第41話 不幸を運ぶ黒い鳥
出発前の駅に心を忘れてきたような、魚の死んだ目で参考書を眺め、電車の揺れるリズムとちぐはぐなリズムで頭に入らない単語をぶつぶつと呟く。周囲の人々と押し合いへし合いしながら電車の吊り革に掴まっていた。
僕は季節の移り変わりを堪能する余裕もないまま、飛び級受験の当日を迎えた。まともに勉強も手につかないほど、あの事件のことを引きずっていて、未だにクラスメイトを危険な目にあわせ、大夢を見殺しにした罪悪感に苛まれているのだ。
クラスメイトは僕が大夢を見殺しにしたことを目の当たりにし、僕がいかに最低なやつか知った瞬間に誰も近づこうとしなかったし、僕も、彼らの意向を察して、できる限りの距離を置いている。
あんなに仲の良かった亜子でさえ、僕を避けるようになっていた。その時点で、僕が孤独に遡ったことを思い知った。
1人でいることは怖くないと豪語していた小学校の自分が脳裏に浮かび上がり、澄ました顔でこう言う。
『やっぱり、1人でいた方がよかったじゃないか』
そんなこと……。ないとは言い切れない。あの事件が起こる前まではとても楽しく、充実した学校生活を送ることができていた、はずだったのだが、一度知ってしまった幸せが剥がれ落ちるほど虚しく悲しいことはないのではないのだろうか。
幸せに裏切られたとでも表現すべきだろう。人間が最も精神的苦痛を感じるのは、裏切られた時ではないのだろうかと思うほど辛い。それと同時に脱力感や孤独感も拍車をかけるものだからたまったものではない。
でも、少なくとも今日は、今日だけは頭を空っぽにしなければならない。受験に合格し、クラスのみんなと離れたい。高校で新しい友達を作りたいが、許されるはずもない。それでも、僕はクラスメイトの不安をなくすためにも合格しなければならない。
「潮見坂前。潮見坂前に到着しました。お降りの際には足元に気をつけ、忘れ物がございませんように、ご注意ください」
アナウンスに反応して、参考書を腰辺りまで下ろし、大波に流されるように電車から出た。
改札口を抜けて駅から出ると、そこにはこの国で最大と言われる勾配の強さを誇る潮見坂が見えた。潮見坂の途中には僕の受験する
どうしてこんなところにあるんだよ、とツッコミたくなるほど急な坂のど真ん中にそびえ立ち、潮見坂前の駅から潮見展望台の中間地点にある。
正直、坂を登るのが面倒だが、行かなければ受験できない。重い足を持ち上げた。
「えぇっと、私はあなたと星を見上げている? で当たってるのかな?」
ローファーと地面が擦れる音と、聞き覚えのある声が右隣を通り過ぎようとした。
「あっ……」
僕は思わず変な声を上げ、彼女に顔を見られないように俯いた。声に気づいた彼女はどんな表情をしていたのかわからないが、絞り出すように声を出す。
「啓太、受験頑張ろうね」
「うん。亜子も頑張って」
正直、僕みたいな疫病神と関わってほしくないので、無視してほしかった。しかし、彼女の優しさが僕の願いを打ち壊した。
彼女はなぜか、僕に歩調を合わせて坂をゆっくりと登る。さっきまで英語の問題集と睨めっこしながら歩いていたはずなのに、いつのまにか問題集を閉じていた。
そこから高校に着くまで気まずい時間が続いた。
***
「あっ、啓太じゃん。テストどうだった?」
あの事件以来、唯一話しかけてくる人がいた。練二だ。彼はいつもの調子で肩を叩き、話しかける。彼の明るさにはいつも負けてしまうため、どんなに気持ちが滅入っていても、不思議と元気が出る。こういう魔法が使えるからこそ、彼の周りはいつも人で賑わうんだろうなと思う。
「結構自信あるよ。そういう練二は?」
「俺もなかなか自信あるぞ」
帰りの電車に揺られながら会話している僕たちを見て、微笑む男の子がいた。ふと目が合い、その子は僕に向かって手を振った。僕は少し躊躇い、消極的に手を振り返す。
「おまえ、まだ『不幸を運ぶ黒い鳥』だなんて考えてんのか?」
その様子を見た練二が呆れた顔で言う。僕は頷こうにも頷けず、黙って目線を落とした。
「もしも、おまえが『不幸を運ぶ黒い鳥』なら、俺はとっくに死んでるんだって。俺は今こうして生きてるんだぜ? あんまり気にすんなって」
そう。実は、僕はあの事件の後、いじめにあったのだ。不幸を運ぶ黒い
やはり先生も役に立たず、今回ばかりは自力でどうにかできるほど精神的な余裕はなかった。ひたすらいじめに耐え続けたのだ。
「わかってるって」
僕が不幸を運んだわけではないことくらい理解していた。しかし、周囲からの暗示には勝てなかった。思い返せば、自分が不幸を運んだと言っても過言ではないという場面だってたくさんあったのだから、余計に自分を傷つけた。
児童園に着き、ドアを開けると目の前には見慣れた光景が広がった。午後22時。この部屋に居られるのもおそらく明日まで。明日の朝、合格通知が届けば、すぐに引っ越し。その引っ越しを悲しむ者は誰もいない。むしろ歓迎されてるかもしれない。今日の夕飯の時だって、僕に話しかけてくる者は誰一人としていなかったからだ。
本当に自分は『不幸を運ぶ黒い鳥』なのかもしれない。園で生活する最後の日かもしれないというのに、孤独感と空虚感が同時に押し寄せてくるのだから。
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