第39話 身代わり


 乾いた喉は言葉の出入りを規制し、舌は思うように動かない。みんな死ぬ。そのビジョンが見え、既視感と嘔吐感が混ざり合い、今までにないスピードで僕の体を埋め尽くす。そして、息をすることさえ許されなくなった。


「俺が、俺が死ぬ!」


 張り上げた声がマイクを通してこちらの部屋に届いた。声の持ち主がわかるほど鮮明な音声に僕は救われたような感覚を味わった。しかし、それはほんの一瞬の話で、その後は自分が死にたくないが故に、他人を利用したような気がして、罪悪感に苛まれて、自分がどうにかなりそうになる。


「ほう、勇気のあるやつもいるもんなんだな」


「大夢⁉︎」


「俺が、啓太の代わりに死にます!」


「啓太はそれでいいのか?」


「……」


 声の持ち主は大夢だった。彼の抱く僕への好意は本物で、彼はいつも僕の力になろうと協力的な姿勢であった。その上、僕が困った時に頼れば、いつでも応じてくれる。そんな優しい大夢の好意を悪用したのだ、僕は。その好意に応えることなく、僕は彼の優しさに漬け込んだのだ。


 そのつもりはないなんて上辺だけの話で、心のどこかでは、彼が身代わりになってくれるだろうという気持ちがあったかもしれない。いや、あった。だから、言い訳を並べてギリギリまで待った。頭の良い大夢なら、助けが来るまでの時間を稼ぐため、ギリギリまで待つだろうと信じた。


 こんなところで信じるという言葉の本質を疑ってしまうとは思ってもいなかった。それ以前に、疑う必要なんてないと思っていたのにもかかわらず、僕がここまで最低で、最悪で、下劣で、残念なやつであるせいで、こんな、罪もなければ関係もない人を……。ましてや、仲のいい友達を……。


「…………」


 何も言えなかった。そんな自分が憎いけど、愛おしい。僕は矛盾の世界で生きているのだと、今になって自覚した。歯を食いしばって自分の考えを噛み潰そうとしても、自己防衛が邪魔をする。


「そうか、わかった。では、大夢とやらを代わりに殺そうか。連れていけ」


 結局、無言の肯定という形になってしまった。僕は自分自身に大きく絶望し、自己嫌悪に陥った。まだ間に合うと思いながらも、大夢を庇うような言葉は全て引っ込んでいく。


 壁の一面に大夢を含めたクラスメイト全員がいる部屋の様子が映し出された。そこには鉄格子で部屋のように仕切られた大部屋があり、1人1人が隔離されている。


「じゃあ、川内、こっちに来い」


 久々に聞くその声に耳を疑った。たしかに、謎めいた人だし、何を考えているか一切わからないけど、明るくてフレンドリーで、孤立していた僕と普通に接してくれたし、何度も彼に助けてもらった。大夢を処刑するために鉄格子を開ける、その人物は関崎であった。


 つい数日前まで普通に話していた人なのにどうして? もしかしたら、津久田に脅されているかもしれない。脅されているのだろう。そう信じて、彼の一挙一動に意識を向けた。


 鉄格子の扉を慣れた手つきで開ける動作、大夢に遠慮なくナイフを突きつける様子、処刑場所へ歩く足取り。全てが完璧で、疑いの余地はなかった。彼と津久田は共犯だ。


 関崎は躊躇なく大部屋の自動ドアから隣の部屋に移動する。壁に移る映像も後を追うように視点が動いた。


 隣の部屋に繋がる自動ドアが開き、少し遅れて真っ暗な部屋に明かりがつく。微かに入り込んだ光の量が増えると視界が鮮明になり、部屋の中心に拘束器具のようなものが見えた。それと、部屋にはドリッピングとブラッシングを使用したと思われるような、不思議な模様が描かれている。扉は入ってきたところの1つで、他に行く道はないようであった。それは、目的地へ到着したことを示していた。


 大夢はどんな気持ちなのだろうか。僕のことを恨んでいるのではないかとも思ったが、それなら自分から死ぬとは言わないだろう。では、死ぬのが怖くないのだろうか。いや、怖いに決まっているだろう。だって、本能は死を拒み、楽を求めるのだから。


「そこに首を突っ込んで」


 関崎が拘束器具にある穴に頭を突っ込むように命令した。しかし、大夢は素直に言うことを聞かずに、関崎の持つナイフを奪い取ろうとナイフに手を伸ばす。


 右手でナイフを持つ右腕を逆手で掴み、外方向へ思いきり捻る。関崎は急な攻撃に反応が遅れ、ナイフは地面へ吸い込まれていった。そのまま掴んだ腕を背中へ持っていこうとしたその時、大夢は苦しそうな表情を浮かべる。


「うぐっ……!」


 少し遅れて、痛みを訴える声が部屋で反響する。なぜか関崎のもう片方の手が大夢のお腹に伸びていて、そこから僕の忌々しい記憶が漏れ出していた。


 地面にナイフが落ちる音が響いた。


 関崎は2本目のナイフを取り出していて、それを大夢のお腹に刃を差し込んでいたのだ。大夢は何が起きているのか理解できていない様子で、目を見開きながら両手をお腹に持ってきた。その瞬間から――もしかしたら最初から――関崎の一方的な試合が始まる。


 関崎は大夢を押し倒し、その上にまたがって弄ぶように傷を抉った。と思えば、急にナイフを抜いて、他の箇所にも穴を開け始める。鈍い音と痛々しい声が部屋を埋め尽くし、もがく様子に胸が締め付けられるように痛む。


 関崎の制服に付着した影がドリッピングとブラッシングでできたアート作品を生み出す。関崎はおもちゃで遊んでいるような無邪気な眼差していて、頬は上がっている。彼はその表情を保ちながら楽しそうに切り刻み続ける。無慈悲な刃の雨は大夢の声と共に止まった。

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