少女は狼の夢で踊る1

「昨夜未明、東京都久下(くおり)区で、男女数名が昏睡状態で発見されました。いずれも怪我を負っており…」


高1女子には刺激的で去りがたい夢のせいで少し寝坊をしてしまった私、芦野りんごはTVでニュースを聞き流しながら、登校前の支度を済ませ早々に家を出る。


そして2限目のテストに向け必死で覚えた英単語が吹き飛ぶほどに興奮している今日ような日でも、絶対欠かせない朝の一仕事のため隣の家に足早に駆け込んだ。

深森狼牙(みもりろうが)、私の同級生にして幼馴染を連れて登校することが、私の日課だ。


まずは「深森」と彫られた表札の下のチャイムを無遠慮に連打し、寝坊助を起こしにかかる。

たいていそれだけでは効果は薄いので、次に家で預かっている合鍵で中に入る…のだが、


その日は扉が内側から開いた。


「るせぇっての!チッ、何べんも鳴らすな!」


そう軽く吠えた彼、狼牙が愛想なく私の横を足早に通り過ぎて門を抜ける。


驚いた。私が誘いに来たときに目が覚めてることなんて、今までなかったのに。


「へぇ、珍し。いっつも起きてれてないくせに。」


小走りで追いかけ、狼牙の顔を覗き込むと、今度は別の意味でぎょっとする。

少し険はあるが端正と言える顔にはガーゼや絆創膏がいくつも貼られており、開けたシャツの胸元にも何やら白い包帯と思しき布が覗いている。


「え…うわ!ちょっとまた喧嘩?」

「…こんくらい屁でもねぇよ。気にすんな。」

「いや、気にするよ!もー、小学生じゃないんだからそろそろ落ち着こうよ…。」


狼牙は昔から喧嘩っ早く、しょっちゅう生傷や青痣をこしらえている。

でも意地っ張りで借りを作るのを嫌う性分なので、手酷くやられても誰にも言わず、翌朝痛々しい姿を見てヒヤリとする事がたまにある。

100歩譲ってその程度で済むのならいいが、彼には友達が少なく、何より、家族がない。

…これで結構モテるのだが、当の本人はあまり女子、いや人と関わりを持ちたがらないのだ。


私は、もしいつか、もっとひどい怪我を負うことがあっても誰も狼牙の苦しみに気が付かないことが心配でならない。

だからついつい余計なおせっかいまで焼いてしまう。

本当に彼が困っている時に、私が拠り所となれるよう…。


…いや、それはちょっと美化しすぎか。

憂いは事実だが、たとえ幼馴染であっても、狼牙でなければここまで献身的になれるかは怪しい。

下心は、ある。


彼への卑しい恋心に自己嫌悪している最中、麗しい夢の住人がまだ頭から離れない厚顔ぶりに、二重で気落ちしてしまう。

秋風が金木犀の香を運ぶ通学路、並んで歩く想い人との距離は近く、無限の闇が広がっているように思えた。


――――――――――


悶々、悶々…。


クラスメートたちのどよめきの声が聞こえはっと気が付くと、私は既に学校の、自分の席に腰を下していた。

狼牙はというと、頬杖をついてつまらなさそうに教壇を眺めている。


…どうやら恋煩いもどきで意識を飛ばしている間に、足は勝手に自席までたどり着き、あまつさえHRが始まっていたようだ。

うーん、少々のことは狼牙がなんだかんだフォローしてくれたのだろうが、これは迂闊。


「…では、誘宵(いざよい)先生お願いします。皆拍手―。」


おっと、何やら話も進んでいた。遅れを取り替えそうと、申し訳程度に手を胸の前で緩く構える、隣の美紀の肩を捕まえて尋ねる。


「ね、美紀ごめん。今井先生さっき何話してた?」

「ん、だから堀田が入院するから今井が担任の代理になって、新任の先生が新しい副担になるって。


…って、きゃっ!うっそ!?ねぇやばいよ!見て見てアレ!!」


いぶかしげな表情だった美紀の顔が一転喜色を帯び、今度は彼女が私の肩を掴み強く揺さぶる。

同じタイミングで自分の周囲から興奮と歓声が上がり、小さかった拍手が盛大にクレッシェンドする。


「うわうわ、ちょっと、ストップ!美紀興奮しす…ん?

…!!!」

美紀のせいでぶれて定まらない視界がなんとか新副担先生の姿を捉えた。が、その一瞬呼吸が止まる。



紹介され教室に入ってきた彼は、


夢であった美青年と


寸分違わない容姿をしていた。

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