第55話 放っておけば、解れが一気に綻びるぞ
星系間情報伝達システム──。
この時代人類は、次元波動反応炉を備えた航宙船舶が炉内の〈タンホイザーゲート〉を開放することで
であれば、その船に情報媒体を乗せ目的地へ跳躍させることで情報を伝えることが、最も効率的な〝超光速通信〟となる。──いわば超光速の飛脚便である。
つまり航宙船舶の
この機能──〝航宙船舶と星系基地局による情報発信のネットワーク〟──に特化した汎星域規模の超国家システムが『星系間情報伝達システム』である。
その伝達システムに乗った一本の動画は、徐々に自由回廊から周辺の星系へと拡散していった。
『国軍』による情報統制下にあってそれが起こった背景には、
情報本部は、星域各所の
つまり、表向きシステムの入出力を『国軍』がいくら検閲したところで、〝裏口〟から〝反体制のシンパ〟によって直接の〝やり取り〟をされてしまえばどうしようもない、という懸念が顕在化したというのが情報本部の見立てであり、おそらくそれが〝実情〟であった……。
この巨大
そして──。
非常事態宣言を受け事実上『国軍』の軍政下に置かれていた諸星系では、この動画の拡散と歩調を合わせるよう学生を中心に情報の統制に抗議するデモが拡がっていった──。
一方、当の『国軍』内部にも、事態の初期から既に〝動揺〟とも取れる反応が現れている。
──後主エリン・エストリスセンが、なぜ航宙軍の
『国軍』の将兵は、
これは、自ら実施する情報統制の下で十全な相互連帯を図ることのできない星域各地の『国軍』将兵にとって、想像以上に重い〝事実〟となる……。
組織の中に、上層部による権力闘争の疑念が拡がっていく──。とくにその存念は中級の指揮官に多かった。
それは
情報を分断・統制するのに、当局は
軍の中枢を担う中級指揮官ら中核層に潜在的な上層部への不信が有れば、上意下達による情報統制は機能するであろうか。
現に〝ベイアトリス王党派〟の指揮系統においては、この上意下達の情報統制は現場の消極的な対応によって成果を目に見えて減じていっている──。
一部の〝王党派〟軍閥の指揮系統に到っては、
この〝内憂〟の高まりが、『国軍』…──ひいては〈
7月14日 1520時 【帝国本星ベイアトリス帝都/政府宮殿 第一人者執務室】
帝国本星ベイアトリス──『帝都』──。
中央の広大な面積を占める〝皇帝の居城〟──『宮城』に隣接して〝国権の最高調整機関〟たる帝政連合政府の庁舎──『政府宮殿』はある。
その執務室で、帝政連合政府の『第一人者』にしてこの部屋の主たるフォルカー卿は、午後の雨を窓の外に見やりながら、直前に受けた報告の内容を訊き返していた。
「
それは聞きようによっては間の抜けた感さえあったが、フォルカー卿としては〝遅すぎた〟その報告に、軽い苛立ちを押し殺し、敢えて確認するしかない、ということなのであった。
その心境を理解できる筆頭秘書官のアブラハム・ボー・トゥーレソンであったが、その事務的な口調を崩すことはなかった。
「イェルタ星系でした── コーダルトへの
フォルカー卿は窓外の暗い景色から目線を動かさず、背中越しに
「なるほど……ではコーダルト-ヴィスビューと辿ってベイアトリス、か──」 静かな、まるで独り言ちるような言い様だった。「──〝ミシマ〟が
そんな『第一人者』に、トゥーレソンは手元の
「──それはわかりません ……分析に当たった情報本部は、ヴィスビューから
「〝
「……観ました」
「どう思った?」
「やはり皇女殿下なのではないか、と」 トゥーレソンは動画の中の少女の聡明な瞳を思い起こして言った。「──少なくとも〝
「そうか……」
フォルカー卿はそう言うと、徐に室内の執務机の上に視線を戻した。
「──
「この宇宙に〝何らの作為のないことがある〟ということを信じられなくなってしまってから、もう随分と経つ……」 そう、肯定の微笑を浮かべ
事態がここに至れば、フォルカー卿の率いる〝保守派連合〟に余剰の戦力はほぼ無いと言ってよかった。──状況が収束を見ずに長引いたことで星域全域に戦力を展開させ続けねばならなくなり、相対的に『国軍』の中の〝保守派連合〟の戦力は
フォルカー卿のその言に、トゥーレソンは応えた。
「──『青色艦隊』の後備戦隊を残すのみです」
「アルテアン少将の部隊か…… 選りにも選ったな……」 ミュローンの最有力家門の出自ということ以外、取り立てて語られることのないその指揮官の名に『第一人者』は自嘲の色を浮かべ続けた。「──仕方あるまい…… 現有の『青色艦隊』から半数ほどを引き抜いて叛乱艦の制圧と皇女殿下の救出に当たらせる」
