第50話 幸せで未完成な虹色の世界を照らす"きぼう"の光
どこまで行っても変われない。アンビバレント。僕は練二に対して2つの相反する感情を抱いている。一つは自殺を止めてくれてありがとうという気持ちと、もう一つはどうして自殺を止めたのかという怒りにも近い感情。
「僕さ。もう死ぬんだって。見ればわかると思うけど」
自分で酷い姿になっと思うほどだ。他人が見れば、すぐにその変貌ぶりに違和感を持つだろう。
「苦しいんだよ。苦しくて、苦しくて……。だから、早く楽になりたいんだよ」
苦しい。苦しくて苦しくて、どうにかなりそうだ。心臓に手を添えられ、いつでも握り潰せるよと言われているような感覚。
心はぽっかり穴が空いていて、その穴に吸い込まれそうなほど僕は矮小な存在になっている。
「おまえ、大夢の命を無駄にするつもりか!」
あの穏やかな練二も怒るのか。いや、あの練二すらも怒らせてしまうくらい酷いことを、僕はしようとしているのだ。
「大夢は……」
大夢は僕が死んだら辛い思いをする。だから仕方ないわけで、僕だってこんなことになるなんてわからなかったから。そんな言い訳を言う勇気は無かった。
「大夢は、おまえに生きて欲しいから自分から死んだ。話を聞いての俺の解釈はそうだ。おまえはそれでも自殺を望むのか? 最後の最後まで足掻いてみようとは思わないのか?」
痛い。
「足掻くって、何をだよ。僕に残されたのは時間と苦痛だけ……。だから楽になる方を望んだっていいじゃないか!」
「もしも、大夢が許したとしても、俺は許さない」
「え?」
「おまえは明らかに忘れているものがあるだろ。おまえが辛い時、ずっと見守っていたんだぞ!」
「……亜子のこと?」
「それ以外に誰がいる」
「何? 練二も亜子と同様、佐々木たちとグルなの?」
安易に信じられなかった。信じて裏切られた時の痛みをしっているから。もっと早くに気づけばよかったと酷く後悔したから。
練二はしばらく黙った。
「……啓太、ちょっとこっちに来てみろ」
「どうして」
「――いいから早く!」
どうしてここまで怒っているのか理解できなかった。言われるがまま、フェンスを越えて練二の前まで来た――その刹那、頬に強い衝撃が走った。
「俺も亜子もおまえを騙すわけねぇだろ! 私利私欲で悪いけど、俺の好きな人を傷つけるようなことするなら、絶対に許さないからな!」
真っ直ぐな瞳がこちらに向いている。もしかしてと思ったが、確信はなかった。結局、その言葉の意味もわからず、ゆっくりと頬の痛みを噛み締めた。
「もうすぐ来るはずだから、それまでは絶対に自殺するなよ」
そう言って彼は屋上から出ようとドアノブに手を置く。
「俺だってさ、寂しくなることもあるし、辛い時だってある。そんな時はさ、友達に頼ってもいいんだよ」
そう言って彼は笑顔で振り返る。
「だからさ、
背中はドアの向こう側に消えていった。
さっき叩かれた頬よりも、胸の締め付けの方が痛い。熱くなっていくような、何かが満たされていくような。
灰色すらも存在しない、無味無臭で、白と黒だけで構築されている世界。生きる価値も存在意義もない、ただただ、歩いてきた道のりを眺めているだけの人生。カーテンコールも虚しくなるほどつまらない物語。
――そんな物語も終わり。すなわち、ここからが本当の物語。今までのものは序章に過ぎない――
一つの希望と想いが胸の中を駆け巡る。熱くて苦しくもあった。
誰かが来る。階段を急いで駆け上がる音、苦しそうな呼吸、地面を蹴る音――ドアが開いた。
息を切らせ、苦しそうな表情を浮かべる亜子と目が合った。亜子は僕を見て動揺した。そりゃあ無理もない。自分でさえも驚いたのだから。
「醜いでしょ。こんな姿を見ても、好きって言える?」
声を失ったはずの彼女は間髪を入れずに答える。
「言えるに決まってるでしょ!」
膝に手をつき、彼女は息を整えた。
僕はその様子を黙って見ていた。でもすぐに、恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。その理由は分からず、黒と白の空を横目に見て誤魔化す。
