冬眠モンスター

烏川 ハル

前編

   

 今にも雪が降り出しそうな、寒い冬の日の午後。

 村に一軒しかない宿屋の扉が、バタンと激しい音を立てながら開く。

 駆け込んできたのは、冬の旅人らしからぬ軽装の女性客だった。


 茶色くて動きやすそうな皮鎧の上から、緑色の布地で編まれた薄いコートを羽織っている。腰に備え付けたナイフが、コートの隙間から顔を覗かせているので、おそらく戦士系の冒険者なのだろう。

 こんな格好で旅を続けていたら寒くてたまらないだろうに、見覚えのない顔だから、村人でないことだけは確実だった。とにかく客が来たのだと判断して、受付の女主人は、営業スマイルを浮かべる。

「いらっしゃい。大丈夫かい、お客さん? 今の時期に旅するにしては、ずいぶんと寒そうな格好だけど……。どこから来たんだい?」

「西隣のマラートって街で、一仕事した帰りでね。魔法士協会からの依頼だったから、報酬は良かったんだけど……」

「……魔法士協会の仕事? お客さんが?」

 意外そうに聞き返す女主人に対して。

 軽く苦笑しながら、旅人が答える。

「そうよ。よく間違えられるんだけど、こう見えても私、魔法士でね。いつでも魔法で暖を取れるからって、これくらいの服装で十分と思ってた私が甘かったわ。この地方の寒さを、ちょっとナメてたみたい」

「それはそれは……。それこそマラートで、厚手の外套でも買えばよかったのに。あの街なら、服屋も防具屋も、よりどりみどりだったろう?」

「まあ、そうなんだけどね。とりあえず早く街を出たかったから……」

 先ほども「報酬は良かったんだけど」と、言葉を濁していたように。

 口ぶりからすると、その仕事の関係で、街に長居できないような事情が生まれたのだろう。例えば、街の有力者と揉めたとか。そうでもなければ、わざわざ、こんな小さな村で宿をとることもあるまい。その日のうちに次の街まで辿り着けるよう、時間を見計らって、マラートを出発したはずだ。

 宿屋の女主人は、勝手に客の事情を想像しながらも、営業スマイルを保ったまま、スッと宿帳とペンを差し出した。

「あらあら。大変だったねえ。それで、泊まるのは今晩一泊だけかい?」

「ええ。空室、あるんでしょう?」

「わざわざ聞くなんて、お客さん、皮肉かい? この時期は旅人なんて来やしないから、商売あがったりだよ。まあ今日は、珍しく他にも一人、宿泊客がいるけどねえ」

 自虐的な笑みを浮かべる女主人の目の前で、その言葉を聞き流しながら、女性客は宿帳に名前と身分を記していた。ただ一言、『魔法士ラドミラ』と。


 与えられた部屋に荷物を置いてから、ラドミラは、再び一階へと降りていく。

 この手の宿屋にはありがちな話だが、客室は二階にあり、一階は酒場兼食堂になっていた。最初にラドミラが女主人と言葉を交わした受付も、その注文カウンターを兼ねているようだった。

 まだ受付にいた彼女に対して、料理を頼む。

「おかみさん、何か適当に、あったかい食事をお願い」

「あいよ。赤野菜の煮込みスープで良ければ、昼の残りを温め直すだけで済むから、すぐに用意できるけど?」

 もう昼食にしては遅い時間であり、もしも貴族だったら、午後のティータイムと洒落込むような時間帯だ。ラドミラ自身、あまり贅沢は言えないと思っていた。

「ええ、それでいいわ。できればスープだけじゃなくて、肉やパンもあった方が嬉しいけど……。そこまでは無理よね?」

「ああ、それは大丈夫。野菜のスープと言っても、鶏肉や牛肉も一緒にじっくり煮込んだ具沢山だからね。味も保証するよ、この地方の名産だから。あとパンとサラダも、すぐに出せるよ。やっぱり昼の残りになるけどね」

