03

 冬がやって来た。矛盾するようだが、それから秋が来た。親戚の秋穂が我が家に越してきたのだ。

 秋穂は地元の大学に通っていたのが何らかの理由で退学し、しばらく実家に閉じこもっていたらしい。それが俄かに俺のところへ越してくることになった理由は知らされなかったが、親戚筋でもあまり評判の良くない俺のところへ来たのだから、向こうで何かしらの諍いがあったのだろうと思う。それでも二十才の秋穂とは一回り以上も年齢が離れているから、流石に間違いはないだろうという常識的な判断もあったのではないか。

 以上が、ほとんど荷物も持たずに越してきた秋穂に対する俺の見方だった。彼女には物置として使っている部屋を使ってもらうことにし、物置を占領していたあれこれの物は、先日の弓子との件もあってほとんど処分することにした。それでもためらいがあったことは認めざるを得ないところで、秋穂の新生活の初日は物置部屋の掃除に費やされた。

「ああ、美味しい」

 いつかの弓子が座っていたのと同じところで、同じような言葉を吐いた秋穂が手にしているのは、インスタントコーヒーとは似ても似つかぬ日本酒だった。嗜む程度にしか飲まない俺の酒を、注いだそばから呑み干していくものだから面白くて面白くて、つい二杯、それ三杯、まだまだ四杯とどんどん呑ませてしまった。気付いたときには秋穂の頬が日を浴びた稲穂のように染まっていて、頭は実ってきた穂先のように垂れ下がっていた。秋穂、秋穂と呼びかけても返答はなく、私ってお酒に強いんですよという言葉を信じてしまった俺と、空きっ腹に酒を注ぎ込ませてしまった俺を詰りながら、救急車を呼んだ方が良いんじゃないかと電話に手を伸ばした俺だったが、ちょうど背中に寄りかかる形で秋穂の身体が崩れてきた。

 体勢を変えさせて何とか膝の上に頭を乗せる形までもっていったのだが、そのずっしりとした重みと髪の色香に久しぶりの感覚をむくむくと刺激させられ、つい唇に添えた指を弱く噛まれたときからもう終着地点を見据えていて、身体を開かせたときの微かな汗の匂いに却って湿った感じを思い起こさせられた。黒々とした体毛を感じながら未だ発達をし終えていない肉体を腕に収めんとする正に谷間の地点で、束の間の理性が復活した。俺は愛してもいないこの娘をどうして抱かねばならないのかと自問し、自分の思考に潜ることで何とか理性を保とうとしたのだが、結局は小中学校で作文を褒められた程度の思考力に欲求を押しとどめる力はなく、遂に全てを終えてしまった。

 どうしようもない脱力感の中で俺は再度復活した理性を使って後始末を済ませ、秋穂を新しい寝床に寝かせつけて自分もまた自室で身を横たえた。寝具の中にこもった俺自身の臭いに混じって若人の甘い香りが広がっていくのを感じながら、その晩は風呂に入ることもせずに眠り込んでしまった。




 夢の中で、俺はあの草原に来ていた。見知ったばかりの少女を抱いてしまっただらしのない男としての自負があり、それでいて少女を抱き果せた男としての自負もあり、しばらくはしゃがみこんで風の渡っていく様を眺めていた。夢と分かっていながら夢とは分からず、どこかで帰らなければならないのだという意識がありながら、しかしその兆しは一向に現れそうになかった。全ては自分の意志次第、ということなのだろう。

 俺は決意して雑草をかき分け、その先に秋穂の姿がないかと見渡してみたが、やはりそこに人の姿はない。もっと奥へ、もっと奥へ行ってみようかという欲求は、これまでになく強まっている。しかしそこに秋穂の姿があるはずはなく、それはほとんど強引に抱いてしまった女に愛情を求めているのと同じことで、ではそこに誰の姿があり得るかということを考えると弓子の顔が脳裏に浮かぶくらいに、俺は軽薄なのだった。別に絶望などしてはいない。だが、どうしようもない空白が心の中にわだかまっているのだ。

 俺は足を止めた。この先に弓子の姿が現れることはきっとないだろう。であれば、秋穂に賭けるしかないのではないか? 俺はこの先で誰かに、会いたいと願っているのだ。そのことを強く感じたのはこれが初めてだった。

 帰ろう。

 今は帰って、秋穂をここへ誘おう。そうすればきっと、俺はこの先へ進むことができる。そうすればきっと、俺は、俺は……。

 俺はこの先で何を求めているのだ?




 翌日、俺が目を覚ましたのは昼近くになってからのことだった。台所の方で何か人の動く気配がしたので物憂げに感じながらも、どこか異様な雰囲気を感じ取ったので渋々ながらも姿を現すことにした。

「あら、おはよう」

 そこにいたのは、弓子だった。弓子はそれだけ言うと俺には目もくれずに、隣の秋穂に料理のあれこれを指南していた。

 どうしてここに弓子が、こんなときに弓子がいるのか。

 呆気にとられた俺の脇を通って時間は間違いなく流れ続けているのだが、流石にこのような時間の流れ方は残酷だと思わずにはいられず、それでいて例の思考力が働いて真に可哀想なのは秋穂ではないかと俺自身の声で囁いてくるのだった。

 食欲はなかったが、弓子と秋穂を前にして逃げるわけにもいかず、三人で食卓を囲んだ。こういうときに味はしないと言うものだが、俺の場合は間違いなく味を感じて、それが却って情報の奔流となって襲ってくるのだった。途中で弓子が席を立ち、俺と秋穂が向かい合う形で沈黙の訪れるときがあった。俺は目を合わせることもできずに、ただ秋穂の体毛に触れたときの心の動きを思い出していたのだが、秋穂はぽつりと、

「大丈夫です。私はそんなに弱い人間じゃありませんから」

 と呟いたのだった。

 それは正に、俺に対する死刑宣告と同じことだった。

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