思い出の香り

御剣ひかる

1 あなたは、やさしい鬼さんですから

 何者かの気配におれは振り返る。

 山の中の獣道を一生懸命登ってきたのであろう四人の子供達が、おれを見上げて口をあんぐりと開けている。

 その中の少女の顔を見た時、おれは昔出会った女のことを思い出した。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 今より千年以上も前のことか。この辺り一帯は魑魅魍魎ちみもうりょうが闊歩していたことがあった。比喩的な表現ではなく、まさに人を食らう化け物どもだ。

 町は混乱を極め、人間達は夜はもちろん昼間も一人では外出できないほどになった。

 かくいうおれもその一体だったのだ。


 おれは鬼だ。肩までの銀髪に金色の角を二本持ち、自分より少々大きなものでも軽々と片手で投げ飛ばせるほどの腕力を武器とした鬼だ。

 悪鬼どもを退け、おれが覇者となる。

 目的はそれだけだったのだ。

 あの娘に出会うまでは。




 その時、おれは山から下り町で暴れている化け物どもを蹴散らしていた。

 手当たり次第に殴りつけ、ひっつかみ、投げ飛ばし、踏みつけた。


 顔だけがやたらと大きな獣型のバケモノが、逃げ遅れた女の背に食らいつこうとしていた。

 別に女を助けようとしたわけではない。獲物に夢中になって背後ががら空きになっている愚かな敵に手を伸ばしたに過ぎない。

 おれは奴を掴み、二つに引き裂いてやった。

 女は驚き、か細い悲鳴をあげた。それはそうだろう。女にしてみれば自分を食らおうとする化け物が交代したに過ぎない。


「あ、あぶな……」

 女が声を漏らした。


 あぶな?

 疑問に思った瞬間。脚に衝撃と痛みが走った。

 見ると、おれの足にかじりつく小さな怪物が。

 ふん、このおれを食らおうとするにはおまえは小さいし弱すぎる。

 おれが足を振るうとあっけなくそいつは飛ばされ、ぐぎゃっとうめき声をあげて地面に転がった。蹴り飛ばしてやると人間の家の塀にぶつかって絶命した。

 しかし斯様かよう矮小わいしょうなものに不意を打たれるとは不覚である。

 ぐるりと辺りを警戒してみるが、もう近辺には化け物の気配はない。

 ならばここにはもう用はない。おれは立ち去ろうとした。


「あっ、あのっ」


 声がした。先ほどの娘だ。

 最初、おれにむけられたものだと気づかずに足を進めた。


「だめですっ、えっと、鬼さん」


 ん? 鬼さん? おれのことか? と振り返る。


「怪我をなさっています。そのままにしてはいけません」


 娘がおれをじっと見ている。肩より少し長い黒髪を一つにまとめ、清楚な顔つきだ。

 おれが鬼だと判っているはずなのに怖じないとは、見かけによらず心の強い女だな。


「脚のことか。気にするな、すぐに治る。おまえはまた襲われないうちに帰れ」


 別にこの女も殺してしまっても何ら問題はない。だが人間一人などたおすに値しない。おれが今、空腹でないことを幸運と思うがいい。

 再び背を向けたが、娘は軽い足音をたてて追ってきた。


「脚どころか全身傷らだけではありませんか。手当てをしなければ」


 手当だと? このおれを?

 笑いが漏れた。


「町で暴れる鬼を相手に酔狂な女だな」

「あなたは、やさしい鬼さんですから」


 酔狂ではなく素っ頓狂であった。

 おれは目の前の女の印象を頭の中で訂正しつつかぶりを振った。


「おまえを助けた形になったがそれは偶然だ」

「偶然でもなんでも、あなたはわたしを助けてくださいました」


 むっ、なかなかに押しが強い。


「おれの目的は辺り一帯の覇者となることだぞ。それでもか」


 脅すように言ってやったが娘はにこりと笑みを浮かべた。


「ならばなおさら、小さな傷もおろそかにせず手当てしなければなりません。鬼さんはお強いですが油断大敵です」


 言われて、確かにと思った。先ほど不意を打たれたのも油断ゆえのことだ。


「そこまで言うならば、手当てさせてやってもよい」

 言うと、娘はさらに朗らかに笑み、おれを家へといざなった。




 町中でおれを見かけた人間は皆、慌てたり恐れたりと、こちらの想定内の反応をしたのだが、この娘が「この方は優しい鬼さんなのです」と触れ回ったので敵意を向けられることはなかった。

