お隣のお姉さんに突然彼氏になってと言われたけど、酔っ払いとは付き合いたくないのでお断りします

みなと

酔っ払い

「伊吹くん、私の彼氏になってくれない?」


 僕、伊吹紫音いぶきしおんは高校に入学と同時に一人暮らしを始めた。

 その夏休み、お隣に住む四つ上の大学生である仁科葉月にしなはづきさんによる唐突な発言に思考が停止してしまう。

 洗濯物を干しにきていたはずなのに、持っていた洗濯物を落としてしまうほどに。


「あれ? おーい、伊吹くーん?」


 隣のベランダから僕を呼ぶ声が聞こえる。


「……なんですか?」


 その声で止まっていた思考が動き出し、落とした洗濯物を拾いながら応える。


「なんですかって聞いてなかったの? しょうがないなぁ、伊吹くんのためにもう一回言ってあげる」


 聞き間違いであってくれ。

 僕の聞いたものとは違うはずだ。


「私の彼氏にならない?」


 一言一句同じではなかったけど、聞き間違いではなかったようだ。

 この人はなんで唐突にこんな提案をしてきたんだろう?


「なりたくないんですけど……」

「えぇ~、そんなこと言うかな~」

「言いますよ。昨日の今日なんですから」

「昨日の今日だからこそ、だよ」

「それなら余計に嫌です」

「もう~、なんでかな~」


 昨日のことをほんとに思い出して言ってるなら、僕にはその考えはわからない。

 あんなことがあったんだから。




 × × ×




 昨日は珍しく帰りが遅くなった。

 夜遅くにアパートに着くと、お隣の玄関前で蹲ってる人を見つける。

 よく見知った栗色の髪をした女性だ。


「あの、仁科さん? 入らないんですか?」

「えぇ~、なにぃ~」

「だから、部屋に入らないんですか?」

「わかってないなぁ。へやにはいれるならぁ、こんなところにはいないんだよぉ」


 なんで当たり前のことを聞いてくるから教えてあげるみたいになってるんだろうか。

 立場を入れ替えないでもらいたいが、仁科さんはいつもこんななので気にしない。


「じゃあなんで入れないんですか」

「しりたい~。いぶきくんしりたい~」

「別にそこまで知りたいわけではないです」

「そんなこといってぇ~。おねえさんのひみつがしりたいんでしょ~」


 いや、ほんとに知りたくない。

 ただ、このまま見過ごして何かあったら寝覚めが悪いから一応聞いてるだけ。


「そんないぶきくんに~、おねえさんのひみつをおしえてあげよ~」

「そんな伊吹くんはいませんよ」

「おねえさんのひみつはねぇ~」


 聞いてくれてない。

 まぁこれ聞いたら部屋に入るか。


「なんとぉ、へやのかぎをなくしましたぁ~」


 想像通りだけど、普通に大事だよな。

 なんでこんな軽い感じで言ってんだ?


 まぁだからと言って僕に何かできるわけでもない。

 僕の部屋に入りますか、なんて言えるわけがない。

 そんなの女の人を連れ込もうとしてるだけだ。


「じゃあ外で頑張ってください。さようなら」


 どうしようもないので、別れの挨拶とともに綺麗にお辞儀をして部屋に立ち去ろうとする。

 だが、それを認めてくれないらしい。


「なんでいくのぉ~。おねえさんしんぱいじゃないのぉ~」

「心配ですけど、だからと言って僕にできることないですよ」

「えぇ~、いぶきくんのへやいれてくれたらいいじゃ~ん」

「はぁ?」


 まさか向こうから言ってくるとは、もしかして僕の部屋に入りたいのか?

 そんなことないか。困ってるから助けてって言ってるだけだ。


「ほらぁ~、はやくいれてぇ~」


 座り込んだまま腕を伸ばしてくる。


「なんですかそれ」

「はこんでぇ~」

「嫌です」

「えぇ~、なんでぇ~」

「自分で歩けばいいでしょ」

「これいじょうあるいたらはくぅ」

「なんでだよ! というか、そんな人入れたくねぇよ!」


 この人僕の部屋で吐く気かよ。

 勘弁してくれ。


「いいじゃ~ん、いれてよぉ~」

「今日何してきたんですか?」

「えぇ~、えへへぇ~、わすれたぁ~」

「チッ」

「むぅ~、いれてくれたっていいじゃ~ん」


 舌打ちしたのに大して反応変わらないって何なんだよ……。

 もっとこう「なんで舌打ちしたのかな?」的な感じじゃないの?

 やっぱり普段と違う気がするのは気のせいじゃないよな?


