最終話 悪夢の打倒

 気がつけば鳩美は見知らぬ場所にいた。


「ここは一体」


 一言で言うなら灰色の荒野だった。単に灰色のものばかりがあるのではない、色が白と黒の濃淡のみとなってしまっているのだ。その証拠に、鳩美が身につけているお気に入りの赤いブラウスは、今やくすんだ灰色に見えている。

 人の気配はおろか生き物そのものを感じ取れない。恐ろしいほど孤独な世界。

 かつての鳩美はそれを望んでいた。誰もいないのであれば、誰かに怯える必要もない。安心が得られると思っていた。

 だが今はどうだろうか。一人でいることが心細く不安だった。ここにいて欲しい人が鳩美の脳裏に思い浮かぶ。家族、親友、そして恋心を抱く人。

 誰でもいい、誰かがいて欲しい。そう思った時、後ろから足音が聞こえてきた。

 自分は一人ではないとわかって安堵する気持ちとともに振り返るも、それはすぐに消し飛んでしまう。


「お父さん……」


 現れたのは赤木誠司だった。あの時と少しも変わらず、眼は殺意にギラついている。


「今度こそお前を殺してやる」


 誠司は二度目のチャンスに歓喜しているようだ。

 非現実な空間。刑務所に収監されているはずの父だった人の出現。鳩美は自分が眠っていて、今は悪夢を見ているのだと理解する。

 誠司は何かを持っていた。

 灰色の世界に色が生じる。誠司の持っていたなにかから、赤いレーザーの刃が生み出されている。


「レッドセーバー……」


 プラネットソーサラーオンラインのボスキャラの武器を誠司は持っていた。


「殺してやる。殺してやるぞ」


 誠司はブツブツとつぶやく。理性はなくただ殺意のみで生きているようだ。

 鳩美は構えた。大地をしっかりと踏みしめ、拳を握る。

 逃げるつもりはなかった。


 立ち向かうべきなのだ!


 この悪夢を鳩美は試練と受け取った。目の前にいる誠司は鳩美が抱える恐怖心の象徴なのだ。砕くべき壁。越えねばならぬ障害。ここで赤木誠司暗黒の父を打ち倒せば、自分に勇気が少しだけ戻ってくるような気がした。


「なんだ、その態度は。俺ごとき、素手で十分だっていうのか? バカにしやがって!」


 誠司は鳩美に斬りかかる。かつては赤木流を受け継ぐために努力していた男の太刀筋だ。師から才能がないと断じられていたとしても、けっして素人ではない。

 横に一歩動いて刃を避ける。鳩美は誠司の姿勢から次の攻撃を繰り出すつもりであることを見抜いていた。

 誠司は素早く刃を返して二太刀目を繰り出した。

 鳩美は二度目の攻撃を後ろに下がって避けると、すぐさま前へ踏み出して間合いを詰めた。

 鳩美は大地を蹴るように踏みしめ、その反動を拳に込めた。真下から突き上げる打撃を顎に受けた誠司の体が僅かに宙に浮く。

 背中から倒れた誠司は起き上がりながらも刀を突き出す。

 鳩美はそれすらも避け、さらには回し蹴りで誠司の手首を叩き、レッドセーバーを弾き飛ばした。


「くそっ、くそっ!」


 誠司は灰色の大地を叩く。


「本当の俺はこんなんじゃない。俺こそが赤木流の正当な後継者なんだ!」


 その時、レッドセーバーが怪しく輝く。

 すると誠司の体が見えない力に引っ張られるかのようにレッドセーバーへと引き寄せられた。

 まるでレッドセーバーこそが誠司を支配しているかのようだ。

 未来世界の妖刀を手にした誠司が立ち上がると、その体に異変が起きた。

 まるで猛毒を飲み込んだかのように誠司が苦しみだす。肌はどす黒くなり、額から角が生える。

 かつて鳩美の父であった男は今や鬼と成り果てた。


 鬼が動いた。数メートルはあった距離が一足飛びで至近まで詰まる。

 先程よりも鋭さを増した刃が襲いかかる!