「……よろしいのですか?」
アルテアン少将の部隊は、現状では〈
「私にはもう〝魔法の壺〟はない…… ──だが、
そんなことを言う『第一人者』の顔には、〝後悔はとうに済ませており、足りていなかった覚悟も、いま決まった……〟と書いてあるようだった。
「──
トゥーレソンは一礼して執務室を後にした。
7月14日 1830時 【
「──これが例の叛乱艦か……」
艦の〝指揮中枢〟中の中枢部である第一艦橋の艦長席で、ラルス=ディートマー・ヴィケーン
つい2時間ほど前に参謀本部を介し『政府宮殿』から届いた指令で、
添付の資料の中にある『
──3パーセクの跳躍性能。2G加速……実際には2.8Gを発揮可能。
これを追い〝
ヴィケーン大佐は内心に広がっていく疑問に溜息を飲む──。
『司令官閣下が艦橋入室されます──』
通話回線から、艦橋入口に立つ宙兵の声が飛んできた。
「──
背後のドアが開くと同時に、高揚した、やや神経質そうな声が艦橋に響いた。「──指揮下の艦艇のうちからどの程度を出せる?」
声と共に入室してきたのはベイアトリス-エストリスセン家と並ぶ『ミュローン二十一家』の雄、アルテアン家の次期当主である。
ポントゥス・トール・アルテアン少将──。まだ三十四歳という若輩のこの男が『国軍』に三つある基幹艦隊のうちの『青色艦隊』の将官の一人という地位にあるのは、無論実力ではなく『二十一家』内の政治力学の結果である。……
「現在、皇女殿下救出を〝第一〟とした編成を進めております ──まだ〝討伐〟の段階ではないと存じますが」 ヴィケーン大佐は席を降り背後の声の主を振り見遣ると、完璧な動作の敬礼で迎えた。「──
「何を言っている、大佐? エリン・エストリスセンは、所詮は庶流の女でしかないのだよ」
言外に〝救出など不要〟と、そう言って憚らないアルテアン少将の顔は、
正しく
「──いまは時間こそが惜しい。補助艦艇は後続させ、動ける有力な
その何とも短絡的な指示に、ヴィケーン大佐は苛立ちを抑えるのに苦労する。栄えある〝青色艦隊〟少将の顔を、反射的に見返していた。
基幹艦隊やそれに準ずる規模の艦隊には相応の補助艦艇──〈艦隊補給艦〉〈通報・哨戒艦〉〈工作艦〉等──を随伴させるものだが、これは決して些末なことではない。
例えば〈補給艦〉について語るならば──。
航宙艦にとっては『推進剤』を始めとする各種の『反応剤』の残量こそが、作戦行動を担保する原資である。航宙艦を戦場で集団運用する艦隊指揮者にとって、指揮下の各艦の『反応剤』の収支に目を配り必要な補給を保証することは責務である。そのために艦隊指揮官は必要十分な〈補給艦〉の配備とそれらの円滑な運用とを計画しなければならない。
また〈通報・哨戒艦〉に着目するのは、航宙艦を指揮する艦長たちにとって
それを恐れ、複数の航宙艦で艦隊を組んでいる場合には、
加えて、戦況を他星系に展開する友軍のもとに伝えるには〝航宙艦艇の飛脚便〟という手段に頼らざるを得ないのである。十分な数の通報艦が用意されて然るべきであった。
航宙艦戦闘の
──少なくともヴィケーンやその周囲の
「閣下──」
さすがにヴィケーン大佐は意見すべきかと口を開きかける。が、やはりそれをアルテアンは遮った。
「──一刻も早く、身の程を知らぬ小娘と同盟の鼠どもを捕らえるのだ 艦長…──我らの面目が掛かっているぞ」
不健全な昂揚感を抑え切れずにそう命じる提督に、ヴィケーン大佐はもう何も言うことはできなくなった。
──〝我ら〟ね…… そうではなく〝
だがここで忠言に及んだところで、〝提督〟の不興を買って旗艦艦長の任を解かれるだけだろう。艦隊の作戦行動に何ら変更のないことは明らかだった。
「……
ヴィケーン大佐は静かに応じると、自らが指揮する『青色艦隊』後備戦隊旗艦、
少将の幕僚ども──その多くが少将の個人的な〝取り巻き〟である…──が、司令部を通じ星系全域に散っている艦隊の一部の艦に向け命じる。
〝──指定された艦はヴィスビュー星系へ繋がる
ほどなくして戦艦〈エクトル〉以下、中型戦艦1、大型巡航艦2、巡航艦4、艦隊駆逐艦1をもって急遽編制されることとなった『回廊北分遣隊』の各艦から、〈エクトル〉艦長宛てに状況の説明を求める電文が集まってきた。
状況説明を分遣隊の司令部にではなく、旗艦艦長に求めて来ざるを得ない僚艦の艦長らを思い遣ると、ヴィケーン大佐は暗澹たる気持ちになるのであった。
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