「いれてよぉ~、いぶきくぅ~ん」

「ああもう。入ればいいでしょ、入れば」


 流石に鬱陶しくなってきたので、仕方なく嫌々部屋に招き入れることにした。

 これは人助けであって、やましい気持ちはない。ほんと嫌々だから。

 吐いたらマジで許さん。


 僕は自分の部屋のカギを開けて、ドアを開けて待つ。


「…………入らないんですか?」


 なんで嫌々招き入れるのに聞かなきゃなんねぇんだよ。

 自分からさっさと入れよ。


「あるいたらはくっていったじゃ~ん」

「じゃあもう外でいろよ!」


 なんだこの人。

 入りたいのか入りたくないのか、わけわかんねぇな。


「だからはこんでっていったのにぃ~」

「嫌って言いましたよね?」

「しらなぁ~い。いわれてなぁ~い」

「言ってます! ちゃんと話くらい聞いてください」

「はこんでぇ~」


 人の話を聞かず、またこちらに腕を伸ばしてくる。

 部屋で吐かれるくらいなら、今歩かせてここで吐かせてやろうか。


「吐いたら楽になるって言いますし、まずここで吐きますか」

「ひど~、いぶきくんひど~い」


 ぶーぶー、とふてくされている。

 正直言ってほんとに鬱陶しい。

 なんなんだ? なんで今日やけに鬱陶しく感じるんだろうか。


 ……そういや、今日が誕生日って言ってたな。「二十歳になるから、やっとお酒飲める」とも言ってた気がする。


 この記憶が正しいなら、この人はお酒飲んで酔っ払って帰ってきたってことか。

 初日から酔っ払うって、どうなんだよ。

 この人お酒控えた方がいいな。絡みも鬱陶しいし。


「仁科さん、お酒飲んできたんですか?」

「えぇ~、のんでないよぉ~」

「え、飲んでないんですか」


 おかしいな、あんなに飲むって言ってたのに。

 じゃあこれ素面シラフなのか?

 素面だとしたら、カギなくしてこんな楽観的で大丈夫か?

 普通に心配になるんだが。


「だっこぉ~」

「は? なんて?」

「おひめさまぁ~」

「僕聞いてないんで」

「だっこぉ~」

「しませんよ」

「じゃあうごかなぁ~い」

「だったら外でいろよ!」


 少しの慈悲で家に入れてあげようとしてるのに、だいぶ図々しくないか?

 こんな図々しい態度で僕が入れないって言ったらどうするつもりなんだ。

 いや、僕が入れるのも変なんだが。


「じゃあもう僕部屋入りますからね。どうなっても知りませんからね」

「だっこぉ~」

「やりません」

「だっこぉ~」

「聞いてますか?」

「だっこぉ~」

「やらないんですって」

「だっこぉ~」

「ああもう! やればいいんでしょ、やれば!」


 見限って諦めさせるつもりが、なぜか僕の心が折られてしまった。

 何やってんだか……。

 いや、これは人助けだから問題ない。危うく人でなしになるところだったから。


 まぁ、心折られたんだし潔くやらないとな。

 僕は仁科さんの方に背中を向けてしゃがむ。


「……あれ? 仁科さん?」


 どうしたんだ? なんで来ないんだ?

 と思って後ろを見てみると、いまだにしゃがんだままだった。


「おひめさま~」

「……」

「おひめさま~」

「わかりましたよ、後で文句言わないでくださいよ」


 しゃがんでいる仁科さんの脚と首元に腕を回し、そのまま抱き上げる。

 軽っ! ていうか酒くせぇ!

 やっぱ飲んでんじゃねぇか!


 酔って記憶やばいことになってるな。

 今日のこと覚えてないんじゃないか?


「ふへへ~」


 と呟きにやけながら、僕の首に腕を回してくる。

 首に腕を回されたことで顔が近づき、余計に酒臭くなる。


 部屋に運び込んだはいいけど、どこに寝かしつけよう。

 床でいいのか?

