闇の呼び声 三

 「いやー、いい授業になりましたね!」

 俺は、正面口の方に足を進めながら、砂流さんの明るい声を聞いていた。

 「心に隙を作らなければ、霊による直接的な攻撃は受けません。それでも、さっきみたいに、物を使って攻撃してくる場合もあるんです。だから、今回みたいな障害物の多い場所では、もっと気を付けるべきでしたね」

 その話の内容も、半分くらいしか頭の中に入ってこなかった。俺は、先刻の砂流さんとのやり取りを思い出していた。

 

 『・・・え?』

 自らをゾンビと自称する砂流さんを、俺はただ呆然と見つめていた。何か言おうとしても、うまい言葉が思い浮かばない。ゾンビという存在は、霊以上に信じ難いものだった。

 砂流さんは困ったように微笑むと、地面に座り込んでいる俺の手を取り、立ち上がるように促した。引っ張る力が弱かったので、俺はほぼ自力で立ち上がる。

 『楠木さんはもう大丈夫だと思うけど、気をつけてくださいね。・・・あちら側に、干渉し過ぎないように』

 彼女はそう言うと、黙って歩き出した。まるで、この話はもう終わりだと言うように。


 「楠木さん?」

 ふいに、視界に砂流さんの顔が入ってきた。

 「大丈夫ですか?気分が悪い、とか?」

 俺は砂流さんの話を聞き流していた事を思い出し、慌てて頭を振って「だ、大丈夫です!」と言った。砂流さんも、相槌を打たなかった原因が何なのかは気付いていたようで、特に気にせずまた歩を進めた。それでも、そのについては、話してくれなかった。

 「ええと、ポルダーガイストってことですかね?さっきのは」

 俺は話半分に聞いてた内容を何とか思い出し、砂流さんに問い掛ける。

 「そうですね。通常、現世の物体っていうのは、霊は作用しにくいんです。ただ、まあまあ情念が強いと、現世の物体を念力で動かせたり出来ちゃうんですよね。人間が直接触れてるものなんかは、人間に取り憑かない限り作用しにくいんですけど、さっきみたいに人間が触れてない物とかだと、関係無いですからね。そういえば、維純も前に、自転車のチェーンだけ切られた事があるって言ってたっけ」

 「うわぁ・・・結構危ないじゃないですか。車とかだと、もっとヤバいんじゃないですか?」

 「はい、だから師匠なんかは、車にもちゃんと定期的に結界張ってるんですよね」

 成る程。やっぱり、霊感体質というのは大変なんだな。

 正面口の前に到着すると、砂流さんは犬の式を使い、廃墟の中に放った。

 まもなく、為辺さんと宵村さんが、正面口から出てきた。彼らは特に、何ともなかったようだ。

 為辺さんは、砂流さんの服の穴に目をあて、「ちゃんと楠木さんを守ったんだな」と言った。どうやら為辺さんは、砂流さんの事情を知っているようだ。

 しかし、砂流さんは顔を顰めて「それなんですけど」と言った。

 「楠木さん。貴方は、特に霊からの殺気は感じなかったんですよね」

 ふいに話を振られたので、正直に答える。

 「はい。探索してた時も、棚が倒れた時も、特に殺気は感じなかったです」

 「その、棚が倒れた時なんだけど。その時楠木さんは、どの辺にいました?棚はどのように倒れましたか?」

 問い掛けられ、当時の記憶を辿る。

 「俺は、棚が倒れた時は、棚から二メートルくらい離れた場所にいたと思います。あと、棚の倒れ方なんですけど、砂流さん目掛けて倒れてたような・・・」

 「おかしいですよね。もし楠木さんが通り過ぎた後に倒れれば、外は足場の悪い非常階段だったわけだから、一網打尽にできたかもしれないのに。・・・それに、私聞いたんですよ」

 「聞いた?」

 為辺さんが先を促す。

 「『死ね』って、耳元で。楠木さんはこの声、聞いてませんよね?」

 「・・・聞いてないです」

 俺がそう言うと、砂流さんと為辺さんが、納得したように顔を見合わせ、言った。

 「成る程、そういうパターンか」

 「そういうパターンですね」


 俺達は、再び廃墟に足を踏み入れていた。しかし、先程とは一点だけ変わったところがある。

 「やだぁ〜、こわ〜い!楠木さん助けて〜!ほらっ維純も!」黄色い声を上げながら俺の右腕にしがみつく砂流さんと、「や、やだー。こわいなー」抑揚のない声を出しながら俺の服の裾を掴んでくる宵村さんがいた。

 俺達三人は固まった状態で歩を進めていき、為辺さんは俺達の少し後からついてきていた。

 ただでさえガラクタばかりで歩きにくいのに、こんなに体にくっつかれてたらちゃんと進めないのではないか・・・と不安になっていたが、それも杞憂に終わった。

 入り口を入ってすぐのエントランスの奥に、さっそく目的のものがいたからだ。

 「ウウッ、ウ・・・ウウウ」

 呻き声をあげるそれは、肩くらいまでの長さの髪の、女に視えた。ドス黒いもやに包まれている為、表情まではよく視えない。しかし、明らかな殺意を放っているのが、俺でも分かった。

