第60話 その際には一つの別離があった──

 帝都惑星〈ベイアトリス〉──。

 その静止衛星軌道に位置する宙港と地表とは軌道エレベータイルミンスールで結ばれており、双方の発着場までは磁気浮上式移動体リニアトレインの1G加速によって約1時間で移動することができた。

 〝地表側の発着場アースポート〟まで降りた後は、『帝都』まで直通する『真空輸送システムチューブ』を利用して2時間弱という旅程となる。


 〝皇女殿下の艦H.M.S.〟〈トリスタ〉から軌道エレベータ〈イルミンスール〉の静止衛星軌道港へとその身を移した皇女エリン・エストリスセンとその一行は、非常事態を受けて閉鎖されている発着場から帝室専用の移動体リニアトレインに乗り込んでいる。

 その際には一つの別離わかれがあった──。



 豪奢な造りの帝室専用移動体リニアトレイン──保安上の観点からもその利用が理に適っていた──が準備される間、用意された部屋の肘掛け椅子に言葉少な気に腰を下ろす皇女エリンに、随行員の資格のメイリー・ジェンキンスはそっと近付いて声を掛けた。

皇女殿下Your Highness.──」

 その声の響きに何か感じるものがあったのか、エリンはすぐには反応をしなかった。そんな皇女に辛抱強く待つメイリーがもう一度声を掛けようと口を開く前になって、エリンはようやく目線を上げた。

「──やっと呼んでもらえるようになったのに……もう〝エリン〟と呼んでもらえないのですね……」

 寂し気なものとなった瞳でそう言う皇女にメイリーは黙って肯いて、それから〝暇乞い〟を願い出た。──クリュセに戻り、父である首相を説得したい、と……。


 メイリーの父〈クリュセ〉自治惑星政府の首相ミカエレ・ジェンキンスは、『星系同盟』構成国の指導者の中でもタカ派の急先鋒として知られていた。今回の〝事変〟に関しても、そもそもの事の始まりから帝政連合政府と対立を深めており、事が起こってからは〈オオヤシマ〉の〝対『連合ミュローン』政策〟を〝自国の益〟のみを優先しているとして厳しく糾弾し続けている。


 そんな父──〝偉大なる『クリュセの父』〟にして〝自治権獲得運動の『闘士』〟には〝裏の顔〟があった……。星域エデル=アデン各地のテロリストの首魁らとの繋がりを持ち、自らの人間的な魅力でテロリストらを動かすことで帝政ミュローンを相手に非対称戦争を裏から主導していることだ。

 彼女メイリーはそのことに心を傷めつつも、ずっと〝知らないこと〟として通してきた。──怖かったのだ。優しく聡明で強い意志を持つ父が、その一方で〝そういうことをする人間〟であることを認めてしまうことが……。


 その父の〝裏の顔〟に、今度こそメイリーは逃げずに向き合うことにしたのだった。

 皇女エリンに出会い〈カシハラ〉の同世代の若者たちと接して、ようやくその決心に辿り着くことができた。そんな自分がいまは誇らしかった。いまの自分をヨウミナミハラも褒めてくれると思う。


 メイリーの表情の中に固い決意を読み取って、エリンは彼女を快く送り出すことにした。

 本当のことを言えば── いま少し〝友人〟として傍らにいて欲しかった。帝位に就くその瞬間ときまで、自分を傍らで励まして欲しかった……。〝あの人〟が傍にいることが許されないのならば、せめて〝友人〟たちは自分の傍らにいて然るべきではないのか……。

 ──身勝手なことを考える自分……。それは〝貴き者ミュローン〟にあるまじきことだ……。

 そうして〝想い〟を諦めて、エリンは彼女に笑顔を向けた。

 自分エリンが『帝都ここ』を自らの闘いの場と決めたように、彼女メイリーもまた自らの闘いの場を見つけたのだ。

 そう思うことで、エリンは〝戦友〟を笑顔で送り出すことに決めた……。



 メイリー・ジェンキンスは皇女エリンの手配させた宇宙船ふねで〈イルミンスール〉の静止衛星軌道港を後にし、〈カシハラ〉が収容した3名の民間人を〈テルマセク〉へと引率した後に故郷のクリュセへと向かっている。

 メイリーがエリンと再開を果たすのは、それから長い時間ときを経ての後の事となる。




7月21日 1100時 【ベイアトリス軌道エレベータ宙港/ケーブル移動体リニアトレイン 発着場】


「……宙佐」

 帝室専用移動体リニアトレインの発着場へと移動する段になって、〈トリスタ〉艦長ガブリエル・キールストラは皇女附武官のアマハ・シホに声を掛けられた。

「──帝都における報道の方ですが、体制はどうなっていますか?」

 出し抜けにそう訊かれ、キールストラは皇女附武官の真意を慮るように、彼女の整った幼さの残る顔立ち──日系女性の顔は皆そうだ──を見返した。

 皇女に随行する面々の中で、武官とはいえ帝政連合ミュローンの官吏として最も位の高いキールストラに彼女は確認をしたのだろう。単刀直入なその物言いは、帝国軍人ミュローンたる彼には好ましく聞こえた。


「軍務省と王室附きの報道官を用意しています」

 報道機関マスコミへの対応は門外漢なこともあり、キールストラは自身の属する組織に対する最低限の範囲にしか指示を与えていなかった。

「それでは不十分です」 アマハ・シホは、その対応をあっさりと切り捨てた。

「…………」

 これにはさすがにキールストラは継ぐべき言葉を探したが、結局は表情を変えず次のように言い放つのが精一杯であった。「──理解はします……が、私はいち軍人ですので……」

 この件で不備を指摘されたところでキールストラとしてはどうするつもりもない。どの道この状況の中で、前線の軍人である自分に何が出来るというのか。

 後は神妙な面持ちで黙殺することにしたキールストラだったのだが、アマハの方は先回りして話を進めていく。それでキールストラは内心で彼女を見直すことになった。

「──皇女殿下の『御言葉』を頂いております。各省と帝都行政長官の報道官、それに公安と『連邦アデイン』議会にも声明を用意させる必要があります」

 そんなアマハの澄ました横顔の並びの奥からは、マシュー・バートレット──フリーランスのジャーナリストを名乗る男──が、被った帽子のつばを軽く持ち上げてきていた。


 ──なるほど……。

 彼女の立場は〝武官〟ということだったが、どうやらこういった方面むきにも精通しているらしい。

 キールストラは、このとき初めてアマハ・シホに興味を持ったのだった。


「どうもこれは貴女あなたに任せるべき領分のようだ……」 キールストラ宙佐は一つ頷いて、やはり表情は変えずに幕僚の一人を呼び立てた。「──ファン・ダウン宙尉!」

「はい」 宙佐の背後に控えた二人の幕僚の中、年少の女性の方が応答した。年齢としの頃はちょうどアマハと同じふうであったが、キールストラはファン・ダウンの方が若干年長だと思っている。

現在いまから貴官は皇女附次席武官だ。アマハ上席宙尉に協力をし状況の円滑化に努めよ」

「──かしこまりました」

 帝国軍人らしからぬ嫋やかな受け答えをしたファン・ダウン宙尉は、アマハが向き直ると微笑みと共に頷いてみせた。


 そうこうすると皇女エリンが控えの間より現れた。皇女はアマハの姿を求め視線を巡らした後、視線が合ったアマハが頷いたのを受けて帝室専用移動体リニアトレインへと乗り込んでいく。

 アマハら随行の者もまた移動体リニアトレインの昇降口へと歩を進めた。



7月21日 1110時 【ベイアトリス軌道エレベータ 主柱ピラー内部/移動体リニアトレイン 客室区画コンパートメント


 軌道エレベータイルミンスール主柱ピラーの内部を降り始めた移動体リニアトレインの車中──。

 新たに次席武官ファン・ダウンを迎えたアマハは、彼女の能力と才能──帝国ミュローン社交界で広く〝人脈〟を持つ存在であったこと──に満足すると、閉め切った客室区画コンパートメントで細部を打ち合わせた上で、自らは皇女エリンの〝メッセージ〟を携え〈ラドゥーン〉の待つ宙港へと取って返すことを決めている。