「啓太――」
彼女は呼吸を整えようとしない。その真剣さに引き寄せられて僕は彼女の瞳を見つめた。動悸が激しい。何も考えられない。
「私、啓太のことが好きです」
世界が鮮やかに彩られていく。夕日のオレンジが亜子を染めていき、奥に見える空は少々青さを残している。艶のある黒い瞳がこちらを真摯に見つめ、溜まっている涙が光る。真っ赤な唇は優しく微笑み、白と黒が調和した音色が辺りを包む。虹色の風が吹ちて花壇の緑が舞い上がり、それに続いて黄色、水色、紫がどこからともなく現れては欠けていたピースを埋めるように世界へ溶け込んでいく。
既視感がある。しかし、前のものとは比べものにならないほど革命的かつ衝撃的だ。
「あ、あぁ……」
世界の真の姿を目の当たりにして僕は声を失った。そして、その場にしゃがみ込んでしまう。
「け、啓太? 大丈夫?」
「うん……大丈夫。それより、ありがとう。2回も気持ちを伝えてくれて。それと、ごめんなさい」
「2回も告白したつもりないんだけどね」
亜子が苦笑いして言う。たしかにそうだ。あれは僕の勝手な早とちりであったなと通話でのやり取りを思い出す。
「なんにせよ、啓太が謝ることない。だからさ、例え私のことが嫌いでも、自分自身のことは嫌いにならないで」
「わかった。自殺はやめる。でも、僕はもう、死ぬんだ。見ての通り、体が衰弱してるんだよ。これから先、一緒に居られる保証もない。おそらく、明日、明後日にはもう……」
完全に動けなくなる。そして、じわじわと体が腐って死ぬ。明日があること=未来があるではないのだ。彼女にこの姿を見られているだけでも耐え難いのに、これ以上哀れな姿を見せるなんてできない。それに、僕が死んだ後、彼女はどうなる?
「僕は亜子のこと、好きだ。中1の時、それを自覚した。一緒にいて楽しかったし、お互いに支え合える良い関係だった。亜子の純粋なところに癒されて、たくさん救われた。だから、亜子に、僕を失って悲しい思いをさせたくない」
言い終えた次の瞬間、亜子は僕に抱きついた。
「啓太が明日死ぬなんて誰が決めた? 後悔よりも悲哀が怖いって誰の価値観? 私だって啓太にたくさん助けられた。私のこと好きって言ったんだから、最後まで一緒にいさせて。もう、遠くから眺めてるなんてもどかしいこと、私にはできない」
僕は彼女を抱き返した
そうだ、僕が今生きている理由は亜子と一緒にいるため。彼女と幸せを感じるためなのだ。
まだ希望はある。何かの拍子に体が正常に向かうかもしれない。明日、特効薬が完成するかもしれない。0と小数点の後に無数の0が続き、最後に1が付くくらいの可能性かもしれない。でもそれは、完全な0ではない。
練二が言っていた言葉の意味が少しわかった気がした。
「誓う。僕は死ぬその時まで亜子の隣にいる。だから、亜子も僕が死ぬまで隣に居てほしい」
鼻をすする音が響き、亜子の腕に力が入った。
「もちろん」
そして、僕たちは恋人になった。
将来のことを考えることすらもままならないくらい幸せで心地良い。ずっとこうしていたい。でも、そうはいかない。僕が動けなくなる前に何かしないと。
デート。
言葉だけ言われても、付き合うということ同様にピンとこないけど、ほんわかしたものはわかる。どこかへ出掛けて、何気ない会話をして、お互いの存在を確認し合い、幸せを噛みしめる。
明日ショッピングモールや遊園地へ行こうと誘うか。果たして僕にそこまでの体力が残っているのだろうか。それに、明日は平日。学校もあるだろうし、放課後に行くとなれば選択肢は絞られ、残るのは映画館や周辺の観光名所を見物するくらいだろう。
亜子の存在を体の感触で感じながらそんなことを考えていると、彼女は言った。
「ねぇ、覚えてる? 小学校6年生の時の学芸会が終わった帰りに約束したこと」
「もちろん覚えているよ。丘ノ第二公園の展望台登った時だよね。次は潮見坂の頂上にある空見展望台に行こうってやつだよね」
「そう。それでね、今からそこへ行かないかなって」
