嘘も方便 二

 それから為辺さんと分かれて、家の中を探策する事にした。私はてっきり、さっさとおびき寄せて祓うものかと思っていたが、為辺さんの考えは違った。

 『取り敢えず、今は情報収集に努めるぞ』

 『まだ祓わないんですか?』

 私は尋ねた。子どもの霊なのだし、公民館の時程慎重にならなくてもいいのではないかと思ったからだ。

 『お前も見た事があるから想像し易いと思うが、霊は大人しく封印されてなんてくれない。物凄く暴れるし叫ぶ。それをもし木下さんが聞いたら・・・分かるよな?』

 そうだ。彼女が聞いてしまったら、安らかな最期を迎えられなかったのだと、哀しんでしまうかもしれない。

 為辺さんは、普段の様子からは想像もつかないが、気のつくというか、気配りができる人だと思う。まあ、年齢的に当然の事なのかもしれないが。

 そういう事なので、もし霊と出くわしても、慈救咒じくじゅという火界咒ほど効果の強くない真言で自分の側から退けるだけにしろ、と言われている。火界咒は強力な真言だが、情念の強い霊に下手に使ってしまうと、それがもたらす痛みからさらに情念が強くなってしまう可能性があるとの事だ。為辺さんがこの真言を教えるのを渋ったのも、そのような事情があったからだろう。

 この家は二階建てだが、普通の一軒家に比べると中々広い。別行動しているとはいえ、探索するには少し時間が掛かりそうだ。最初に案内された畳の部屋は一階にあり、為辺さんはその部屋の前の廊下から居間の方へ向かった。なので、私は二階を回ろうと思い階段を登った。階段は真っ直ぐにのびていて薄暗い。あまり他人の家を歩き回るという経験がなかったので、少し変な感じがした。

 階段の先は、二階の廊下と繋がっており、廊下の両端はそれぞれ曲がり角の向こうに続いていた。部屋の周りを廊下が囲っている感じだろうか。

 階段に面している廊下には部屋の扉は見当たらなかったので、まずは扉を探そうと歩き出した、その時。

 背後に、気配を感じた。

 私が振り返ると、案の定、仏壇の写真の男の子がそこにいた。しかし、笠見山や公民館で感じたようなヤバさは感じなかった。男の子は、真っ直ぐな目でこちらを見ている。無表情よりも、少しだけ怒気を帯びた顔つきだった。この男の子が、強い怨念を孕んでいる事は確かだ。しかし、その怨念はこちらには向けられていない。

 そうおもんみていると、男の子が口を開いた。

 「オマエ、オナジ」

 私は、その言葉を聞いた瞬間、全身を電撃が駆け巡るような感覚がした。

 ――オマエ、オナジ――

 彼の言葉を、心の中で反芻する。分かったのだ。彼の言葉の意図が。

 私は、以前からこのように、事がある。今日はどんな事が起きる。この先に何がある。何処に誰がいる。毎回ではないが、ふと、直感的に理解できる事があるのだ。第六感というものだろうか。

 今回も同様、あの少年が私に何の意図があってその言葉を放ったのかが、分かった。

 刹那思考を巡らせ、矢庭に意識を男の子に戻す。男の子は、既に消えていた。私は溜め息を一つ吐き、部屋を探す為に再度足を進めた。

 長い廊下を進みながら、考える。あの子は、きっと私の記憶を読んだのだ。霊に記憶を読まれるのは割とあることだ。以前にも、知り合いの見た目に化けた霊や、ピンポイントすぎる言葉を掛けてくる霊に遭遇した事がある。どの範囲まで読めるのかは謎だが、霊にはそういう事ができるのだ。恐らく、念力の強さが関係しているんだろう。

 最初の曲がり角を曲がると、外周の壁の所々に窓があり、その向かい側の壁にふすまが一つあった。ふすまを開けてみると、畳の敷かれた広めの部屋があった。入り口から見て両端に、それぞれ学習机と棚等の家具がいくつか置かれていた。

 子ども部屋だろうか。そう思い、まずは入り口から右側を見る。学習机に棚、箪笥、収納箱・・・。学習机や棚は一見空っぽだが、使いこまれた形跡はあった。新品ではないだろう。続いて左側を見る。こちらの壁には廊下へと繋がる窓がついているようだが、家具の種類は右側と特に違いはない。しかし、こちらの家具は空っぽではなかった。学習机に近付いてみる。すると、入り口からは死角で見えなかったが、学習机の脇に赤いランドセルが掛かっているのが分かった。赤いランドセルと、あの写真の男の子というのは、些かマッチしない。今のご時世ランドセルの色は男子が黒で女子が赤とは限らないが、小学生の男の子が、わざわざ女の子の象徴のようなものを選ぶだろうか。もしやと思い、学習机の上を見る。ファンシーな柄のペン立てに、ビーズの付いたシャープペンシル。やはり、男の子の物とは思えなかった。

