君に「好き」って言いたくて

ブックマン

「君ってどんな人?」

第1話 「私のことが、怖くない……?」

黒瀧秀斗くろたきしゅうとだな?」

「はい?」


 午後十時過ぎ。勉強を終え、そろそろ風呂に入ろうかと思った矢先だった。

 インターホンが鳴って玄関を開けたところで、藪から棒に言われる。



 立っていたのは背広姿の男だった。

 背が高く痩せており、上着はくたびれて皺だらけだった。

 しかし眼には剣呑な光が宿っている。 

 頬がこけているせいか、怜悧れいりな印象さえある。


 死神みたいなやつだ、と俺は思った。


 ただの中年のサラリーマンや、押し売りに来た営業マンではない。

 立ち姿だけでそう察せられた。

 


「公安警察の新田にったという」

「は? こ、公安?」

「普段は職業柄、名乗ることはないがね」 


 新田と名乗った男は肩をすくめた。


 突拍子もない話に、新手の詐欺かと疑いたくなる。

 


「あの、公安が俺に何の用ですか?」


 警戒しながら、尋ねる。


「思い当たる節でもあるのか?」

「……ゴミの分別をしなかったとか?」

「善良な市民で結構なことだ」


 新田は口の端を歪める。

 煙草のせいか、黄ばんだ八重歯をチラリと覗かせる。


「お前に話がある」

「な、何でしょう」


 新田は脇によけると、背後に控えていた人影を前に出した。


「あ、君はさっきの」


 華奢な女の子だった。

 俺と同年代か、一つ下くらいの歳くらいか。

 珍しい淡い色の髪色と、透き通るような琥珀色の瞳が、薄闇の中で光っていた。



 俺は六時間ほど前の、コンビニからの帰り道のことを思い返す。



 ♢


 本来ならこの曜日に講義は入っていない。

 わざわざ大学に行く必要はない。

 

 バイトも入っていないため、家にいても手持ち無沙汰。

 掃除をしようにも、一人暮らしの狭い部屋はすぐに手が回る。

 気づけば昼過ぎを迎えていた。

 しかし料理をするにも億劫なので、コンビニまで出かける。


 外に出た瞬間、激しい雨音が聞こえてくる。

 横殴りの雨が足元まで届いていた。 

 

 今朝ニュースで梅雨明けが例年より遅いといっていたな。


 長傘を手に取り、コンビニに向かう。

 少し歩いただけでも、ズボンの裾が濡れた。

 急いでコンビニで弁当と飲み物を買い、帰り道を急ぐ。


 雨は勢いを強めていた。

 もう夏だというのに、身体が濡れて寒気を感じ始める。


 腕をこすろうとしたその時、ふと脇の公園に目が行った。


 マンションの近くにある、小さな公園だ。


 元は数少ない子供の遊び場だったのだが、如何せん近くにマンションや住宅が乱立しているために、ボール遊び禁止だの、ペット禁止だの、挙句の果てに子供の騒音がうるさいと役所に苦情が入り、遊具まで撤去された。


