(2)

 わたしはいわゆる「ボッチ」だ。クラス内のカーストの最底辺のさらに下。だれにも触れられない空気のような存在。それがわたし。


 極度の引っ込み思案で友達がいないので、登下校はいつもひとりだし、なんらかの部にも所属していない。当然、学校にいるあいだは口を開くこともほとんどない。クラスメイトの中でわたしの声を判別できる人はどれくらいいるのか……というくらい。


 でもだからといってイジメられているとかいうわけではない。先にも言ったようにわたしは空気のような透明な存在だ。いても、いなくても同じ。だれかの人生に影響を与えるなんてことはない。


 生来からかなりの小心者であるわたしは、それでいいと思っていた。だれかにいい影響を与えられる自信はなく、逆に悪い影響を与えたらと考えると胃が痛くなってしまう。


 お前ごときの存在で人生が左右される人間がいるかよ、と言われれば「ごもっとも」としか返せないけれども……。


 しかしかといって現状に満足しているかと問われれば、本当は違う。


 漫画やライトノベルの中にいる主人公みたいな、キラキラした青春を送ってみたいと思ったことはある。見た目にはキラキラしていてても、そこにも相応の苦労があるだろうことは容易に想像できる。それでも、やっぱり、あこがれてしまう。


 喧嘩みたいなイベントはごめんだけど、そうしてまでその人と関わり合いになろう、とする気概みたいなものは素直に称賛に値すると思う。


 あとはオタク同士で集まってオタクトークに花を咲かせてみたいとも思う。いわゆるキラキラしたリア充のみなさんからすれば、オタトークにキラキラしたものなんて見出せないかもしれない。けれどもわたしは教室の隅で集まって、楽しそうにオタトークを繰り広げる彼女らがうらやましくって仕方がない。


 じゃあ、混ざればいいじゃん、という声が聞こえてきそうだけれど、極度の恥ずかしがりであるわたしが、自らの趣味嗜好をさらけ出すことにどれほどの勇気を必要とするかは……言ってもわからないかもしれない。清水の舞台を飛び降りる、どころではない勇気が必要なことは言っておく。


 とにかくわたしは「キラキラ」とは対極に位置する人間だということだ。限りある青春を無味乾燥な時間として消費する。それがわたしの毎日。


 だからわたしは悪魔を自称するブダナウスさんに出会ったとき、ちょっとだけワクワクした。恐れるよりも先に、好奇の心を刺激された。


 けれども現実はなにも変わりはしない。「催眠アプリ」なんてものをもらったけれど、ブダナウスさんが言うような「エロエロな生活」なんて望んでいないし。かといって可及的速やかに他人の意思を変えたいという欲望もない――。……と、思っていたのだが。


「ふざけんなよ!」


 人通りが少ないはずの新棟を選んでぶらぶらと移動していたので、下の踊り場から張り上げた人の声が響いてきたことに、わたしはびっくりした。


 今、わたしは昼休みの貴重な時間をいつも通り無意味に過ごしている。教室でスマートフォンをいじり続けているのもなんだか――勝手に――居心地悪く思って、教室の外へと出てきたというわけである。


 かといって行き先も特にない。なので移動教室のときに使われる部屋が多くあるために人の気配の少ない、新棟の自動販売機でなにか飲み物でも買おうと思った。そういうわけである。


 まったくの無防備で大声を聞いたわたしは、ちょっとだけ肩を跳ねさせて、それからそんな反応をしてしまったことに、ひとり恥ずかしくなっていた。


 次に野次馬心が湧いてきて、そっと階段の下を覗き込む。そこにいたのは意外にも知っている人物たちだった。クラスメイトの――名前が思い出せないけれど、「キラキラ女子」とか呼ばれるようなタイプの人。要するにいかにもな「リア充」。


 そのリア充女子グループのリーダー格が、不穏当な言葉を発した当人であるらしい。彼女の前にはリア充女子グループの一員である、わたしよりずっと女子力高そうな女の子がいたが――なにやら怯えた顔をして震えている。


 内紛か? などと内心で茶化してしまえる余裕が、このときのわたしにはあった。「他人の不幸でメシがウマい!」などとは言えないけれども、しかし親身になれるほど身近な存在とも感じていなかったからだ。


 だから対岸の火事でも見物するような心持で、わたしは揉めているらしいリア充女子グループを階段から盗み見ていた。


「お前ふざけんなよ!」

「ふざけてないし! 誤解だって言ってるじゃん!」

「誤解なわけねえだろ? なー?!」


 黒髪ロングヘアーという見た目だけは清楚なリーダー女子の口から発せられる言葉の汚さと勢いに、わたしは静かに幻想が打ち砕かれる音を聞いていた。「えっ、そんな言葉遣いするんだ……?」と、気分だけはリーダー女子に淡いあこがれを抱いていた男子の気分にひたる。


 そうこうしているあいだにも、リア充女子グループ内では話が進んで行く。


 彼女らの言い合いを総合すると、糾弾されている女子が、リーダー女子の彼氏に色目を使った使っていないという、水掛け論を展開していることがわかった。


 なんとなく「オメーアタシのカレシに色目使ったろ」などということを言い出すのは、ヤンキー系女子のような印象を持っていたわたしは、そのことにもちょっとだけ衝撃を受ける。


 しかし今現在のリーダー女子は清楚美人の見た目でヤンキーのような口調で相手を糾弾している。


 ボッチのくせに感受性だけは無駄にあるわたしは、そうやってグループから糾弾されている女子を見ているだけで、胃が痛くなってきた。


 しかも次第に言い合いはエスカレートして行く。リーダー女子が彼女からすると潔く罪を認めない相手に対して、かなりイライラしているということがわかる。そのうちに、手が出そうだ。そういう空気が、その場にはあった。


 わたしは暴行の現場を目撃してしまったらどうしようという不安感で、動けなくなっていた。確実に、今、彼女らに気づかれたら、ヤバイ。そういう気持ちも相まって、体が瞬間接着剤で固められたかのように動かない。


 ――先生呼んでくる?! でも、チクったってバレたらわたしがイジメられるかも?! でもこのまま黙って教室に帰ってもいいの……?!