 私は背後を振り返る。そこにあるのはがらんどうの机たち。恐らくそちらが、あの男の子の物なのだろう。もう遺品整理は済んでいる頃だろうし、物が置いていなくても不思議ではない。そしてこちら側のものは、姉か妹のものなのだろう。

 そう思いながら、私は窓側の机に視線を戻す。その時に、ふと違和感を感じた。有るべき物が有るべき所に収まり、息づいている机たち。それらに視線を這わせると、違和感の正体に気付いた。綺麗すぎるのだ。赤いランドセルも、学習机も、机に付随している本立てにある教科書も、使い古している様子がまるでない。しかし、それらにうっすら積もっている埃だけは、綺麗だと言い難い。要するに、動かした形跡が全く無いのだ。

 私は、それぞれ違った意味で形骸と化した家具たちを交互に見るが、それ以上は情報が無いと判断し、部屋を出ることにした。流石に、引き出しの中を漁るような真似はしたくない。

 二階の広さ的に、部屋がここだけというのは考えにくい。私はそう考えて、来た方向とは逆にある角を曲がった。外周には、先程の廊下と同様窓があった。その向い側には、子供部屋と繋がっているであろう窓と、障子が一つあった。障子の位置的に、子供部屋の隣に部屋があると考えるのが妥当だろう。

 私は、その障子の前まで歩を進める。すると、その障子の向こうに、強い情念が溢れているのが分かった。

 この先に、何かがある。そう思った私は、意を決して障子を開けた。障子越しに感じていた強い怨念が、押し寄せてきたような気がした。そこにあったのは、居室というには狭く、物が多く、物置部屋のような場所だった。だが、あの男の子を霊界に留まらせている何かが、此処にはある。

 私は部屋内に目を這わせ、そして、すぐに毒巣どくそうを見つけた。それは、大きい段ボール箱だった。蓋が空いているようなので、近寄って中身を見る。飛行機や船などの模型と、硬筆の紙や粘土で作った人形が入っていた。硬筆の紙の先頭行には、「小二 きのした」、その隣の行には「かずき」と書かれていた。

 きのしたかずき。恐らくこれが、あの男の子の名前なんだろう。即ち、この段ボールに入っているのは、彼の遺品という事だ。私は、彼の硬筆の紙を手にとって見てみる。すると、用紙の左上に、僅かに違う色の紙が小さくこびりついているのが分かった。こびりついた紙はのりでくっついており、元々貼ってあった紙を剥がしたようにも見えた。

 この位置に紙を貼るとすれば、恐らく、賞だろう。私には経験が無いが、小学生の頃、クラスメート数人の硬筆の紙に銀やら金やらのピラピラが貼られていた事を思い出す。手に持っている紙に目を落とすと、小学二年生にしては綺麗な字が書けていると思った。

 しかし、そんな賞をとった硬筆の紙を、他の玩具と混ぜて段ボールの中になど入れてしまえるのだろうか。幼馴染みの疾風なんかは、賞をとった習字や絵などは、リビングに綺麗に飾られていた。

 まあ、全ての家庭がそうだとは言えないか。私の家なんかは、万が一私が絵で賞をとろうが、飾るなんて事は絶対にしないだろうし。そう考えた時に、先刻の男の子の言葉が脳裏に蘇った。その言葉を放った意図と共に。

 ――オマエ、オナジ――

 そう、彼は、私を自分と同じだと言ったのだ。私の記憶を読んだ上で。私は、その同じと言った点について、私の何を見てそう思ったのかをずっと考えていた。そして、刻下、仮説が思い浮かんだ。

 しかし、あくまで仮説だ。裏付けをとる為には。

 私は、持っていた硬筆の紙を段ボール箱に戻し、惟る。

 ――恐らくあの霊は、お前に記憶を覗かれた事に激昂したんだろう――

 脳裏に浮かぶは、五月のあの日。

 危険な行為だという事は承知している。しかし、あの男の子は、私に。そう、分かるのだ。


 私は、目の前の怨念の塊に集中した。すると、視界が霞み、体の感覚も離れて行った。あの日と同じように。

 程なくして、私は、意識を手放した。

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