 鳩美はその一太刀を避けたが、ギリギリだった。そのため、立て続けに繰り出された次の攻撃までは避けられない。

 首を跳ねるかのように水平に繰り出された手刀を鬼が繰り出す。鳩美はとっさに腕で防御した。

 怪力で繰り出されたその攻撃は防御の上からでもなお威力を発揮した。鳩美は衝撃のあまり倒れてしまう。


 鳩美はすぐさま起き上がろうとするが、鬼の繰り出した前蹴りがみぞおちに叩き込まれる。

 鳩美の体がサッカーボールのようにふっとばされ、灰色の荒野を転がる。

 夢とは思えないほどの強烈な痛み。もしここで殺されたら、現実でも死んでしまうのではないかと思うほどだ。

 弱気になっては駄目だ。闘志をしっかりと保たねばと鳩美は自分を奮い立たせる。

 再び鬼が襲いかかる。レッドセーバーを握りつつもそれを使おうとせず、拳や蹴りを繰り出してきた。

 鳩美はそれらをどうにかして防御しているが体に痛みが蓄積していく。


「いいぞ、お前の苦しむ顔が見たかったんだ」


 他人をいたぶる快感に、鬼はおぞましい笑みを浮かべていた。

 反撃もままならない鳩美は自信が揺らぐのを自覚する。鬼と成り果てた誠司に勝てるのだろうかと。

 鳩美は痛みで疲弊し、動きが鈍くなる。鬼はそこを狙って、下段の回し蹴りを繰り出す。

 足に直撃を受けた鳩美は膝をつく。


「最高の眺めだ。これでようやく俺の夢が叶う」


 いたぶるのに満足したのか、鬼はレッドセーバーを振り上げる。

 やはり駄目だったかと、鳩美の心に諦めが生まれる。自分はピジョンブラッドではない。マジックセーバーもパワードスーツもない。ただの鳩美なのだ。

 夢の中ですら負けてしまう自分は現実でも何も変えられないのだろうか。

 その時、突如として鬼の体を炎が包み込んだ。


「ああああ!」


 鬼が悲鳴を上げる。誰かが彼を攻撃したのだ。


「鳩美!」


 誰かが名を呼んだ。思わず声のする方を見ると、サイバースペースにおけるもうひとりの自分の姿があった。

 ピジョンブラッドがそこにいた。おそらく炎の魔法で鬼を攻撃したのだろう。


「これを!」


 ピジョンブラッドが鳩美に何かを投げ渡す。

 受け取ったそれはブルーセーバーだった。


「あなたは鬼と成り果てた男などには負けはしない。なぜなら私は、ピジョンブラッドはあなたなのよ!」


 鳩美は立ち上がり、ブルーセーバーを起動する。

 灰色の世界に再び色が生まれる。青い刃の輝きは、鳩美に今度こそ揺るがない勇気をもたらした。

 鳩美はブルーセーバーを構える。たとえ怪物であろうと負けない。


「そんなオモチャがどうした!」


 鬼がレッドセーバーを振り上げながら突進してくる。そこに赤木流の継承者たらんとする姿はなかった。もはや武術ではない。ただ暴力を振るうだけ。

 鳩美は精神を研ぎ澄ませる。

 鋭く、刃のように!


「死ね!」


 鬼が飛び上がりながら刺突を繰り出す。

 それは見切っている。

 鳩美の動きは必要最小限のものだった。一切のムダはない。

 赤いレーザー刃は鳩美を貫かず、地面に突き刺さる。

 鬼は必殺を確信していたのだろう、信じられないという顔をしていた。

 鳩美はブルーセーバーで鬼の心臓を貫いた。


「お前、よくも! 捨て子が恩を仇で返しやがって」

「私を拾ってくれたのはお母さんです。人の心を捨てたあなたに恩も義理も有りません。消えてください。もう私の夢に出てこないで」


 鬼は恨みがましい断末魔を上げながらチリ一つ残さず消えていった。


「頑張ったわね」


 ピジョンブラッドが優しい笑みを浮かべる。


「ありがとう。あなたのお陰で助かりました」


 鳩美はもう一人の自分に礼を言う。


「忘れないでね、私は、ピジョンブラッドは偽物のあなたではないということを」

「はい。あなたは紛れもなく私自身です」


 鳩美はようやく思い出した。ピジョンブラッドは誠司に殺されかける前の自分なのだ。それが物理的には決して殺されることのないサイバースペースという環境によって蘇ったのだ。


「これからの人生、あなたには幾度となく他人の敵意や悪意に遭遇するでしょう。もしかすると赤木誠司以上の悪人に襲われるかもしれない。でも、あなたにはそれらに立ち向かう術がある」