急な話に少し驚きつつも、すぐに納得した。実は、空見展望台から見る景色は圧倒的に夜の方が綺麗だ。具体的には知らないが、そういう風に聞いている。
「思い立ったが吉日ってことか。それじゃあ、早速行こう」
僕たちは担当医に話をして薬を飲み、服を着替えてすぐに病院を後にした。
帰りは帰宅ラッシュに巻き込まれるかもね、私のクラスの友達がね、小学校の時にあんなことがあって、中学校の時はこんなだったなぁ。
電車の中ではそんな話で盛り上がり、降りて潮見坂に差し掛かるとあの事件の話になった。亜子はあの事件の時、関崎に煽られて自分の啓太に対する気持ちを疑い始め、申し訳なくなって距離を置くようになった。でも、離れて自分の気持ちが嘘でないと再確認できた。彼女はそんなことを語った。裏で起きていたことも知らずに、勝手に誤解してしまったことを謝った。
僕はもう、歩きながら話すことはできなくなっていた。言葉が全て闇に吸収されてしまうかのように言葉が出てこない。
向こう側から来る星樹高校の生徒とすれ違いながら僕たちは上を目指した。ほとんどが部活動生のようで、友達とワイワイしながら歩いている。
「着いたね」
息を整えて、展望台の頂上から下を眺める。民家の明かりや街灯がほんのりと海に溢れ、半人工的で半自然的な風景が広がっていた。
すでに落ち切った陽を彷彿させる明るさ。対して明かりを反射して微かに煌めく儚さ。そのグラデーションまでもが昼夜を連想させるもので、言葉で上手く表現できないほど幻想的だ。
「すごい、まさかここまでとは……」
僕はその美しさに意識を半分奪われたということと、これをどう言葉で表現するか思いつかないということで語彙力が無駄に思えた。
「本当に、すごい……」
2人はしばらく黙って景色を堪能した。その途中で、僕は思い切って亜子の手に触れた。彼女は少し驚いた様子だったが、僕の真意に気づき、照れ臭そうに手を繋いでくれた。
長いはずなのに短い時間はあっという間であった。
立っているのが辛くなってきて、近くにあったベンチに2人で座った。僕の場合、どっと疲れが溢れて一息ついた。そして、目を閉じて背もたれに体を預ける。
目をゆっくり開くと、そこには快晴の夜空が広がっていた。さっき見た海と同じように輝く星たちと、それを優しく見守る月が映った。
「あぁ」
絶句した。そんな僕の様子に釣られて亜子も頭上に広がる隔たりのない夜空に吸い込まれた。
「わぁ……」
幾望の月が明日を照らしてくれる希望に見える。あくまでも完全ではない。未完成である。
「今日は、何から何までありがとう。亜子とここに来れて本当に良かった。今度は昼間の風景も見たいね」
「こちらこそありがとう。私だって、啓太とこんな綺麗な夜空を見ることができて、とっても幸せ。だから、絶対に、また来ようね!」
「もちろん! 約束する!」
もうマイナスなことを考えるのはやめた。楽しく生きていなきゃ、生きる理由も霧散してしまうような気がする。前に進むためにも。
足が動かない。次は腕かな。
亜子は立ち上がり、帰ろうとしていた。
「亜子、待って。もうちょっとだけ、ベンチに座り直して」
そこを引き止める。
「そして、目を閉じて。深く息吸って、吐いて。もう一回、吸って、吐いて」
その間に携帯電話を取り出して病院の連絡先を開いた。いつでも電話をかけられるし、電話を耳に当てなくても音声が聞き取れるほどの大きな音が出るように設定した。
準備が完了すると、左腕が死んだように落ちた。
「僕は亜子のことが好きだよ。亜子は?」
「え? 急にどうしたの? す、好きだけど……」
彼女の顔は真っ赤になっている。おそらく僕も。
「もっとちゃんと言って。照れないでさ、全力で」
胸が痛み、声も出ない。
「え、あ、わ、わかった……。啓太のこと、好きだよ」
そう言い終えると、僕は右手で彼女の体を自分の元に寄せてキスをした――
宙に浮く感覚を味わった後、唇を重ねたまま病院へ電話をかけた。それから先のことは一切覚えていない。唯一、キスしていた時の感覚が脳裏に刻まれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます