第17話 裏切り


 ようやく放課後が訪れた。今日もいつも通り過酷ないじめを受け、精神はズタボロだ。しかし、僕の教室の前で待っていた亜子を見つけた途端、思わず笑みがこぼれる。


「よし、行くか」


 そう言いながら亜子の方へ歩み寄った。


「う、うん……」


 訳は分からないが、彼女はあまり乗り気ではない様子で頷く。ビデオカメラを手に持って、笠原がいると思われる1組へ行った。静かに教室を覗くと案の定、生徒がいじめられているようであった。


 笠原を見ていて警戒心が薄れた頃、肩に手を置かれて小さな声で「よう」と呼ばれる。背筋が凍り、不穏な空気が漂う。まさか……笠原の仲間?


「そんな硬くなることないって」


 優しい声が僕の落ち着きを取り戻させる。それでも少々の不安と警戒の入り混じったなんとも言えない感情を必死に隠した。


「宗田? なんでここに?」


 宗田陽路。笠原の仲間でこいつも敵なのだが、少し前に味方へ来ないかと聞いた。その返事はまだ返ってきていない。


「まぁ、警備ってところか。誰かが『啓太は笠原のいじめをやめさせようとしてる』とか言ってきたらしい」


 誰かが笠原に密告した? 学芸会に実行する計画自体は僕と亜子しか知らない。


 多分、宗田の言う計画とは、『いじめをやめさせる』という物だ。だとしても、知っている人は限られている。きっと、笠原の仲間に聞かれたのだろう。


「宗田が僕たちにそんなこと教えるってことは、いじめをやめさせる手伝いをするって解釈でいいのかな?」


「あぁ。いいよ。ただ……」


 宗田は急に目線を泳がせ、恥ずかしそうな素振りをした。


「どうした?」


「手伝う代わりにさ、赤西さんと俺を仲良くさせて欲しいっていうか、その……」


 赤西というのは確か、亜子をいじめていた5人の中の1人で、ポニーテールの子だ。


「恋の応援をして欲しいということ?」


「うん、まぁ、そうだな。出来れば学芸会の前にはもっと仲良くなりたい。赤西をいじめっ子にしないでほしい」


 いきなりのような気もするが、敵が1人味方になったのだ。このくらい何とかしよう。


 さっきから口も開かない亜子に違和感を覚えた。彼女なら今の会話に入ってくると思っていたのに、入ってこないし、浮かない顔をしている。


 やはり、いじめを受けて精神的に辛いのか。僕は亜子に助けられたから、僕も亜子を助けたい。心の支えになりたい。せめて、亜子がこんな暗い顔にならないようにしたい。


 でも、どうすればいいのか……。


「わかった。協力する。あと、ありがとう。今日のところは帰るよ」


 恋の応援についてはあとから考えるとして、今、敵がこちらに警戒しているのだ。安易に近くのは危ない。それに、亜子の様子もおかしいから今日撮影することはやめておくことにした。


「わかった。またね」


「またね。亜子、帰ろう」


 亜子は無言で頷いた。僕と目も合わせようとしてくれない。学校から出ても、亜子が口を開く様子を見せなかったので、さすがに心配になって訊いてみる。


「なぁ、どうしたんだ?」


 彼女は口を開く代わりに立ち止まった。俯くだけで何も答えてくれない。そのかわりに彼女の鋭く尖った目が憎悪の情を僕に訴える。


「亜子? ちょっと、本当にどうしたんだ?」


 憎悪が僕に向けられた物なのではないかと思ってしまうほど、学校での理不尽を圧倒してしまいそうなほど、この世の全てを覆してしまいそうなほど強い。それと同時にか細く、今にも崩れそうなほど脆くて、存在も不安定で弱い。


 そんな表裏一体の2つを兼ね備えた目に加えて僕は、衝撃的なものを目撃する。それから、ここが割と交通量が少ない場所で、辺りが静かであるおかげで、耳は音を一切逃すことはなかった。


 鼻水をすする音。


 強く食いしばる歯。


 目から流れる一筋の涙。


 亜子は泣いていた。


 そして、僕が彼女の顔に驚いていると、拍車をかけるように抱きついてくる。木の葉の貧しい木から葉が剥がれ、新たに落ち葉が増える。通行人が踏み荒らした落ち葉と混ざった。


 何が何なのか理解出来ない。僕が馬鹿だからだろうか。いや、僕は無知だから、何も知らないからだ。


 いつもの明るい亜子に慣れすぎて、どこかで苦しんでいた彼女を知らなかった。知ろうともしなかった。結果、苦しいという感情が涙となって溢れた。僕に責任がある。どうすることも出来ないかもしれない。


「ごめん、僕、また……」


「違う、啓太のせいじゃない。私が、私が悪いの」


 腕の締め付ける力が強くなる。彼女は前とは違って声を出して泣いた。彼女が泣き止むのを待つことしか出来ない自分が、すごく力不足であることを思い知らされる。痛感しながら僕も彼女を優しく包んだ。


 彼女はやっと落ち着いたようで、僕の背中の方に回していた腕を解く。そして、こう言った。


「私が……笠原に教えたの」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る