第26話 元問題児と大妖精


「よ、妖精……?」

『バカにすんじゃねーぞ、小娘っ! 大妖精グリュンヴェルムさまを前に、なーにが“可愛くて儚い妖精さん”だ、この!』

「だ、だれもそんな高評価してないけど!?」


 高慢な物言いに面食らったアレイアだったが、たしかに目の前の存在は“大妖精”と認めるほどの魔力をまとっていた。


 机の上にあるティーポットと同じほどの背丈で、やはり目立つのは虹色に輝く大きな羽である。針金のような黒髪は逆立ち、アレイアが知る妖精たちと同じく中性的で美しい顔立ちをしていた。


「だ、ダリアン学院長の妖精!? どうしてここに!」

『お前が“火遊び”を楽しんでるだろうから叱ってこいって言われたんだよ。本来の尻尾があれば、引っこ抜くところだぞ――この御転婆サキュバスめ』

「!」


 金の双眸を向けられ、リーバニはその場に縫い留められたかのように立ち尽くす。

アレイアは驚いて部屋の主を見た。


「リーバニ先生が、サキュバス……!?」

「グリュンヴェルム――事態が混迷するのでまだ姿を見せぬように、とお願いしたはずですが」

『うるせーな、元問題児っ! いや、それは今もか?』


 辛辣な物言いだが、その顔にはどこか楽しげな表情が浮かんでいる。大妖精はログレスの肩にどっかと腰をおろし、長い足を前後に揺らした。


『ほら、とっとと説明してやんな。ちっこいオツムたちにもわかるようにな』

「そ、そうだよログレス。全然状況が掴めないんだけど!」

「せせ、先生っ……その、い、いろいろ大丈夫、ですか……?」


 バツが悪そうな顔をしているリーバニを含め、全員の視線が壁際の大闇術師へと集まる。そのすべてを受けた師は、小さくうなずいて告げた。


「ではお望み通り――種明かしと参りましょうか」





「数日前、学院長から僕にひとつの命が下されました。保管庫から姿を消した、とある貴重な薬草の行方についての調査です」


 びくり、と震える女らしい肩がひとつ。アレイアと同じく友もその主を見たが、気の抜けた声が合いの手を挟んだ。


『おいおい。わしたちの智略光る調査を聞かずに自白すんじゃないよ、犯人くん』

「大妖精よ……。人に説明役を押し付けておいて、話の腰を粉砕するのは止してください」


 うめくように呟いた師に、アレイアはもどかしそうに疑問をぶつける。


「貴重な薬草って?」

「新月の夜しか咲かない“暗黒乙女草”をはじめ、“首絞め蔓”や“地底人参”の粉末など――ふた月ほど前から、実に数十種類におよぶ薬草類が少量ずつ消えているのだそうです」

「物騒なやつばっかりじゃん。えーと、調薬すると――って、あ!」


 ブラウスの腕をしっかりと抱いているリーバニを見上げ、アレイアは目を丸くした。


「さっきの変な飲み物! そうだ、あの腐った牛乳と野菜を混ぜてシチューにしたような匂い――“地底人参”の粉末だよっ!」

「……。効力を無効化したとはいえ、そのような液体を嚥下したとは思いたくありませんね」

「無効化? じゃあ演技だったの、あれ」


 この予測に異を唱えたのは、調薬主であるリーバニだった。


「そ、そんなはずないわ! アナタが薬を飲んだことは確認した。それに一般に出回ることのない、あんな奇特な薬への対処を考えてくるわけ――」

「ええ、僕が対処したわけではありません。優秀な友人に頼ったまでです」


 さらりと答え、ログレスは純白の包み紙らしきものを見せる。


「僕が“彼女”に送ったのは、保管庫から盗まれた薬草類のリストのみ。そこから調薬されるであろう毒物に対し、効果を発揮する“防護薬”を作ってほしい――そう依頼したのです」

「冗談はやめて。……もう白状するけど、薬の正体を見定められないように適当に盗んだものも入っているのよ。当然、導き出される薬の結果は何十種、いえ何百種にもなるわ」


 その言葉を聞いた師が待ってましたとばかりに口の端を持ち上げたのを、アレイアは見逃さなかった。それが友を誇らしく思っている彼の表情であることに気づいたのは、自分だけだろう。


「だから何だと言うのです。彼女――メリエール・ランフアにとっては、すべて障害にもならないことですよ」

「ランフア……?」


 この大陸では珍しいその名を復唱したリーバニは、恨めしそうに眉根を寄せた。


「そう、そうだったわね――“ディナスの聖女”メリエール。アナタと同じく、元勇者一行である大聖術師」

「仰るとおり。今は聖堂を離れ気ままに生きている彼女ですが、その腕は微塵も鈍ってはいない――むしろ“暇”な分、毒薬の推理に没頭できて有意義だったと返事がありました」

「なっ……!」


 リーバニほどではないが、さすがにアレイアもこれには驚いた。いつもはおっとりとしたあの聖なる友も、やはり師と同じく国を支えた英雄の一人なのだ。


「す、すごいなあメル……!」

「同感です。彼女の前では、いかなる毒物も水同然と言えるでしょうね。あらゆる植物に関する知識、組み合わせ時の発想の柔軟性――そして結果を出すまで諦めない、屈強な精神力。まさに博雅の士です」


 大闇術師から惜しみない称賛を贈られている友は今頃、村でのんびりと午後のお茶を楽しんでいることだろう。


「それで、彼女が作った“防護薬”って?」

「“きっと貴方は、苦いものは飲まないだろうから”との一文と共に、見事ないちご味の飴玉となって送られてきました」

「あ! 部屋に入ってきた時に舐めてた飴!」


 うなずいて包み紙をしまったログレスを睨み、リーバニは腕組みをする。


「……どうして私がアナタを狙うと思ったの?」

「薬草類の在庫が合わなくなった最初の日は、僕が“特別教術師”として赴任してきた日でした。その後も主に闇の力に関する薬草が消えていくのを確認した学院長が、真っ先に誰を疑ったかと言えば……」


 忌々しいといった表情でため息をつく師の頬を、大妖精が面白そうにつつく。


『因果応報ってやつだろ、この盗人仲間? むしろお前が在学中にくすねた薬草の総額と比べりゃ、今回なんて子供のお小遣いみたいなモンだ』

「時効です。それに僕は、保管庫に自由に出入りする権限を取得していました」

『だからって、何でもかんでも使っていいってわけじゃねーんだよ! ハァ、生意気なところはちっとも直ってねえ』


 師は汚名をそそぐため、今回の調査を請け負うことになったのだ。同情を込めた苦笑を浮かべ、アレイアは頬を掻いた。


 大妖精の小さな指をそっと押し返し、師は咳払いを落とす。


「薬草のリストを見た友が最も警告すべきだと考えたのは、“闇抑制薬”です」

「!」

「非常に珍しく、また難度の高い調薬技術を必要とする薬――いえ、我々闇術師にとっては、恐るべき“毒物”と呼ぶべきでしょう。しばらくの間、一切の闇術が行使できなくなるのですから」

「う、うわあ……」


 床に散らばった青い液体が急に恐ろしく見え、アレイアは一歩下がった。


『そしてこの元問題児の監視役を仰せつかったのが、この大妖精グリュンヴェルムさまってわけだ』

「材料が揃った日と調薬に必要な時間から見て、そろそろ犯人が動き出す頃合いだろうと判断しました。大妖精を連れていれば、防御術を展開せずとも“魅惑”の脅威から逃れることが可能です」


 煮え切らないといった様子で女主人は呟く。


「それでもまだ、私が犯人だと断定できるわけじゃ……。アナタを恨んでいると言えば、あのウォレンだって」

「彼はこのような手口を最も嫌う男です」


 得意顔の大妖精を見上げていたログレスはそう言い切り、ゆっくりとその顔を長身の女へと向けた。


「“学びの園”に相応しい、簡単な問いをひとつ――平和が続いていたこの学院で、そのような危険な調薬を企むのは一体誰でしょう? ヒントはもちろん、ずば抜けた調薬の腕を持つ者だということです」

「!」

「そして是が非でもその毒を差し向けたい、強力な闇の力を宿す人物とは誰か……。愉快犯がこれほど面倒な薬を用いるはずはなく、従って犯人は標的と顔見知りの人物ということになる」


 部屋中の人物が、物言わぬ糾弾を美女へと差し向ける。張り詰めた緊張の中を、相変わらず静かな声だけが渡っていく。


「どうしました? 初等科の院生にでも答えられる難度の問いですよ」

「……くッ!」


 舌打ちをし、リーバニはすばやくその場に屈んだ。いつの間にか金に染まった瞳が、ギラリと白刃のように光る。


「ココ! 退がって!!」


 明らかな攻撃予兆にアレイアは背後の友をかばうように手を広げたが、すぐさま向けられたのは師の黒い杖先である。


『孤影より這い出し者よ――“闇の蛇ダーク・スネーク”』


 リーバニの影が音もなく立ち上がり、持ち主の身体に絡みつく。アレイアにとっては懐かしくも思える拘束術だ。昔と同じく、師の術は容赦なく犯人を締め上げた。


「うっ!」

「どうやら苦い薬が必要なのは貴女のようですね。サリエール・リーバニ」


 膝をついた罪人の頭上に、一層凄みを増した声が落ちた。


「ディナスでは“要申告調薬”にあたる薬まで用いるとは。そこまでして、なぜ僕にこだわるのです?」

「……」

「サキュバスの血が異性を欲するのは理解できますが、ここは王都です。貴女に心を許す男の数など、落ちている小石よりも多いでしょう」

「……から、よ……」

「何です?」


 アレイアの耳でさえ聞き取れないか細い声に、当然師も訊き返す。

 犯人はゆっくりと顔をあげ――羞恥に染めた頬を濡らして叫んだ。



「アナタに恋をしたからよっ! ログレス・レザーフォルトっ!!」



 超常の魔法によってすべての時が止まったかのように、沈黙だけが部屋に満ちた。

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