追憶

                浄霊師編



 自分――狛井こまい長庚つねやすの父親が死んだのは、高校に入る直前の春だった。


 狛井の血筋には、末代までの呪いがかけられている。それは、簡単に言ってしまえば、若くして死んでしまう、というものだった。若くして、というのはざっくりとした言い方だが、それは、多少年齢にバラつきがあるからだ。だが、大体は二十〜三十代の間に身罷みまかる事になる。

 しかし、真に恐ろしいのは、その死に方だった。その変化は、ゆっくりゆっくり訪れる。最初は、頬がこけ眼窩が落ち窪むという、他の病でも見られるような変化だが、徐々に、肌が黒ずみ、爛れ、最終的には生きながらにして腐っているような、酷い有様になってしまう。勿論、酷いのは外見だけではない。凄まじく、苦しい思いをするのだ。自分はまだその苦しみを経験していないので、そのような安っぽい言い方しか出来ないが、父の最期を見て、痛い程、その恐ろしさが分かった。


 自分は、いずれ生涯の果てに訪れる苦しみに、改めて、戦慄した。

 しかし、その戦慄は、自分でも驚く程早く消え失せた。

 呪いによるその悍ましい最期自体は、――直接見た事が無かったとはいえ――既知のことだったから、というのもあるが、何より、その最期以上に胸を衝かれる事があったからだ。


 それは、父の姿がもう完全に変わり果て、いつ事切れてもおかしくない、という折りの事だった。

 短い言葉を発する事さえままならなくなっていた父が、ぽつりぽつりと何か話し始めた。最初は止めようとしたが、父が何かを必死に自分に伝えようとしていたので、静かに耳を向ける事にした。

 父は、お前の呪いが解けるかもしれない方法がある、と言った。

 自分は、その言葉に反応が出来なかった。だって、今まで父親からは、呪いは決して解けぬもので、自分たちはその死を受け入れるしかないのだ、と聞かされていたからだ。

 しかし、その次に紡がれた言葉で、父がずっと自分にその方法を隠していた理由が分かった。


 ――子どもを作ると、親の宿す呪いが全て子どもに移り、親は呪いから開放される、という話がある。

 実際に自分の知っている範囲で、それに成功した人間はいない。

 しかし、単なる眉唾物と言い切るには、余りにも呪術師の間に知れ渡っている話だ。成功する確率が極めて低いだけで、可能性は完全に否定できない。

 だからお前も、早いうちに――


 父はそこで言葉を切り、口を閉ざした。もう自分が伝えるべきことは全て伝えた、と言わんばかりに。

 事実、自分は父の伝えたかった言葉を、全て理解した。深い絶望と、父への失望を感じながら。



――成る程、末代までの呪いを抱く家系が、いつまでも無くならない訳だ――



 父は、その身に宿す呪いを全て移す為に、自分を産んだのだろう。一縷の望みに賭けて。

 祖父が死んだ時、父親は十五歳位だった筈だ。

 祖父の壮絶な最期を見た父は、いずれ我が身に降りかかる禍に恐れ、適当に誑かした女に孕ませたのだろう。――母親は、自分を産んだ後に行方を眩ませたとだけ聞いていた。恐らく、自分を産んでから、呪いの家系云々を知って、逃げ出したのだろう。

 そう、納得した。目の前で虫の息になっている父親は三十歳。年齢的にも辻褄が合う。

 確かに、何故自分の子どもにも呪いが降りかかる事を承知で、子どもなどつくるのだろう、と疑問に思ったことはある。しかし、それはきっと、母との出逢いが、そんな事をどうでも良いと思わせる程運命的だったんだろう、と、勝手に納得していたのだ。――父親を、信じていたから。

 父親は、骨董店をやる傍ら、呪術師を生業としていた。だから、世間一般的に見れば、父は「良い人」とは言えないのだろう。しかし、自分にとっては、父親であると同時に、世界でただ一人、自分と同じ呪いを宿す仲間だった。シンパシーを感じていた。ふいに自分の迎える悍ましい最期を想像し、失意に捕らわれる事もあったが、その度に、父だって同じなんだと、自分を奮い立たせてきた。

 故に、父の告白を聞き、裏切られたと思った。そして、同時にその告白が、ただのエゴである事も分かった。

 恐らく父は、今際いまわに自分の罪を清算したかったのだろう。息子の為ではなく、自分が少しでも楽に逝けるように。



 その何日か後、父は死んだ。言葉に言い表せない位、惨たらしい最期だったと思う。

 しかし、自分はそれに対して、哀しいとも可哀想だとも思わなかった。



 父親の相続手続きは、父の母方の親戚筋――狛井の呪いを抱いていたのは祖父の方なので、祖母の血筋は勿論呪いとは関係が無い――が全面的に面倒を見てくれて、思ったよりも早く進んだ。父親が遺言を遺してくれていたとはいえ、まるでシミュレーションをしていたかのようにスムーズに進んでいった事に違和感を覚えたが、それ以上に驚いたのは、その親戚が狛井骨董店を引き継いでくれた事だ。

