第52話 いい男だ。そうバートレットは思う。

7月5日 1320時 【H.M.S.カシハラ/艦橋】


 〝皇女殿下の艦H.M.S.〟〈カシハラ〉の勅任艦長であるツナミ・タカユキは、その時に艦橋にいた幹部士官らの前で艦内放送に臨むため送話器マイクを手に取った。

 その様子にハヤミ・イツキ航宙長が、半ば呆れ気味に苦笑して言った。

「ホントに放送するのか?」

「やる」 ツナミはきっぱりと応じた。「──けじめは付けておきたい」

 それでもう何も言うことのなくなったイツキは、かたわらに立つ船務長兼副長のミシマ・ユウに肩を竦めて向いた。副長もまた苦笑を浮かべている。

 ツナミは構わずに送話器マイクを口元に寄せた。

 フリージャーナリストを自称するマシュー・バートレットの向けるカメラの前で口を開く。

「こちら艦橋…… 艦長のツナミより全艦に達する──」


 艦内各所の拡声器に音が入った──。



 *


『──そのまま手を休めずに聞いてくれ……』

 左舷格納庫では現在いまはもう唯一人となってしまった戦術科甲板部員のイチノセ・アヤ宙尉の指示監督の下、帝国宙兵隊ミュローンの接舷航宙機動艇の発艦準備が始まっていた。

『──…これより40分後の1400時、本艦は帝国軍艦HMS〈トリスタ〉と接触ランデブー、エリン王女殿下は〈トリスタ〉へと移乗される』

 放送を聞いたアヤは作業を止めて左手の腕時計に目を走らせ時刻を確認すると、各科から手隙で応援に来てもらった同僚と帝国ミュローン宙兵隊員とに手際よく指示をしていく。



 *


『それをもって本艦は、所期の目的を達成することとなる ──皆、よくやってくれた。艦長として〝ありがとう〟と言わせてくれ……』

 戦闘指揮所CICの砲雷長席で、クリハラ・トウコはその放送のツナミの言葉に、思わず拡声器の方を二度見してしまった。

 ──まさかあの不愛想な〝堅物〟ツナミくんから、〝ご苦労〟でも〝感謝する〟でもなく〝ありがとう〟という言葉を言われるなんて……。



 *


 宙図室チャートルームでは航宙科の三人の宙尉──コウサカ・マサミ、ジングウジ・タツカ、シノノメ・サクラコ──が総出で、端末や立体ホロスクリーンに映し出される宙図チャートを前にあれこれと検討を重ねている。

『こののち本艦は、エリン殿下の本星ベイアトリスへの帰還を側面から援護するため自由回廊を北進── ベイアトリスに展開する帝国ミュローン本星艦隊を誘引するための〝囮〟となる』

 いま三人が効果と消耗との平衡に没頭しているのは、まさにその〝囮〟を上手く演じるための台本シナリオだ──。



 *


『なお……これは〈ベイアトリス王立宇宙軍〉の〝作戦行動〟ではない』

(──?)

 応急長を拝命しているクゼ・ダイゴは、定位置の機関制御室で拡声器越しの艦長ツナミのその言に怪訝な表情となり、傍らのキミヅカ・サチとの意見交換ディスカッションを遮って機関長のオダ・ユキオの方を見た。

『──この〝行動〟に付き合うかどうかは自由意志としたい。これ以上の行動に疑問のある者は退艦してくれていい』

 続いたツナミの台詞に、クゼは両の肩を竦めてオダに苦笑いをしてみせる。

 オダの方も、自分の息子ほども年齢としの離れたクゼのその身振りジェスチュアに、〝自分は納得できている〟と微笑を返した。



 *


 メイリー・ジェンキンスは医務室で、その艦内放送を聴いていた。

『──殿下と共に〈トリスタ〉への移乗を認める。去るも残るも、それぞれの自由だ』

 その拡声器の艦長ツナミの声が落ち着いていることに、メイリーは微かな安堵を覚える。

 どこか似た者のように──兄のような、弟のような、そんな存在──に感じていた〝彼〟は、どうやらあの失意の縁から本当に立ち直ったようだった。


 個人端末PDAが震えメッセージの着信を伝えてきた。──ミナミハラ・ヨウからで、文面は〝オレは行きます〟。──もうヨウのことは理解してわかってはいたメイリーだったが、やっぱりもう少し丁寧な文面で欲しかった、と思う……。


 拡声器の声が耳に残る……。


『正直コレは……〝囮〟とか〝援護〟とか…〝作戦〟とか言うのじゃない……。そんなものは、結局は後付けの理屈ヽヽヽヽヽヽだと思ってくれていい──』


 それで、ちょっとだけ思案顔をしたメイリーは、こう返信した──


〝ご自由に……‼〟



 *


 エリン・エストリスセンは私室として割り当てられている司令公室の長テーブルに一人で座り、両の手の中の懐中時計アンティークの洒落た装飾──〝M〟の飾り文字──を、その細い指でなぞる様にしていた。


 もうこれで二度と私的に会うことはないと二人ともが了解したあの折に、とっさに望み願った彼女のその手に、ミシマ・ユウが残していった銀時計──。彼が祖母から受け継いだ、彼の高祖父の遺品だったもの……、その高祖父の妻はミュローン貴族だったそうだ。


 それでは代わりに、と彼女が差し出そうとした母の形見の指輪を、ミシマ・ユウは何も言わず丁重に押し戻した。着の身着のままでとび出してきたような彼女にとって、この銀時計に吊りあう唯一つの私物であったが、それは同時に帝室の宝物ものであり小道具ぶきであり〝怪聞スキャンダル〟を招き寄せるモノともなり得えた。

 ミシマは優しい笑みでそれを辞退し、ただそっと彼女を抱き寄せただけだった。 ──だから、ミシマの手許には彼女との思い出の品はない……。


 拡声器から聴こえたその名前にエリンはふと反応する──。


『──本当のところは、俺やミシマ…… 俺たちヽヽヽ仕出しでかしたことに対して〝落し前〟を付けたい、そういうことなんだ……』


 それからその後の言葉に……。

 

 ──〝落し前〟……?

