第3話 「……ねむい」
「これが、美也の荷物一式だ」
「……随分と小さいですね」
ランドセルくらいのリュック一つ分しかない。
「今着ている服と、着替えが二日分。あと寝巻。それだけだ」
「財布とか、携帯とかは?」
「ないな。財布は俺が管理しているし、携帯などこの子が持っていても無意味だからな」
「……マジですか」
少なすぎるだろう、私物。
俺は呆れを含んだため息を吐く。
お嬢様っぽい見た目から、もっと豪華絢爛な生活をしているかと思ったらそうでもないようだ。
美也を風呂に行かせている間、美也と一つ屋根を共にするにあたっていくつか確認しなければならないことがあった。
一番大事なのは緊急時の連絡手段であった。
美也は携帯を持っていない。
つまり連絡手段がない。
身体が弱い美也がもし体調を崩しても、それを伝える手段がなければ救急車も呼べない。
そんなもしもに備え、いつも美也には発信機を持たせているらしい。
「お前にもアプリを登録しておいてやる。これで美也がどこにいるのかわかるようになる」
「……そんな躾のなってないペットみたいに監視する必要ってありますかね」
「美也は目を離すとすぐにふらりとどっか行ってしまうからな。あの子を一人にさせるのは危なすぎる」
他にも釘を刺されたのは、美也が首相の娘であることを絶対に言いふらさないこと。
美也の存在そのものを秘密にする必要はないが、やはり美也と白石玄水の関係を公にされるのはマズいようだ。
「もし何か必要なものがあれば、明日俺が買ってくるが?」
「必要なもの?」
「元々は男の一人暮らしだからな。二人で暮らすとなると、色々と不足するものもあるだろう?」
そう言われても、女子の生活に必要なものなど見当もつかない。
化粧品か?
でも化粧品って、どんなものがあるんだ。
そもそも、美也は化粧をするのか?
こんなことになるんだったら、妹にもっと聞いとくんだったな。
「じゃあ、えっと、歯ブラシと女性用のボディソープとリンス。そして布団と枕を」
「布団と枕?」
新田はそこだけに疑問符をつける。
「まさか、一緒のベッドに寝るわけじゃないんですから。絶対必要でしょう」
「いいだろ。別に一緒のベッドに寝ても」
「は?」
「美也は全然気にしないと思うぞ」
「俺が気にするから買うんですよ」
「お前が布団敷いて寝るスペースあるのか? こんな狭い部屋に?」
「家具をどかせば、どうにかなりますよ」
「そこまでする必要あるか? 一緒に寝ればいいだろ」
「同棲するといっても、恋人でもない男女が一緒にベッドに入るのはさすがにマズいでしょう」
「一緒に寝るだけでごちゃごちゃと。俺が大学生の時は中学生と寝たこともあったってのに」
「それ、寝るの意味合いが違うでしょう」
俺の知り合いにも女子高生と付き合っていると吹聴している奴もいるが、さすがに中学生は聞いたことがない。
「まあ、とりあえず布団以外は買ってきてやるから」
「……お願いします」
「何かわからないことがあったら、俺の携帯に連絡入れろよ」
じゃあな、と軽く手を挙げ、新田は去っていった。
ようやく落ち着ける時間になって、俺は一人重いため息を吐きながらベッドに腰かける。
まさか、こんなことになるとは。
授業もバイトもない日のはずなのに、どっと疲労が襲ってくる。
このまま寝て目が覚めれば、夢でした、というオチはないのだろうか。
未だに実感のわかない話だった。
だが、一度受けた以上もう引き下がれない。
今日から俺は、あの子を預かる立場だ。いつまでも上の空ではいられない。
「……ん」
気づけば、風呂から上がった美也が気配もなく俺の隣に座っていた。
リンスの香りが、俺をふわっと包み込む。淡色の長髪は昼間と違って結んでいないため、ふくらはぎ辺りまで届いていた。
同じリンスのはずなのに、全然違う匂いに感じるのは気のせいか。
しかし改めて近くで見れば、非常に整った顔立ちをしている。
あまりにも完璧すぎて、逆に邪な感情の付け入るスキがない。
風呂上がりで寝巻を着た女の子が肩と肩が触れ合うような距離でいたら平静でいられないはずなのだが、俺の心はまるで絵画に世界に吸い込まれるかのような不思議な感覚に囚われていた。
「……ふわぁ」
はっとして我に返ったのは、美也が年相応に可愛らしいあくびをした時だった。
「ね、眠いのか?」
「……ん」
美也の目がとろん、となっている。
「ベッド横になって寝ててもいいぞ。俺は風呂入ってくるから」
立ち上がり、その場を離れる。
洗面所に入ったタイミングで、ポケットの携帯が鳴っているのに気づく。
着信だった。
「……
同じサークル仲間の、
電話に出る。
「もしもし?」
『あー、もしもしぃ。秀斗? わりいな、こんな時間に』
「別にいいけど。一体何の用だ」
呂律が回っていない。
結構吞んでいるな。
呑む量を間違えるほど馬鹿ではないはずなのだが、今日は羽目を外して楽しんだらしい。
『あのさぁ、秀斗。今日、お前ん家泊めてくんね?』
「――……は?」
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