 今や閑散とした、ただの空き地のようになっていた。

 ここで遊んでいる子供は誰一人としていない。

 しかし、今日は違った。


 いつも無人のはずの公園のベンチには、一人、女の子と思わしき人影が傘もささずに座っていた。

 俺と同年代か、一つ下くらいの歳くらいか。

 遠くからでも目立つ淡い色の髪を垂らしている。


 顔立ちはまだ遠くてわからなかった。


 強い雨の中、人気のない住宅地の公園にポツンと座るその姿は、自然と目が行ってしまうような不思議な存在感があった。

 公園の敷地内が別世界に感じられた。


 足が、少女の方に向いていた。


 ずぶ濡れの少女に、傘を差しだした。


「風邪ひくぞ?」


 少女が顔を上げた。

 綺麗な、透き通った瞳と目が合う。


 琥珀色の瞳だった。


 表情は一切の機微を感じさせないが、かといって冷たいものでもない。

 鼻筋が通っており、肌は一度も日の光にさらされていないかのような白色だった。


 はっとするほど綺麗な容姿に、思わず目を奪われてしまう。


「こ、こんなところで、何をしているんだ?」


 ともすればナンパと思われるかもしれない、と危惧したが、どうにも気になった。


 高校生、というには少し大人びている。

 しかし二十を超えているようには見えない。


 そもそも、この平日の昼間に公園にいる時点で、学生ではないのかもしれない。

 キャンパスにも、こんな子がいるなんて聞いたことがない。いたらすぐに話題になっているはずだ。


「……」


 少女は何も答えない。

 ただ、俺の目をじっと覗き込むように見つめていた。


 どこか浮世離れした琥珀色の瞳に、俺はしばらく言葉を忘れる。


「と、とりあえずだな。こんなところで座っていると風邪をひく」


 咳ばらいを挟んでから、そう言う。

 雨に打たれていた少女の存在感はどこか弱々しく、目を離せば露のように消えてしまいそうだった。


 こんな雨の中に置いてはおけなかった。


「近くに俺のマンションがある。そこで、シャワーでも浴びるか?」

「……」

「まあ、嫌なら別にいいんだ」

「……(こくり)」


 少女はおもむろに立ち上がる。


「え、俺の家に行くってことでいいのか?」

「……(こくり)」


 子供のようなあどけなさを匂わせながら、首肯する。


「そ、そうか」


 自分で言っておいてなんだが、まさか承諾するとは思わなかった。


「こっちだ」


 相合い傘を差しながら、マンションの部屋に戻る。

 道中、彼女は一言も話さなかった。


 部屋を開ける。

 掃除を終えたばかりなので、特に散らかっていないことが幸いだった。


「シャワールームはそこにあるから。入っている間に、服乾かしておくけど、いい?」

「……(こくり)」


 少女は早速洗面所に入り、シャワーを浴び始めた。

 よほど体が冷えていたのだろう。


 俺は脱ぎ捨てられた服を洗濯機に放り込む。

 できるだけ下着類には触れないよう、見ないようにしながら――薄桃色の何かがちらりと見えた気がしたが――洗濯機を回した。


 その間、俺は買ってきた弁当を机の上に置き、ベッドに腰かける。

 

 一体、彼女は何者なんだ。


 

 携帯や財布を持っている様子はなかった。

 見た目からすると、どこかのお嬢様だろうか。


 深窓の令嬢といわれれば、なるほど確かに彼女は近寄りがたい高貴な印象があった。

 だとしたら、家の人が心配しているのではないか。


 それに、さっきから何故一言も話そうとしないのか気になる。

 会話を拒絶している感じはなかった。あれで自然体なのだろうか。


 なにもかも不思議な存在だが、俺が最も気になっているのはそこではなくて。


 ――俺は、彼女の顔立ちに、どこか強い既視感を覚えていた。


 シャワールームのドアが開いた音がした。


 足音がこちらに近づいてくる。


「どうだ、身体は温まっ――」


 絶句する。

 シャワーから出たばかりで、身体から湯気を出している彼女が、俺を見ていた。

 素っ裸で。


「――……あ‼ そういえばバスタオルと着替え、出していなかった!」


 ベッドから転げ落ちる。


「すまん! すぐに取ってくるから!」


 何という失態。

 己の気の回らなさを呪いたくなる。

 

 部屋を駆け回りながら、適当にジャージを見繕い、洗面所からバスタオルを取ってくる。


「こ、これでいいか⁉」

「……(こくり)」


 生まれたままの姿を隠そうともせず、むしろ堂々とした歩きで洗面所に戻っていく。

 まるで恥じ入っている様子がないので、一人騒いでいた俺が馬鹿らしく思えてきた。


「……はあ」


 脳裏に焼き付いた裸体を振り落とそうとする。

 視界に捉えたのはほんの一瞬だったはずだが、つま先から頭の先まで、思い出そうとすればはっきりと浮かび上がる。

 流麗なラインを描く、ほっそりとした体だった。


「……参ったな」


 チラチラと脳裏を掠めるあの瞬間を忘れるためにも、俺はテレビをつける。

 昼のバラエティー番組を、淡々と見る。

 一瞬でも気を抜けば、さっきの出来事がフラッシュバックしそうだった。


「……ん」


 振り返ると、少女がジャージ姿で立っていた。

 線が細いからか、ぶかぶかでサイズは全くあっていなかったが、逆にあのときの裸体を思い出さないで済みそうだ。


 少女はおもむろに俺の隣に、座る。


「……あ、服乾くのもうちょっと時間かかるから。それまで、待っててくれよ」

「……(こくり)」


 外をチラリと見やる。

 まだ雨は降り止みそうにない。


 ――――ぐぐぅ。


「おなか減っているのか?」

「……んぅ」


 素直に首肯するのは恥ずかしいのか、困ったようなうなり声を上げる。


「そこの弁当、食べていいぞ」


 さっきコンビニで買ったばかりの弁当を指さす。


「……?」


 こてんと首をかしげる。

 ―――食べていいの? 

 そう尋ねているように見えた。


「いいよ。俺はそんなに腹減ってないし」


 最悪、家にまだ保存してあるカップ麺でどうにかなる。

 再び、外を見やる。


 まだ雨は降り続いていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る