 良心と保身の狭間で揺れるわたしの頭に、天啓が下る。


 ――そうだ! 「催眠アプリ」があるじゃん!


 もし、ブダナウスさんの言う通りの機能が「催眠アプリ」にあるのだとすれば、ピリピリを通り越してギスギスドロドロの空気になっているこの場を、穏当に収めることができるはずである。


 わたしはポケットに入れていたスマートフォンを取り出すや、震える指で「Sアプリ」のアイコンをタップする。すぐにアプリは立ち上がって、カメラモードに切り替わる。


 ――たしか、画面に映った相手をタップすればいいんだったっけ……?


 階段の手すりから身を乗り出し、カメラレンズにリア充女子グループ全員が入るように調整する。


 幸いにも彼女らは激しい動きなどをしていなかったので、その姿を捉えてタップするのはたやすかった。


 まずはじめにリーダー女子をタップ。


 リーダー女子はしゃべっている途中で突如黙り込んだ。それはあまりにも不自然な形だった。その上、だらりと力のない人形のようにうなだれる。


「え? スミカちゃん?」

「どうしたの?」


 困惑がグループの内に広がりきる前に、わたしは彼女らもまとめてタップして行く。もちろん、責め立てられていた女子も、だ。


 やがてその場を沈黙が支配する。円状になっていたリア充女子グループは、みなその場でうなだれたまま、立ちすくんでいるように見えた。


 かなり、異様な光景である。


 ――成功、した……?


 わたしはブダナウスさんの言葉を思い出す。画面に映った人間をタップすれば動きが止まり、そのあいだにやらせたい行動など吹き込む――。となると、必然的にわたしは彼女らリア充女子グループに近づかなければいけないわけで……。


 わたしは意を決して階段を下り、沈黙を続けるリア充女子グループに近づいた。わたしが近づいてきても、彼女らは微動だにせずうつむいたままだった。


 この手のお約束として、わたしはリーダー女子のほっぺたをつついてみる。わたしの肌よりずっとキレイで、シミひとつない頬。もちろん、つついても反応は返ってこない。


「ま、マジか~……」


 わたしはこの期に及んでようやくブダナウスさんの言を信じることができた。


 となればわたしがすることはひとつだけだ。


「えーっと……イジメなんてねちっこいことはしないで、えっと、言い分をちゃんと聞いてあげてから、責めるなら責めればいいんじゃ……あーっと……こういうのって、命令形じゃないとダメなのかな……? えーっと、とにかくもっと穏当に! 穏やかに話し合いをして! それからみんな仲良く!」


 リア充女子グループに向かってそう言ったあと、わたしはまた元の場所に戻って、アプリの画面に映るリア充女子グループを次々にタップした。


 リア充女子グループはしばらく沈黙を続けたあと、眠りから覚めたような顔をしてきょろきょろと周囲を見回しはじめる。


 わたしはそんな彼女らをドキドキと心臓を跳ねさせながら見守る。


「……とにかく! 誤解なんだってば!」

「誤解? じゃあなんで先週の日曜日にダイスケといっしょに歩いてたのよ!」

「それは……!」


 ……あれ? とわたしは思った。「催眠、効いてないじゃん?!」と。


 しかしあせるわたしとは裏腹に、リア充女子グループの言い争いは、思ったよりも穏当な形で決着を見せる。


「スミカちゃんの誕生日プレゼントを選んでたの!」

「えっ?!」


 わたしも「えっ?!」と声に出しそうだった。そんな漫画やラノベみたいな行き違いがあるんかーい! というような心境である。


 しかしリーダー女子はその言葉で納得したようだった。今度はちょっと前までのヤンキーのような態度はどこへやら、しおらしくなってつい先ほどまで責め立てていた相手に謝罪する。


「ご、ごめん……そんな理由があったなんて……なのに、あたし……」

「ううん。言わなかったアタシも悪いし……ダイスケくんとラブラブだもんね、スミカ」

「そーだけど……ホンットごめん! アヤが浮気なんて、するわけないよね!」


 その後はなごやかな空気となり、リア充女子グループはいつも通りの仲良しオーラを振りまきつつ、踊り場から立ち去ったのであった。


「――っ、はーっ……」


 彼女らを見送ってから、階段の陰でわたしは大きく息を吐いた。


 そしてヘッダーに「Sアプリ」と書かれたアプリの画面を見る。


「『催眠アプリ』……」


 立ち去ったリア充女子グループの、キラキラとした仲良しオーラを思い出す。だれかを思って、思い合って、仲良く過ごす……。それは、わたしには遠い遠い異世界の存在と同じだった。


 けれども――


「これが、あれば……?」


「催眠アプリ」。これがあれば、わたしもああいうキラキラした青春を送れるかもしれない。


「催眠アプリ」の魔法のような絶大な効果を目の当たりにしたわたしは、そんな邪心を抱いたのだった。

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