シングルベッドとノート
岡崎
二月某所
薄暗く、しけった臭いのする田舎の博物館にわたしたちはいた。やりきれない無気力感と重苦しい諦めが、層のように積もった博物館だった。
他に観客はまばらで、ほとんど貸し切り状態である。「駐車しやすくていい」と父はハンドルを切りながら笑っていた。
経路順に見て回ると、ただでさえなんだか光が足りていなかったところから、さらに薄暗い、壁が真っ黒に塗られている展示室へと導かれた。
母が、ある展示ガラスをじっと見つめたまま、呟くように口を開いた。
「これ、なんてよむの」
「これ?」
母の目線の先を探ると、そこには『魑魅魍魎』の文字があった。いかめしい漢字だ。それが四つも並んでいる。わからない。けれど、鬼が入っているのをみると、きっとあまりいい意味ではないのだろうと思う。
嫌に画数の多いその文字の下には、この博物館のある地域特有のお祓いか呪いか儀式か、そんなものがゴシック体で説明されていた。そのまた下に、どこか憎めない琵琶の妖怪や鬼が描かれた、古そうな絵が飾られている。
「ちみもうりょう、だよ」
他の展示を眺めていた父が、いつのまにかわたしたちの隣にいた。わたしは少し驚いて身を引いた。
へぇ。どこか間の抜けた声で母が相槌を打つ。自分から聞いたくせに、あまり興味はなさそうな反応だ。
「じゃあこれは?」
顎を突き出すような、あまり品のよくない仕草で質問する。その文字もまた、わたしが見たことのない熟語である。跋扈?
「ばっこだよ」
わたしが思っていた以上に父は博識であった。でも、もうわたしがこの文字に出会うことはなさそうである。母を盗み見る。目が輝いてた。
「ちみもうりょうが、ばっこする」
なんともたどたどしい子供の音読のような調子で、母は復唱した。
「ちみもうりょうがばっこする・・・ふふ、初めて聞いた」
感心するような声をあげながらも、足はさっさと次の展示品へとむかう。とりたてて展示内容に興味は無かったらしい。
「ちみもうりょうがばっこする、ねぇ」
何度も何度も繰り返しそう呟く母は、はしゃいでいるように見えた。
颯爽と前に行く母と父に追いつくため、足を早めた。
無邪気に、笑みを浮かべながら母は言う。
「ちみもうりょうが、ばっこする」
なんだか、怖い。でもなんの恐怖かもわからない。なんとなく嫌だった。
薄暗い館内のほこりっぽい空気が、足を重くさせる。寒くも暑くもないはずの博物館の中で、わたしは粟だった自分の二の腕をさすった。
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