 確かに自分は、幼い頃から骨董品に触れ、いつかは自分が継ぎたいと考えていたし、父にもそう話していた。しかし、自分が骨董店を継げる年齢になる前に父は死んでしまい、自分が継ぐという望みも完全に潰えたと思っていた。

 しかし、その親戚は、自分が骨董店を継ぎたがっている事を分かった上で、自分が継げる年齢になるまでの間、代わりに継いでくれるというのだ。その親戚は、妻・子と共に商店を営んでいた。だから、店は残りの家族に任せるという事なのだろうが、それにしても、納得が出来なかった。とても懇意にしていたのならともかく、自分と父親は、明らかに親戚中から――その男や祖母も含めて――避けられていたのだ。

 彼は、わざわざ店の近くにアパートを借り、骨董店だけでなく、自分の生活の面倒も、必要最低限ではあるが見てくれた。また、もともと古物の知識も蓄えていたようで、経営に困る心配も無かった。

 あまりに用意周到過ぎて、暫く怪訝が拭えなかったが、そのうちに、合点が行った。少し考えれば、分かる事だった。


 彼らは、恐れていたのだ。呪われた家系であると同時に、呪術師の家系でもあった自分達に。

 もしも意に沿わない事や気に障る事をしてしまったら、呪われてしまうかもしれない。一家に災いが降りかかり、殺されてしまうのかもしれない。ギリシア神話に出てくる神様のように、些細な粗忽で、恐ろしい制裁を加えてくるのかもしれない。――そう思っていたのだろう。

 彼らは自分たちを避けていたが、粗末に扱われた事は一度もなく、むしろ態度は恭しかった。敬遠されていた、というのが一番近いだろう。

 呪いと関係があるかは不明だが、狛井の家系は代々、古物に惹かれるという。それを知っていた親戚達は、父が死んだら骨董店や自分をどうするかというのを、あらかじめ決めていたのだ。


 狛井が遠縁にある所為で、生き方が縛られてしまうのは哀れだと思う。けれど、それは彼らに限った話ではない。霊能者や呪術師を取り巻く問題は、いつだって理不尽だ。だから、申し訳なさは感じなかった。その程度我慢しろ、とさえ思った。

 自分達のように、短命の末に悍ましい最期を迎えるわけではないのだから。

 

 骨董店を継いだ後も、その親戚の一見恭しい態度は変わらなかった。たまに社交辞令のように、近況確認をしてくれたが、あまり自分とは同じ空間にいたくないようなので、自分も必要以上に関わろうとしなかった。



 高校に入学して数日後、自分は早速授業をサボタージュするようになった。ただあてもなく、校舎内をぶらぶらと歩いていた。先生達は、自分の父親が死んでからあまり日数が経っておらず、母親もいないという事を分かっていたので、あまり強くは注意してこなかった。――もしかしたら、まともな大人にはならないだろうと、早々に見放されていたのかもしれないが。

 そうやっていつものように授業中に校舎内を散策していると、図書室の中に人影が見えた。女子生徒のようだった。彼女は本をちょうど読み終わったところらしく、席を立ち上がって本棚へ向かおうとしていた。

 

 自分はそれを見て、図書室の中に足を踏み入れた。

 

 「ここで、何をしているの?」

 

 少女がこちらを向く。特段動揺はなく、無感動にこちらを見ていた。

 

 「今、授業中だよ?」

 

 声を掛け、口元に笑みを浮かべながら、少女にゆっくりと近付く。


 「何って・・・本を読んでるんだけど」


 彼女は壁を背にして体ごと自分の方に向き、淡々と答えた。 

 少女の顔には、見覚えがあった。確か、同じクラスだ。


 ――彼女を、孕ませてしまおう。

 入学早々授業をサボタージュするくらいだ、自分と同様、まともな人間ではないのだろう。

 拒んだら、呪ってやろう。脅して、子どもができるまで、何回でもやってやろう――そう思った。

 自分は特に、子どもを作り、自分の呪いを子どもに移してやろうなどと、本気で望んではいなかった。――そう、その時は兎に角、自暴自棄になっていたのだ。


 自分は、彼女の目の前で足を止め、彼女の背後の壁に右手をついた。

 そして、口元の笑みをそのままに、彼女の顔を間近で覗き込みながら、言った。


 「そんな事より、もっと、楽しい事をしようよ」


 彼女は、呆然とした表情でこちらを見つめていた。

 暫し自分と見つめ合い、そして――――吹き出した。


 「プッ・・・フフッ、アハハ、ハハハハハハ!」

 「・・・・・・何が、おかしい?」


 失笑からに哄笑に変わりつつある彼女に、何とか微笑みを保ちながら、問う。


 「だ、だって・・・」


 彼女は何とか笑いを抑えながら、言った。


 「そういうのって、もっと顔の良い人がやるものでしょう?」



 これが、自分と彼女――御影池みのいけりょうの出逢いだった。

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