「そのとおりです。赤木流だけじゃない。私には家族や仲間がついている。心を通わせた人達がいれば、この世にどれほど酷い人達がいたとしても、私はもう怯えたりしません」


 それから鳩美は苦笑いしながら付け加えるように言った。


「もっとも、今の振る舞い方が染み付いてしまったので、昔のようには戻れないかもしれませんが」

「それでいいのよ」


 ピジョンブラッドは微笑み、鳩美に起きた不可逆の変化を肯定した。


「変わらないことを良しとする場合もあれば、昔とは違うことを良しとする場合もある。そこに良心さえあれば、どっちでも良いのよ」


 暖かな陽の光が現れた。灰色だった荒野に色が戻り始める。


「さあもう目覚めるときよ。そして、あなたにとって最愛の人に会いに行きなさい」


 目の前の光景が唐突に変わった。目の前には、住み始めて数ヶ月がたって見慣れてきた天井がある。

 鳩美は身を起こす。夢見荘の自分の部屋だ。

 夢から覚めたのだ。

 こうして目覚めてみると、あの夢は妙に現実味があった。それこそサイバースペースよりもだ。

 なぜあんな夢を見たのか自分でもよくわからない。とはいえ夢とはそういうものだ。深く考える意味はあまりないだろう。


 重要なのは自分の心が驚くほど軽やかということだ。自分を縛り付けていた見えない鎖が綺麗さっぱりなくなっているような感覚がする。

 鳩美は部屋のカーテンを開けて朝光を全身に浴びる。こんなにも清々しい目覚めは久しぶりだ。

 スティールフィストとの関係もきっとうまくいくだろうという確信があった。

 そんなふうに彼のことを考えた途端、急に鼓動が早まった。不安や恐怖によるものではない、恋心という情熱が心臓に火を入れているのだ。

 今日のオフ会は夜に開かれる。待ち合わせは何時間も先だ。

 今の鳩美にとって、それは永遠に続くと錯覚するほど長い。

 


 いくら待ち合わせに遅れたくないからと、早く着すぎてしまった。鋼治は今更後悔していた。

 オフ会に参加する前に、二人で会おうとピジョンブラッドと約束したのだが、鋼治は予定よりも30分も前に落ち合う場所に到着した。

 遅刻しないための用心というのは言い訳に過ぎず、ピジョンブラッドと会うのが待ちきれなくて夢見荘を飛び出しただけに過ぎない。

 激しい運動をしたわけでもないのに心臓が激しくなっている。こんなふうに期待と緊張が入り混じった気持ちは初めてだった。


 鋼治はゆっくりと深く呼吸しながら自分に言い聞かせる。落ち着け、冷静になれ、こんな状態でピジョンブラッドに対して誠実に振る舞えるのかと。

 人情を持たず、機械的に正しいと思ったことをしてきた鋼治にとって、初めて激しいと言える感情の奔流であった。自分の心をコントロールできないことに不安すら覚える。

 そのときポケットの中に入れていたマナーモードのスマートフォンが揺れた。

 メッセージアプリにピジョンブラッドからの着信があった。


『いま駅を出たところ。もうすぐ待ち合わせの場所につくわ』


 鋼治は素早くメッセージを返信した。


『俺はもう着いてる』


 それから鋼治は自分の服装など、他人と見分けがつく特徴をピジョンブラッドに伝えた。

 駅を出たのならばすぐに着くだろう。

 それから少しすると正面から見知った顔が早足で歩いてくるのが見えた。

 それは鳩美だった。

 


 思った以上にぎりぎりとなってしまった。

 サイバースペースでは知った仲とはいえ、現実世界では初めて合うのだ。しっかりした身なりをしようと思って、クローゼットにしまっていたよそ行きの服を引っ張り出したまでは良かったのだが、何を着ていくかなかなか決まらなかった。

