嘘も方便 四

 「おせーよ。一体、何処にいたんだ」

 木下さんの待機している部屋の前に行くと、為辺さんが苛立たしげに言った。隣には、優里香もいる。 

 「すみません、ちょっと興味深いものを見たので」

 そう言うと、為辺さんは「興味深いもの?」と、眉間に皺を寄せて聞いてきたので、私は、二階であった事を話した。

 男の子の霊に会ったこと。姉がいること。残留思念を視たこと。

 私が残留思念を視たと言った時に、優里香が若干顔を顰めたが、取り敢えずは無事だったからか、特に何も言われなかった。後で怒られるかもしれないが。

 私が話し終えると、それまで黙って聞いていた為辺さんが口を開いた。

 「成る程。辻褄があうな」

 「辻褄?」

 私が問うと、為辺さんが優里香に向けて顎をしゃくり、意図を察した優里香が口を開く。

 「うん。私、木下さんと待機してる間に家族のこととか聞いてたんだ。旦那さんとは大分前に離婚していて、長女は体が弱くてずっと入院してるってこととか、木下さんは平日にフルタイムで働いて、仕事帰りとかお休みの日にお見舞いに行くってこととか」

 「俺の方は、お前が二階に上がったから一階を周ったんだが、特に情念の強い場所は無かったな。お前の言う通り、二階の遺品が、息子の霊をここに留まらせているんだろう」

 優里香に続いて、為辺さんも言う。

 「敵意がこちらに向いていない霊なら、封印するのも簡単だ」

 封印。

 当たり前だ。為辺さんはもとよりそのつもりなのだから。

 殺意が薄いとはいえ、あの霊の執着は強い。祓っても、確実にここに戻ってくる。それは分かっているけど。だったら。

 「あの、調伏する事は、出来ないんですか?」

 私の言葉に、為辺さんが目を丸くする。そして、優里香を睨んで言った。

 「お前、維純に調伏の事言ったのか?」

 「いえ、私は何も・・・」

 「狛井さんに聞きました」

 私は、迷う事なくそう告げる。すると、優里香が明らかに狼狽したのが分かった。

 「アイツに聞いた、だと?」

 為辺さんはそう言いながら、視線を優里香から私へと移した。

 低く、静かで、なのに体の芯に響くような声。憤り、詰るような鋭い眼差し。

 以前に優里香から、為辺さんに狛井さんの話を振るなと言われてはいたが。

 ――これは、想像以上だな――

 私の予想よりもずっと、為辺さんの彼に対する怒りは、深く、激しいようだった。ある程度親交のある相手から怒気を向けられるのは苦手だ。しかし、怯むわけにはいかない。

 「はい。為辺さんは、調伏ができると聞きました。あの男の子の霊は怨念が強いとはいえ、そんな手強いものには思えません。・・・第一、木下さんもそれを望んでいます」

 為辺さんを真っ直ぐに見据えそう言うが、彼は不機嫌そうに返した。

 「調伏も簡単じゃないんだ。いちいち依頼人の要望を全て叶えてなんていられない」

 為辺さんは、意向を変える気はないらしい。それもそうだろう。私だって残留思念がなければ、彼と同意見だったはずだ。

 まあ、私の意見なんて、最初はなから聞き入れられないという事は、分かっていた。

 「・・・分かりました」

 私が素直に承諾すると、為辺さんは苛立たしげな表情を残しながらも、話を進めた。

 「兎に角、封印は今夜決行する。木下さんには今晩、娘さんの入院している奇代世病院に泊まってもらうことにするから、その間に決着を付ける」

 「病院に、泊まる?」

 私は、為辺さんの言葉に疑問を覚える。いくら娘さんの入院している病院とはいえ、病人でもない木下さんが泊まれるものだろうか。

 「実は奇世代病院って、互助組織と提携しているんだ」

 為辺さんの代わりに、優里香が答える。

 「提携?」

 「うん。なんか昔、奇代世病院の建ってる土地の所為で、病院内で霊障が多発していたんだって。そこで、互助組織が定期的に結界を張って病院を霊の脅威から守る代わりに、互助組織に協力してくれるって事になってるんだ」

 「そうだ。結界が張ってあるから、万が一封印がうまくいかずに霊に逃げられたとしても、木下さん達に危害が及ぶ心配もない」

 優里香の言葉に、為辺さんが付け足して言った。

 何となく互助組織の存在は認知していたが、思っていたよりも規模が大きいようで、少し驚いた。

 「成る程、分かりました。・・・ただ、一つだけ」

 私がそう言うと、為辺さんは眉間に皺を寄せて聞き返した。

 「なんだ?」

 「夜に封印をするのは、辞めた方がいいと思います」

 「どうしてだ?」

 「残留思念を視て思いました。あの子は、夜が嫌いなんです」

 「ほう?」

 為辺さんは怪訝そうな顔をそのままに、顔を僅かに傾けた。言外に先を促していたようなので、私はそのまま続ける。

 「あの子の夜は、とても長かった。あの子にとって夜は、木下さんを唯一家に縛れる時間だったんです。それなのに、木下さんは家の事を終えたらすぐに寝てしまうから、家に縛れてもずっと隣にいてくれる訳ではない。多忙な木下さんからしたらそれは当たり前の事だけど、あの子にとってはそれがとても悔しい事だったんです。・・・幾度も訪れるその寂しい夜の中で、あの子はずっと泣いていました。同時にとても憎んでいました。・・・勿論、あくまで思念なので、泣いていた事実があるのかは分かりません。でも、あの子が夜に対して深い憎しみを抱いていたのは、確かです」

 「要するに、夜になったら今以上に霊の怨念が強くなるかもしれないから、封印は昼間にした方が危険が少ないってことか?」

 「はい」

 勿論、嘘だ。

 「・・・分かった、聞き入れよう。実際に、時間帯によって霊の危険性が異なる場合は存在する。木下さんは明日も仕事が休みだし、了承してくれるだろう」

 予想通りだ。こんな数秒で考えたお粗末な作り話でも、残留思念を視る事が出来ない為辺さんは、信じるしかない。その上、彼は意外にも慎重なので、簡単に危険を避けられる道があるなら、そちらを選ぶだろう。

 

 それから、為辺さんが木下さんに事情を説明し、こちらの要望通り彼女は病院に身を寄せてくれることになった。

 そして夕方、私達が木下さんの家を出るのと同時に、木下さんは貴重品をまとめ、病院に向かう事になった。彼女の家の鍵は、流石にこちらが一晩預かるわけにもいかないので、明日の午前中に病院に向かい、受け取る事になっている。

 封印は明日なのに今日の夜のうちから出ていくのは、今日私達が家に来た事で、霊の怨念が刺激され、木下さんに危害を加える可能性があるからだ。

 車に同乗した木下さんを奇代世病院に送り届けた後、天会寺に戻って軽く打ち合わせをし、解散となった。寺の階段を降りる頃には、日が傾いていた。私は、踊り場に差し掛かったところで、足を止める。

 ――兎に角、時間は稼げた。後は――

 私は、バックに入ったままになっている、一枚の名刺を取り出した。

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