第2章 秘めし小火と黒の教師編

14.リンゴとレクリエーション






午後1時を過ぎた頃だろうか、グランドの隅に配置されているベンチに黒いコートを着た男が、仰向けになり呑気に昼寝をしている。

その男が顔に乗せているのは本……ではなく赤く実った美味しそうなリンゴであった。



「……隙ありぃぃー!!」



大きな叫び声と共に男が寝ているベンチ木剣が振り下ろされた。だが、"標的"に命中したかと思いきや、そこに男の姿はなく煙のように消えてしまっていた。



「はぁ……参ったなぁ。これじゃいつになったら授業を受けられるかわからないよ……」






実力試験の次の日、新たな英雄を作ると言う目的で新設された特別クラスである7組の授業がいよいよ始まるのだと、ファイは期待に胸を膨らませながら先生の到着を待っていた。



「見て見てー、ファイ。この制服どう?似合ってるかな?」



左向かいの席のウィンが立ち上がり、着ている制服を見せびらかすようにその場で時計回りにくるりと体を回転させた。

白いシャツに、灰色ベースで一見シンプルなジャケット型の上着だが折り返されている袖と上衿から下衿にかけて縁に青いラインが入っていたり、ジャケットとシャツの胸ポケットに紫色の刺繍が施されたりしていて中々オシャレである。

この刺繍はクロノス魔法学園の校章であり、時計の時字の如く12本の尖った線を丸く囲った模様と、その中に1匹の竜が描かれている。

ネクタイはクラスによって色が異なり、7組は黒色となっているのだ。

基本的女子と男子は上着はほとんど同じで、女子は紺色のギャザーが入っているスカート、男子は同じ紺色のズボンとなっている。

そんな新品のクロノス魔法学園の制服に身を包んでいるが、私服の時と同じくやけに年季が入ったゴーグルが、ウィンの首元にさげられていた。



「うん、似合ってるよ。ここの制服はデザインがいいって下宿先の人も言ってたけど、本当にカッコいいよね」



「それにしても、新たな英雄になる為の授業ってどんなだろーね?」


「きっと、とんでもない授業なんじゃないかな?例えば、すごい魔法を教えてくれるとか!」



ファイとウィンが、これからどんな授業が始まるのかを色々妄想しながら楽しく話している。そんな様子をしきりに気にしていたファイの隣の席の男子生徒クラスメイトが、読んでいた本を閉じ、右手の人差し指で眼鏡の位置を微調整しながら深いため息をついた。



「はぁ……君たち、静かにしてくれませんか?本に集中できません」


「あ、ごめん。悪かったよ、フリッド」


「フリッド、ごめんねー!」


「まったく……」


「…………………」




すると、どこからともなく美しい鐘の音が聞こえてくる。この鐘の音はどうやらこの学園の予鈴のようだ。

予鈴の鐘のほんの少し後に1-7の教室のドアが開き、そこから黒いコートを着た男が教室に入ってきた。昨日とほぼ同じ位置に寝癖があるその男は、さっきまで寝ていたかのように眠そうな顔で教卓へと歩いていった。



「……さて、今日から授業を始めたいところなんだが、その前にやらなくちゃいけない大事なことがある」


「なんですか、それは?」


「なぁに、簡単なレクリエーションみたいなものかな」


「レクリエーション??」



男は不敵な笑みを浮かべると、コートのポケットからある物を取り出した。



「……リンゴ?」


「これで一体何を?」


「これから諸君らにやってもらうのは、俺の頭の上に置いたこのリンゴを切ったり割ったり、地面に落としたりできかって言う"簡単なゲーム"だよ」


「……くだらない。そんな事して一体何の意味が……」


「できた奴から、俺の授業を優先的に受けさせてやる」


「なっ!?」


「ちなみに、できるまで俺の授業は受けられないから、せいぜい頑張ってくれ」



指を鳴らすと、男の身体が無数の小さなコウモリとなってあっという間に散り散りに逃げ去ってしまった。



「……これって、かなりムズくない?相手先生だしさー」


「やるしかないよ。まずは、探すところからだけどね」


「そうだね!頑張ろ、クラン、フリッ……ド?」


「……やってやる……やればいいんだろ……やってやるさ」


「フリッド??ちょっと、大丈夫?」



先ほどから小さな声で下を向きながら呟いていた真面目なクラスメイトフリッドが、ウィンの呼びかけもまるで聞こえていないかのように突然走り出し、勢いよく教室を飛び出してしまった。



