味だったから、SNSのアカウントはいくつか持っていても、そのいずれでもひとり感想を垂れ流しているだけの存在だった。
自分から話しかけることができず、話しかけられもしない。インターネットの中でも、わたしはリアルとそう大差はないのだった。
しかしそれも今日でおさらばだ。
「催眠アプリ」を操作しながらわたしは期待にドキドキと胸を高鳴らせる。
「催眠アプリ」に映ったオタク女子グループは、わたしにタップされるとまるで動画が一時停止したかのように、動きを止めた。
人が多くいる教室の中だったが、日陰者のオタクグループのこと。だれもかれもがそちらには注意を払っていなかったから、騒ぎ立てられるようなことにはならなかった。
わたしは席を立ってオタク女子グループに近づく。
そして彼女らにしか聞こえない声量でささやくように言った。
「わたしと仲良くなって。友達になって。オタトークして」
それからは以前と同様にアプリの画面に映る彼女らを再びタップする。
するとオタク女子グループは居眠りから覚めた、というような反応をした。何度か目をパチパチとさせ、それから周囲をきょろきょろと見まわす。すると当然、視界にわたしの姿が入る。
「あれ? 澤村さん?」
そこにいるのが不思議、というような声を出されて、わたしの心臓が跳ねた。
ドキドキバクバクと嫌な感じに鼓動を刻む。
――成功した? 失敗した?
脳裏でドラムロールが鳴っているような気がした。果たして、正解は。
「澤村さん、昨日の『オレ魔女』観た?」
――成功。
オタク女子グループのリーダー格らしい彼女は、まるで以前からわたしとオタクトークをしていたかのような態度でそう問うてきたのだ。
鴻一郎の件から言っても、「催眠アプリ」はどうもわたしの命令を厳密に実行する類いのものではないらしい。
催眠をかけた相手の中にあるこれまでの記憶との整合性を保つために、ある程度勝手に設定を加えるようなこともしているようだった。
しかしそれは頭も良くなければ機転も利かず、口下手なわたしにはちょうどよい具合といったところだろう。
ありがとう、「催眠アプリ」。ありがとう、ブダナウスさん。
そんな気持ちでいっぱいになりながら、わたしは当然のように視聴していた『オレ魔女』のオタトークに夢中になった。
「でさ~あそこのキララの奮起!」
「あそこよかったよね! 『だって――オレは、魔女だから!』って」
「ベタだけどやっぱりいいよね~ああいうの! 萌えて燃える!」
「わかりみがすぎる~!」
こんなにもしゃべるのは久しぶりだった。思春期に入ったこともあって、親とだってこんなにも会話はしない。
わたしはもたらされた現実に興奮した。いつもだったら、妄想するだけだった、「友達」とのオタトーク。
朝のホームルームが始まるまで、わたしは彼女らとの会話に熱中し、ついでにトークアプリでも『オレ魔女』の話をしよう! という約束を取りつけることに成功した。
わたしはそんな調子でクラスメイトたちに次々と催眠をかけていった。
そうすると、彼ら彼女らはまるでわたしが以前からの友人だったかのような、クラスにずっと馴染んでいたような態度を取った。
文化祭の準備でもみんな一致団結して、頑張った。中心人物だけが盛り上がるというようなこともなく、本当にクラス一丸となって臨んだ文化祭は成功を収め、それは実行委員会から賞を受けるほどだった。
その後のお決まりの打ち上げも、わたしは恐々しながらも参加した。打ち上げに参加するのは初めてだった。いつもだったらいなくてもだれも問題にはしないし、場に馴染めないからとすぐに帰宅してた。けれども勇気を出して参加した。
みんな、すごく楽しそうだった。わたしも、なんだか楽しくなった。中心人物になれるわけじゃないし、そんなことを望んではいなかったけれど、ただ、みんなが本当に心から楽しそうにしている姿を見るだけで、なんだか胸がいっぱいになった。
実は、文化祭の準備中に一度だけ「催眠アプリ」を使った。資材を買ってくるのを忘れたとかで、男子と女子が喧嘩腰になってしまったときに、「もっと落ち着いて。ちゃんと建設的に話し合って」という命令をしたのだ。お陰でそれ以上の争いには発展せず、クラスも空中分解することなく文化祭を乗り越えられた。
それを知っているのは、もちろんわたしだけ。でも、今この打ち上げの場の楽しそうな大騒ぎの手伝いができたような気になって、わたしはひとり鼻高々だった。
その後もクラスメイトたちとの交流は進んだ。
勉強だけはできるわたしは、クラスメイトに頼られて初めて勉強会なるものを開いた。口下手なわたしに務まるか不安だったが、そうやって必死になったのが功を奏したのか、「意外と教えるのが上手いんだね」なんて褒められたりもした。
それから例のリア充女子グループに買い物に誘われたりもした。超モッサリなわたしでもいいのかと尻込みしたものの、彼女らは優しかった。わたしに似合う服やメイクを真剣に考えてくれて、本当に楽しくって、しばらくそのふわふわした喜びが続いたりもした。
夏休みに入ってからも色んなクラスメイトに誘われて、海や山に行ったり、夏休みだけのアルバイト先にお邪魔したりもした。
そしてもちろん夏休みの課題を消化するために、わたしはいくらかクラスメイトたちに協力して、感謝されたりもした。
出かけるときは鴻一郎に服の相談なんかもした。そうして鴻一郎からごく普通のトークが返ってくるたびに、わたしは昔のような気安い仲に戻れたのだなと感動した。
進んでボッチでいるらしい鴻一郎だったが、それでもわたしが誘うと嫌な顔ひとつ見せずに参加してくれる。それを見てクラスメイトに「さすが幼馴染」なんて茶化されたりもしたけれど、わたしは内心で自尊心を満たせられた。
わたしはもう、クラスメイトのちゃんとした一員だった。クラスカースト最底辺のさらに下に位置する、空気なんかじゃない。
そう思うと、わたしはうれしくって仕方なかった。
そしてその段になって、わたしが夢想した「キラキラした青春を送る」というものが、いかに上辺だけのものだったかを実感した。
以前のわたしは「キラキラ」がなんたるかをまったく理解していなかった。
だれかを信頼して、信頼される。ときにはムッとすることもあるけれど、でもそれを許す。
そういうことの積み重ねが外から見ると「キラキラ」して見えるんだ。
その頃になると、わたしはだれとでもスムーズに話せるようになったし、ちょっとした相手を笑わせるようなことを言うことにも躊躇の心を抱かなかった。
わたしが言葉を投げかければ、クラスメイトたちはちゃんと返してくれる。その絶大なる安心感があったからこそ、わたしはだれかとおしゃべりするという楽しさを存分に味わうことができた。
すべては「催眠アプリ」のおかげ。
そのことを理解しているようで、わたしはなんにも理解していなかったのだ。
それを突きつけてきたのは、二学期にやってきた転校生。
彼女が現れるまで、わたしは馬鹿みたいにこれからの学校生活にワクワクと思いを馳せていたのだった。
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