 最後に「適当な席に座って待っていておくれ」と言い残して、宿屋の主人は奥に引っ込んだ。

「思ったより、ちゃんとしたランチにありつけそうね……」

 苦笑気味に呟きながら、ラドミラは食堂スペースへと向かう。

 閑散とした宿屋ではあるが、食事時ともなれば、食堂だけは村人で賑わうのだろうか。一階全部をぶち抜いた、大ホールになっていた。

 もちろん、今は『食事時』ではないので、ほとんど客などいない。ラドミラが見渡した限り、たった一人だけだった。

 清楚な白ローブに包まれた、端正な顔立ちの女性。昼食ではなく、ガラス皿に盛られた、白いスイーツを食べている。

「……え? アイスクリーム?」

 意外そうな声を上げてしまうラドミラ。

 どう見てもアイスクリームなのだが、アイスクリームならば氷菓子。こんな寒い冬ではなく、暑い夏の食べ物のはず。

 そんなラドミラの声と視線に反応して、アイスクリームに夢中だった女性客が、ラドミラの方に顔を向ける。

「あら! ラドミラさんではないですか! お久しぶりですわ!」

「こんにちは、ペトラ」

 あまり嬉しそうでもない声で、ラドミラは挨拶を返した。


 魔法士ペトラ。

 攻撃魔法にけたラドミラとは流派が異なり、補助魔法を得意とする女魔法士だ。

 元々は「高名な魔法士だから、一応、顔も名前も知っている」という程度の間柄。だが少し前に、とある仕事――魔法士協会を介したプロジェクト――で一緒になった。

 実力は評判通りであり、特に彼女の得意とする魔法『鉄壁防御パーフェクト・プロテクション』は、惚れ惚れするほどの威力だったが……。

 問題は、ペトラの為人ひととなりだ。ラドミラから見たペトラは、甘い物に目がないスイーツ系女子であり、また、微妙に勘違いの多い天然系の要素も入っていた。さらに言えば「魔法士の世界でも美人は色々と得するらしい」と感じさせる部分もあった。

 要するに、プロの魔法士としては悪くないけれど、プライベートで友人付き合いをしたいとは思えない相手。それがラドミラにとってのペトラだったのだ。

 先ほど宿泊名簿に記帳した際、ラドミラは、自分の一つ前にペトラの名前を見つけており、彼女が泊まっていることは承知していた。わかった上で、なるべく顔をあわせずに済むことを願っていたのだが……。

 まさか、いきなり出くわすことになろうとは……!


 一応は顔見知りであり、挨拶をした以上、同席しないのも失礼だろう。

 そう考えて、ラドミラはペトラの正面に座る。

「ペトラったら……。やっぱり、あなたって酔狂な女なのね。こんな季節に氷菓子だなんて」

 ラドミラは軽く眉間にしわを寄せながら、ペトラの食べるアイスクリームに視線を向けた。

 アイスクリーム。

 牛乳を材料とする、柔らかい氷菓子だ。正確には『氷』ではないらしいが、とりあえず、それがラドミラの認識だった。

 この世界に古くから存在する食べ物だが、元々は「牛乳を冷たく固めたもの」としか思われていなかった。そんなアイスクリームを現在のような形に仕上げたのは、別の世界からやってきた転生者たち。彼らの知識で改良された結果、爆発的に売れ行きが上がったのだという。

 確かにラドミラも、数年前、アイスクリームが夏のスイーツとして大ブームになったのを覚えている。彼女自身、実際に何度か口にしてみて「なるほど、まろやかで美味しい」と感じたものだった。とはいえ、あくまでも夏のスイーツであり、寒い冬にまで食べようとは思わないのだが……。

「まあ、これもペトラらしいかもね。あなたって、甘い物には目がないみたいだし」

 少し呆れたような目を、ラドミラが向ける中。

 ペトラは、そこはかとなく優雅な手つきで、少しずつスプーンを口に運びながら、一口アイスクリームを食べる度に、満面の笑みをたたえていた。

 食べるのに夢中であっても、一応、ラドミラの視線には気づいたらしい。にっこりと微笑みながら、無邪気な言葉で返す。

「ラドミラさんも食べます?」

「いらないわよ。たった今『酔狂』って言ったの、聞こえなかった?」

 二度も繰り返すのは失礼かもしれないが、ペトラは、全く気にしていないようだ。

「あら、もったいない……。今の時期にアイスクリームを食べられる場所なんて、めったにないのですよ。私なんて、はるばるみやこから訪れたというのに……」

「はあ? もしかしてペトラ、アイスクリームのためだけに、こんな辺鄙な村まで来たっていうの? この寒い中を?」

「当然ですわ。冬でも美味しいアイスクリームが食べられる……。その噂を信じて、わざわざ来た甲斐がありましたの。寒い冬に食べるからこそ、よりいっそうの美味になるって、実感させられましたから!」