「フリッド、どうしたんだろ?」


「フリッドは真面目だし、早く授業受けたいんじゃないかな?」


「………………………」


「えっと……フリッドに負けないように俺たちも頑張ろう!」


「おー!!」


「………わたし興味ないから、2人で勝手にやって………」



今日、この教室に来てからおそらく初めて言葉を発したであろう無口なクラスメイトクランも、フリッドが走っていった方とは逆方向へと、先生に負けないくらい眠たそうな顔をして1人で歩いて行ってしまった。



「……えーっと、頑張ろうかー……」


「……おー」



残された教室に重い空気と、このクラスで本当にやっていけるのだろうかと言う不安が漂ってしまったと思うファイとウィンであった。







「このままじゃダメだと思うんだ!」


ファイが突然立ち上がり、いつにもなく真剣な顔つきで他のクラスメイトに訴えかけている。

現在、教室に戻ってきた7組のメンバーが、午後のための体力を補給するために昼食休憩を取っていたところであった。



「その話は昨日の帰りに済んだはずですよ?」


「そうだけどさ……でも、フリッドはこのまま授業が受けられなくてもいいって言うのかい?」


「……いいわけないじゃないですか!僕には、絶対成し遂げなくてはいけない事が……っ!」


「絶対成し遂げなくては……」


「いけない事??」


「……とにかく!僕だって授業が受けられないのは嫌です!」


「だったら!」


「……じゃあ、ファイ。もし、キミがリンゴを落とせる絶好の機会が訪れたとして、それを僕に譲ってくれますか?」


「それは……」


「昨日も話ましたが、この問題を解決できない限り僕らは協力関係にはなり得ません。……誰だって早く授業を受けたいんですから」






「はぁ……、どうすればいいんだろ」



今日これで何回目のため息になるだろうか。ファイは疲れきった様子で、オレンジ色の夕焼けが差し込む列車の天井を見上げながら座っていた。



「誰だって早く授業を受けたい、か……そりゃそうだよな。俺だって、早く立派な騎士になりたいし……」



マルシェール駅に着いても、いい考えが浮かぶわけでもなく、駅から出た時に見えた鮮やかに赤く染まった空を、しばらくの間見つめる。こんな事をしていても、どうにもならないことは重々承知なのだが、こうして少しでも気を紛らわせるのが今のファイにとっての唯一できることであった。



「あれ?ファイさん?」



聞き覚えがある声がした方を向くと、学校帰りなのであろう制服姿のフラウが立っており、オレンジ色のショートカットの髪が風になびく毎に、照らされる夕日が反射してキラキラと輝いていた。



「……フラウさん?」 


「おかえりなさい、ファイさんも今帰りですか?」


「えぇ、まぁ……」


「どうしたんですか、ファイさん?さっきもぼーっと空を見上げてましたけど」


「ちょっと色々ありまして……」







「なるほど、そんなことが……」



ランプ亭に帰る前に、店の食材などの買い物を済ませたかったフラウに付き合う事にしたファイは、この2日間の事を掻い摘んで説明した。



「はい……、俺たち1人1人の力じゃ、先生には敵わないんですけど、協力はできそうになくて……」


「……それは、なかなか難しいですね」


「ですよねぇ……あ!すみません、俺たちの問題なのにフラウさんまで悩ませちゃって」


「いえ!こちらこそ、いいアイディアが浮かばなくてすみません……でも、ファイさんなら、何とかしちゃう気がするんですよね」


「……どうしてですか?」


「うーん。何となく?」


「何となくって……」


「フフフ♪」



解決こそはしなかったのだがフラウに話を聞いてもらったことで、 1人で抱え込んでいた不安や苛立ちを少しでも解消できたことは、ファイにとってはとても嬉しいことであった。



「今日は話を聞いてくれてありがとうございます。気持ちが楽になった気がします」


「どういたしまして。ファイさんには色々助けてもらっていますし、少しでもファイさんの力になれたのならよかったです」


「俺、そんな大層なことはしてませんよ」


「そんなことないですよ!今だって本当は疲れて早く帰りたいはずなのに、わたしの買い物に付き合ってくれて助かってますし」


「……え?」


「……?どうしたんですか?」


「それだっ!?それですよ、フラウさん!」


「え?え?どう言うことですか?」


「さぁ、早く帰りましょう!くぅ〜、明日が楽しみになってきたー!」


「ちょ、ま、待ってくださいよー……ファイさーん!」



自分を呼ぶ少女の声が段々と遠く、そして小さくなっているのも気づかずファイは夕焼けに染まる街を颯爽と駆け抜けていった。その様子は、先ほどまで悩んでいたのが嘘のような、

やる気に満ち溢れた顔であった。


その後、あの場に置いていかれてしまったフラウのご機嫌を取るために、ファイが後に大変な事になるのはまた別の話である。






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