第49話 僕
気がつけば病院にいた。頭痛。嫌な記憶。絶望。吐き気。
上半身を起こして口を押さえた。芋づる式に溢れる白昼夢のような曖昧な記憶が胸を弄ぶから嘔吐感に見舞われたのだ。
『*細胞の抵抗がないなんてな。しかも、それをばら撒いたのがご両親なんてね。この子も可愛そうなもんだ。それよりも、君かね。あれを飲ませたのは』
『そうです』
『また余計なことを。まぁいいさ。君のおかげでこの子も助かる可能性が出てきたんだから。とは言ってもね、助かるかは時間の問題だよ』
『2週間、というところでしょうか?』
『よくわかってるじゃないか。2週間後には呼吸困難に陥って、相当苦しんで死ぬだろうな。それに、この2週間の間で機能を放棄する器官が出てきたら終わりだよ』
寝ている僕の隣でこんな会話があったことを思い出した。周囲を見渡してみても、他の患者はいない。じわじわと精神を蝕む何かを黙って見つめることしかできない。
およそ3年前に騒がれていた中学生の不可解な死。それから並以上の記憶力と思春期のような情緒不安定な精神状態。これらは*細胞が原因で起きる症状だ。僕の体はこの細胞に依存してるせいで、この細胞が死んでしまえば僕も死んでしまう。
細胞が老化しているせいで、僕の体にも影響が出てきている。そして、細胞が死ぬのも時間の問題。そういう説明を医者から受けた。
なんかもう、どうでもいい気がしてきた。どうせ、僕は生きていても邪魔になるだけ。死体が歩くのとなんら変わりない。ゾンビなのだ。おそらく、今の僕は何にも感じないだろう。
これから出されるであろう昼食の味も、胸に詰まる想いも、未来への期待も、生きる希望も、愛さえも、今の僕には必要なければ豚に真珠だ。
僕は心身ともに腐ってしまい、生きている実感も存在の意義も失った。そして、どうしてここにいるのかさえも分からなくなった。生きるってなんだろう。死ぬってなんだろう。いくら自分に問いかけても答えは見つからない。
どうして僕は産まれたのか。何のために僕は産まれたのか。何をすれば良いのか。汚れた僕はいつ焼却されるのか。どれもこれもまともな返事は返ってこない。
学校はなんだったのか。いじめは、友達は。好きとは。嫌いとは。
広大な思考の中に迷い込み、行き場を失った。辿り着く先は天国か地獄か。はたまた第3の世界か。
どうして生に執着するのか。人間は死へ向かって歩いているというのに、いちいち遠回りを望むのか。
どうして上に立ちたいと思うのか。人間はどうでもいいことで争い、下と上を決める。勉強でも同じ話だし、戦争や政治だってそうだ。
あぁ……。そんなのどうだっていいんだ。どうせ死ねば何もなくなる。考えたって無駄。追求する理由なんてどこにもない。ならば、僕は何をしたらいい。することなんて何一つない。ベッドで時間を浪費しればいいのだろうか。
日に日に体が衰弱していくのがわかる。最近では常に息苦しい。投与される薬の量も増えた。その副作用が体に現れると、もうやるせない。顔色はみるみるうちに悪くなり、髪の毛もどんどん無くなり、体重も過激なダイエット以上に減る。動くどころか、命令することすらも拒む脳。そろそろ末期だと思った。
嫌だった。全てが嫌だった。この世界は何一つ信用できるものなんてない。時々、練二から電話がかかってくるが、おそらく偽善。まともな反応したら負けだ。
死は大夢を思い出させる。僕だって見殺しにしたことを仕方ないと自分を肯定しようとしている。彼は僕が死んだら一生消えない傷を負っていただろう。
何だかんだで僕だって偽善者だ。完璧な練二が偽善者でないわけがない。偽っているに決まっている。人間的に全てが備わっている人なんているはずない。そんな人いるはずない。いていいはずがない。いるのなら、僕は、僕はどうなる?
無意味。認めたくない。嫌だ、僕は無意味なんかじゃ……。
――いじめ
あぁ。そうだった。僕は笠原たちのいじめを止めた。でも、いじめが全て消えたわけではない。山ほどあるいじめのたったひとつまみを除外したところで何になる?