 布団敷くから床でもいいよな。


「いぶきくんにおれいしないとだねぇ」


 寝かす場所を考えてると、仁科さんがそんなことを呟き、突然首に回されていた腕に力が入ってくる。

 そして仁科さんの顔が近づいてきて、自分の胸に体験したことのない柔らかい感触が伝わってくる。

 それに意識が向いてる間に、唇にも柔らかい感触が訪れる。


「ん……」


 ちょっと待って、なんか口の中に割って入ってきてるんだけど。


「…………うっ」


 なんだ? なんか嫌な予感するんだけど。


「…………ぎもぢわるっ…………おぇえ」


 ……嘘だろ……マジかよ。

 キスしてそのまま背中側に吐かれたんですけど……。

 マジでこの人放り出してやろうか。




 × × ×




 ってことがあったわけだ。

 さらにあの後掃除してるときに、ベッドで勝手に寝始めたからな。

 迷惑極まりない。


 今部屋に帰ってるのはカギを一緒に飲んだ友達の家に忘れていたらしく、朝早くから持ってきてくれた。

 仁科さんはなんで僕の部屋にいたのかどころか、どうやって帰ってきたかも覚えてなかったらしいけど。


「仁科さんにあれだけ迷惑かけられたからですよ」

「迷惑なんてかけた覚えありませ~ん」

「それは覚えてないだけです。記憶なくなるくらい飲まなきゃいいでしょ」

「むぅ、初めてなんだからそんなのわかんないでしょ」


 仁科さんはふてくされてぶーぶー言ってる。

 けど、


「初めてなら勢い任せで飲まないでしょ」

「それがねー、意外と飲んじゃうんだよねぇ」


 かなり軽い感じの返答に、この人またやりそうだな、という感想しか抱かない。

 その時は僕に迷惑をかけないでいただきたい。

 というか、本当に二度とこんなことがないようにしていただきたい。

 昨日の掃除はかなり辛かった……。


「もういいですか? 洗濯終わったんで」

「えぇ、じゃあそっちの部屋行くから待ってて」

「いや……来ないでください……」


 拒否をしてみたが、仁科さんはすでにベランダにおらず、僕の声は誰にも届くことなく消えていった。

 その後少しして、僕の部屋のインターホンが鳴る。


 …………はぁ、昨日の今日で招き入れたくないのに。


「伊吹く~ん、開けて~」

「わかってますから急かさないでください」

「はいは~い、待っててあげるよ」


 なんでそっちが上なんだろうか……。

 少しだけ不満を抱きつつも、ドアを開ける。


「さっきぶりだね」

「…………さっきぶりですね」

「入るね」

「…………ほんとにですか」

「ほんとにだけど?」

「頑張って昨日のこと思い出して帰ってくださいよ」

「思い出しても帰んないよ?」


 この人、昨日何があったか覚えてないから気楽に応えてるんだろうな。

 人の部屋に無理矢理押し入って勝手にキスして気づいたら吐いてたんだから、これを思い出せばどれだけ迷惑だったかわかることだろう。


 わかるよね? 私みたいな美少女連れ込んでキスできるなんて役得だね、とか言われないよね?

 吐かれてるから全く役得じゃないんだけど。


「……じゃあもう入って用事済ませたら帰ってください」

「伊吹くん、私のことすごい帰らせたがるね」

「お隣だから部屋に来なくていいと思うんですよ」

「お隣だから部屋に来るんだよ」


 むっと軽く睨みながら言うと、ふふんと言った具合に胸を張りながら応えられる。

 ……あの、そんな胸張らないで。目線に困るから。

 いや、いつもならそんな気にならないけど、昨日当たったからなぁ。仕方ない。


「お、今ちょっとエッチな目で見たでしょ」

「……見てませんけど」

「大丈夫大丈夫、お姉さんわかってるから。伊吹くんも男の子だもんね。こういうのがいいんでしょ?」


 そう言いつつ、腕で胸を寄せ指でTシャツを引っ張り胸元を開き、谷間を覗かせる。

 そこに当然のように視線をやってしまうが、すぐさま他のところに視線を移動させる。

 だが、その少しの間だけでも仁科さんは気づいたようで、僕をからかってくる。


「あはは~、伊吹くんかわいい~。しっかり見ちゃったね」

「…………見てません」

「仕方ないなぁ、伊吹くんのためにそういうことにしてあげる」


 こう言ってはいるが、表情はニヤニヤとしている。

 この話題が続いたら困るので、無理矢理に話題を変えようと思った。


「……で、用件はなんですか?」

「え? それならさっきのベランダで言ったよ?」

「え? さっきのベランダでって」

「そ、彼氏になってってやつ」


 あれほんとに言ってんの?

 というか、それで部屋まで来たのかよ。

 断らなかったっけ?


「もしかして、フリ、とかですか?」


 フリだと考えれば、この軽い感じでの提案紛いも理解できる。

 本気ならばもっと真剣みがあるものだろう。

 ……いや、告白されたことないから知らないけど。


「違う違う。ちゃんと伊吹くんの彼女になりたいなぁって思ってるよ」


 思ってるのかよ。

 え、違うの? 告白って真剣にやるもんじゃないのか?

 というかこれほんとに告白?

 嘔吐された次の日に告白ってどういうこと?


「はぁ、僕はなりたくないって思ってますけど」

「伊吹くんはほんと正直だねぇ~。そういうところが好きだよ」

「……照れるんでやめてもらっていいですか」

「そういう照れてるところも可愛いよ」

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お隣のお姉さんに突然彼氏になってと言われたけど、酔っ払いとは付き合いたくないのでお断りします みなと @nao7010

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