来世計画

鈴原りんと

来世計画

 人は生まれ変わる前に、来世の自分を設定できるらしい。

 

 まるでゲームのアバター作りみたいだ。転生後の自分の容姿や性格、家庭環境や社会的地位まで事細かに設定が出来るとのこと。ただし、条件が大きく高望みしたものであればあるほど、転生後の寿命が短くなるらしい。理想通りの人生を歩むには、それ相応の対価があるとのことだ。


 右手に付けられた手枷を見つめながら、俺は来世の自分の姿を考える。手を動かす度に枷から伸びている鎖が小さな金属音を立てた。鎖の先にはプレートのようなものが付けられていて、そこには『53829』と雑に刻まれていた。


 この世界で目を覚ました時、この札をつけられた人間は輪廻の波に乗って生まれ変わる事が可能だと説明を受けた。つまりは、来世というものが約束されているらしい。

 『君たちは選ばれた人間だ。来世へと転生することが許された。ここで過ごす間に来世の自分を思い描くこと』と世界の神を名乗る人物は言った。


 正直、俺は来世など要らなかった。何故なら、俺は息苦しい世界から逃れるために自殺をしてここに来たのだから。自殺をした人間に来世を与えるとは、神は一体何を基準に生まれ変わる人間を選別しているのだろうか。普通、自殺をした人間は罰を受けるか地獄送りにされてもおかしくないだろうに。


 ……いや、むしろ来世を与えることが俺にとっての罰なのかもしれない。

 どうせ生まれ変わるなら、来世はもっとマシな人生を送りたい。

 そう、たとえば──


「鳥に生まれ変わるとかどう?」

「……ヴァイス、俺が真面目に考え事をしているんだから邪魔されては困る」


 突然自分の世界から引き戻される。男にしては高く柔らかい声が俺に訊ねる。

 小さな机を挟んだ向こうに居る白髪の少年が俺に微笑みかけた。


「ほら、僕一回くらい空を飛んでみたいんだよね!」

「今なら飛べるんじゃないのか?此処、空の上みたいなもんだし」

「それじゃあつまらないよ。もっとこう……優雅に空を泳ぎたい!」

「お前は呑気でいいよな」


 白みを帯びる空を見つめながら、ヴァイスは夢見がちに笑う。どうやら、ヴァイスは俺と違って前向きに来世のことを考えているらしい。机の上に置かれた一枚の羊皮紙には、見たことのない文字列が多く並んでいる。何処の国の言語かは分からないが、内容は何故か理解できた。


 羊皮紙には、来世の自分について書かれている。数多の項目が並んでいるが、俺は何一つ印をつけていない。もちろん、来世についてあまり興味がないし、想像してもほとんど何も思い浮かばないからだった。


「んー、じゃあすっごいお金持ちにしちゃうとかどう?」

「馬鹿、その分来世での寿命が減るんだぞ。いいのか?」

「うーん……」


 万年筆をくるくると回しながらヴァイスが眉間に皺を寄せる。


「でもさ、短い人生の中で派手に過ごすのも面白そうじゃない?」

「そうか?」

「お金があれば退屈しなくて済みそうじゃん。早く死ぬ運命になるなら、それまで好き勝手生きればいいんじゃないかな」

「……まぁ、確かに」


 退屈な人生をダラダラと過ごすよりは、金持ちになって豪華な生活を送った方が良いかもしれない。どうせ生きる意思もあまりないんだ。来世があるのならば、自分の好きな事をして豪勢に生きてみたい気もする。


「よし、じゃあメランくんも来世の自分のオプション考えよ!」

「いや、俺は別に……」

「いいから!」


 温かい笑顔を俺に向けながらヴァイスが万年筆をもう一本手渡してくる。それを渋々受け取り、俺は羊皮紙と向き合った。


「えーっと、まずは性別かな?」

「男がいい」

「わぁ、即答」

「自分が女になったところとか想像できない」

「あ、それは分かるかも」

「お前は女の姿似合うんじゃね?」

「えぇっ!?」


 冗談混じりに言ってやれば、ヴァイスが心底驚いたように目を見開いた。ヴァイスは一度鏡で自分の顔を見た方がいいと思う。男にしては肌が白く、顔立ちだって女性寄りだ。目もぱっちりで、髪だって指通りが良さそうだ。女に生まれ変わっても上手くやっていけそうな気がする。まぁ、肝心な中身が意外と男っぽいから難しいかもしれないが。


