被害者 三

 俺――為辺出は、五月晴れの日差しを浴びながら、寺の前の石段を登っていた。昨日維純が視たという、残留思念の裏付けをとる為の情報収集をしてきたところだった。

 ――それにしても、維純が残留思念を視れるなんてな――

 残留思念が視れる程霊力の高い人間は、互助組織にも僅かしかいない。それ程の霊力を有している人間が少ないというのもあるが、いなくなってしまう者が多いというのも事実だ。霊能者は短命の者が多い。今は亡き俺の祖父も、残留思念が視れる人間だった。

 庫裏に入り、二人が勉強しているであろう畳の部屋へ向かう。優里香が熱心に教えている声が聞こえてきた。

 『あんな霊力高いのに、今の知識量じゃ危険です!私に教えさせてください!』

 昨日の夜、優里香が睨みつけながら――本人にそのつもりはないだろうが――啖呵を切ってきた。

 『師匠じゃあんま教え方うまくないので私が教えます!師匠はその間一人で聞き込みにでも行ってきてください!』

 随分舐めた口聞いてくれるなと、一発蹴りをいれてやろうと思ったが、まあ、優里香がむきになるのも仕方がない、と、なんとか抑えた。彼女の境遇を考えたら、維純を心配するだろうな、とは思う。まあ、維純は俺達と大分深く関わっているから、優里香のようになる事はないと思うが・・・。

 そんな事を考えながら部屋の前まで行くと、優里香の講義の声がはっきりと聞こえてきた。

 「要するに、利上げも利下げもやりすぎはよくないって事」

 ・・・。

 「車で例えると、利上げはブレーキで、利下げはアクセルみたいなもん。経済の様子を見て、適切に判断しないと・・・」

 「ここはいつから経済教室になったんだ?」自分で思ったよりも低い声が出た。

 「げ、師匠!?」部屋の入り口に背を向けて講義をしていた優里香が、ぎょっとした顔で振り向く。

 よし、蹴るか。そう決めて優里香の方に歩いていくと、優里香が立ち上がって慌てた様子で弁解を始めた。

 「違うんです!教えたんですよちゃんと!!霊界の基礎から霊の種類・・・何なら金縛り法や無限回廊だって教えたんですから!」

 「金縛り法に無限回廊?それは流石に早くないか?」

 「早くないですぅ!維純は師匠と違って飲み込み早いから、どっちもマスターしちゃいましたぁ!」

 「いや、マスターって言っても呪文とやり方覚えただけだから・・・。実際に使った訳じゃないしマスターとは・・・」維純が弱々しく抗議の声をあげるが、俺達は無視する。

 「大体、金縛り法教えたって事は、火界咒かかいじゅも教えたって事だろう!あれは効果が強いから素人に教えるのは・・・」

 「あんな霊力高いのに教えない方が危険ですよ!大丈夫ですよ維純は!師匠と違って要領いいんでぇ!」

 さっきから煽ってんのか、こいつは。ムカついたので脇腹に蹴りをかました。ふっとんでいった優里香を無視して、空気になろうとしていた維純に声を掛ける。

 「いいか維純。お前が教わった術は使い時を選ぶものだ。お前は暫くは除霊見学だから、絶対に使うなよ」

 「あ、はい」引きつった表情を浮かべていた維純から、生返事が返ってくる。

 「兎に角、情報収集してきたぞ。お前が残留思念で視たものの裏付けをとってきた」

 そう言ってから、昨日の残留思念の説明が中途半端だった事を思い出した。

 「残留思念は、昨日も少し説明したが、文字通りその場に留まっている思念だ。霊がこの世に未練や怨恨がある場合に霊界に縛られる話はしたな。その中でも特に、ある場所にその強い念が集中してる時に、その場所に縛られるのが地縛霊だ。それで、地縛霊をその時間・その場所の霊界に留めているピンのようなものが、残留思念だ」

 「あ、そこらへんの説明はもうしました」優里香が維純の隣に歩いて来ながら言った。

 「はい、それは大丈夫なんですけど・・・裏付けってなんですか?」維純が問いかけてくる。この話はまだ聞いてなかったか。

 「お前は残留思念を視た時、どんな感じだった?」

 「そうですね・・・。思い入れのある出来事の、走馬灯って感じでしたね」

 「中々的を射ているな。その通り、残留思念はその場所に捕われるに至った記憶が含まれる。お前が視たものは、特定の出来事の記憶というよりは人生のあらゆる出来事だったって話だが、それはそいつが特定の出来事でなく、自分の人生自身を恨んでいたからに他ならない」

 「確かに・・・あの霊は、ことあるごとに人生の理不尽さを嘆いていました」

 「ああ。だが、記憶が視れるとはいえ、所詮は思念。その記憶が、都合よく思い込みで捻じ曲げられている可能性があるんだ。お前が視た記憶の話で例えるならば、子どもは自分の目の届かない場所で死んだんじゃなくて、実は自分所為で死んでいた、とかな」

 「成る程」

 「そこで、公民館の人に話を聞いてみたんだ。お前の話だと、生前に児童センターによく足を運んでたらしかったからな」

 「それで、裏付けはとれたんですか?」優里香が問い掛けてくる。

 「ああ。公民館の職員で、十年以上勤めている人がいて話を聞いてみたんだが、その霊とおぼしき女がいたらしいんだ。遊具部屋の椅子に座って、他の遊んでいる家族を睨んでいる女が頻繁に現れたらしい。それで、他の親から、気味が悪いって苦情がきて、出禁にした事があったらしい。児童センターから追い出す時も散々喚いたから、記憶に残っていたそうだ」

