第26話:奴隷商の息子は再び鞭を持つ

 

 アルノルトが深刻な顔で、ソファに座っていた。

 先ほどから、何度か額の汗をぬぐっている。


「どうした? 折り入って相談があると言っていたが」


 アルノルトの痩せた顔が、さらに険しくなると、意を決したように口を開いた。


「最近の奴隷は、少したるんでいると思います。仕事中も私語が多くなっていますし、奴隷としてのわきまえた言動ができていないような気がします」


「そうなのか? 楽しそうでいいじゃないか」


「それではだめなのです! 彼女たちは奴隷です。この先、売られていく先でもあのような態度では逆に不幸になってしまう奴隷も出てきます。ここは、ビシッと気合を入れていただかないと……」


 俺も、それは考えていた。厳しく躾けてたほうが彼女たちにはいいのではないかと思っていたところだ。

 アルノルトに、そう指摘されるということは、やはり俺が漠然と感じていたこともあながち間違っていなかったってことか。


「以前はニート様を恐れるあまり失禁するほどの娘もいましたし、ニート様の姿を見るだけで気絶する者もいましたが、今はニート様の姿を見ても礼を忘れるような者までいます。とくに、奴隷におやさしくなったニート様しか知らない奴隷も増えてきています」


 そうなんだよなぁ。以前の虐待ニートが築いたイメージが、俺になってから薄れてきているのは感じていた。

 虐待ニートを肯定するわけではないが、奴隷にはここらで立場というものを分からせた方がいいのかもしれない。

 さて、どうするか……


「ニート様。また鞭をお持ちください」


 アルノルトは、壁にかけていた鞭に目をやった。俺もその視線の先を追う。

 壁には、黒光りした鞭がオブジェのように飾られていたのだ。

 前の俺が使っていたと思われる、それはそれは、立派な皮の鞭だ。

 持ち手は、なぜか男のシンボルの形をしている。

 なんとなく、使い方がわかってしまう。きっと、あれは奴隷を責める時に使うのだろう。

 あれで楽しんでいたのだろうか。なんてうらやまし……いや、酷いヤツだ。


「そうだな。奴隷を叩かなくても、手に持っていたほうが、奴隷たちも少しは立場を理解するだろうし……」


 鞭を持つってちょっとカッコイイかもと思ったが、厨二病っぽいので口には出さない。


 アルノルトは、大きく頷く。


「では、アルノルトよ。これから俺は、お前を鞭打つ」


「え?……え? 私ですか?」


「そうだ。お前が鞭を持てといったじゃないか。だから、そうすることにする」


「ひぃっ! す、すみません。出すぎたことを言いました!」


 アルノルトは、平身低頭で俺をなだめようとする。こいつ、なんか勘違いしてるな。


「勘違いするな。俺が、大きな声でアルノルトの名前を呼ぶ。そして、鞭を何度も打つので、泣き喚いて許しを乞え!」


 アルノルトが、急に縮み上がって床に正座しはじめた。


「お許しください。ニート様にご意見など私としたことが差し出がましいことを! お許しください、お許しください!」


「そうだ、その調子だ! いいか、その調子で大きな声を出すのだぞ!」


 アルノルトは、ポカンと口を開けて俺の顔を見上げる。まだ分からないようだな。


「いいか。俺はこれからアルノルトを折檻しているをする。そして、アルノルトも折檻されているように演じるんだ。それを聞いた奴隷たちは、きっと俺が怖いってことを思い知るだろう」


「ああ、なるほど! ようするに、私は鞭を打たれるフリをすればいいと」


 俺は、うんうんと首を縦に振って、アルノルトがやっと理解してくれたことを喜ぶ。

 そして、俺たちの演技が始まった。


「アルノルトおおおぉぉぉ!」


 ドアを開け放ち、廊下によく聞こえるように外に向かって怒鳴りつける。

 奴隷たちの部屋は、下の階だ。大声は必ず聞こえている。


「ひぃーー! ニート様あ~~~!!」


「アルノルトぉおおおお!!」


「ひぃーーー! お、お許しくださいっ!」


 ビシッ! ビシッ!


 鞭を床に叩きつけるたびに、アルノルトは廊下に向かって許して下さいと大きな声で叫ぶ。

 そうだ、その調子だ!


 ビシッ! ビシッ!


「お許しを〜! 申し訳ありませんっ!」


「ええいっ! ゆるさんぞぉ~!」


 だんだんと、興が乗ってきたアルノルトは、わざと床に倒れると四つん這いになって、ゴトゴトと音を鳴らしながら部屋を駆けずり回る。

 俺は、その後ろを鞭で叩いて回る。床板に響く鞭の音。

 そうだ、そうだ! 逃げろ、逃げろ!