 

 そうだ。〝決着おとしまえ〟は付けなくては……。これはわたしの闘いでもあるのだから……。

 エリンもまた、ミュローンとしての決意を新たにする。



 *


 一方、艦橋ではミシマ・ユウが艦長のツナミの台詞に、追憶から連れ戻されている──。

 ──〝落し前〟か……。

 そんなミシマとイツキの眼前で、ツナミは生真面目な表情かおで続けている。

「だから最低限の人員──最悪、俺一人ででも〈カシハラ〉を稼働さうごかせれば、それですむことだと解ってもいる……」

 そこでいったん言葉が途切れた。ツナミがマイクにミュートをかける。


「まいったな…… 艦長としてあるまじき行為おこないかな、こいつは……」

 しばらくして、そう言ってこちらを向いたツナミに、イツキが苦笑して返す。

 バートレットは無言で肩を竦め、ミシマは頷いて先を促した。



 *


 元々が練習艦であり『営倉』を持たない〈カシハラ〉は、それが必要な際には船倉貯蔵室の一部を〝仮の営倉〟として使用することになっていた。

 いま、此度の〝反乱未遂のような疑い〟で拘束された三名の士官──イセ・シオリ、ユウキ・シンイチ、ソウダ・シュンスケ──は、それぞれの〝独房〟で、遠くの拡声器からの放送を聞いている。


『──それでも、俺は……

 貴様たちに付き合う義理なんて本来ないのを解かってる上で、頼みたい……

 俺と一緒に〈カシハラ〉を動かして欲しい』


 そのツナミの言葉に、シオリは思う。

 ──なら、最初からそう言えばよかったじゃん……。

 それなら、わたしだって……。

 

 そんなふうに思う思ってしまう。

 それでも、自分が仲間を裏切った事実は消えない──。

 シオリは抱えた膝に顔を埋めた。



 *


 キンバリーキム・コーウェルが情報支援室に戻ってきたのは、膨大な作業がちっともはかどらずにマシバ・ユウイチがくさり始めていたときである──。

「……キム…?」

 入口に立つキムに視線を上げると、マシバは恐る恐る声を掛けた。


 拡声器からは艦長の放送が流れている──。


『俺一人なら出来ることなんて限られる ──ほんの少しだけ意地を見せて〈カシハラ〉は結局沈むだけだろう……

 だけど、皆が手伝ってくれれば、このふねは生き残ることができる』


 そんな情景の中で視線の合ったるキムは、ふと顔を臥せるようにポツリと言った。

「喧嘩したまま……別れたくないから……」

 それでマシバは、〝心が軽くなる〟のを自覚することができたのだった。



7月5日 1330時 【H.M.S.カシハラ/艦橋】


 バートレットの構えるカメラのライブビュー画面モニターの中で、青年艦長ツナミ・タカユキは特に気負うでもなく、同期クラスの仲間たち──そしていまでは戦友──に語り掛けている。


「──…俺たちが、俺たちを頼ってきた少女を捨て置かなかったという事実と共に…… いろいろな想いと共に…… 〝勝つことの出来なかった者〟としてでなく、〝立ち上がった者〟として語り継がれる存在になると思う──」


 いいヤツだ。

 そうバートレットは思う。

 その〝いい男〟は、画面モニターの中で最後の言葉を次のように締め括った。


「──そうなってヽヽヽヽヽ、皆で胸を張って故郷に帰ろう」


 そう言葉を終え送話器マイクを置いたツナミが副長と航宙長を見遣ると、二人は長い演説を終えた同期次席クラスメートを労うことなく、それぞれの手許の情報端末パーコムに集中していた。

 やがて二言三言を交わした後、ようやくツナミの方を向く。

「第2分隊は、現刻時点で拘束者イセ・シオリを除き全員が付き合うそうだ」 第2分隊長のミシマが言った。

 間髪置かずイツキが言う──

「──オマエ、何カッコつけてんだよ! 〝一人ででも〟なんて思ってもなかったろが。それと航宙艦乗りふなのりが〝沈む〟なんて言うかフツウ……?」

 ブツブツ言いながらも笑いかけてくるイツキを、再びミシマが引き継いだ。

「──ご苦労さま。まあ悪くなかったんじゃないかな」

 イツキの言葉にバツの悪い表情となっていたツナミが、そのミシマの言葉でようやく恰好を崩せた……。すると拡声器が再び鳴った──。


『艦橋-CIC』 クリハラ砲雷長の落ち着いた声だった。『──第1分隊、脱落者なし』

『こちら機関室── 残存全員が残留希望……』 機関科第3分隊からは、正規軍人ではない機関長のオダに代わってクゼ宙尉だった。

『5分隊──わたしだけですけど……行きます』 とこれはイチノセ・アヤ宙尉から。

 最後に主計科と衛生科からなる第4分隊を代表して主計長のアマハ・シホが報告してきた。

『今更訊くのは野暮ってもんだよ? ──第4分隊、全員参加……以上報告終わり』


「……だ、そうだ」

 イツキにそう言われて、ツナミは安堵したふうな満足したふうな表情になって頷いてみせた。

 バートレットは、最後にその表情を撮ってカメラの電源を落とす──。

 いい画が撮れた、と、そう思った。

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