PVP①:電光石火のナスターチウム

 黒谷花絵は日本から遠く離れたフランスの地で、今は亡き好敵手ともを弔っていた。

 花絵が花を手向けた墓石にはアネット・ヴィレールと記されている。


「あなたとの最初の試合は20年以上も前なのに、昨日のことのようによく覚えているわ」


 花絵は墓で眠る好敵手に語りかける。

 

「フェンシングの選手として、お互い国の威信を背負っていたけれど、それはあくまで周囲がそう思い込んでいるだけで、私達には関係ないことだったわね」


 花絵とアネットは多くを語り合った。試合の中で、剣を通じて。

 

「あなたと戦った決勝戦。あの時間、世界は私とアレットの二人だけだった。余計なものはなにもない、純粋なものだったわ」


 勝負の結果は花絵の勝利だった。

 金メダルを手に入れたが、花絵にとってそれは栄光ではなかった。それは単に金色の物体に過ぎず、真に尊く輝かしいものは別にあった。

 その後も、二人は何度も戦った。花絵が勝つこともあれば、アネットが勝つこともあった。幸福な日々だった。

 

「あなたとの真剣勝負以上に価値あるものはなかった。あれから私達は何度も勝負し、勝っても負けても素晴らしいと言えるものがあった。それこそが私の人生そのもの」


 花絵は「でも」と言葉を続ける。

 

「あなたが病で亡くなってから10年。日を追うごとに心がすり減っていったわ」


 花絵は墓に手向けた金蓮花ナスターチウムの花束に目を向ける。アネットが愛した花。

 美しいと言えるだろう。しかし花絵にその実感はない。赤い花、黄色い花という情報のみだ。

 視覚では色を正しく認識しているというのに、花絵の心が見る世界は色あせていた。

 

「先月、息子が結婚したわ。好敵手アネットという生きがいを失い、政略結婚の嫁ぎ先で命じられた母親という仕事が終わり、今の私には砕け散った心の破片しか残っていない」


 こうして好敵手の墓参りをすることすら、人間性の残骸がそうさせているだけで、自分に心から死者を弔う気持ちは無いかもしれない。花絵はそう感じていた。

 

「来年はあなたの墓参りに来ないかもしれない。その頃にはもう、私は死んでるように生きているだけの人に成り下がっているだろうから」


 消えゆく自分の人間性を惜しむ心すら花絵にはもうない。

 

「さようなら」


 花絵は好敵手に別れを告げ、日本に帰国した。

 

「せっかくのフランス、観光でもしてくればいいのに。今まで母親として頑張って来たんだから」


 帰宅した時、花絵の夫である黒谷優也は気楽に言った。

 

「必要ない」


 花絵は無感情に言葉を返し、自室に向かう。

 夫は基本的に善良だが、他人の心を想像する思考が欠落している。妻の心が虚無になりつつ有ることを全く分かっていない。

 

「おかえり、母さん」

「おかえりなさい。義母様」


 途中、息子の孝介とその妻である守江がいた。

 孝介は父親を反面教師としているのか、まともに他人の心を理解する知恵を持つ。

 そのためか、政略結婚で女を犠牲にするのを良しとしなかった。守江と結婚したのは家の都合とは無関係だ。

 孝介は心から妻を愛し、守江も心から夫を愛している。

 しかしそれがどうしたというのが花絵の気持ちだ。母親という業務が満了した今、孝介と守江は他人も同然だ。

 

「戻ったわ」


 花絵は最低限の社交辞令を済ませる。他人に向けるのと同じ声色に息子はかすかに悲しげな表情を浮かべる。

 それを見ても花絵は何も思わなかった。孝介はもう一人前の男で、妻もいる。男の女々しさは母ではなく妻に受けとてもらえばいい。

 

 花絵は自室へと戻った。個性のない部屋だ。黒谷家婦人の自室という体裁を整えるためだけの内装と調度品。唯一の花絵らしさといえば、壁に飾られたオリンピックのメダルくらいだ。

 そのメダルも花絵にとっては何の思入れもない。彼女にとって、アネットと勝負している瞬間のみが人生なのだ。

 

「これもそろそろ辞めどきかしらね」


 机の上にあるサイバースペース機器を手に取る。

 花絵の人間性の喪失を心配した孝介から、新しい趣味を始めたらどうかと薦められたものだ。息子の顔を立てるため、適当に選んだプラネットソーサラーオンラインというゲームを一年ほど前から続けている。

 

「現実ではない場所で剣を振るうのは多少楽しかったけど、しょせんはね」


 花絵は退会手続きをするため、パソコンからプラネットソーサラーオンラインの公式サイトにアクセスする。

 トップページには花絵がフランスに行っている間に開かれていたレイド攻略大会で、MVPを受賞したプレイヤーの動画リンクが掲載されていた。


「MVP……今年はセーバー使いが取ったのね。まあコンピュータが動かす敵キャラ相手しか戦ってないなら、対したことないでしょうけど」


 動画を開いたのはほんの気まぐれだった。元フェンシング選手であるためか、セーバー使いのMVPに少し興味を持った。

 

「これは!」


 花絵は目を見開いた。本来は数人がかりで倒すはずのレイドボスを、そのセーバー使いたった一人で撃破していた。

 コンピュータ制御とはいえ、レイドボスの動きは素人が真っ向勝負で倒せるものではない。それを倒した。

 彼女は達人だ。流派まったく違えど、花絵はそれを理解できる。

 

「ピジョンブラッド……その名前、覚えたわよ」


 花絵の口元はかすかに笑みの形を取っていた。それはアネットが亡くなって以来のものとなる。

 

「やめるのは、あなたと勝負してからね。ピジョンブラッド」


 サイバースペース機器を装着する。もう退会手続きをするつもりはない。

 花絵はプラネットソーサラーオンラインにログインした。

 ゲームでの彼女の名はナスターチウム。

 プレイヤーたちは彼女をこう呼ぶ。電光石火のナスターチウムと。

 


「ここがアリーナ?」


 ピジョンブラッドはスティールフィストとアリーナにやってきた。

 プラネットソーサラーオンラインを初めて数ヶ月になるが、ピジョンブラッドはここに足を踏み入れるのは初めてだった。

 

「ああ。ここで他のプレイヤーと対戦できる」


 あちこちに設置されたモニターが対戦の様子を映している。

 

「練習用のフリーマッチと順位付けされるランクマッチがあるけど、今度のPVP大会にここの順位は関係ないから、対人戦の練習ってだけだったらどちらでも良いと思う」


 プラネットソーサラーオンラインにおいて、他のプレイヤーと競う大会は夏と秋に行われる。夏はレイドクエストのクリア成績を競うレイド攻略大会。もう一つは、純粋な対戦をするPVP大会だ。

 せっかく大きな催し物が開かられるので、ピジョンブラッドはPVP大会にも参加することにした。

 そこで対人戦の練習にとスティールフィストがアリーナを案内してくれているのだ。


「そうね。PVP大会に出場するための予行練習だし、とりあえずフリーマッチから……」


 不意にピジョンブラッドは視線を感じた。周囲を見渡すと、他のプレイヤーたちがこちらを見ている。

 

「ねえスティールフィスト、なんだか他の人達に見られているような気がするけど」

「ああ、それは」


 そこで第三者の声が入った。

 

「あら、当然よ。レイド攻略大会でMVPを取ったあなたは、ちょっとした有名人なんだから。格上殺しのピジョンブラッドさん」


 不老族と定命族の女性プレイヤーがいた。

 

「あなた達は?」

「私はナスターチウム」


 不老族の女性が名乗る。先程声をかけてきたのが彼女だ。

 

「パラードです」


 定命族の女性がお辞儀とともに名乗った。

 二人とも腰にマジックセーバーを下げていた。おそらくピジョンブラッドと同じSW型かそれに近いプレイスタイルだろう。

 他のプレイヤーがひそひそ話し合うのが聞こえる。

 

「おい、あれ」

「ナスターチウムだ。実際に見るのは初めてだ」

「電光石火が格上殺しに何のようなんだ? もしかして……」

 

 アリーナでは名のしれたプレイヤーなのだろうか。当の本人は周囲のささやき声などどこ吹く風と言った様子だ。

 

「どうも。ところで、格上殺しというのは?」

「この間のレイド攻略大会でレベル差があんなにもあるボスを一人で倒したから、あなたは格上殺しって呼ばれているの」

「え、私そんな物騒な呼ばれ方しているの」


 なぜそれか。ピジョンブラッドは自分に二つ名をつけた人達に一言物申したかった。

 

「あなた、アリーナは初めてでしょう? よろしければ私が練習相手になりましょうか。この通り、私もあなたと同じくSW型で丁度いいと思うの」

「ナスターチウムさんが相手するくらいなら私が……」


 パラードが口を挟む。

 

「あなたは手を出さないで。彼女と戦いたいの」

「……申し訳ありません」


 ナスターチウムとパラードは単なるフレンド同士というわけではなく、なんらかの上下関係があるようだ。

 

「さて、私と対戦してくれるかしら?」

「ええ。よろしくお願いするわ」


 ピジョンブラッドはナスターチウムの申し出を受けた。

 その瞬間、周囲のプレイヤーたちがどよめいた。

 

「まじかよ。電光石火と格上殺しの対決だ!」

「おいおい、PVP大会はまだってのに、こんなすげえ勝負が見られるのかよ」

「もしもし? 今すぐアリーナに来い! クエスト? そんなもん破棄しろ! ナスターチウムとピジョンブラッドの試合を見逃すぞ!」


 どういうわけか、アリーナのプレイヤーたちにとってピジョンブラッドとナスターチウムの対決はよほど注目に値するらしい。中にはわざわざこの場にいない友人に連絡するくらいだ。

 

「いったい、何が……」


 戸惑うピジョンブラッドにスティールフィストが答える。

 