 いちいち否定するのも面倒でそのままにしておいたのだが、正しい判断だったのやもしれん。人間など敵に回っても造作もなく片付けられるが数で来られると面倒だ。


 しかしなぜこの女の言うことを他の人間達はあっさりと信じているのだろうか。

 と疑問に思いながら娘について行った。

 やがて町の中でひときわ大きな家、屋敷と呼べるような建物に到着し、娘はためらいもなく中へと入っていく。

 我らが力で序列を決めるように、人間どもは財力という力で序列を決めるのであったな。なるほど、ならば娘が少々ずれたことを言ったとしても周りはうなずかざるを得ないわけだ。


「さぁ鬼さん、こちらへいらしてください」


 娘の声に慌てて出てきた家人どもが血相を変えておれに殺気立った視線を向けるが、娘の「この方はわたしの命の恩人です」の一言でころりと態度を変えた。


 かくておれはなぜか人間に歓待されることとなった。

 まずは湯あみをと体中を洗われ、全身の細かな傷にまで薬草から作った傷薬を塗られ、ただまとっているだけであったぼろきれは清潔な「衣服」に替えられた。

 されるがままだ。なんとなく癪だが、一度申し出を受けたからには途中でやめろというのははばかられる。化け物を制し人間を従え覇者になる身として、この程度のことで怖じていると思われるのはよろしくない。

 そうだ、考え方を変えればよい。いずれ従わせる人間におれの世話をさせてやっているのだ。


 少し気分を良くして広い部屋へと移動すると、膳が用意してあった。

 さほど腹は減っていないが、肉を見ると食いたいと感じた。

 人間どもが膳の前に座る。助けた娘が隣に、おれの前に男と女。こ奴らが娘の親か。


「娘を化け物から助けていただいたそうで、感謝してもしきれん。ささ、少ないがどうか食べてくれ」


 目の前の男が頭を下げて礼を述べ、ささやかな宴が始まった。


「本当にありがとうございました。やさしい鬼さん」


 隣の娘はかえでと名乗った。


「鬼さんに名前はないのですか?」

「名など必要ないものだ」

「あら、それではずっと鬼さんとお呼びしないといけませんね」


 肉を掴みかじりながら、それでいい、と答えた。俺が鬼であることに違いはない。


 ……待て。ずっと? おまえはずっとおれのそばにいるつもりか?

 思わず隣を見た。

 楓は朗らかに笑った。


「町の化け物達を退治するのでしょう? 鬼さんがどちらにお住まいか存しませんが町の中ではありませんよね? 戦いのたびに往復するよりは、終わるまでここに住まわれてはいかがですか?」


 鬼を住まわせるというのか?

 あまりの驚きに肉を取り落としてしまった。


「何ゆえ、そこまで。ただ一度、気まぐれに助けたにすぎんのだぞ」

「あなたには気まぐれでも、わたしにはそれだけ大切なことなのです」


 理解しがたい。


「鬼殿。ではこう考えてくださっていい。我々は利害が一致している、と」


 利害の一致か。

 人間にはわざわざ手を出さないおれが辺り一帯の化け物を滅すれば人間にとってはありがたいことだろう。

 おれはここで手厚く扱われれば戦いが楽になる。魑魅魍魎を滅した後に人間どもを従えるのに、人間の中で力のあるものが味方である方が制しやすい。

 なるほど、理解できる。


「承知した。その申し出を受けよう」


 うなずいて、落とした肉を拾おうとしたらもうなかった。代わりに膳の上に新しいものが置かれてある。

 ふむ。これならここでの生活はなかなか心地よいものになりそうだな。


「よろしくお願いしますね、鬼さん」


 楓が嬉しそうに笑った。

 こうして、鬼たるおれと人間の協力関係が成り立った。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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