 さらにペトラは、色々と自慢げに述べ立てる。

 アイスクリームの甘さ向上に貢献した転生者がこの村にも住んでいるとか、その転生者と面会して直接レシピをもらったとか……。

「はあ。これだから、甘い物マニアは……」

 と、ため息をつくラドミラ。

 よく見るとペトラの白ローブは、形こそ同じだが、以前のものより厚手の素材になっていた。寒い冬の旅支度としては正しいのだろうが、これでは、もはや魔法士のローブではなく、外出時に着る外套だろう。

 それを暖かい室内でも脱ぐことなく、十分に着込んだ上で、冷たいものを食べているのだ。そこまでして冬にアイスクリームを求めるペトラに呆れてしまい、ラドミラが口をあんぐりと開けたタイミングで。

「はいよ。お待ちどうさま!」

 宿屋の女主人が、二人のテーブルへやってきた。ラドミラの口に入る食べ物を――スープとサラダとパンを――お盆に載せて。


「やっぱり冬は、あったかい食べ物が一番ね」

 赤いスープに口をつけた途端、素直な感想がラドミラの口から漏れる。

 サラダは塩味の効いたシンプルなグリーンサラダ、パンは硬めのライ麦パン。二つともありきたりの食べ物だが、野菜のスープは格別だった。

 辛そうな色とは裏腹に、甘みと酸味が特徴的な味付けであり、鶏肉や牛肉、タマネギ、ニンジン、キャベツの他に、ラドミラの知らない赤野菜も煮込まれているらしい。それらが喧嘩することなく、一つの味のハーモニーを奏でているのだ。

「気に入ってもらえて、あたしも嬉しいよ。うちの名物料理だからね」

 宿屋の女主人も、ラドミラの言葉を耳にして、笑顔を浮かべている。

 料理を運んできた彼女が、なぜすぐに戻らず、このテーブルの横に立ったままなのか。少しラドミラは疑問に思うのだが……。

「ところで……。お客さんたち、こうして一緒のテーブルで食べてるってことは、知り合いかい? 二人とも魔法士のようだけど、それなら……」

 ああ、なるほど。何か話しをするつもりだったのか。

 そんなことを考えて、ラドミラの対応が一瞬遅れるうちに。

 ペトラが勝手に、素っ頓狂な言葉を返していた。

「ええ、そうですわ。私とラドミラさんは、仲の良いお友だちですの」

「……違うでしょ。私たちは、ただの知り合い」

 ラドミラの小声を、ペトラは聞き逃さずに、

「あら、つれないですわね。一緒に仕事した仲じゃありませんか」

「へえ。お客さんたち、仕事仲間だったのかい」

 納得したような顔の女主人。

「……といっても、一度だけよ」

 二人に反論する口調のラドミラだが、彼女の気持ちは、ペトラには通じていないらしい。

「あらあら。ラドミラさん、照れることないですのに……。そうだ! ラドミラさん、ここでも一緒に仕事しましょう!」

「……は?」

 間抜けな声で返してしまうラドミラ。

 ペトラがこの村に来たのはアイスクリームのためかと思いきや、そうではなく、仕事をするために来ていたのだろうか。それにラドミラを巻き込もうというのだろうか。

 戸惑うラドミラを置いてけぼりにして、ペトラは、女主人と言葉を交わしていた。

「ラドミラさんと一緒でしたら、先ほどのお話、引き受けても構わないですわ」

「おお、やってくれる気になったかい。それで、報酬の件だが……」

「あら嫌ですわ、お金の話なんて。熊巨人ベアーギガースきもと心臓さえいただければ、それで私は結構ですもの」

「えっ、それだけでいいのかい? それじゃ早速、村の者たちに……」

「……ちょっと待って、二人とも!」

 交渉成立という雰囲気でサクサク進む会話に、大声でラドミラは割って入った。

「私抜きで話進めないでくれる? 今『熊巨人ベアーギガース』って言葉が聞こえたけど……。ひょっとして、これ、モンスター退治の依頼なんじゃないの?」


「おお、さすがだね! こっちが話す前から、もう事情を把握してるなんて! そうなんだよ。今この村は、熊巨人ベアーギガースに荒らされて、困っていてね……」

 熊巨人ベアーギガース

 ゴブリンやオーガの亜種という説もあるのだが、外見が二足歩行の巨大な熊そのものであるため、一般的には別系統のモンスターとして扱われている。

 知らない子供などは「二足歩行の熊」という言葉から「ぬいぐるみの熊さん」を連想することもあるそうだが、一度でも本物を目にしたら、そんなイメージは吹っ飛んでしまうという。