「彼女は前回のPVP大会優勝者でこのアリーナのランク1位だ。間違いなく、対人戦最強のプレイヤー。そいつが格上殺しのピジョンブラッドと戦うからみな騒いでいる」

「そんな人がなぜ?」


 ゲームを初めてまだ数ヶ月、アリーナに至っては今から始めるピジョンブラッドは、プレイ時間だけをみるならばまだ中級者だ。そんなプレイヤー相手に、なぜランク1位が試合を申し込むのかわからない。


「それはもちろん、あなたに興味があるからよ」


 ナスターチウムがさも当然のように言う。

 

「レイドボスとの戦いを動画で見たけれど、見事な太刀筋だったわ。それで手合わせしたくなったのよ」


 ナスターチウムの目は獲物を狙う狼のようだが、不思議と敵意や悪意はなかった。純粋に腕を競いたいと望む人の目だ。

 この勝負はピジョンブラッドにとっても願ってない事だ。PVP大会で優勝するには、最低でもナスターチウムより強くなければならない。

 

「分かったわ。そこまで言うなら期待に応える」


 ピジョンブラッドが言った瞬間、ナスターチウムが笑みを浮かべる。


「なら対戦の手続きを済ませましょう」


 対戦の手続き端末を操作し、二人は対戦場へと転送される。

 対戦場は円形の闘技場風に作られていた。モニター越しではなく、同じ場所で直接観戦できるよう観客席もあった。

 ピジョンブラッドとナスターチウムが対戦場に送られた直後、二人の対戦を見たいプレイヤーが次々と観客席に出現する。その中にはもちろんスティールフィストの姿もある。

 観客席はあっという間に満員となった。


「あらあら、私たち人気者ね」


 コロコロと笑うナスターチウムだが、マジックセーバーを起動させると雰囲気が一変した。

 表情が刃のように鋭くなる。


「あなたも剣を抜きなさい」


 ピジョンブラッドもブルーセーバーを構える。そして改めてこれから勝負する相手を見た。

 ナスターチウムはマジックセーバーとパワードスーツを装備しているが、しかしピジョンブラッドのとは全く別物だ。

 彼女のマジックセーバーはレイピア風の作りで、特筆すべきはそのパワードスーツだ。装甲を徹底的に排除して軽量化したそれは、スラスターと身体能力強化のアクチュエーターしかない。

 

 試合開始のカウントダウンが始まる。

 一秒、時を刻むごとにピジョンブラッドの意識から観客たちの歓声が消えていく。

 限界まで研ぎ澄まされた精神によって、ピジョンブラッドにとっての世界は自分とナスターチウムだけとなる。

 カウント、ゼロ。

 

「くっ……!」

 

 試合が始まり。そして終わった。

 ナスターチウムのマジックセーバーがピジョンブラッドの胸に突き刺さっている。

 対してピジョンブラッドのブルーセーバーは、ナスターチウムの肩にすこし食い込んでいるだけだ。

 全ては一瞬のことだった。

 HPを失って敗北したピジョンブラッドは崩れ落ちるように倒れた。

 

「え、もう終わり?」

「やっぱりナスターチウムには勝てないか」

「あっけねー」


 もっと激しい試合を期待していた観客たちは落胆の声とともに退出していく。

 

「私の勝ちね」


 ナスターチウムが手を差し伸べてきたので、ピジョンブラッドはそれを取って立ち上がった。アリーナでの対戦では試合が終われば自動的に復活する。

 

「次は負けないわ」


 自然にその言葉が出た。悔しいという気持ちがにじみ出る。

 

「今度はPVP大会で戦いましょう」


 そう告げてナスターチウムは立ち去った。

 


「お疲れさまです」


 対戦場から戻ったナスターチウムをパラードが出迎える。

 

「さっきの試合、どう思う? 正直に言いなさい」


 有無を言わさないナスターチウムの気配に気圧されながら、パラードは慎重に言葉を選びながら言った。


「えっと……その、申し訳ありません。私はパワードスーツの性能差が結果に繋がったように見えてしまいました」

「やっぱり! あなたもそう思うのね」


 実力ではなく装備の差という意見。にもかかわらずナスターチウムな満開の花のような笑顔を見せた。

 

「私の使っているシューティングスターは、防御力ゼロのスピード特化型パワードスーツだから、ピジョンブラッドよりも早くて当然。にもかかわらず、あの子は私のスピードについてきて肩に一撃を与えた」


 そこから得られる結論は一つ。

 

「装備や技能の効果で身体能力値を上げても、それを使いこなす反射神経はプレイヤー本人のもの。つまり、ピジョンブラッドは私と互角かそれ以上の反射神経を持ち、もしステータスが対等なら、私が負けてもおかしくない!」


 自らを卑下しているにもかかわらず、ナスターチウムは初めて恋を知った乙女のように高揚していた。

 

「ああ、ようやく、ようやく新しい好敵手が現れてくれた」

「ナスターチウムさん……」

 

 もはやナスターチウムは傍らにいるパラードの存在を忘れていた。

 その心にあるのはピジョンブラッドのみであった。

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