結果、僕の存在は無意味なものである。
「どうした」
亜子からの電話だった。
「あ、その、最近学校来てないからどうしたのかなーって思って」
寿命が近いなんて言ってどうする。亜子を困らせるだけだ。だから嘘を。
「熱中症になって入院してるだけ」
「熱中症で2週間も入院することなんてない。ねぇ、本当にどうしたの?」
「……とにかく、心配なんていらない」
「入院してる場所は?」
どうしたのだろうか。ここまでしつこいなんてらしくない。
「ほっといてくれ。友達にそんな心配される筋合いなんてない」
「友達だからとか、そういうのは関係ない! 私は啓太のことがすごく心配なんだよ?」
はぁ。亜子も……。亜子までもこんなことを。
「嘘だ」
「えっ?」
亜子だけは信用していたつもりだった。亜子だけは嘘をつかないなんて思っていた。でも、それは間違いのようだ。
「そんなわけないじゃん! 心配に決まって――」
僕と距離を置いていたくせに友達だとか心配だとか。酷い嘘だ。
「練二に言われたんでしょ。だから心配してるふりしてるだけ。正直、僕のこと、もう友達と思ってない。そうだろ?」
「……私ね、啓太のことずっと見てたの。気持ち悪いかもしれないけど、毎日のように見てた。だから、啓太が2週間くらい学校に来てないのはわかった」
あぁ、もう騙されない。
「何? もしかして、亜子もそんな《・・・》嘘つくの?」
嘘の告白。今のはきっとそうだ。勝手に勘違いさせ、笑い者にする気なのだ。絶対に。
「違う! 嘘の告白なんかじゃない!」
「なんで僕が嘘告白されたの知ってるの?」
「練二から聞いて……」
確信した。僕は人から必要とされていない。ただ、おもちゃとしては使えるからこんなことしてるのだ。
「そうか。僕は練二にこの話はしていない。ということは、亜子は嘘をついている。佐々木さんたちと仲良くなったんだね」
「――違う!」
「もう、僕に関わらないでくれ。じゃあ」
プチッ――
決めた。もう生きている苦しみ耐えきれない。自殺しよう。
練二にはお礼を言わなきゃ。一応、仲良くしてたから電話をかけてお別れの言葉を告げようと思った。
「練二、今までありがとうね」
「何言ってんだよ。感謝するにはまだ早いと思うけど?」
「練二にとってはそうかもな。でも、僕は誰からも必要とされていなかった。だから。じゃあね」
言いたいことを伝えて容赦なく電話を切った。
感度の悪い体を動かし、部屋から出て、ゆっくりと通路を進む。歩くだけで辛い。心臓が握られ、今にも潰されそうな感覚。
階段を一段ずつ上がる。軽くなったはずの体は何故か重く感じる。
屋上からの眺めは良いだろうなぁ。地面に叩きつけられた時、痛いかな。
変な心配ばっかり。命の価値なんて一切考えていない。屋上に出ると、風の強さに思わず目を瞑った。今となっては心地良いなんて思わない。
フェンスを越えて地獄の目の前まで来た。震えなんてなかった。もう、諦めているのだろうか。この世に後悔なんてないし、生きていても苦しいだけと気づいたからだろうか。あと一歩踏み出せば――
「啓太!」
ここにいるはずがない。わかるはずがない。なのに、どうして練二の声が?
僕は振り返っていた。そこには疲れ果てた様子の練二がいる。
僕は理解に苦しんだ。嗚咽が漏れそうになった。堰が切れそうになった。希望を――ダメだ! ダメだダメだダメだ‼︎
ここまで来て、後に退くわけにはいかない。だから。
「話を、させてくれ」
息切れしてるというのに、優しい一言だった。心が揺らぐ。少しだけ。少しだけ会話しよう。どうして僕の居場所がわかったのか気になったから、なんて自分の中で理由をつけた。心残りを消すためだ。
僕は。僕は。結局弱いだけなのだ。何かに縋っていたいのだろう。僕は渋々体を練二の方へ体を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます