忍者と騎士 前編
「ごめんなさい、大学に合格してようやく二人きりの時間を増やせるって時に風邪を引いちゃって」
電話から聞こえる、咳混じりの青木津音子の声は弱々しかった。
少し前、彼女はようやく受験勉強から開放されたのだが、緊張が解けたのか急に体調を崩してしまった。
「謝ること無いよ、風邪が治ったら一緒にプラネットソーサラーオンラインで遊ぼう」
こういうとき遠距離恋愛はつらいと市川太郎は痛感する。すぐにでも津音子のもとに行って看病したくてもそれが出来ない。
サイバースペース技術の発明によって、遠方の人を間近に感じられるとはいえ、物理的な距離はどうしようもなかった。
「それじゃあ、もう切るね。喉が痛くて喋るのも辛いんだろう?」
「うん」
「また明日、電話するよ」
「必ずよ?」
愛する人の声は今にも消えてしまいそうだ。普段は勝ち気な津音子だが、体調を崩していてはその元気もない。
「大丈夫。必ず電話する」
何もしてやれない自分を悔しく思いながら太郎は電話を切った。
それから今日という休日をどう過ごすかと考える。もともと津音子と二人きりの時間をサイバースペースで過ごすつもりだったので完全にノープランだ。
太郎が今住んでいるのはある地方都市だ。会社が新しい事業を始める場所として選んだここに、太郎は単身赴任している。
「君には期待しているぞ! 独身なら単身赴任は平気だろう」
自分をここに派遣した上司の顔が脳裏に浮かぶ。入社して5年にも満たない自分が新事業立ち上げに関われるのは、今後の昇進に関わってくるので悪い話ではない。
いずれ津音子と結婚するのだ。彼女に辛い生活をさせないためにも、しっかりとした稼ぎを持たなければならない。そのためにはどんなチャンスも無駄には出来なかった。
しかし単身赴任で愛する人と離れてしまうなら別の話だ。昇進に有利という状況を差し引いてもなお、まったく腹が立たないといえば嘘になる。
自分の状況を考えても良い気分にはならないので、気晴らしに太郎は一人でプラネットソーサラーオンラインにログインすることにした。
太郎にも男の見栄というものがある。レベル上げをしてゲームの中でも津音子をしっかり守れるようにしたかった。
ログインしてグラントとなった太郎は、セーフシティ・ウルターへと向かった。
ウルターは全長1000メートルに達する巨大な樹木の上に作られたセーフシティだ。
もともとこの木は全盛時代に行われた植物の成長を促進する魔法の実験で生み出されたものだ。実験の終了後に伐採される予定だったのだが、Mエネミーの大襲撃によって人の手から離れてしまい、そのまま数百年も放置されたことでこれほどの大きさになった。
そして現在から10年ほど前に他のセーフシティから移住してきた不老族を中心にこの樹上都市が作られた。
「どれにしたものか」
グラントはクエスト斡旋所の受注端末のまえで悩んでいた。
敵を一定数倒す討伐系クエストは経験値が多く獲得でき、指定アイテムを納品する収集系クエストは報酬金が多い。
レベル上げか、装備調達の金策か。どちらもロールプレイングゲームでは無視できないほどの重要要素だ。
「クエスト受けずにダンジョン探索……は流石に一人だとリスクあるか」
ダンジョンは基本的に室内だ。広大なフィールドでの戦いと違って危なくなった時に逃げにくい。
「ダンジョンに行くなら、せめて誰かと組まないと」
その場限りの臨時パーティーを、誰かが募集していないか探そうと思った時、後ろから声をかけられた。
「グラントじゃねーか。一人でいるなんて珍しいな」
振り返ってみるとサングラスを掛けた忍者がいた。
「DN! 久しぶりだな」
DNはゲーム内のフレンドというだけでなく、現実世界でも学生時代からの友人だ。
そもそもプラネットソーサラーオンラインを始めたきっかけが彼だ。会社の都合で単身赴任することになった際、サイバースペース型オンラインゲームなら遠くの恋人と付き合えると提案してくれた。
「津音子ちゃん……じゃなくて白桃はどうしたんだ?」
「実は風邪を引いてしまって。今日は一人でログインしている」
グラントは事情を話す。
「で、今日はどうするつもりだったんだ?」
「本当は白桃と一緒にヴィラール邸へ行くつもりだった」
「ヴィラール邸? ああ、どす黒い剣を手に入れるためか」
グラントは主流盾と呼ばれる防御役のプレイスタイルをとっている。
どす黒い剣というのは敵のヘイトを集める効果を持っており、主流盾には必須の装備とされていた。それを手に入れられるのがヴィラール邸なのだ。
「だったら手を貸す。一緒にヴィラール邸へ行こう。白桃の代わりってわけじゃないが」
「良いのか? 君は、ソロ専門だろ?」
「ソロ専なのは人間関係に振り回されたくないからだ。お前は特別だよ」
グラントはともに感謝した。
「悪いな僕のために」
「構わないさ。お前とならヴィラール邸で経験値を稼げるから俺にとっても得さ」
二人はパーティーを組み、早速ヴィラール邸へと向かった。
そこは不気味さを演出するためか暗雲に覆われていた。今にも土砂降りの雨が振りそうな気配をはらむ黒雲からは、時折稲光が瞬く。
ヴィラール邸は第一地球から移住してきたレオナルド・ヴィラールという富豪が建てたものだ。彼は高名な騎士の末裔であったらしく、ここは遠い昔に先祖が住んでいた屋敷を再現したものだという。
しかし、今では恐ろしい魔の館となっている。セーフシティ・ウルターにいるあるNPCによれば、ここの主と使用人たちは正気を失っており、正義の戦いと称して無差別に周辺のセーフシティを襲っているという。
「俺の爺さんが好きだったホラーゲームでこんな館があったなあ。ゾンビが出てくるやつ」
DNがヴィラール邸を見上げながらつぶやく。
「確かにいかにもって雰囲気だ」
「案外、白桃を連れてこなくてよかったんじゃないか? あの子、たしかホラー苦手だったろ」
「そうかもしれない」
DNの言葉に、グラントの脳裏にある日の思い出が蘇った。
あれは中学生の頃だ。DNこと北野信夫と一緒にホラー映画に行こうとしたところ、まだ小学生だった津音子がどうしても一緒に行きたいと言いだした事があった。
しかしあまりの怖さに津音子が泣き出してしまったので、太郎と信夫は津音子を連れて映画館から出た。結局映画は最後まで見れなかったが、その出来事は津音子との大切な思い出として今でも残っている。
「さて、そろそろ中に入るか。先頭、頼むぞグラント」
「ああ。任せてくれ」
グラントが盾を構えつつヴィラール邸の玄関扉を慎重に開く。
そのすぐ後ろでDNは忍者刀を構えていた。
玄関ホールは、絢爛な装いだった。真紅の絨毯がひかれ、天井では豪華なシャンデリアが輝き、飾られている調度品や絵画が上品さを演出していた。
にもかかわらず陰鬱に感じられ、窓から稲光が差し込むたびに、ここは不吉な場所であるという印象が強まった。
「ようこそいらっしゃいました」
玄関ホール中央に若い使用人がひとり立っていた。病的に顔色が悪く、死人のような土気色だった。
「ですが、本日の予定ではお客様はいらっしゃらないはず。となると、ははぁ、お館様の剣がご目当てでございましょう?」
使用人はグラントとDNをみて何かを納得したようだ。
「でしたら家宝を狙う不届き者にふさわしい、おもてなしをいたしましょう」
使用人が背中に隠し持っていたレイピアを抜く。
「賊徒には死を!」
使用人が繰り出す鋭い一撃をグラントは盾で防御した。
すかさず剣で反撃!
しかし使用人はダメージを受けた様子はない。ただしグラントに驚きはない。ヴィラール邸ついて下調べしてある。ここに登場する敵は基本的に不死身だ。
にもかかわらず攻撃したのは、もとよりダメージを与えるつもりはなく、ただヘイトを自分に向けるためだ。
直後、明らかに人のものではない悲鳴が聞こえてきた。使用人が上げたものではない、悲鳴は彼の背中から聞こえてきた。
使用人の背中からおぞましい甲殻類のような寄生体が剥がれる。それはイモータルパラサイトというMエネミーの一種だ。これに寄生された宿主は自我を狂わされた挙げ句、生きる屍と成り果てる。
倒れた使用人の体は一瞬で土となった。イモータルパラサイトの魔力によって強引に生かされていた肉体がようやく死を迎える。
「よし、まずは敵一体撃破だな」
何もない場所から突然DNの姿が現れる。彼が敵を背後から攻撃したのだ。
「DNが使ってる装備、便利だな」
「まあな。でも、名無しの透明マントは消費魔力量がかなりきついから、他の魔法装備使えなくてかなり打たれ弱い」
「それって、実装当初は名前が空欄になってたからバグだって思われていたな」
DNが使っている名無しの透明マントはプレイヤーたちの通称であり、表示されるアイテム名は「 」となっている。
「ちゃんとアイテム説明欄に『透明化の魔法の影響で名前がわからなくなってる』って書いてあったけど、読んでないプレイヤーが多すぎて、公式からお知らせが出てたな」
DNの言う通り大勢のプレイヤーから問い合わせがあったのか、バグではなくあえてそうしている仕様だという告知があった。
とはいえ、アイテム説明欄をよく読まないプレイヤーが、ちゃんと運営からのお知らせに目を通しているか怪しいものだとグラントは思った。今日も誰かが、アイテム名が表示されないバグが有ると運営に問い合わせていることだろう。
「さて、そろそろ進むか」
「ちょい、待て」
DNがグラントを止める。彼は床のある一点、ちょうど天井にあるシャンデリアの真下を見ていた。
「トラップがある」
DNが腰のポーチから手裏剣を取り出し、シャンデリアの真下の床めがけて投擲する。
手裏剣が刺さった瞬間、シャンデリアが落下しけたたましい音が鳴り響いた。気づかずに先へ進んでいたら大ダメージを受けていただろう。
「助かる」
「なに、この装備のおかげさ」
DNは少し自慢げに自分のサングラスを軽く指で叩いた。
彼は単なるアクセサリーでそれを身に着けているわけではない。サーチグラスという名のそれは、先程のようにトラップを感知したり、隠れた敵を見破れる。しかも純粋な科学技術で作られたものなので、装備しても消費魔力が発生しないという優れものだ。知覚精度は高めたいが、強化ポイントを節約したいプレイヤーが重宝している。
グラントとDNは改めて奥へと進んだ。
ヴィラール邸は大きく分けて2つのエリアに別れている、一つは公務や客をもてなすための公邸で二人の現在地がここだ。もう一つは中庭を経由した先にある私邸でこちらは私生活のためのエリアとなっている。
邸内では最初の使用人同様に、イモータルパラサイトに寄生された使用人たちが現れる。それも一人や二人ではなく、十人近くもいた。
Mエネミーに寄生された使用人たちは剣や斧槍、ロングロッドなど、それぞれが異なる武器を持って襲いかかる。
二人では対処しきれないほどの数だ。
グラントは防御特化のプレイスタイルだが、一切の攻撃を無力化出来るわけではない。加えて今はヒーラーの白桃もいないので、回復は自前のアイテムのみ。倒されてしまう危険は十分にあった。
しかしグラントは一人ではない。DNがいるのだ。
「アクティブ!」
DNは魔法の起動音声を発すると、彼の周囲に数体の分身が発生した。
それは分身の魔法であり、ニンジャ盾と呼ばれる彼のプレイスタイルには無くてはならないものだ。
DNの分身たちはそれぞれが敵をひきつけ、グラントだけに攻撃が集中しないようにする。その間に、DN本体は名無しの透明マントで完全に姿を隠し、使用人たちの背中にとりついているイモータルパラサイトを倒していく。
分身の魔法と名無しの透明マントを使って味方と自分を守りつつ、敵を背後から攻撃する。これがニンジャ盾と呼ばれるプレイスタイルだ。
とはいえ、一方的に有利な状況を作り出せるかというとそうでもない。ゲームである以上、強みとともに弱みもあるの。
敵の中にロングロッドを持った不老族のメイドがいた。
「人の情すら奪う冷酷なる雪の女王よ……」
メイドが呪文を唱え始める。
「まずい、グラント!」
「まかせろ!」
呪文から敵が使おうとする魔法を察知したDNが叫ぶ。
グラントもどのような攻撃が繰り出されているのか理解している。敵は冷凍属性魔法の一つ、冷凍の魔法:吹雪の型を使おうとしている。使用者の周囲に極端な冷気をもたらすその魔法は、相手へ継続ダメージを与える効果を持つ。気を抜くとあっという間にHPがゼロになってしまうほどの威力だ。
DNが倒れたら分身の魔法が解除され、敵の攻撃はあっという間にグラントに集中しふたりとも倒されてしまう。冷凍の魔法:吹雪の型は絶対に阻止しなければならない。
背中のイモータルパラサイトを倒さない限り敵は不死身だが、いちいち背後に回る余裕はない。グラントは剣ではなく盾で魔法を使おうとしている使用人を殴りつけた。
グラントは『シールドバッシュ』の技能を取得している。これによって盾の打撃は相手に
シールドバッシュを受けた使用人の頭上に、スタン状態を示す星のエフェクトが回る。
「よし!」
使用人はすぐに復帰するが、その時はすでに姿なきDNが背後からイモータルパラサイトを切りつけていた。
危険な範囲攻撃を使うのはその使用人のみだったので、残る敵を二人は順次撃破していく。
「とりあえず、この辺の敵は全部倒したか? DN、どうだ?」
DNはサングラスを使って索敵する。
「ああ、大丈夫だな。周囲に敵の反応は無い」
周囲の安全を確認できたので、グラントはアイテムを使って自分のHPを回復する。分身と一緒に彼もDN本体を守るための囮として戦っていたので、少しダメージを受けていた。
「盾役が二人いるとヒーラーがいなくてもなんとかなるもんだな」
「だな。俺はノーダメージだし、グラントも回復はアイテムだけでなんとかなりそうだ」
序盤とはいえかなり順調だ。油断しなければこのまま最奥部にいるボスを撃破し、目当てのレアアイテムを手に入れるかもしれない。そういう期待が二人にあった。
実際、公邸エリアで二人が苦戦することはまったくなかった。範囲攻撃さえ注意していればいい。
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