 「それで、その女は例の、ジャングルジムの後ろの椅子に座ってたって事ですか?」

 「そこまでは覚えてなかったみたいだが、霊現象が起き始めた時期と重ね合わせても不自然じゃない。それに、もう一つ重要な証拠がある」

 「重要な証拠?」

 「これはその職員の友人の証言なんだが、公民館でその女を出禁にした直後、その友人の子どもが通っていた小学校の通学路で、子どもを狙った不審者の女が現れたらしい。その通学路が公民館から近く、女の特徴も公民館の女と酷似していたとかで、同一人物なんじゃないかと、当時仲間内で話題になっていたそうだ。職員がその話を思い出して、友人に電話で当時の事を確認してくれた」

 「友人に電話って・・・そこまでしてくれたんだ」

 「ほら、師匠って・・・顔がいいから」目を丸くして言う維純に、優里香が耳打ちした。俺はそれを無視して言葉を続ける。

 「明日、その通学路辺りに実際行ってみて、調べようと思う。あの霊は地縛霊にしてはいやに理性的だ。昨日の事もあって警戒しているだろうし、正攻法では難しいだろう。その為にもう少し情報を集めたい。己を知らずんば・・・ってことわざもあるしな」

 「・・・そんなことわざあったっけ?」

 「敵を知り己を知れば百戦殆からずって言いたいんだと思う・・・」眉間に皺を寄せて呟く維純に、優里香が耳打ちした。俺はそれを無視して、明日の事について話を続けた。


 五月二十日

 「こういう聞き込みって、なんか久しぶりですね」

 公民館の壁に寄り掛かかりながら、優里香が言う。

 「まあ、基本的に霊は、霊力の高い人間がいればすぐ出てくるからな。最近はそういう単純な霊の方が多かったしな」

 同じく壁に寄り掛かりながら、俺は返した。

 俺達は、公民館の入り口付近で、維純の到着を待っていた。例の通学路辺りに行くにあたって、そこから近いこの公民館で、学校の終わった維純と落ち合う予定になっているのだ。まだ全然明るい時間帯だが、児童センターが現在メンテナンス中で立ち入り禁止――という事になっているので、全然子どもの姿が見えない。

 件の霊は、通学路で子どもの誘拐未遂をしていたとの話だ。情報を提供してくれた職員の友人も、それからその女がどうなったかは知らないとのことだ。あの霊は死霊なので、自殺した可能性が高いだろうが、もう少し詳細を知りたい。その詳細を知っていそうな人物を考えた時に、通学路にある110番の家の人なら何か知っているんじゃないか、という結論に至った。聞き込みをするにあたって、あまりこちらの身元が特定されない方がいいので、維純には制服ではなく、私服でくるようにと言い付けてあった。

 なので、公民館につくまで時間が掛かるだろうと思っていたが、予想よりも随分早く維純は姿を現した。

 「おう、随分早かったな」

 俺が声を掛けると、「一回家に帰ると時間が掛かるんで、私服持ってきて公園のトイレで着替えてきました」と、維純が答えた。

 維純は、茜色の無地のパーカーに、紺色のジーパンという、予想を裏切らず野暮ったい装いだった。靴は制服時と同じ運動靴で、相変わらず両足縦結びだ。

 「おい、今日位は縦結び直しとけ」

 「えー・・・。縦結びしかできないんですよね」

 「あーもう、優里香結んでやれ」

 そう言うと、優里香は維純の前に屈んで靴紐を直し始めた。

 「ごめん優里香・・・。なんか恥ずかしいな」

 「そう思うならリボン結び位できるようになれ」

 こいつはもう少し、人並み程度には身嗜みに気を使うべきだな。

 「よし、そしたら通学路にむかうぞ。110番の家を見つけたら、そこの人に俺と維純で聞き込みする」

 俺がそう言うと、維純があからさまに嫌そうな顔をした。

 「え、ちょっと待ってください。私も一緒に話すんですか?」

 「そうだ。男一人で行くより、女のガキが一緒の方が警戒されないだろ。だからお前に私服着て来いって言ったんじゃないか」

 「いや、それは制服でうろつくのがまずいからだと・・・。てか、それなら優里香でもいいじゃないですか」

 「駄目だ。人相が悪い」

 優里香が何か言いたげな視線を向けてきたが無視する。維純を軽く睨んでみるが、弱々しいながらも抗うような視線が返ってきた。意外と食い下がるなこいつ。

 「俺に話を合わせればいいから」

 「私に、人とコミュニケーションをとれと?」

 維純が、抗うような視線をそのままにして言う。

 「いや、普通の事だろーが!こんなのもできなかったら生きていけないぞ」

 「私にはいらない技術です。除霊のバイトだから人と関わらなくていいと思ってたのに」

 畜生・・・どうしてこんなにも断固として人との関わりを嫌がる、いや、んだ?幽霊相手にはあんなに堂々としてるくせに。そもそも、俺や優里香に対しては割とすぐに馴染んでただろうが。いつまでも往生際悪くジメジメしやがって、このキノコが!

 「あのう師匠・・・。らちが明かないので、やっぱり私が一緒に行きましょうか・・・?」

 苛立つ俺に、優里香が恐る恐る声を掛けてきた。

 「はあ!?お前と行ったら悪徳業者か詐欺だと思われるだろうが!頭悪い事言ってんじゃねーよ!悪いのは目付きと運動神経だけにしろ!!」


 それからも押し問答が続いたが、なんとか「維純は隣にいるだけで一言も喋らなくていい」という事で収拾した。

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