 ──それ程にファン・ダウンは優秀であり、その人柄にも信頼を置くことができた。アマハは自らの後事を託すのに十分だと判断したのだった。


 そして皇女エリンは、その〈カシハラ〉への使者の役を自分に申し付けてくれるよう切り出してきたアマハを、〈カシハラ〉への〝想い〟を託す自らの代弁者として送り出すことにしている。

 事務方向きの事についてはファン・ダウン宙尉に任すことが出来ると、そうアマハが言うのであれば任すことが出来る。だが〈カシハラ〉の命運は託せなかった。──皇女エリンにとって、それを託せるのはアマハ・シホだけである。


 アマハ・シホは〝地表側の発着場アースポート〟から一歩も出ることなく皇女エリンら一行を見送ると、自らはそのまま静止衛星軌道港へと元来た主柱ピラーを昇って行った。

 彼女がララ=ゴドィの船──〝宙賊船〟〈ラドゥーン〉の着岸する岸壁パースに到着するのは、2時間の後である。



 * * *


 帝政連合政府の『第一人者』フォルカー卿は、〝帝都防衛の最後の盾Imperial High Guard〟たる『青色艦隊』後備戦隊が帝都惑星ベイアトリスの周回軌道からの後退を余儀なくされた七月十七日の時点で『宮城』に隣接する『政府宮殿』から退去している。


 その『第一人者』が擁立を画策していたトシュテン・エイナルは、混乱の広がりつつあった『政府宮殿』から退去するフォルカー卿との同行を拒否している。──彼は自らの運命を受け入れたかのように『四従よいとこ姉』たるエリン・ソフィア・ルイゼの到着を待つことを選んだ。



7月21日 1225時 【ベイアトリス軌道エレベータ 基底部/地表側発着場アースポート


 軌道エレベータイルミンスールの基部〝地表側の発着場アースポート〟でアマハ・シホを送り出したエリンは、発着場構内の貴賓室から『帝都』に直通する『真空輸送システムチューブ』の〝帝室専用〟乗降場へと抜けた。

 そこには『帝都』より迎えに上がってきた〈近衛兵〉がおり、それを〈トリスタ〉の宙兵隊が壁となって阻むという事態が生じていた。


「──どうしたことか?」 皇女に同行する宙兵隊少佐カルノーが声をあげる。

 おおよその事態を把握しているが、敢えて口にしてみせるのも彼の役目である。


 皇女の随行の中で、最初にその違和感に気付いたのはベッテ・ウルリーカだった。

 彼女は皇女の正式な随員の立場にはなかったが、〝艦長さんツナミとの約束〟を忠実に果たそうとエリンの傍らに常に控えていた。皇女エリン自身がそうすることを許し、まるで姉妹のようなその姿は随行の一行にとって、もう〝お馴染〟なものマスコットとなっていた。


 男は〈近衛兵〉と〈宙兵〉とが睨み合う前方からではなく、今し方通ってきた貴賓室のある後方から、静かに皇女ら一行へと近付いて来た。

 その出で立ちは軌道エレベータイルミンスールの警備部の制服ユニフォームであったが、ベッテにはそんなことは判らない。ただその顔に何らのヽヽヽ表情のないことを怪訝に感じ、考えるよりも先に手を伸ばして男の二の腕を掴もうとしていた──。

「──おい、お前……⁉」

 鋭く誰何すいかするベッテ・ウルリーカの手を男は振り払らった。そして通る声で言った。

「──皇女殿下Your Highness.……?」

 このような場合の対処として〝自ら応えてはならない〟ということは知っていたはずなのに、このときエリンは応えてしまっていた。

「何でしょうか?」

 男は腰のホルスタに手を伸ばしつつ、真っ直ぐに皇女の方へと近付いていく。

「──エリン……っ!」 ベッテは叫んだ。


 ──ちッ……‼

 少女ベッテのその声で次に反応をしたのは〈アスグラム〉宙兵隊のオーサ・エクステット上級兵曹長だった。初動が遅れたことを悔やみながらも、彼女オーサは訓練された者の動きで男に接敵する。背後で皇女との間に誰かが入ろうと動くのを視界の隅に確認もしていた。


 ──が、オーサの左手が男の銃の遊底を掴み、右手のナイフが銃を持つ手の〝腱〟を切断しようという瞬間、引き金トリガーは引かれたのだった……。

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