第28話 侵入 4

 那須平は大きな安息感の中で、隣の部屋の物音に顔を上げた。とうとう敵が突入してきたようだ。

 数秒後には自分もハチの巣になるだろう。

 別にどうなっても構わないとは思うが、それは仕事をこなした後でないといけない。

 リュックに手を入れた。

 楕円型の直径二十センチほどの白い物体が出てきた。プラスティック爆弾だ。ずしりと重いそれの片側は平らで、粘着質な輝きがある。もう片方の手には小さなリモコン。

 起動してくれよ。

 そう願いながら目を細める。

 自分が砂の海に廃棄される寸前の光景が浮かんだ。


 *** 


「頼んだぞXA1。貴様には金がかかっているんだ。砂クジラのでかいのを吹っ飛ばしてくれよ。お前なら確実にクジラにひっつけるからな」

 にたにたと笑う研究者は、手に持つリモコンをちらつかせて那須平の背中を軽く叩いた。

 背負わされたのは白い爆弾だった。

 壊れてしまった那須平の最後の仕事だった。

 役に立たないなら、強力な両腕で砂クジラに捕まったところを、研究者がスイッチで爆破する。

 食糧難の楽園島の為に華々しく散れという身勝手な願いだった。


「おっと、忘れるところだった。あいつらはこの匂いが大好きだからな」


 研究者は那須平の基盤が張り付いた頭部に石アザラシの体液をぶっかけた。「なんて臭いんだ」と身勝手な独り言ともに、異臭に鼻をしかめつつ、ゲートを開けた。

 那須平はこの瞬間を今でもはっきりと覚えている。

 眼下に無限に広がる白砂の世界を見た瞬間――

 悲しみと喜び、怒りと後悔、その他言い表せないすべてが一斉に湧き立ち、感情という感情が荒れ狂うように彼の脳内を満たしたのだ。


「準備完了だ。さあ、飛べ」


 手近にあった棒で那須平の後頭部を小突いて促した。

 そして――

 那須平が振り返った。


「お、お前……意識が……」


 研究者の顔が凍り付いた。人形だと思っていた男が、はっきりと意志を口にした。


「最後まで、くそ野郎だったな。必ずお前らは潰してやるからな。覚えていろよ」


 瞳は怒りに燃えていた。ぼんやりとした表情はすべてを取り戻したかのようにと殺気立っていた。

 那須平は時間を与えなかった。

 強靭な片腕で、爆破スイッチを握る研究者の手をへし折った。にぶい音とともに落ちたスイッチを素早く掴みとる。

 研究者の悲鳴などまったく気にすることなく、側にあったロングボードを奪い、そのまま空へ身を投げた。

 背後で護衛の守護隊が放つ銃声が聞こえたが、どうでもよかった。当たった時は運が悪いのだと達観した。

 落下中に、那須平は生まれて初めて生きているという感覚を味わった。冷たく凍てついた心はいつの間にか熱が灯っていた。

 ここで死ぬのか。こんなに簡単に。

 そう自問した瞬間、生への更なる渇望が湧きあがった。

 目の前に凄まじい速度で近づく砂の海が、自分を待っている巨大な敵のように思えた。


「死んでたまるかよっ!」


 那須平は全身に力を込めて吠えた。

 何者をも拒まない白砂は、静かに彼を抱きしめた。


 ***

  

 那須平はプラスティック爆弾の信管を確認してから慎重に胸に張りつけた。後ろのポケットに起爆スイッチを差し込む。

 ゴンドラのワイヤーに手をかけた。この時ばかりは腕が機械であったことと、並外れた握力を持つことに感謝した。


 下を眺めていた那須平は二郎とイヅナが着砂したのを見届けた。

 二郎が渋っていたようだが、イヅナが説得したのだろう。砂煙を立てて二人を乗せたボードが走りだす。視線の合った二郎にもう一度手を振った。

 楽園の下に集まっているのは北か南の島の人間たちだろう。イヅナが声をかけたのか、数組がUターンして島の下から逃げるように散っていく。


「もういいな」


 これで自分の記憶はゴミ島に受け継がれるだろう。もし最後の作戦が失敗したとしても、誰もが蓄積した知恵を活用できるはずだ。


「期待してくれたおやっさんたちには申し訳ない話だけどな」


 独り言ちてショットガンを構えた。最後の弾だった。

 ワイヤーに向けて放つと、振動とともにゴンドラが切れて落ちた。

 下の人間に当たらなくてほっとする。が、まだ数組は残ったままだ。

 イヅナの声が聞こえなかったのかもしれない。


「島が落ちるぞーっ!」


 那須平は上からありったけの声を張り上げた。

 以前、砂に向かって叫んだ理由は自分が生きるためだった。けれど、今回は誰かを生かすためだ。


「こういうのもなかなかいいな。もし生きてたら、誰かの助けになりたいな」


 那須平は満足そうに言う。

 数人がワイヤーに掴まって叫ぶ那須平を見ていた。

 ショットガンの先を大きく揺らして、ここから離れろと動作で警告する。


「逃げろっ!」


 もう一度だけ叫んだ。

 ここら辺が限界だろう。やれることはやった。

 那須平は楽園島の真下にぶら下がるワイヤーに捕まりながら、空中で大きく体をのけぞらせた。続いて、揺れを煽るように両足を前に突き出す。

 繰り返して振幅を大きくした。胸の爆弾をいったん剥がして片手に持ち直す。

 頭上に何人かがやってきた気配がしたが、もう準備は終わっていた。


 那須平はタイミングを見て――飛んだ。


 二度目の経験。だが、以前は真下だった。

 今回は真横だ。飛距離は極小。

 那須平は吠えた。


「砕けろ!」


 深紅の宝石に飛びついた。と同時に、プラスティック爆弾を張り付けた。その拍子に自分の腕の中で何かが壊れる音がした。

 もう故障寸前だったのだ。仕方ない。

 闇市では未久のために腕の金属を一本売り払うこともした。強度が落ちている。こうなることは当然。

 メンテナンスも無しに、ここまでよくがんばった。


 那須平は自分の腕に別れを告げて、落下を開始した。

 ふと視線をゲートに移した。

 数人の守護隊が憎々し気な顔で彼を指さしていた。小銃の鳴る音が何度も耳に届いた。


「あんたらも俺と似た運命だってのに巻き込んで悪かったな。けど、違うよ。この島は楽園じゃねえ。ただのくそったれ島だ。これでようやく元に戻るんだ」


 那須平は静かに笑った。

 そして、ポケットからスイッチを取りだし、セーフティを解除した。

 ボタンに指をかける。

 一息に押すと、耳をつんざく轟音とともに閃光が弾けた。

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