塩谷紗理奈の受験狂想曲~あの娘のお守りを添えて

藤田大腸

第1話 お守り

 令和二年元旦、午前零時を迎えた瞬間、清和せいわ神社では二年参りに訪れた参拝客が次々と賽銭を入れて拝殿の神様に手を合わせていった。


 今年大学受験を控えている塩谷紗理奈しおたにさりなもその列の中にいた。予備校の冬期講習に参加し、帰宅後も年越し寸前まで勉強してから駆けつけるといった具合だったから、暖かい場所に移れば今にでも寝てしまいそうな程に疲れが溜まっていた。


 五円玉を賽銭箱に入れて、拝殿には鈴はついてないのでそのまま二礼二拍手一礼をして合掌。当然ながら受験の成功をお祈りした。


 境内のテントでは自治会の人たちが年越しそばならぬ年越しうどんを振舞っている。紗理奈は頭を使いすぎて消費したカロリーを補うべくまっしぐらにテントに向かい、ありがたく頂くことにした。


「ん、美味しいっ!」


 インスタントの麺と出汁なのはまるわかりだったが、体は冷え脳もクタクタになった状態では手打ちの讃岐うどんにも匹敵する美味さだと錯覚してしまう。


 あっという間に平らげて割り箸とカップをきちんとゴミ袋に捨てると、「よほどお腹が空いてたんですね」と澄んだ声がした。


「八千代!」

「紗理奈先輩、新年あけましておめでとうございます」


 倉賀野八千代くらがのやちよは丁寧に頭を下げた。その姿は巫女装束である。彼女はこの清和神社の宮司の娘であり、巫女として実家の手伝いをしていた。


 紗理奈と八千代は名門、緑葉女学館りょくようじょがくかん中等教育学校の生徒であり、八千代は一つ下の学年にあたる。二人は茶道部の活動を通じて知り合い、先輩後輩を越えた親しい間柄となっていた。


 そしてそれはやがて恋へと発展していき、ちょうど一年前、まだ平成の世だった頃の元旦の初詣の場で成就した。紗理奈はおみくじで凶を引いてしまったのだが、「これでダメならおみくじのせいにすれば良い」と妙にポジティブに捉えて八千代に告白。すると見事に成功したのであった。平成三十一年~令和元年はおみくじの結果に反して人生最良の年となったのは言うまでもない。


 こうして晴れて恋人どうしとなり、甘い時間を過ごしてきた。しかし楽しい後には辛いことが待ち受けているもので、それが大学受験であった。緑葉女学館は県屈指の進学校であり、夏休みの夏期講習から本格的に受験勉強モードに突入する。紗理奈は一学期終業式の日に八千代を抱いて以来、デートは欠かさなかったもののなるべく近場にして、性行為は絶対にしないようにした。それには願掛けの意味もあったが、元々性欲が強めの紗理奈にとって八千代の体を絶つのは拷問に近かった。


 遠くから寺の除夜の鐘が聞こえてくるが、紗理奈の煩悩は収まりがつかない。頭の中で押し倒して巫女装束を剥ぎ取る妄想に囚われていたが、「先輩?」と声をかけられてハッと我に返った。


「あ、ああ。あけましておめでとう」

「いよいよ受験ですね。調子はどうですか?」

「この前の模試は悪くない成績だったし、あとひと仕上げってところね」

「無事志望校に受かると良いですね。私からも一つサポートして差し上げます」

「サポート?」

「はい。実は強力なアイテムをお作りしました」


 八千代は懐から何か取り出して、紗理奈に握らせた。手を開いて確かめると、それは「合格祈願」と書かれたお守りであった。


「わあ、ありがとう!」

「ただのお守りじゃありませんよ。中にちょっとしたものを入れています」

「どれどれ」

「あっ、お家に帰って見て下さい!」


 なるほど、きっと励ましの手紙が入っているんだな。紗理奈はそう思った。


「わかった。じゃ、私はもう帰るからね。去年と違って愛想なしで悪いわね」

「いいえ。受験が終わった後に目一杯愛して頂ければ、それで……」


 頬を赤らめる八千代。言われずとも、志望校に受かった暁にはお互い足腰立たないぐらいに愛し合うつもりでいた。


 八千代は巫女の仕事に戻り、紗理奈はおみくじを引いてから帰宅した。風呂に入って、寝る前にもうひと踏ん張りしようと筆記用具とセンター試験の赤本を取り出した。


「そうだ。お守りの中身を見ないと」


 さっき引いたおみくじは去年と打って変わって大吉であり、特に「恋愛」の項目では「全て順調」と書かれていたから上機嫌であった。きっとお守りの手紙にも何か良いことが書かれているに違いない。そう思って開封して中身を見たのだが。


「……何よ、これは」


 手紙の類は一切入っていなかった。代わりに出てきたのは一筋の縮れた黒いもの。これはどう見てもアレであった。


 紗理奈はスマートフォンを操作し、八千代の番号を打ち込んで発信した。ワンコールで出てきた。


『もしもし、先輩?』

「八千代、お守りの中身見たわよ。アンダーヘアなんか入れて何のつもりなの?」

『あはっ、ご存知ありませんか? 女性の陰毛はかつて戦地に赴く兵士のお守りとして使われていたんですよ。受験という名の戦争を生き抜くご利益もあるでしょう』

「もしかして、あなたの陰毛?」

『当然です。愛する人の陰毛でなければ効果はありません』

「そう。ということは、生やしてしまったのね……」


 紗理奈にはツルツルがいいというこだわりがあり、自身のアンダーヘアも全て剃り落としているし、八千代にもそうさせていた。もう半年間していないのでチェックしようが無かったが、生えてしまったものは仕方ない。


『この日のためにまた生やして丹念に整えてきました。私の愛情と祈りがこもった私の分身を持って、試験に望んでください』

「あ、ああわかったわ……じゃあ、勉強があるから切るわよ」


 もっともらしい理由をつけて、すぐ電話を切った。八千代のことは体の隅々まで愛しているが、さすがにアンダーヘアをお守りにしようという発想まではない。


 八千代は神社の娘とあって、大和撫子の権化のような女子だ。性格も申し分ないし、全部剃り落としてちょうだいと頼んだら喜んでしてくれたぐらいに素直である。だから半年もお預けを食らわせている自分に対する当てつけとは考えにくい。やはり、彼女なりの心遣いと見るべきだ。


 紗理奈は八千代の分身をお守り袋にしまい直したが、その際うっかり八千代が分身を引っこ抜く様子を想像してしまった。全裸になって、毛を抜くたびにブルッと体を震わせて恍惚な表情を浮かべている。愛し合い、登りつめたときに見せるあの顔。


「ううっ、我慢するのよ、私。我慢しろ、塩谷紗理奈ッ!」


 沸き上がる性欲の豪炎を英単語、数式、文章で消化にかかった。敵は大学ではなく、己なのよ。そう言い聞かせつつ、格闘は夜明けまで続いたのであった。

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