「ニートさまぁぁああ! おゆるしをおぉ~~」


「この野郎! 奴隷の分際が!!! 身の程を知れぇえ!」


 ビシっ! ビシッ!

 この鞭、すごくしなやかで使いやすいぞ! しかも、先端が硬くて床板に当たった瞬間大きく音を響かせてくれる。


 ビシっ! ビシッ! あっ! しまった!

 思わず、手元が狂ってアルノルトの四つん這いになった尻に鞭が入った!


「ヒッ! 痛いです! ニート様、痛いです!」


 鞭が尻にヒットし、小さく悲鳴をあげたて振り向いたアルノルトは、涙目になっていた。

 あっ、ごめんごめん。


 俺は小声で謝ると、さらに鞭を打つ。

 部屋から廊下へと絶叫が響き、下の階へと届いているはず。


 しかし、大の大人が男同士で何してるんだろうね。

 思わず、笑いが出て、笑いながら鞭を打った。


「あはははは! どうだ! わかったか!」


「ウヒョー! ごめんなさいぃー!」


 ウヒョーって、アルノルトやめてくれ、笑いがとまらん!

 あははははっ、楽しいぞ。悲鳴をあげて逃げ惑う人を鞭打つのってこんなに楽しいのか。

 もちろん、当ててはいない。

 本当に痛がる姿など見たくもない。しかし、アルノルトの演技は、真実味リアリティがある。


 これなら、奴隷たちは俺をやさしいだけの男ではないと思い知るだろう。

 次は我が身と思って、少しは緊張感を持ってくれるだろう。


 ビシっ! 再び、アルノルトの尻に鞭がヒットする。

 背を反らせて飛び上がったアルノルトは、ヒーっ! と声をうわずらせている。


「ヒッ! あっ、ニート様、当たってる、当たってますぅー!」


「ええい、この野郎、なめやがって! この野郎、この野郎! あははははは!」


 つい、面白くなって尻を叩きまくる。

 ビシッ!ビシッ!

 いいぞ! アルノルト! その調子だ! そうだ、泣き喚け!


「ニートさまぁー! 演技じゃないんですかぁ?」


「どうだ! 痛いか! それそれそれ!」


 いつしか、鞭打つマネをするだけというお約束など忘れてしまっていた。

 男二人で汗を流しながら鞭打ちごっこは、実に楽しい!


 俺は、女の子が痛がる姿も、嫌がる姿も見るのが好きではない。

 だから、実際に鞭を奴隷に当てることはない。

 それは言い切れる。 アルノルトが聞いたら、どの口が言うとんねん、とツッコミ入れるかもしれないが。

 女の子は別だ。暴力は罪だ!


 しかし、鞭を当てないとはいえ怖がらせるようなことをして、本当にいいのだろうか。

 女の子が怯える姿を見て、俺は平静でいられるだろうか。


『飴と鞭』という言葉もあるのだ。

 これで、奴隷商人の規律が守れるのならば嫌われ役をやるしかないのか。


 それにしても、アルノルトの演技は大したもんだ。

 まさに迫真の演技が光っていた。

 まるで本当に鞭で打たれたことがあるかのようだ……って、この人も元は奴隷だっけ?


 ◆


 ニートとアルノルトが、男同士で鞭打ちコントを繰り広げていた頃、下の階の奴隷部屋では奴隷たちが震え上がっていた。


「アルノルトさん、何したんだろう? あんなにニート様を怒らせるなんて」


「ニート様って怖いって聞いていたけど、本当だったのね」


 次々に、奴隷同士が不安な声をあげた。

 古参の奴隷たちは、つい数ヶ月前までのニートの鬼畜な所業を新入りの奴隷に語った。


 ある者は、殴り殺された奴隷の話を、ある者は鞭打たれ皮膚が破れて血まみれになった奴隷の話を。

 そしてある者は下半身の穴が裂けるほどの折檻を受けた話を、聞いた者は恐怖に震えた。

 ニート様の怒りを買えば、自分もあのように鞭打たれ、泣き叫びながら許しを乞うことになる。


 上階から聞こえる鞭の音。絶え間なく聞こえるアルノルトの悲鳴。

 そして、ニート様の不気味な笑い声。


 獣人族の娘たちは耳を塞ぎ、布団をかぶって震えながら夜を過ごしたのだった。

 この日、奴隷たちはニート様の怒りに触れないようにすればいいのかを、布団の中で話し合ったのだった。

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