「じゃあ、性格は?」

「そんな項目もあんのか。今と変わらずでいい」

「僕も今のままでいいかなぁ。ちょっとクール系目指したいみたいなところはあるけど」

「ヴァイスがクール……?」

「何その信じられないみたいな視線!」

「いや、悪ィ……」


 大きな目を吊り上げてヴァイスが睨んでくる。この世界でヴァイスと出会ってからそこそこの時間が経つが、彼はどうにもクールとはかけ離れた人物だ。

 普段から笑顔を絶やさないし、表情はコロコロ変わる。真面目できっちりした人間かと思えば、わりとドジだし少しやんちゃな部分だってある。ヴァイスがクール系だなんて、やっぱり俺には想像できない。


「次は……見た目!」

「そのままでいいんじゃね?」

「メランくんはそればっかりだなぁ。うーん、もっとかっこよくなりたいかなぁ」

「意外と理想高いんだな、ヴァイス」

「当たり前だよ!こんなチャンス二度とないだろうし、それなりには高望みしたいからね」


 今とあまり変化を求めない俺とは違い、ヴァイスはそれなりに変化を望んでいるらしい。来世ではどうせ新しい人生を一から歩むことになるから、思い切って別人になるのもありかもしれない。だが、やはり考えるだけ面倒だった。

 

「次……」

「どうかしたか?」

 

 それまで楽しそうにオプションを付け加えていたヴァイスが、急に黙り込む。顔からは笑顔が消え、どこか切なげな表情をしていた。


「あ、えっと、交友関係って項目があってね……」

「なるほどな。俺は面倒だからいらねぇかな」

「そっか……」


 俺が素っ気なく答えると、ヴァイスは残念そうに呟いた。


「お前は友達欲しかったのか?」

「うん。僕、友達が居なくてね」


 困ったように微笑むヴァイス。それがなんだか意外で俺は目を丸くした。此処にいる俺たちは、生前の性格をそのまま引き継いでいる。ヴァイスほど優しくて思いやりのある人間に友達が居ないなんて信じられない。現に、この不思議な世界で彼には友人がたくさんいる。一人でボーっとしている俺とは違い、積極的に交流を深めにいっているし、信頼も厚かった。


「僕、貧乏だったからさ。此処に来てからみたいに綺麗な服とか着ていなかったし、性格も良くなかったから」

「そうか?お前、結構いい性格してると思うぞ」

「そうでもないよ。卑屈で捻くれた人間さ」


 俺がそう言うと、ヴァイスは目を伏せて静かな声で告げる。手に持っている万年筆が、机の上に置かれて小さく音を立てた。


「綺麗な服を着て、美味しいものが食べられて、友達に囲まれて笑う人たちをずっと妬んでた。酷い言葉を浴びせたこともあるよ。殴ったことだってある。僕は本当に最低な人間だった」

「……」

「だからね、次はもっと真っ当な人間になって人生をやり直したいんだ。せっかく神様がくれたチャンスだ。どれだけ虐げられようと蹴落とされようと、必死に足掻いてみせるよ」


 真っ直ぐな水色の瞳が煌めく。強い光を宿したそれは、俺の心を揺さぶった。

 ヴァイスの真っ直ぐな気持ちが、矢のように刺さる。彼は死してなお、次を夢見て必死に生きようとしているのだ。どういった経緯で此処に来たのかは知らない。けれど、自ら命を絶った俺と彼とでは、明らかな差がある。俺は、少し自分が惨めに思えた。


 ヴァイスのような考え方はできない。来世で人生をやり直したところで、また退屈で息苦しい世界が待っているようにしか思えないからだ。だったら、この世界に留まっている方がむしろ幸せなのではないかと思う。

 俺は、来世に行く理由が無いのだから。


「メランくんはさ、どういう人間になりたいの?」


 羽のように軽く優しい声でヴァイスが訊ねてくる。

 

「……分からない」


 そう短く答えた。そうすれば、ヴァイスは困ったように眉を下げた。


「俺は、自分がよく分からない。世界に必要とされていないくせに、何でまたチャンスを与えられたのかも」


 文字列が散りばめられた羊皮紙を睨みつけながら、俺は愚痴をこぼすように語り始めた。


「俺は、自ら命を絶ってここに来た。来世なんて必要なかったんだ。一刻も早く、輪廻の流れをぶっ壊したかった」


 もう次なんていらない。そう覚悟して自殺までしたというのに、神は無慈悲にも俺に次の生を与えた。腹立たしいのに、ヴァイスと話すうちに心の何処かで生を望む自分が居た。それが一番気に入らなかった。


