第2話 疑問
ふと、考える。なぜ、生きていると。
あれから数年経過した今なら、答えてくれるかも知れない。
そんな淡い期待から、バビロンに問いかける。
彰彦(今更だが、毒素を中和したか?バビロン。)
バビロン -彰彦よ。私は医者では無い。
そして、お前が存在する世界に、私は存在せず
影響を与える事すら出来ない。・・・結果。答えはNO。-
バビロンは、俺の心に住む住人。
問いかけても、思わせぶりな答えしか返ってこない事は解っていた。それでも俺は、幼き頃の自分を模した身なりの彼に答えを望み、問いかける。
彰彦(なら、死の世界へ向かう途中、道に迷わせたか?)
バビロン -迷い込んだのは、お前だ。私が惑わせたのでは無い。
もっとも・・・迷い込んだ事を歓迎したがな。-
バビロン-は、命を救った覚えは無いと、繰り返し答えるだけだ。
何度、答えを求めても同じだった。
人生3回(医者から言わせれば5回分だそうだが。)を終焉させるに、充分足る毒は覚醒系。地獄のような苦しみでも気を失ってしまえば何の苦痛も感じないが、覚醒系毒にそんな救いはなく、192時間苦しみ続けた。
そんな苦痛を味わった結果、精神崩壊を起こしバビロンが生まれたのだろう。
狂った俺が生み出した、妄想の産物であろうバビロンが、答え教えてくれる訳がない。わかっている。だが、我ながら良く此処まで回復したと思う。普通なら、季節に関係なく頭の中は暖かな春。毎日、花畑の蝶々を追いかけているはず。
だったらしいから。
残されたコインで買いあさった大量の毒物を飲み込んだ俺が、集中治療室から開放される頃には明日に対する不安さえ全て、忘れた哀れなオッサンになっていた。
『生きる楽しみは毎日3度、欠かさず出される病院食と彰人が持ってくる絵本。』
オッサンと絵本。嫌悪感が溢れるくらい似合わない。だが、当時の俺は、そんな事を感じる事もなく、ご飯と絵本を楽しみに生きていた・・・。
『覚醒系毒素による幼児退行。もしくは知的障害を伴う後遺症の可能性有り。』
それが、哀れで汚たねえオッサンに出された診断結果。
もちろん、絵本をもって来るのが彰人で、息子だと分かってはいたが、自分の息子に絵本を読んでもらう事が恥ずかしいとは、思ってもいなかった。
正しくは、『恥ずかしいと認識できるだけの知性が残っていない。』だがね。そんな状態だから、精神科まで受診していた。医師は決まって同じ質問をしていたらしい。
『昨日あったよね。覚えてる?』
人の顔を見分ける事が出来ない俺は今日に出会い、親しくなっても明日は初対面。
かろうじて会話の一部を記憶に留める事はできるが『誰と、いつ話したのか?』
そんな簡単なことも繋ぎ合わせる事ができない。だから、会話が成り立たない。俺の話は、相手には意味不明の話であり且つ、何故そう答えたのか?その理由さえ、5分後には忘れてしまう。我ながら哀れだと思う。
そして、人々は、こう思っていた。
この人はこのまま。もう、人として生きる事はできない。
周囲にそう思われても悔しさも、悲しさも感じない。それどころか皆やさしい人だと満足さえ感じ、隣で彰人が流す涙にさえ、無関心だった。もう、戻る事は出来ない障害を負った父と、まだ高校生の息子。二人の関係を知る医師は、彰人を哀れみ無力な自分を呪いながら、涙を流すまいと空を見上げるが溢れる涙を抑えることはできず下を向き、床を睨めつけ、最後の質問をする。その声からは、憤りと矛盾。そして、やり場の見つからない怒りにも似た、悲しみの感情が漏れている。
『なぜ、死ぬ気になった?』
医師は、哀れなオッサンに答えを求めた。感情を振り払い、絞り出された問は心に響き、答える努力を促した。短く、途切れ途切れで語られた、死の願望に医師はうなだれる。
『じかん。・・・ながっか・た。あしたに・なる・まで・・・まて・・・なかった。
ダカラ、時間・止めた。』
『あの頃は狂っていた。』そう思うようになった。
それでも、『今は、まともになったのか?』と聞かれても・・・yes.
そう答えられる自信は無い。
俺にしか見えない一次元世界の住人-バビロン-と、心で会話している。その時点で自分が、まともだと言い切れないのは、わりあいと妥当な答えに近いと思うが・・・間違っているだろうか。とにかく、元に戻る事は無い。そう言われていた俺が、ここまで回復しのは、死へ向かう闇を超えた黒の世界で、遥か先に見える暖かな白の亀裂に誘われた時、バビロンに呼び止められた。
-少し寄り道をしてみないか?-と。
それがバビロンとの出会い。彼の提案は、後悔があるなら過去を変える旅へ出ないか?だった。断る理由が見つからない俺は、自分の過去を変えようとバビロンと共に叫び彷徨い抗ったが、残念ながら何も変えることはできなかった。
過去を変えることはできなかった代わりに、俺は意識と生きる為に必要な最低限の欲求を取り戻し呟いた。
水がほしいと。
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