 「ウウッウウウ・・・」

 呻き声をあげながら、がゆっくりと近付いてくる。

 「思ったより早かったな・・・もう離れていいぞ」

 為辺さんがそう指示を出すと、俺にしがみついていた二人が、サッと離れた。

 すると、霊を包む黒いもやがみるみる晴れていき、殺気も消えていった。そして嬉しそうな顔で「透、透・・・」と言ってきた。夢で聞いた、あの声で。

 「うわっ急に態度変えましたよ、アイツ」

 後方から、砂流さんの呆れるような声が聞こえた。

 「やっぱり、思った通りだったな・・・まったく、手間掛けやがって」

 同じく呆れた声で、為辺さんが言う。

 霊が俺に向ける、はにかむような、幸せそうな表情。

 俺は今まで、女性にこのような表情を向けられたことはない。しかし、そんな俺でも流石に分かる。

 この女は、俺に恋をしている。


 数人で廃墟に乗り込んだのに、何故か俺だけに取り憑いたこと。そこまで俺に害を与えてくるわけでもないのに、ずっと俺から離れなかったこと。そして、俺ではなく、一緒にいた砂流さんの命を狙ったこと。これらの要素から、その仮説に至るまで、そう長く掛からなかった。

 そういうわけで、俺に砂流さんと宵村さんを張り付かせ、嫉妬した霊をおびき寄せる作戦を決行し、霊はまんまとその罠に引っ掛かった、というわけだ。

 「さて、この霊はどう料理するかな・・・」

 そう言いながら、為辺さんが霊に歩み寄る。

 「そこまで情念の強い危ない霊ではないから、封印の枠は取りたくない・・・が、楠木さん自身に強い執着を持っているし、嫉妬から危害を加えることを考えると、ただ追い払うだけでは充分じゃない」

 霊の近くまで行き、足を止める。

 「痛みを伴う祓い方じゃないとな」

 そう言うが否や、為辺さんは急に何か捲し立て始めた。

 お経かと思ったがそれ程長くもなく、為辺さんが唱え終わると同時に、霊はギャアッと叫び声をあげ、あっけなく消えてしまった。

 「・・・い、今のは?」

 呆気に取られながらも質問をすると、為辺さんはこちらに振り向いて答えた。

 「不道明王火界咒というものだ。不道明王の真言の中でも最も力が強く、唱えられた霊は、長きに渡り燃えるような苦痛を味わうことになる」

 「え、そこまでしなくても!」

 俺が思わず放った言葉に、為辺さんが顔を顰める。後方からも、「ハァッ?」と

呆れるような声が聞こえた。

 俺は慌てて口を押さえ、「ごめんなさい、何でもないです・・・」と言った。

 だってしょうがないじゃないか。今まで女性と付き合った事はおろか好かれた事もない俺が、霊とはいえ初めて女性に見染められたのだ。それも、友人と数人で廃墟に来たのに、その中から俺を選んでくれた。喜ばないわけにはいかなかった。

 まあ、だからと言って、砂流さんはその所為で危ない目にあっているわけだし、流石にさっきのは失言だった。反省・・・してばっかだな俺は。

 「まあ、何はともあれ、一件落着だな。と言っても、霊感体質に目覚めている事実は変わらないから、これから先霊を視る事はまだあるだろう。結局、君はこの廃墟の地縛霊に取り憑かれた事が原因で、霊力が高くなってしまった、という事みたいだからな」

 まあ、それはしょうがない。この体質と付き合っていく事については、一週間前に覚悟を決めたばかりだ。

 そして、ガラクタ山での砂流さんとのやり取りを思い出す。きっと彼女は、俺には想像もできないくらいの何かがあるのだろう。それに比べれば、霊が寄ってくるだけなんて、どうってことない。

 「あ、あと」

 そう決意を新たにした俺に、為辺さんは平然と爆弾を落としてきた。

 「最低一年は彼女をつくるなよ」

 「・・・はぁっ!?な、なんで!?」

 訳が分からず、為辺さんに聞き返す。

 「霊は、知り合いに霊能者がいると分かったら、基本的にもう同じ人間には憑かない。だが、あの霊は君に惚れている。今回の除霊で完全に諦めてくれるか分からないんだ。術の効果が続く限りは遠くにいるだろうが、効果が切れれば戻ってくる可能性がある。戻ってくる先がこの廃墟だったらまだいい。だが、ああいうパターンの奴に限っては、自分が縛られていた「場所」よりも自分が気に入った「人」の方に戻ってくるかもしれないんだ。幸い君自身に害を及ぼすことは無いようだが、万が一戻ってきた時に、君に彼女なんて出来てたら・・・どうなるか分かるよな?」

 俺は言葉を失っていた。そんな。大学で彼女をつくって、キャンパスライフを満喫するつもりだったのに。それが、こんなたった一回の過ちで、全て台無しにされるなんて。

 「いいじゃないですか、一年くらい」

 軽い口調で言う砂流さんに、俺は抗議する。

 「あのなぁ、大学ってのは、四年間しかないんだぞ?そのうちの一年間既に消費してるんだぞ?それで、もう一年作るなっていわれたら、残り二年しかないじゃないか!」

 「じゃあ、さっきの霊を迎えに行ってあげたらどうですか?満更でもなかったんでしょ?単純なもの同士、お似合いですよ」

 砂流さんは、皮肉げに笑って言った。先程の俺の軽率な発言を根にもっているらしかった。

「・・・ちっくしょー!!」

 廃墟の中心で、無念をさけぶ。砂流さんにはあちら側に干渉しすぎるなと言われたが、頼まれたって誰がするものか。

 もう、霊なんてこりごりだ。

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