「でもまだ、神は俺に生きろって言うんだ。俺には、来世に行く理由がないのにな」

「……此処に居る方が、君は幸せなの?」


 黙って俺の話を聞いていたヴァイスが、真剣な表情で俺に問う。


「たぶん。お前と話すのは好きだし、此処は衣食住も整ってるから」

「でも、あまりこの世界に留まりすぎると消滅しちゃうかもよ?」

「構わないさ」

「もう二度とないチャンスなのかもしれないよ?」

「別にいいよ」


 見たこともないくらい、ヴァイスが悲しげな表情で問いかけてくる。感傷的になって泣きそうな親友の顔なんて、見たくなかったのに。


「来世に行くよりも、ここでお前と話してた方が俺は幸せだと思う」

「……そう、なんだね」


 微笑を湛えながらそう言えば、ヴァイスは諦めたように無理やり笑顔を押し出した。ヴァイスはきっと、俺に生まれ変わってほしいと思っているのだろう。

 しかし、何を言われようと、俺は来世へ行くことは無い。もう一度苦しい世界に行くのなら、ここで朽ちた方がマシだ。


「……次で最後の項目だね」


 ヴァイスは切り替えるようにそう呟く。文字列を辿っていくと、どうやら次で最後の項目らしい。


「えっと、さよならの理由?」

「来世に行きたい理由ってことか?」

「たぶんそうだと思う」


 曖昧に記された最後の項目は、受験とかでいえば志望理由みたいなところだろうか。そもそも来世に行く理由などないから、此処に俺が書くことはない。


「何て書くつもりなんだ?」

「女装男子に生まれ変わりたいから」

「はぁっ!?」


 俺が何気なく問うと、間髪入れずにヴァイスが真面目な声音で言った。予想もしなかった返答に俺は椅子から転げ落ちそうになった。

 

「冗談に決まってるでしょ」

「…………心臓に悪い」

「あははっ、ごめんね」


 悪戯っ子のように微笑み、ヴァイスはペロリと舌を出す。普段嘘を吐かない性格のせいか、俺はあっさりと騙されてしまった。瞬きを繰り返し固まる俺を他所に、ヴァイスは羊皮紙に万年筆を滑らせる。俺を騙せて嬉しかったのか、どこかご機嫌な様子だった。


「よし、書けた」

「結局何て書いたんだ?」


 万年筆を机に置いたヴァイスは、達成感に溢れた顔で言った。結局一文字も書いていない俺とは違い、羊皮紙に文字を刻んだヴァイスに尋ねてみれば、また即答される。


「超絶美少女になりたいから」

「マ、マジかよお前!」

「だから冗談だってば」


 驚いて立ち上がった俺を見て、ヴァイスは腹を抱えて笑った。その様子を見て、俺はため息を吐く。次は騙されないと思っていても、正直者のヴァイスが言うことだからか、反射的に信じてしまう。


「メランくんは良い人なんだね。でも、そんなんじゃ悪い人に騙されちゃうよ?」


 来世で苦労しちゃうよ。なんてヴァイスは不安そうに微笑を湛える。

 確かに生前もよく人に騙されていた記憶がある。人を信じすぎるところはどうにか直した方がいいのかもしれない。疑うということを知らないせいで、苦しい人生を歩む羽目になったのだから。


「さ、あとはサインするだけかな」

「契約書的な感じなのかそれ」

「みたいだね。ここにサインしたらこの世界とはさよならかぁ」


 名残惜しそうにヴァイスは万年筆を握る。サインするのを躊躇しているのか、一向に文字を書く気配はない。

 来世へと生まれ変わる意思はあるものの、この世界で過ごした時間はそれなりに長い。何かと思うところがあるのだろう。


「……はぁ、何だか名前を書くだけなのにすごく緊張するよ」


 引き攣った笑みを浮かべて顔を強張らせるヴァイス。それを見て、俺も緊張してきた。今になって、来世というものが本当に存在するのか。この世界の神が言ったことに嘘は無いかを疑い始めた。今まであらゆることを信じてきた俺が疑うほど、転生というものは信用できないのかもしれない。

 もし彼がサインをして、何か苦しむ羽目になったら。そんな想像までしてしまい、俺は異様に緊張した。


「でも、物は試しだよね!」


 にこりと笑い、一度深呼吸をする。

 僅か十秒ほどの静寂がおとずれる。俺にはそれが、ひどく長い時間のように感じられた。

 そしてヴァイスは、羊皮紙に自分の名前をさらりと書いた。


「……あ」


 その瞬間、羊皮紙が淡い光を放ち始めた。それは春の陽ざしのような光だった。

 呆気に取られている間もなく、ヴァイスの右腕に付けられていた枷が唐突に外れた。ガシャン、と重い音を立ててそれは床に落ちる。


 羊皮紙は一筋の細い光をこの世界にある大きな門目がけて放つ。それまで向こう側の景色が見えるだけだった門に、どこか知らない世界の風景が映りこむ。それはきっと、ヴァイスが生きる新しい世界なのだろう。