 だがなんとか約束の時間ぴったりに到着した。


「赤木さんじゃないか」


 聞き覚えのある声に呼ばれた。


「黒井さん。どうしてここに?」

「人と会う約束をしているんだ。その人はもうすぐ来るはずなんだが」

「でしたら私とは逆ですね。私も人と会う約束をしているのですが、その人はもうここに来ているそうなんです」


 鳩美はあたりを見渡す。先程、スティールフィストからは彼の外見を教えてもらったのだが、やはり文字だけの情報では判別しにくい。似たような格好の男は他にも何人書いた。

 たとえば目の前にいる鋼治もそうだ。スティールフィストに教えてもらった特徴と完全に一致しているが、さすがに違うだろう。

 春からずっと一緒に同じオンラインゲームを遊んでいた人がまさか偶然隣に住んでいるなど、現実的に考えてありえない。


『ごめん、似たような格好している人がいてどこにいるかわからない』


 鳩美はアプリにメッセージを打ち込む。

 鋼治も同じような状況なのだろう。彼もメッセージアプリで待合人と連絡をとっているようだ。


『だったら、スマホ持ちながら手を上げる。それならわかるだろう』


 メッセージを見た鳩美は手を上げているであろうスティールフィストを探す。


「え」


 周囲には何人もいるが、その中でスマートフォンをもった手を上げているのは鋼治だけだった。


「あ、あの黒井さん」

「うん、どうした?」

「もしかして黒井さんがスティールフィストですか?」

「どうして、それを」

「えっと、その、私がピジョンブラッドです」


 鳩美はスティールフィストとのやり取りが表示されている自分のスマートフォンを彼に見せた。

 それを見た鋼治は完全に言葉を失う。


「まさかスティールフィストがすぐ隣に住んでいたなんて」


 鳩美は思わず笑いだしてしまう。現実の自分をスティールフィストに知られて失望されるのではないかと恐れていた自分が滑稽だった。

 どうということはない、スティールフィストはすでに赤木鳩美を知っていたのだ。


「まえに相談されていたのは私のことだったんですね」

「ああ。白桃からピジョンブラッドは心に深い傷を負っていると聞いて、それでなんとかしてあげたかったんだ」


 失望するなんてとんでもない。黒井鋼治スティールフィストはこんなにも赤木鳩美ピジョンブラッドのことを真剣に考えてくれていたのだ。

 鳩美はサイバースペースでしたのと同じように鋼治に抱きついた。


「改めて、よろしくおねがいします。黒井さん、いえ鋼治さん」

「ああ、こちらこそ。鳩美」


 鋼治も鳩美を抱きしめ返す。その感触はスティールフィストに抱きしめられた時と全く同じであった。

 


「それでは、クロスポイントの大会優勝と、赤木さんことピジョンブラッドのMVP受賞に乾杯!」


 権兵衛、現実世界での名は青野五十六いそろくが音頭を取る。


「乾杯!」


 皆が一斉に乾杯する。ガラスコップが触れ合う音が重なる。


「それにしてもビックリだね。まさかピジョンブラッドとスティールフィストがお隣さんだったとはね」


 五十六の隣に座るのは彼の妻であるハイカラこと青野恵美だ。


「良かったわね。好きな人といつでも会えるじゃない」


 津音子は遠距離恋愛の身であるにもかかわらず、鳩美のことを喜んでくれていた。


「反対に津音子さんは太郎さんと離れ離れよね。やっぱり辛い?」


 尋ねるのはステンレスこと金山紘子ひろこだ。


「そうね。辛いといえば辛いわ。だから今日はたっぷり甘えるつもり」


 津音子は隣りにいる太郎の腕に抱きつく。


「僕も津音子と直に会うのは久しぶりだ。悔いは残さないようにするつもりだよ」

「ラブラブですね。私もそんな人がほしいけど今は他に大事なことがあるからなあ」


 紘子は羨ましそうに言った。


「大事なことって?」


 紘子の対面に座る鋼治が尋ねる。


「家の仕事を継ぐための修行。私の家、刀鍛冶なの。まあ刀だけじゃ生活が厳しいから包丁とか鍋とか金物全般を作ってるけど」


 女子高生が刀鍛冶を目指すのは珍しいと感じつつも、鳩美はプラネットソーサラーオンラインではクラフターである彼女らしいとも思った。加えて、未来の刀鍛冶である彼女に鳩美は剣士として親近感を覚えた。


「ワシも恵美も家庭教師をやっているからいろんな夢を持っている子たちを見てきたけど、刀鍛冶を目指す子は初めてだよ」


 鳩美にとって意外だったのは、権兵衛とハイカラが現実世界では家庭教師ということだ。そういう職業の人はオンラインゲームとは無縁だと思っていた。

 オフ会で現実世界での仲間たちを知ると、サイバースペースとは違う一面を知ることもあれば、環境がどうであろうと変わらないその人らしさというものがあった。

 この場に来てよかったと鳩美は改めて思った。見せていなかった自分の側面を知られる。友人の知らなかった側面を知る。それが今までの関係を崩すとは限らない。むしろ相手を深く知ることでより一層繋がりを強めることにもなる。


 鳩美はそっと隣りに座る鋼治の手に触れる。彼は何も言わず、優しく手を重ねてくれた。

 鋼治との心のつながりを感じる。鳩美は彼のことをもっと知りたかった。自分のことをより知ってほしかった。そうすることでより深く、より強く心を通じ合いたかった。

 焦る必要はない。少しずつ少しずつ積み重ねていけばいい。愛する人はすぐ隣りにいるのだ。

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