 熊が凶暴な動物であるように、モンスターの中でもかなりパワフルな上級モンスターだ。また外見だけではなく、冬眠する点も熊と酷似しており……。

「普通、熊巨人ベアーギガースって、この時期には巣穴の中で眠ってるはずよね? 特に寒い地方では、冬眠期間は長くなるって聞いてるけど」

「そうなんだよ、お客さん。毎年この辺りの熊巨人ベアーギガースは、秋の終わりには、もう寝込んじまうんだけど……。今年に限って、いまだに活動を続けていてねえ」

 とはいえ、この寒さの中では、餌になる野生動物も植物も見つけにくいらしい。そのため、山から村に降りてきて、畑を荒らしたり、家畜を襲ったりするのだという。

「なるほどね。だから退治してほしい、ってわけね」

 フリーの魔法士や冒険者が、トラブルを抱えた村や街をたまたま訪れて、突発的に仕事を依頼される。この世界では、よくある話だった。

「そうなんだよ、お客さん。最初は、こちらのお客さんに頼んだんだけど……」

 と、チラッとペトラに目を向ける女主人。

 一応ペトラは話に耳を傾けているが、もう会話に参加するつもりはないらしく、ひたすらアイスクリームを食べている。

「……攻撃魔法は苦手だから一人じゃ無理、って言われちゃってねえ。諦めてたところへ、あんたが来てくれた、ってわけだ」

「そういうことなら……」

 話の大筋を理解したラドミラは、頭の中で算盤そろばんを弾く。

 ひ弱な魔法士や駆け出しの冒険者には強敵となる熊巨人ベアーギガースも、強力な攻撃魔法を操る彼女にとっては、それほど苦戦する相手ではない。

 とはいえ、モンスターの数がわからない以上、一応の備えは必要だろう。補助魔法が得意なペトラは、サポート役には適任うってつけ。友人としてではなく仕事のパートナーとして連れていくのであれば、悪い人選ではないと思う。

「……この仕事、私とペトラの二人で引き受けるわ。ただし、きちんと報酬はもらうわよ。モンスターの内臓なんかじゃなくて、普通に金銭で」


 結局。

 村の蓄えの中から、ある程度の金額が支払われるということで、契約が成立した。もちろん、その全額がラドミラの懐に入る形であり、ペトラの方の報酬は、熊巨人ベアーギガースきもと心臓のみ。

 ペトラはサポート役に過ぎないのだから、これは妥当な条件だろう。ラドミラは、勝手にそう納得していた。

「ところで……。できたら、盗まれたストーブも取り戻してもらえないかねえ。いや、これは村の総意じゃなくて、アキムって男の個人的な頼みなんだけど……」

 話がまとまった段階になってから、後付けで依頼内容が増えた。

 冬になったばかりの頃、一人の農夫の家から、暖房器具が盗まれたのだという。お金を貯めて購入した、高価な魔法式ストーブだ。

 逃げ去る犯人たちの後ろ姿はバッチリと目撃されており、猿のような姿形をしたモンスターの集団だったらしい。

「猿に似たモンスター……。つまり、モンキーゴブリンね?」

 確認の意味で、聞き返すラドミラ。

 モンキーゴブリンは、ゴブリン系モンスターの一種族。外見も『猿』を思わせるイメージだが、群をなして小狡く動き回るところが『猿知恵』とか、モンスターのくせに人間の真似をするところが『猿真似』とか言われており、それで『モンキーゴブリン』という呼び名が定着したらしい。

「あたしらは、正式な名前なんて知らないけどね。とにかく、近くの山でよく見かけるゴブリン系のモンスターだよ」

「わかったわ。『できたら』でいいなら、それもやってみる」

 気前よく、追加発注もサービスで請け負うラドミラ。

 モンキーゴブリンには、自分たちより上級のモンスターと共生するという、虎の威を借る狐みたいな性質がある。おそらく今回は熊巨人ベアーギガースと組んでおり、そのストーブで暖かく過ごすことで、熊巨人ベアーギガースも冬眠する必要がなくなっているのだろう。

 ならば、ストーブ盗難事件こそが全ての発端であり、それを解決しない限り熊巨人ベアーギガース問題も片付かない。そうラドミラは理解したのだった。

   

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