「行くのか?」

「うん。どうやら僕の理想は認めてくれたみたいだしね」


 澄んだ青空が映る世界を見つめたまま、ヴァイスは静かな声で告げた。門の向こう側から吹いてくる風は温かく、生まれ変わるヴァイスを歓迎しているように感じられた。


 意外にも、ヴァイスとの別れは早くやってきた。転生というものがこんなにも呆気なく、簡単なもので良いのだろうか。そう疑問に感じたところで、神という存在の気まぐれには逆らえないのだけれど。


「いろいろありがとう、メランくん」

「何がだ?」

「この世界に来てから仲良くしてくれて。僕、君みたいに素敵な人と仲良く出来て嬉しかった」

「……それは、こっちの台詞だよヴァイス」


 風を受けながら笑うヴァイスに、俺もつられて笑った。

 ヴァイスの新しい人生だ。祝ってあげなくちゃいけないのに、どうしてもこうも寂しいのだろう。行ってらっしゃいと、笑顔で見送ることが出来なくなりそうだ。

 きっと俺は、生前腹を割って話し合える友達が居なかったから、此処でヴァイスと何でも話せたことが嬉しかったのだ。だから、彼を見送るのが嫌になった。


 ようやく気付いた。

 確かに、人生は苦しくてもう二度と経験したくないことばかりだ。だから、転生なんて御免だと思った。だけど、来世が要らない理由は正確には其処になかったのだ。

 俺は、来世に行くのが嫌なんじゃない。

 

 『友達』が居る世界から離れたくなかったんだ。


「さーて、新たな人生の旅立ちといきますか!」


 思い切り伸びをして、ヴァイスが高らかにそう宣言した。それに呼応するように、門の向こうの世界が淡く煌めく。


「一足先に行ってるね、メランくん。早く来ないと僕、おじいちゃんになっちゃうからね!」


 からかうようにそう言って俺に背を向ける。吹き抜ける風がヴァイスの白髪を揺らした。


「じゃあね、メランくん。君もどうか来世に来てね」


 振り返らぬまま、ヴァイスはそう言った。何故ヴァイスは、そこまで俺を転生させたがるのだろう。俺が来世へ行っても、ヴァイスと再会できると決まったわけではないのに。単なるお節介なのだろうか。

 それに、ヴァイスは心なしか来世を楽しみにしているようだった。不確定で信じがたい存在なのに、不安や迷いはほとんど無いように見える。

 何故だろう。それが無性に気になった。

 だから俺は、見送りの言葉ではなく彼の名前を呼んで引き止めた。


「ヴァイス!」

「……なに?」


 相変わらず向こうの世界を見つめたまま、ヴァイスは立ち止まった。


「ひとつだけ、聞いてもいいか?」

「珍しいね。いいよ、何でも聞いて」

「どうしてお前はそんなに来世に行きたいんだ?」


 そう訊ねれば、ヴァイスが少し驚いたように振り返った。

 気まぐれの問いなんかじゃない。どうしてもこれだけは聞いておかなければいけない気がした。ヴァイスが来世を望む理由が知りたい。来世に希望でも見いだせれば、俺は新しい世界のことを少しだけ考えられそうな気がする。ヴァイスの思いやりを、無視したくなかった。


「……素敵な友達に会うためだよ!」


 これ以上ないくらいの満面の笑顔で彼はそう言った。そして、迷うことなくヴァイスは向こうの世界へと飛び込んで姿を消した。

 その答えの意味が、あまりよく理解出来ていなかった。素敵な友達に会える可能性なんて、あまり無いだろうに。

 でも、ヴァイスらしい理由だった。どうか来世では、彼に素敵な友人が出来ますように。


 行ってらっしゃい。

 門の向こうに消えていったヴァイスを思いながら、もう届かない見送りの言葉を心の中で呟いた。


 ふと俺は、机の上に置かれたままの羊皮紙を見た。受け取った時と何ら変化のない羊皮紙と、来世の願いが書かれた羊皮紙。俺は文字列の一番最後を見た。

 

「……あぁ、なんだ。そういうことか」


 それを見た俺は、思わず笑みを零した。

 ようやく、ヴァイスが来世に期待する理由が分かった気がする。そして、俺に転生を求めた理由を。

 置きっぱなしの羊皮紙を手に取って、俺は目を閉じる。

 この世界を旅立った彼の『さよならの理由』が、そこには綴られていた。


 ──メランくんと友達になりたいから。


 彼の羊皮紙の最後には、綺麗な文字でそう書かれていた。

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来世計画 鈴原りんと @marindesuyo

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